完璧な一日


その日。
廊下を歩く足音も、ノックの音も、いつもとはまるで違った落ち着いたものだったので、ジュリアスは部屋を訪れたのが女王候補アンジェリークだとは気がつかず、書類から顔を上げた瞬間、危うく椅子から落ちそうになってしまったのだった。
だがそこは、平静を装い、威儀を正して、最近、もしかしたら天敵とはこういうものかも知れないと思い始めた少女に向き合う。

「今日は何だ」
「おはようございます。今日は、育成を、少し、お願いに上がりました」
「??」どうしたのか、今日の彼女はいつもと口調がまるで違う。
「どうぞよろしくお願いいたします」
アンジェリークはニッコリ笑うと、一礼して部屋を辞した。

ジュリアスはアンジェリークが去ってからもしばらく固まっていたが、オスカーの訪問に我に返る。

「どうなさいましたか?」
「あ、ああ。先ほど、女王候補が来たのだ」
「アンジェリークですか?さっき廊下ですれ違いましたよ。
……しかし、廊下を『歩いて』いるアンジェリークなんて、初めて見た、と思いますね」
「お前もそう思ったか。そうなのだ、今日はいつもと全然様子が違った。
 何一つ憎まれ口を言わないあの者など、久しぶりに見る」
「……ああ、そうでしたね」……一体ジュリアス様は彼女の真意に…いや、何も言うまい。オスカーは手早く用件をすませると、部屋を辞したのだった。

アンジェリーク・リモージュは「元気で明るい」が売りの女王候補だが、なぜかジュリアスの言葉にはいつもことごとく逆らい続けていた。とりあえず「はい、わかりました」等の素直な返事が返ってきた記憶はジュリアスにはない。しかしその割にはしょっちゅう「お話」に来るのがジュリアスには不可解だった。

とにかくジュリアスは女王試験が始まって、世の中の少女にはゼフェルと同じぐらい、いやもしかしたらそれ以上に反抗的なものもいるのだと認識を改めていたのであった。

ただ、ジュリアスのこと以外については、彼女は試験そのものに対して大変熱心で、はじめはロザリアと大いに差があると思われたのだが、「努力と根性」(ランディ評)でその差をどんどん克服していったのだった。そしてそのがんばりようについては、いかなジュリアスとて認めざるをえなかったし、また、そのように相手を認めることによって関係が好転するかとも、うっすら期待していたのだったが。

いくらジュリアスが譲歩を示したところで、アンジェリークの態度は改善されず、いつも訪問は罵りあいに移行する寸前で終了し、ジュリアスの血圧はアンジェリークの訪問により、気の毒なほど上昇するのだった。

そんな彼女が。
何の憎まれ口も言わずに訪問を終えた。
きわめてていねいな言葉遣いと態度だった。
あげくに、あの優雅な微笑みと、部屋を出る間際のお辞儀!!

……一体、どうしたのだ。


アンジェリークはジュリアスの部屋を出ると、先ほどのやりとりを再現しながら次の目的地に向かう。ジュリアス様、ものすごく驚いてらした。あんな顔が見られるなら、しばらくこのままでいこうかな。そりゃもちろん怒ったところが超絶カワイイのは確かなんだけれど。

ああ、本当に。

あのすべてを見透かすような青い瞳。そこにいるだけでの神々しいまでの輝き。だから、ふだんのジュリアス様ももちろんものすごく素敵。でも、落ち着いたふだんのジュリアス様とは違う、感情を抑えきれずにいるジュリアス様はそれはもうとってもかわいい。
もちろんこんな事、本人に言ったら、それこそ憤死してしまうかも、だけど。
とくに、「こんな事で怒ってはいけない、冷静になるのだ!」と一生懸命自分に言い聞かせているに違いない、あの表情が好き。
そりゃあ、どんなジュリアス様も全部好きだけれど……うふっ。


仕事も一段落したので、心を鎮めるために、ふと森の湖でも散策しようかと出かけたジュリアスは、なぜそんなことを思ってしまったのかと猛然と後悔した。まさか、そこでばったりアンジェリークに遭ってしまうとは。

しかも、
「お会いしたかったです!」アンジェリークは嬉しそうに言い放つ。

私は、お前にだけは、会いたくなかった……などと正直に答えられるはずもなく、行きがかり上二人は一緒に散歩することになってしまったのだった。

森の湖は静けさと柔らかな光とさわやかな空気が支配する空間である。
小鳥のさえずり、祈りの滝のかすかな水音、風にゆられた木々のざわめき。
木漏れ陽が形作る絢なるレース模様がアンジェリークの金の髪を、肩を、覆うように飾る。
湖面はおだやかに、さざ波が光を受けて控え目に輝く。

そういえば、ジュリアスは思う。この者と二人でここに来るなぞ、初めてのことではなかったか?
いつも何度注意しても聖殿内をバタバタ走り回る姿はそこになく、また、一言言えばその5倍の反論と憎まれ口が返されることもない。今ここにいるのは、おだやかに、嬉しそうに話し、ふんわりとした笑みを浮かべるアンジェリーク。
美しい風景と、森を抜けるさわやかな風に、二人の(いや、一方的にジュリアスのだろう)ぎくしゃくした雰囲気はほどけてゆき、日が傾きはじめる頃には「それでは部屋まで送ろう」と微笑みを浮かべて申し出ている自分を見いだして、ジュリアスは驚いたのだった。

「このような息抜きなら、また行きたいものだ」というとそれは嬉しそうに微笑うアンジェリークと別れ、美しい月を見上げながら、今日は完璧な一日だったかも知れないと思うジュリアスだった。

ただ、別れ際の言葉が少し気になる。
「今日は特別な日ですから、ジュリアス様に喜んでいただきたかったんです」
……何がどう特別なのだろう。心当たりは何もなかった。

とまれ、落ち着いて見てみれば意外にも可憐だったアンジェリークの笑顔を反芻しながら、誠意は必ず通じるのだ、と、目下の最大の頭痛の種がこれで完全に費え去ったことを疑わないジュリアスであった。


翌日。
バタバタと廊下を走る音が聞こえ、乱暴なノックのあと、扉がばーん!と思いっきり開け放たれた。そこにアンジェリークを発見したジュリアスは思わず目をしばたたかせた。

「もう少しましな入り方はできぬのか」
「だってー、ほら、私、言ってみればシモジモの生まれだし、学習能力無いバカだし。それから、しょせんジュリアス様のお部屋だし、こんなもので上等カナ?って気もしたりして。ふふふ」
「き、きのうはきちんとしていたではないか!」
「ああ、昨日は特別ですよ、ト・ク・ベ・ツ。えー、ジュリアス様、じゃあ、私のプレゼントの意味全然わかってらっしゃらなかったんですかぁ?やっだー、サイテー!!」

さ、さいてー……口をぱくぱくさせるジュリアスに最終兵器が落とされたのはその直後だった。

「ほら、昨日って敬老の日だったから、在位最長のジュリアス様に敬意を表して……あ、ジュリアス様?ジュリアス様?……だ、誰か!!!」


白目むいてのびてるジュリアス様もでもちょっとかわいいかも(本気か?)なんて不謹慎なことを考えるアンジェリークと、再起不能のジュリアスに明日はあるのか、それは誰にもわからない。

(おしまい)


これは、「こんな子いるかな?」シリーズ「やだもん」の巻、です。
とりあえず何言われても「「やだ」「ちがう」っていってしまう天の邪鬼な子ね。

お誕生日よりこっちの方が面白いかと、極悪なオチにしてしまいました。
(こんなん書いてますが、ちゃん太が一番好きなのはジュリアス様なの……ほほほ)


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