銀の樹銀の葉銀の花


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さて、本日女王のもとを訪れているのはウォードンタイムズのベルナールだ。彼は女王の最も近い身内として有名になり過ぎ、すっかり普通の取材がしにくくなったとこぼしているが、女王に直接取材が許されているアルカディアただひとりの記者として、その地位は確たるものとなっている。その上、以前から彼が築いていた情報網は、教団・財団のいずれもがカバーできない範囲を巧みに網羅しているので、教団にとってたいへんありがたい情報源だ。
しかしなにより彼は女王にとって兄とも言える立場で、彼女のよき相談相手の役割が務まる希少な人物なのだ。

今日の女王とベルナールの会談は女王自身の希望により聖騎士の護衛も女官長の付き添いもない状態でなされ、短い時間で女王の表情を一変させる効果を上げていた。
そして女王が定時の祈りのために執務室に移動したので、ベルナールは今度はルネの元にやってきた。

「おや、まだウォードンタイムズ社の名刺を持っているの?もう独立しても十分やっていけるだろうし、その方が実入りが良いんじゃないの?」
「ははは、恐ろしいことを言うなあ。まだまだ僕は記事を発表する場所を失うわけにはいかないよ」
「アルカディアじゅうの新聞社が君の記事を欲しがっていると思ったけれど」
「残念、求められているのは教団長様の許可つきの半分教団上層部の手が入ったレディメイドの女王関連記事さ」
しばらく目を合わせて黙っていた二人だが、どちらからともなく破顔して、握手しあう。
「本当、食えないよね」
「いや、君にはとてもかなわない」
そして一気に表情を引き締めると本題にはいるのだ。

「で、この前頼んだ各地の様子は?カルディナはどう?」
「財団の新体制に不満だった面々がカルディナ大に籍を移す状況も一段落したよ。でも大学に反女王の砦を築く動きは皆無だ。彼らの主張は元々ばらばらで、強いカリスマ性を持った者が現れない限り、集結して女王体制を覆すところまでは行かないだろう。仲間の中から出てきた誰かに従うよりはまだ女王に従った方がマシだと思うような連中でもある」
「求心力を失った団体からドロップアウトするメンバーというのは得てしてそんなもんだよね」
「まあね」
元々財団の研究者たちの多くは、女王の存在を夢物語と断じていた。ヨルゴ理事のスタンスも彼らのそんな傾向に拍車をかけた。だが、女王が誕生した時点でヨルゴは女王に忠誠を尽くすと宣言してしまった。お互い絶対相容れない存在だと思っていた教団と財団の協力関係も生まれつつある。この状況について行けない思いを抱いてしまった研究者は正直少なくなかった。別に女王に反感を持っているというわけではなく、かつての仮想敵(と言っていいだろう)に従う立場が落ち着かないのだ。さらにそのヨルゴも引退し、財団の新トップになったのは即位までの女王と行動を共にしていたレイン博士と来ている。刷り込まれた彼が財団の「裏切り者」だという意識を捨てることが出来ない者たちには、この人事がとどめとなった。かくして、財団から離脱する者がいくばくか発生することになったのだ。

「というわけでカルディナは一応大丈夫といえる。が、念のために2番手ぐらいにした方がいいだろう。どちらかと言うと、今後警戒すべきは役人たちだろうね。女王と教団の台頭に危機感を覚えている。これまで何もしてこなかった連中に限って、自分たちが窮地に追い込まれそうだと錯覚してヤケを起こす」
財団員の感情の基本が戸惑いだとすれば、政治家や行政府にいる者たちの感情の基本は恐れだ。これまで就任時に「女王の名の下に、女王に代わって世界を動かす」と慣習に従って誓ってきた、その女王が本当に現れてしまったのだ。万が一女王が俗世の権力をも手中にする必要があると判断すればそれは実現可能なのだ、と少なくとも彼らは判断している。就任この方女王からなんの具体的な働きかけもない事が、却って彼ら、なかでも女王に望まれそうな為政をしなかった自覚のある者を畏怖させていた。女王は即位前、オーブハンターとして大陸をくまなく回っていたので、民草の実態を熟知しているはずだ、ということがますます彼らを震え上がらせる。

「なるほどね。なにか具体的な動きがあったりする?」
「今のところはない。でも、当分はウォードン方面の銀樹騎士たちには要警戒との旨を徹底させておくべきだと思うよ」
窮鼠猫を噛むのたとえもあるだけに、当面は用心と警戒は怠ってはいけない。女王陛下には政治に介入する野心がないことをそのうち彼らが理解するまでは。

「わかった。それなら、最初の行幸先はやはりリースだね」
「正直ファリアンっていうセンも捨てがたいけれど、移動距離と、女王自身の事を考えるとやっぱり今の時点ならリースが最適だろうね」
決まった。リースに行幸するベストのタイミングとスケジュールを作るべく、円卓会議に下ろそう。

「まあ実際はどこで何があっても聖騎士殿が身体を張って護ってくれるのは確かなんだけどね」
と、ルネが少し肩をすくめながらいうと、ベルナールは真顔で
「いや、でも万が一彼に何かあったら、その時がこの女王体制の崩壊のはじまりだよ」
と言う。
実は今まで、どうやってベルナールから二人のことについて聞き出したものか、とずっと思っていたのに、彼の方から情報を開示してくれるとは。意外だ。ルネは内心小躍りしながらも、さらに素知らぬふりで切り込もうとする。
「それはいくらなんでも大げさすぎない?」
「いや、彼が聖騎士だからこそ女王は天上ではなく地上の女王でいる。…って、そんなことぐらいお見通しのくせに、僕に何を言わせたいんだ」
ここでようやくルネの意図に気づいたのか、苦笑するように付け足した。

「ちょっと待ってよ、そんなこと教団は、て言うかボクは一切把握していないよ。そりゃ、オーブハンター時代の事は多少は耳に入っているけれど。だいたい本当言うとボクはアンジェリークは女王にならないでヒュウガと地上にいることになるってずっと思ってたんだ」
しばらく無言でルネを見つめていたベルナールは、ため息と共に
「まずったかなあ。僕はてっきり、女王になってアルカディアを救いつつ、ヒュウガと一緒にいられる方法を彼女に教えたのは君なんだって思っていたよ」
「残念ながら教団に伝わるところでは、女王は地上ではなく天空の聖地に上り、そこで気の遠くなる程長い時間を過ごす事になっている。だから本当言うと今この現状に教団は正しく対処できていないんだ。もちろんボクも」
「僕の素人目からは十分正しいとしか思えないけど」
どうしてだろう。ただアンジェリークたちのことについて聞き出すだけだったはずなのに、ついついこのところずっと考えていることを吐き出してしまいたくなる。
「正直心底わからないんだ。女王がここでどんな風に生活するべきなのか。伝承の女王は聖地に住まい、人としての時間を捨てる。だからこの地にとどまる彼女にどんな時が流れているのか、伝承は伝えていない。でもこれまでと同じように食べ、眠り、笑いそして泣く彼女はきっと以前のまま、人のまま女王になっているのだと思う。それでも確証は何もない」
「たぶん本人にもわからないだろうねそれは」
ベルナールは静かな調子でそう答えた。その穏やかな瞳に絡め取られてルネは思う。だめだ、彼の調子に引きずられる。これ以上のことを引き出すのは容易ではなさそうだし、逆にそれ以上をこちらから引き出されそうだ。こちらは引き出す側で引き出される側では無いつもりだったのに。
いったいベルナールはそもそもどの程度アンジェリークの個人的な感情を把握しているのか。
少なくとも、自分や女官長よりは。場合によっては、ヒュウガ以上に。ルネにはそう思えた。

「で、今日アンジェリークはなんて?」
「え?今日?…ああ、うん。幸せそうだったよ」
「幸せ?」
「忘れたのかい。彼女の一番の願いは、タナトスのせいで悲しい思いをする人がいなくなること、だったよ。それはこれ以上なく叶っているよね」

考え込むルネにベルナールは言う。
「君はちょっといろんな事を複雑に考えすぎていないかな。事態はいつもけっこうシンプルなものさ」
そして笑って付け加える。
「こういうのって頭のいい人が陥りやすいよね」
「何かとても馬鹿にされている気がするんだけど」
「まさか。褒めたつもりだったんだけどな、これで」

教団長の前を辞して新聞社への帰途、ベルナールは考え込む。
女王は、いやアンジェリークは、女王となった自分は何か違うものになってしまったと思うかと問うた。
「アンジェはアンジェだよ。女王になっても、ならなくても」
「君のまわりにいる人は皆そう思っていると確信しているよ」

本心から出た言葉ではあったが、あの問いかけが自分の思っていた以上に深いものであったことをルネとの会話で知ってしまった今、もっと何か言い様があったのではと思う。
万が一違う時間軸を生きることになっても、皆の、少なくとも自分の思いは変わらないと。


そのころ、もし時間があればと女王に遠慮がちに呼び出された聖騎士は、衝撃の事実を告げられていた。
「昨日お友達のハンナからお手紙が届いたんですけれど、どうも彼女ディオンさんとお見合いしたらしいんです」と、手にした花柄の封筒を示す。かなり厚い。
「!!」
「銀樹騎士だって事は聞かされていなかったしその時もおっしゃらなかったらしいけれど、ハンナってこの前聖都に来たとき女王宮までディオンさんにエスコートされたから、一目でわかったんですって。私もう驚いてしまって。ヒュウガさん何か聞いてらっしゃいます?」
「あなたが即位される前、教団長からもうタナトスは出ないから結婚しろと言われたことは聞いていた。そして先日見合いしたとも。なんでも教団長がすべてを取り仕切っていたらしいが」
「ルネさんが?」
「相手が誰なのかは知らなかった。だが、見合い翌日、とても可愛らしい方だったと大喜びしていた」
「ハンナもとにかくものすごく喜んでいるらしいのはこのお手紙の厚みが示すとおりだと思います」
ふたりは思わず顔を見合わせたが、気がついてあたふたと目をそらすことになった。
「近々いい知らせが聞けそうな気がしますね」
「ああ、そうだな」
優しい沈黙が流れる。そして思い出す。このような心地良い静けさはかつて二人の間に普通に存在していたことを。

突然アンジェリークははっとした表情でヒュウガに向き合うと、いきなりその両手を取った。
「たいへん!すごく大切なことを思い出したわ!ヒュウガさんからディオンさんに伝えてもらわないと!」
「?」
「ハンナのことなの!彼女あれで結構難しいところがあって。だからディオンさんに必勝法を教えておかないと」
「必勝法?」
「『深追い禁止、むしろ追わせるべし』って」
「…ご学友はずいぶん面白い方のようだ」
「ええまあ、どう説明していいか解らないけれど、とにかくとても大切なことなの。私ハンナには絶対に幸せになって欲しいし、ディオンさんともお似合いだと思うし」
「しかと伝えよう。ご学友の為なのだからな」
「よろしくお願いしますね」
ここではじめて自分がヒュウガの両手をしっかり握りしめていることに気づいた女王は赤面しつつ慌てて手を放し、そのまま執務室の後ろのドアから私室へと駆け込んでしまったので、ヒュウガの返事は彼女に届くことはなかった。それでもこんなふうに話ができたのは、アルカディアに戻って以来はじめてかも知れなかった。


   

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