三文字の漢字で三十のお題・01「価値観」

あこがれ


日が高くなった。女王執務室の高い窓からステンドグラス越しの光のカクテルが資料を載せたデスクの上に小さな虹を映す。室内がほどよく暖まったせいか、隣に座って資料をのぞき込むレイチェルの表情に兆した眠気に気がついたロザリアは手元のベルを優雅に振って宣言した。

「少し早めですが、お昼にしましょう」

ほどなくサンドイッチと果物と飲み物を乗せたワゴンが運び込まれ、部屋の反対側にある、裏庭に面した窓の下の小テーブルの脇に置かれる。テーブルはみるみる整えられて、レイチェルが資料を片付けて立ち上がった頃には、もうすっかりランチの準備はできあがっていた。

食事が始まりしばらくして、それまでおとなしく食べていたレイチェルが、沈黙に耐えかねたのか突然言う。
「ロザリア様、あの、サンドイッチは仕事しながら食べられるのが長所だとおもうんですケド」
「忙しい時ほど優雅さを忘れないように、というのがスモルニィの女王クラスでさんざんたたき込まれたことなのよ」
「はぁ」
ちょっと失敗したかも、とロザリアは思う。4人の中でレイチェルだけが関わっていなかったせいか、彼女はスモルニィの名を出されると弱いようだから。少しフォローすべきかもしれない。

「そういう風に気持ちが焦るのは、自分が思っている以上に疲れているんじゃないかしら。本来の仕事の女王の補佐もここではいつもと勝手が違ってたいへんなのに、それに加えてあなたは研究員の最重要スタッフ扱いでアルカディアの調査もしているでしょう。仲介のことならこの件が解決してからまたゆっくり伝達できるから、無理しなくていいのよ」
「全然大丈夫です!ほらワタシ超有能だし。今仲介教わっとかないであとで困るのヤなんです」

レイチェルのサンドイッチを持っていない方の手は軽くこぶしを握っている。意気込みはよくわかった。にこやかにこぶしの方を見やるロザリアに気づいたレイチェルは照れ隠しのように食事に没入するが、やっぱりおとなしく食べてはいられない。

「美味しーい、このパンもチーズも。アルカディアって本当に衣食に関して恵まれていますよね。農業の発達が基盤となって文化自体に良い影響を与えているって事ですよね。あー、元々アルカディアがあった場所を突き止めてそこのサクリアバランス測定してみたいなー。イヤ待って、きっと今の大陸の調査の過程でそれにつながるデータは絶対出てくるはず。この天才レイチェルに見落としは無いって」
天才レイチェルというフレーズは昔の自分にとっての女王候補ロザリアだな、と思えるので、実は嫌いではない。

「ふふふ、頼もしいわね。でも本当に十分に休養が取れるように考えてよ。だいたい仲介は今ここで覚えたことがそっくりそのまま新宇宙で役に立つものではないわ。守護聖の人柄や価値観をよく掴むことが何より大事なの。」
「確かに。あの人達って自分の価値観貫きスギっていうかー」そこまで言うとタンブラーの低脂肪ミルクを一気に煽る。
苦笑気味に肯くロザリア。この食べっぷりなら、少なくとも元気はあるのだろう。
レイチェルの右手にあるレースのカーテンが揺れる。いい風だ。女王達はちゃんと予定どおりに行動しているだろうか。「気持ちいい天気だから、やっぱりお外で食べたいな」なんて言い出していないだろうか。

そう、先刻ふたりの女王は天使の広場にあるレストランでランチだと楽しそうに出かけていった。ちょっとした息抜き、というのがその名目だ。実際二人ともここアルカディアでは大半の住民がただの少女として扱ってくれるのが嬉しいのだ。女王になって失われた女の子としての生活を一時的に取り戻している喜び。「女の子同志の内緒話してくる」らしい。謎に立ち向かい問題を解決する、女王としての力を使い続ける日々には、確かにそんなものも必要かもしれないと許可したのだが。
ただその手のお忍び外出は護衛が難しい。今回はレストランを借り切りにする手配をしようとしたら、涙混じりで抗議された。守護聖・教官・協力者の誰かを客に混じらせるのもダメだというので、苦肉の策としてランディとヴィクトールに、それぞれレストランの入り口付近と裏口をさりげなく警戒するように頼んでおいた。正直さりげなさのレベルが女王達のお気に召すかどうか心配だ。アルカディアは確かに治安がよいのだが、万が一を考えると女王二人に何の護衛も無しというのは補佐官としてはやはり不可能なのだ。

「それにしてもあの子ったら」補佐官達の口から同時に全く同じセリフが出た。
ロザリアに目で促されてレイチェルが続きを話す。
「…時々全然先が読めないんですよネ。こう、思考回路自体違いすぎるカンジ」
「そうね。私も陛下とはものの見方がずいぶん違うから、初めは戸惑ったものよ。でもね、ルヴァが『あー、補佐官の仕事はですね、その、陛下に無いものを補うことですからねー、違うことに、意義があるんですよー』って言ってくれてね」
「い、今のすっごく似てました、ロザリア様。…確かにまあ、意見が一致しないからこそ宇宙がまっすぐ育つんだって気はするンですけど。それに考えてみたら候補の段階ですでにあのコとワタシのふたりの組み合わせは決まっていたワケですよね」

結局あの二人はこちら二人にはない何かを持っていて、そしてその何か込みであの二人に引きつけられているのだ。能力とか価値観とか性格とか全部超えたところにある何か。だから手間がかかると思っても手を尽くしてしまうし、それも少しも苦ではなくてむしろ喜びなのだろう。
「そうね、女王と補佐官はやっぱり運命的な関係なのだと思うわ」レイチェルもうなずく。

窓の外で小鳥が不意に大きくさえずる。反射的に窓の外を見るレイチェルの横顔を見ながらロザリアは思う。
自分の知る限りではこの世に一人しかいない、自分と職を同じにする彼女の価値観が自分のそれと最も遠いように思えるのは何故なのかと。女王同士は年齢もそれまでの経歴も近いせいか、たいへん気が合っているようだ。それに引き替え自分たちは、職業以外の共通点といえば女王試験に敗れたことぐらいと言っていいだろう。今頃意気投合しているであろう女王達に対して、自分たちの交わりは淡くどこかぎこちない。―それでも上司にして親友たる女王が好きでたまらないという一点では、誰よりも深くつながっている気がする。

それにしても。きっとあの二人も今頃は互いの補佐官のことを
「すっごく感謝しているけど、時々さっぱり理解できないのよね」
「あるあるー」
なんて言い合っているに違いない、とレイチェルと二人で笑い合うのだった。

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