25:棘
卒業する生徒が記念に薔薇をくれたりする。先生のイメージです、とか言って。
一応ありがたく受け取るが、自分の中での薔薇のイメージは実はあまりよくない。
棘のあるところがオレのイメージなんだったら、サボテンでも寄こせばいいものを。
同じ棘でもサボテンの方が根性ありそうだし、花の質も似たり寄ったりのレベルだと思うのだが。
実家にも、薔薇の木があった。
生まれ育ったあの家は、自分たち家族のものであってそうでなかった。
広い敷地の大部分は公に開かれていて、家族だけの空間が極端に少なかったのだ。
「お弟子さん」とよばれる人たちが常に数人通ってきていたということもある。
その薔薇の古木があったのは、そういうわけで隅に追いやられたプライベートスペースのさらに片隅だった。
母は薔薇が好きだったのだが、我が家にはふさわしくない木だというので「本当の」庭にはおけなかったのだ。
四季咲きの薔薇は母のお気に入りだったらしい。
幼い自分は、花の美しさには無頓着で、棘をちぎって鼻の上にくっつけ怪獣になったつもりで遊んだものだ。
もちろん花の頃はそのうす桃色の花びらをむしってばらまき、母とお弟子さんの両方から叱られるのだ。
お弟子さん達は性別も年齢もいろいろだったけれど、何故か揃いもそろって母のことが好きでないようだった。もちろん自分は直接聞いたわけではないが、子供にもその程度のことはわかるのだ。一方自分は何故か彼らにとても大事にされていたのだが、それを喜んでいいのかどうかは判断がつかなかった。
姉の妊娠が発覚した前後から我が家には湿った風が吹きこもるようだった。お弟子さん達の母への態度は明らかにこれまで以上に冷たくなっていた。いつも笑顔を絶やさない母が薔薇の木のそばで悲しそうな顔でたたずんでいるのを何度か目撃したが、そんな時は見てはいけないものを見てしまった罪悪感でいっぱいになったものだ。
そして、そんな冬。
一輪車に挑戦していた自分は、止まり損なって、花がすんですっきりと剪定されたくだんの薔薇の木につっこんだ。
たいした怪我ではなかったが、全身小さな傷だらけのちょっとした流血沙汰で、おまけに夜になると熱まで出して寝込んでしまった。なにやらお弟子さんたちが大騒ぎしていたのはぼんやりと覚えている。
一日おいた翌日、熱が下がって外に出ると、あの薔薇の木がなくなっていた。母は何も言わなかった。
自分もあえて質問しなかった。それでもそれ以来自分にとって薔薇は罪悪感の象徴となった。それぐらいの因果関係はつかめる歳だったから。
数年後、敷地の一部が道路拡張にかかったのを機に2世帯住宅に建てかえて、我が家の様子は一変した。事務局や稽古場をはじめとする父の職業につながる機能を同時に建てた久遠会館に移したのだ。お弟子さんは家に来なくなった。うちの家族はついに普通の家庭生活を取り戻したのだ。正直メンバーはあまり普通ではないが。
そして薔薇の古木は唐突に復活した。知人の家に緊急一時避難させていたのだと父は説明した。父にとっても大切な木だったのだ、とそのとき気がついた。
短い期間に2度も移植されたのに、次のシーズンには記憶の中と少しも変わらない花を咲かせたのを見て、ほっとしたのを覚えている。
それでも、自分の底の方での罪悪感は消えなかった。あの頃の家の中での人間関係に対しての嫌悪感とともに。だから今も薔薇があまり好きでないのは、別に自分の嗜好を揶揄されているような気がするせいではないのだ。