02:秘めごと
芦屋瑞稀は外国育ちだ。そのことは普段ほとんど意識に昇らないのだが、時々実感させられる事がある。
主にそれは言葉の壁、すなわち微妙なニュアンスがゆがんでいたり暗喩がもどかしく空回りする現象としてあらわれる。
たとえばこんな伝説が残っている。
佐野が陸上部への奇跡的な復帰をはたした頃、それまで常に付き添い彼を励まし続けた瑞稀に、佐野とは少々そりの合わなかった先輩が言った。
「おまえ佐野とイイ仲なんだって?」
先輩にとって不幸なことに、瑞稀には「仲がイイ」と「イイ仲」の違いが今ひとつ理解できていなかった。
と言うわけで、瑞稀はさわやかな笑顔で
「はいっ」
と答え、意表をつく反応にすっかり毒気を抜かれた先輩はおとなしく引き下がらざるをえなかった、らしい。
なおこの伝説の語り部は関目なので、多少の誇張や脚色はあり得る。
それでも佐野はこの話をはじめて聞いたとき、それが自分の目前で起こらなくて本当によかったと思った。意味もなくうろたえてしまうに違いないから。
佐野にとってルームメイトである、と言う以上に芦屋瑞稀は気になる存在だ。
それはたぶん、かの人の重大な秘密を偶然知ってしまったからだ、と自分では分析している。
とんでもない秘密を抱えているにしてはあまりに無防備である点もお節介心を刺激するのだろう。
それなりの紆余曲折を経て、仲の良い二人と皆に認められるようになってきた昨今だが、それ故からかいの対象になることもある。
そんなとき表面上は無視の姿勢だが、内心どうしようもなくうろたえる自分がいるのだ。
それがなにによるものなのか、自分ではつかみきれない。
そんなある日。
食事中、例によって佐野が母猫のように瑞稀に何くれと世話を焼く様子を見て、中津がほとほと呆れたという口調で言った。
「しゃーけど、瑞稀がえらい世話かかる奴てゆーことなんか、佐野がメッチャ世話焼きなんか、よーわからんなあオマエら。
せやけどいっつもこの調子やったら、瑞稀は佐野になーんも内緒事でけへんのとちゃう?」
確かにその通りと佐野は思うが、瑞稀は、重大な秘密を抱えてしかも隠し通せているつもりらしく、異論を唱える。
「え?そんなこと無いよ。
おれと佐野の間には、ちゃんとあるよ、秘めごとも。」
佐野の思考が一瞬完全停止する。
それを言うなら秘密とか隠し事とか、いろんな言い方があるだろうに。
「秘めごと」という言葉にふくまれる、しっとりとした色っぽさに、もちろん瑞稀はみじんも気がついていない。
しかも、「二人の間の」秘めごと、とは。
先日寝ぼけた瑞稀が自分の寝床に入ってきた一件をうっかり思い出してしまって、佐野は赤面を抑えようと苦労する。
もちろんそれがとんでもない深読みでかつ過剰反応だとは思うのだけれど。それでもこの感情のざわめきは、なんだろう。
「あ、おれ、なんか変なこと言った?」
ときょとんとする瑞稀には、もちろん答えることができなかった佐野は、とりあえずいつものように瑞稀のアタマをくしゃくしゃしてみるのだった。