三文字の漢字で三十のお題・02「乙女心」
ほころび


 1


「どうやら私にこの仕事は不向きなようです。限界です。…探さないでください」


起き抜けに受け取った手紙は女王からだった。執務に関することを質問されたなら熟睡中たたき起こされたとしてもほぼ完璧な回答が出来ると自負しているジュリアスだが、この手紙については意識が完全に覚醒しても首をかしげるばかりだった。
手紙の精霊を問い詰めると、日付が変わるとほぼ同時に発信されたものだということと、受取人が眠っている場合はけして起こすなと厳命されていたことが判明したが、たいした足しにはならなかった。


すぐに女王補佐官に連絡を取り、出仕の支度をする。案の定ロザリアからは大至急宮殿に来るようにとの返事があったので、急いで駆けつけた。
迎えるロザリアは蒼白である。それでも落ち着いた態度を保っているのはさすがだ。
「申し訳ありませんわ、ジュリアス。連絡をいただくまであの子がいなくなっていることにこちらの誰一人気がついていませんでしたの。私への手紙もありませんでしたし、置き手紙のたぐいも今のところ見つかっていません。」
当然ロザリアの元にはもう少し事情がよくわかるような手紙ないし書き置きがあるはずだという予想はあっさり外れた。当初思ったよりはやっかいな事態らしい。

「で、陛下の居場所に見当は」
「それが」補佐官は言葉を濁す。「ですが、聖地から出ていないのは確かです。聖地外に出ているとか異変が起こっているとかなら、私にも多少は感じられるはずですから。」ジュリアスのいぶかしげな視線に気がついたのか付け加える。「女王と補佐官をつなぐサクリアの絆、とでも説明すればいいかしら」
ロザリアが比較的冷静なのは、女王の身に差し迫った危険がなさそうなことに由来していたようだ。とりあえず今回の件が即宇宙存亡の危機といったレベルの話ではなさそうだ。深刻な事態でないことはありがたい。

着席を促されたジュリアスは補佐官執務室の片隅の小テーブルでロザリアと向き合った。

「現状を整理しよう。陛下が失踪した。時は本日日付が変わった頃。原因にとくに思い当たるところはない。陛下は聖地内のどこかにいらっしゃるらしい」
ロザリアもジュリアスの口調に倣って続ける。
「陛下は自発的に身を隠している模様。その性格上、失踪が長期にわたることは考えにくい。現在宇宙にとくに何の問題もなく、この不在が致命的な影響を生じさせる可能性はきわめて低いと思われる。そしてこのことを知っているのは私とあなたの二人だけ」
「……つまり、公にはしないということか」
「もちろんあなたが個人的に探す分には問題は無いでしょうけれど。事を荒立てるよりはその方がよろしいかと」
宮殿に向かう道すがら女王の捜索についてのプランを練っていたジュリアスにはちょっと意外な展開になったのだが、それでもたしかにロザリアの提案の方が妥当だと思われた。
「よかろう」そして付け加える。
「それにしても困ったものだ」

「私、反省していますの。いつもあの子が限界近くまでがんばっているということを知りながら、その姿を見慣れてしまって、当たり前のように感じるようになってしまっていた自分を。スケジュールを詰めたがるのを笑ってたしなめるのではなくて、無理矢理にでももっと休ませるべきでした。補佐官としても親友としても」
確かに就任以来彼女はとてもよくやっている。しかも弱音を吐かない。そのことに安心しきっていたのは周囲の非だ。
「ですからジュリアス、今回のことがあの子のどうしようもない気まぐれだったとしても、叱らないでやってくださいね。女王としての自覚とかいわれなくても一番よくわかっているのはあの子ですから。でも、ほんの少し前まであの子は女王の役割なんて事を考えたこともなかったんです。わたし、あの子のそういう普通の女の子としての部分を守ってやることができなかったのだと今回のことで痛感しているのです」

ロザリアはかねてから、現女王が特別な女王教育をほとんど受けていない普通の少女だったことをたいへん重視しているようだ。その点では現女王がプライベートな場では女王らしく振る舞わないことを内心苦々しく思うジュリアスとは全く反対の立場に立っていると言っていい。そのロザリアが今は消沈しきって目を伏せている。
ともかく重要事件ではないということを確認しあった直後に補佐官の沈痛な表情を見せられてジュリアスは戸惑う。確かに女王が見つかったなら形式上だけでも苦言を呈するまたは一言釘を刺す必要があると考えていたのだ。みごとな先制攻撃に、あえて返事はしないでおいた。

「それでは結局今回の件で第一に考えなくてはならぬのは何だろう」
「陛下の乙女心を守ることですわ」

乙女心。思ってもいなかった単語の出現に軽く打ちのめされながらジュリアスは立ち上がった。
「私はこれで下がろう。陛下の最近の執務記録があれば私の部屋まで届けて欲しい。陛下が見つかったら真っ先に連絡を頼む。」


 2


執務室にはマルセルからひまわりが届いていた。ジュリアスは日頃からひまわりの堂々とした姿を好もしいと思っていたが、今あらためてこの状況で見ると、むしろ太陽に焦がれ常に太陽を向くといわれるその様が、女王陛下という中心があってはじめて存在意義がある守護聖のありように二重写しになる。元来ジュリアスにとって女王という存在は絶対で、そこに疑念をはさむ余地など全くなかった。だから、女王と守護聖の関係について、などという基本的な部分でつまずいてしまう日が来るとは考えもしなかった。――現女王が即位するまでは。

今回のことをロザリアはさほど重大事件とはとらえていないようだ。ならば実際そうなのであろう。ジュリアスは正直、現女王のことに関して自分が正しい判断を下すことができる気がしないでいる。現女王について彼の頭にまっさきに浮かぶことばは「謎」だ。それは自分の中では不敬にあたるのだが、このいわば忠誠心のほころびは直りそうになかった。

女王試験の時、ジュリアスは彼女に徹底的に手を焼かされた。と言っても彼女は、試験の本筋である育成はきちんとしていたし、大陸の民にも慕われていた。さらにロザリアとの関係も親密すぎると思えるほど良好で、ジュリアス以外の守護聖とは上手くやっているようでもあった。しかしジュリアスはその立ち居振る舞いの粗野さに、反抗的な態度に大いにダメージを受けていた。
あるときなぜ敵意あるいは憎悪を向けられるのかが少しはわかるかと占いの館を訪ねれば、驚くべき事にほかの守護聖の誰よりも彼女との相性も親密度も高いということが判明した。「天の邪鬼さんには苦労するわね。でも恋愛音痴さんにも同じぐらい苦労しているだろうし」と占い師はにこにこと謎の言葉を紡ぐ。そして彼女のあれは敵意でもなく憎悪でもないというのだ。しかしそのどちらでもないのにあのように反抗的になれる少女が存在しうるという事実、何よりもそれが女王候補である点が彼の許容範囲を超えていたので、それ以上の考察は不可能だったのだ。

それでも彼なりに理解に努めていたつもりだ。何故か連日執務室に押しかけてくる彼女とはできれば顔を合わせたくないと内心思っていたけれど、実際態度以外の点はかなり高く評価していた。また、身に染みついた粗野さを変えていくのは容易ではないから、とできるだけ寛容に接しようと繰り返し自分に言い聞かせていた。
だがある日、本当は彼女はジュリアスの意に沿うような完璧な立ち居振る舞いもできるのだと知った。それは彼女の彼の前での挙動はどうしても改められないものではなく、あえて意図していることだということを意味する。それから間もなくジュリアスは彼女の目の前で心労の余り倒れてしまったのだ。

正直に言うと彼は倒れてしまった前後のことをよく覚えていない。当時の補佐官ディアによれば、誰よりも頻繁に聖地と飛空都市を往復したことでサクリアにかすかに変調を来し、そのことによって女王試験それ自体が起こすストレスを一身に引き受けてしまった事が主因だということだった。非常事態の元では思ってもみない事が起こるものだから、と。
それ以降彼は、ディアのアドバイスもあって、ストレスを遠ざける目的で女王候補との接触を最低限にした。何故か敗北感でいっぱいだった。だがそれと同時に彼女の反抗的態度は嘘のように消え、あれよあれよと思う間に女王の座に上り詰めていったので、この対応は正しかったのだと思われた。

就任の儀の時のことは今でもジュリアスの脳裏に鮮明だ。
文字通り見違えるような高貴さと優雅さをまとった彼女の様子に目を瞠った。その完璧な女王ぶりに、宇宙が選んだ女王たる彼女は、やはり自分が忠誠を捧げるに足る存在だったのだと、感動を覚えたものだ。試験の時の経緯はともかく、これ以後自分は全力で彼女に仕えるのだと。


そして就任後一ヶ月半、女王は周囲に好感をもって受け入れられている。
だが何か割り切れないもやもやしたものがジュリアスの心の底に澱のように溜まっていた。
理由はわからないが自分は候補時代の彼女に憎まれ続けていた――占い師は否定したが――ゆえ、今は周囲から表面上良好な関係だと思われている女王と首座の関係に、いつかどこかでどんでん返しがありあっけなく崩壊してしまう日が来る予感とでも言えばいいのか。

そんな中で今日の一件は起きた。
ジュリアスは朝の手紙をもう一度開いてみた。


「どうやら私にこの仕事は不向きなようです。限界です。…探さないでください」


この仕事、とは女王の仕事だろうか。限界、とはどういう事か。女王の力に翳りはみじんも感じられず、現に先ほどロザリアは宇宙になんの問題も起きていないと言い切った。だがそれは彼女が無理に無理を重ね、ありったけの力をふりしぼった結果だというのか。自分の目からは女王はむしろ毎日楽しそうにしていると認識していたのに。
これほど短い手紙なのにわからないことだらけだ。何よりも謎なのはこれが自分の元に届いたことだ。一応首座としては信頼されているのか。もしかして何かの嫌がらせ、の可能性が皆無でないのが情けなかった。


 3


そうこうするうちに執務時間になった。朝一番に補佐の者と打ち合わせた時、今日の仕事量がいつもの3割増であることに気がつく。理由は思いあたらない。女王の失踪は伏せてあるし、宇宙は平和そのものだ。おそらく「何もない時にしておかねばならぬ事」が偶然まとめて押し寄せてきたのではなかろうか。ということは急ぎの仕事ではなさそうだ。

ここでジュリアスは仕事の優先順位について考える。
正直、一番気になるのは女王の所在なので、女王の捜索を最優先したいのはやまやまだ。しかし、どこをどう探せばよいか見当も付かないうえに、秘密裏に探さねばならないのが隘路といえる。事情が許すのならその名を叫びつつ聖地中を駆け回りたいぐらいだが、とまで考えて、そのあまりの有り得無さに自分で驚く。
何故そんな荒唐無稽な発想になったのか。やはり彼女については自分の考えは採用すべきではない。ここは女王補佐官の意見に従って、少なくとも半日ぐらいはこちらからは何もせずにいるのが良いのだろう。

そう考えた末、結局午前中は息抜きの間も惜しんで仕事の山を崩すことになった。
当初雑念を寄せ付けないほど集中することで思考がクリアになっていく事を期待していたのだが、無駄だった。途中で、この仕事量は自分が捜索を優先しようとすることを考えて女王が先手を打ったのではないかという考えが頭をよぎり、「小娘の策略に踊らされて」とのフレーズが無意識に口からこぼれた。小娘扱いというあまりの不敬ぶりに自ら愕然とする。誰よりも女王に忠実な自分は一体どこに行ってしまったのか。いや、それでも自分基準で自分の中の最重要人物は女王だ、誰がなんと言おうと。敬意だってたぶん払っている。敬意と少し違う気もするが、その違いを考えはじめると思考の暴走は止まらず、もはやぐだぐだとしか言いようがない。そんな精神状態でもなんとか通常以上のペースで仕事をこなすのだった。



昼の休憩時に女王の日誌をチェックした。きちんと執務をこなし、日々向上心にあふれている。まずまず申し分のない女王ぶりを再確認する。
欄外に花だか星だかが落書きされているところがいくつかあり、これがロザリアの言った乙女心とやらの発露なのかとぼんやりと考えたりもする。
しかし結局日誌からは女王の現在位置についてなんのヒントも見いだすことはできなかった。



昼食を終えた頃合いを見計らい、ロザリアの執務室にその後状況に変化がないかと訪ねてみた。
意外にも彼女はむしろ上機嫌ともいえる明るさでジュリアスを迎えた。
「もう安心して、ジュリアス。あの子が今日中に戻るのは確定です。朝のあの時点では失念していましたけれど、今日はあなたの誕生日でしょう。食事会の予定があったはずです」
「あ」思わず間抜けな声を出してしまう。

先代・先々代の間、守護聖の誕生日は祝わないのが慣例となっていたのだが、新しい女王たっての願いで、就任後しばらくしてルヴァの誕生祝いの食事会が開かれた。試験当初、育成についての知識が乏しかった彼女は、ルヴァとその蔵書にずいぶん助けられたらしいので、そのお礼の意味合いも濃いのだろう。
それは簡素だが心のこもった席で、女王手ずから調理したネギとトーフのミソシルなる珍しいスープが出され、ルヴァが大いに感動していたのを思い出す。食後ルヴァがなにやら女王に耳打ちしているな、と思っているとあの彼女がみるみる赤面したので、珍しい反応もあるものだと思っていたジュリアスだったが、直後ルヴァが慌てて駆け寄ってきて「あーなんでもないんですよー。ただ、ミソシルのベースには鶏ガラスープストックより魚の干物と海草の漬け汁を使うほうがよい事を説明していましてねー」などとまくし立てたのが不思議だった。何故そんな報告が必要なのかと。

とにかくその時、次はジュリアスの番だから誕生日の夕刻以降は皆予定を空けておくようにと女王が嬉しそうに言ったのだった。その割には続報が全くないのでやはりあれはあの場の雰囲気で言っただけで、空手形に違いないとジュリアスは思いこんでいたのだが、あれがまだ有効な約束だったとは。


「ですからもう何も心配要りませんわ。あの子があなたの誕生祝いを無視することだけは有り得ません」
「何故断言できる?」
「何故って、まあ」ロザリアは大げさに驚く。「それを私に言わせるおつもりですの?」
こうなったらジュリアスはもう何も言う事ができない。彼女に関することなら、ロザリアはいつも正しい。正直少し女王を甘やかしすぎではないかと思ったりするが、補佐官のすることに間違いはない、のだ。


「案外早く片付いて良かったですわね、ジュリアス」
「…そうなのか? で、陛下は今どこに」
「わかりませんわ。でも夕方には万事解決ですから」
「しかしそれでは」
「女の子には、秘密にしておきたいことの一つや二つあるものでしてよ」
そしてこれ以上質問の隙は与えませんよ、とばかりにほほえむ。
ジュリアスはおとなしく引き下がることにした。


 4


午前中でだいたい片付けたはずが、午後になって新しく仕事が増えていた。どうせ午後は女王を捜すことに当てる計画だったので、おとなしく続きをする。

誕生祝いをすることをほかの守護聖たちは覚えていたらしく、一息つこうとした頃に次々と執務室にやってきた。
お祝いの言葉だけですぐ下がるものもいれば、話し込むもの、贈り物を持ってくるものもいる。
誕生日を祝わなくなって久しいので、ジュリアスはその感覚を忘れかけていたようだ。
マルセルのところから来たひまわりももしかしたら誕生日のプレゼントなのかもしれないとようやく気がつく。
珍しく隣室の同僚もリュミエールを伴って挨拶に来たし、ゼフェルも自作の贈り物を持ってやってきた。


女王試験でジュリアスにとって一番の収穫だったのはほかの守護聖との関係がおしなべて良くなったことだ。向こうからなんとなく敬遠されるということも減り、逆に自分が内心苦手だと思っていた相手の長所がよく見えるようになった。とくにゼフェルを正しく評価できるようになったと思う。今でも彼を「理解」できているかはわからないが、粗野な振る舞いや反抗的な態度に隠された、底にある本質をきちんととらえ、その資質のすばらしさや思いやりの深い様子にふれることができるようになった。ジュリアスの態度が変わったことでゼフェルの方も変わったのか、以前のようにむやみにジュリアスを敬遠することもなく、時には自分から話をしにやってくるようになった。ゼフェルから手作りのものを贈られるなど、試験の前のジュリアスからは信じられないことだ。

皆が一通りやってきて帰ったらもう夕刻近い。この時間帯にはいつも女王の「その日の問題点についての問い合わせ」という大義名分つきの訪問がある。この定期連絡とも言える行事は、しばしばその大義名分から相当飛躍した内容だったりするので、日々「女王は謎」という印象が塗り重ね固められる事に大いに貢献している。だが、今日は当然その訪問はない。朝に手紙を受け取って以来わかっていたはずの女王の不在があらためて本当なのだと感じられる。あるはずのものがないというのは、これほど奇妙な感じがするものだったのか。ジュリアスはその奇妙な感じを振り切るように仕事に没頭した。


結局執務時間が終わる頃には普段の倍近い量の仕事を片付けていた。補佐の者の感嘆の声にジュリアスは苦笑うしかなかった。デスクの上を片付けるとほぼ同時に手紙の精霊がメッセージを運んで来た。

「ジュリアス、お誕生日おめでとう。
 もしかして忘れていないか心配ですが、以前お約束したとおり、今日はあなたのためにお食事の席を用意しています。
 集いの間に6時半、ね。」


女王からだ。まるで今日一日の失踪騒ぎ――といっても誰一人騒いでいなかったのだが――は無かったものと扱われている。
釈然としないが、ここは素直に女王が戻ったことと、祝ってくれる気持ちを喜ぶべきなのだろう。


 5


ジュリアスは約束の時間ぴったりに会場に到着した。ほかの守護聖たちは、おそらくもっと早い集合時間を伝えられていたのだろう、すでに皆集まっていて、ジュリアスを拍手で迎えた。歩み入ると、奥から白いワンピースを着た女王が小走りで出てくる。ああ、やっぱり、ちゃんといた。正直その姿を見るまではいつ「やっぱり戻るのやめた」とばかりに失踪が長引くようなことがあってもおかしくないと思っていたのだ。ほっとするあまりよほど気の抜けた顔をしてしまったのか、女王は少し不思議そうな表情でジュリアスの顔を見上げてから、宮殿の皆を魅了するいつもの笑顔で「お誕生日おめでとう!」と言った。再び拍手が起こり、音楽も流れはじめる。

「このような席を陛下みずから設けていただけるとは光栄至極です」と挨拶すると、
「またそんなこと言ってぇ。美味しいものいろいろ食べ慣れているあなたのお口に合うかちょっと心配だけど、今日はゆっくり楽しんでね」と言うと、女王はジュリアスの手をいきなり強引に掴んで食卓の中央の席に導いた。そしてジュリアスの着席を見届けると、しばらく迷ってから自分もその隣に座りながら、
「席順は適当でいいわよー」と言う。それを合図にくつろいでいたほかの守護聖たちと女王補佐官が次々着席する。

女王は給仕係に指示をしたあと、ジュリアスとは反対側の隣のオリヴィエと今日の服装について話し込んでいるようだ。
ジュリアスのはす向かいのロザリアはその隣のルヴァと「あの子もずいぶん素直になって」「そうですねーうんうん」などと言い合っている。
ゼフェルのことを話しているのなら同感だな、と考えたジュリアスは真向かいのクラヴィスと目が合ってしまって一瞬身を硬くするが、相手は口の端を少し上げたのち目をそらした。



食事会はつつがなく進行した。皆は女王の心づくしの会食を楽しんだ。
女王は終始楽しげで、女王の職責に堪えられず失跡してしまった影などみじんも見えなかったので、ジュリアスは内心安堵した。
最後にコーヒーが供される時、前菜のテリーヌと食後のコーヒーに添えられた小さな焼き菓子は女王の手による物だと発表された。皆の感嘆の声に女王はちょっと得意そうだ。



食後、皆が食卓をあとにした時、女王は今日の主賓たるジュリアスにぴったりとくっつき、にこにこと話し始める。

「ジュリアス、お食事は気に入ってもらえた?私のお料理はどうだったかしら」
「たいへん美味しくいただきました。菓子は試験時代よりも更に腕を上げられたように思います。テリーヌの方は美味しいばかりでなく見た目もたいへん美しく、あのような手の込んだ料理もお作りになられるのかと、正直驚きました」
「わー、褒めてもらっちゃった!苦労した甲斐があったわ。また次を楽しみにしていてね」
と、女王は無邪気に喜んでいる。そこには以前さんざん悩まされた粗野さの影はまるでない。終始揚げ足を取られ反論されてばかりだったあの頃のことはもうそろそろ悪夢として葬って良いのかもしれない、とジュリアスは思う。



どういう訳か潮が引くようにふたりの周囲に人がいなくなったのを幸いにジュリアスは思いきって尋ねてみた。
「それより朝の手紙は一体どうなさったのか」
「え?」
心当たりがないという彼女に、懐にしまってあった現物を取り出して見せると、とたんに青ざめた。

「やだ、ジュリアスのところに届いていたの? 私あのとき相当うろたえていたのね。それはロザリアに出すつもりだったの」
「文面からはたいそう追い詰められているように伺えますが、詳しいお話をお聞かせ願えますか」

「それはね。あの、怒らないでね。……ずっとテリーヌを作る練習をしていたんだけれど失敗ばかりで、本番に間に合わないかもしれないと思って、その、急遽お仕事よりもお料理を優先しなくちゃならなくなった、という連絡のつもりだったんだけれど…」少々答えにくそうに時々ジュリアスの方を上目遣いでちらちら見ながら、それでも一気に言ってしまった。

向いていない仕事というのは料理のことだったのか。ジュリアスは自分のあの悩み考え込んだ数時間はなんだったのかとすっかり拍子抜けした。叱らないのは約束だったが、せめて皮肉な一刺しを試みる。

「そのようなことでしたか。私はまた、日々楽しそうに見える陛下にもこんな外から到底伺えないような葛藤がおありだったのかと」

「そりゃ葛藤はあるわよ、いろいろと」即答だ。
「なんといっても、こうして話していてもジュリアスはずっと丁寧語だし。もっと普通にお話ししてもらえない?」

「これが普通だと思うのですが」
「もっとえらそーに高圧的じゃないとジュリアスと話してる気がしないわ」
すっかり固まるジュリアス。その反応にくすくす笑う女王。


音楽が静かな優しい感じの調べに変わった。照明も先ほどよりやや落とされたようで、その中で女王の白いワンピースと縫い取られた金糸が控えめな光を放つ。

しばらく黙って蝋燭の光を見つめていた女王が口を開いた。


「そうか、あの手紙、ジュリアスのところに行ってたのね。びっくりしたでしょ?」
「それはもう。すぐに探しに行こうにも、今日は何故か仕事量が多くて」

「ふふふっ。だって、それがプレゼントだもん。ロザリアがね、一番お好きな物をプレゼントしたら?って言ってくれたんだけれど、私ジュリアスの好きな物ってお仕事しか思いつかなくて」更に屈託無く続ける。

「それで、今日報告を聞きに行かなかったのも、準備に忙しかったからと言うよりも、ジュリアスってなんだか私のこと苦手にしているみたいだから、私がいない一日って言うのも嬉しいかとちょっと思って、それもプレゼントすることにしたの」


「…そ、それは…ありがとうございました」
なんてことだ。やはり女王の思考回路は謎だ。ジュリアスのことについては嫌っていると言うよりはむしろ親しみを感じてくれてはいるようだが、それでも訳がわからない。そう思いながらジュリアスは引きつった笑顔で礼を言った。


「喜んでもらえてうれしいわ。それにしても手紙の精霊はどうしてジュリアスのところに行ってしまったのかしら…」

少し首をかしげて考え込む様子につい引き込まれてジュリアスは女王の顔を覗き込んだ。何か思い出したらしい女王が視線を上げたとき、ジュリアスのそれとぶつかった。とたんに女王は赤面する。珍しい事態だという以上に、その愛らしさにあらためて気づかされたジュリアスは目を離すことができない。

もう一度ジュリアスと目をしっかり合わせた女王は少し声を震わせて語る。あのとき精霊に「一番心配してくれる人のところに」といって手紙を託したことを思い出したから。

「……私、ジュリアスにちゃんと心配してもらえているって、うぬぼれていい?」


反射的にうなずいたジュリアスは、すぐに女王の手を取りその場に跪く。これ以上瞳を見つめてしまうと、うっかり抱きしめてしまう危険を感じたのだ。


「あの、そういうのも悪くないけれど、もっとほかに態度の取りようがあるんじゃないのって思うのよね、女の子としては」


それでもジュリアスが顔を上げた時に見た女王の表情はこれまでと種類の違う明るさを帯びていた。
再び目があって恥ずかしそうにほほえんだ女王に、花がほころぶような笑みとはこういうものかもしれない、と思ったジュリアスは、女王との奇妙な関係が新しい段階に入ったことを感じていたのだった。

お題提供:


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完璧な一日」「照る日曇る日」と一応続いています。女王になる時にかなり反省して脱天の邪鬼したリモージュと、いきなり素直になられてどうも調子が狂って困るというか未だ疑心暗鬼なジュリアス様、というところです。
アンジェリークの作ったテリーヌのうち、野菜のテリーヌには隠し味として「はおゆー」が使われているというかなりどうでもいい隠し設定があります。

三十題リスト

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