銀の樹銀の葉銀の花


 6


即位の次の週、女王陛下の初めての公休日には、教団の計らいで学友のハンナとサリーが聖都に招かれた。
「アンジェ!」
久しぶりに呼ばれる愛称に、女王陛下は簡単にただの女子学生に戻る。
ふたりは案内してくれた銀樹騎士たちを熱心に褒めそやす。
「寮に騎士団からのお迎えが来たときは本当に驚いたわ。なんて言うか、あの制服姿だけでときめくわね。きっとほとんどの子達がお部屋のカーテンの陰にしがみついて騎士様たちを穴が開きそうに熱心に見ていたに違いないわ。少なくとも私だったら絶対そうしてた」
「道すがらのお話も話題豊富で楽しくて。スマートで洗練されているっていうのはああいうことなのね」
「それから聖都の門からあの広場までご一緒した方、私たちとほとんど変わらない年齢のようなのにそれはそれはしっかりなさっていて凛々しくて」
「極めつけはここまで連れてきてくださった方ね!物腰は柔らかいのに高貴さがにじみ、歩き方ひとつとっても、ウォードンやリースでもなかなか見られない気品あふれるご様子…さすがだわ」
興奮冷めやらぬ様子で騎士たちの印象を語る二人。そして結論はこうだ。
「式典の時はそれどころじゃなかったけど、今日あらためてじっくりみたら銀樹騎士ってほんとうに美形揃いよね!」
そう、昔からふたりの、とくにサリーの男性評価の一番の重要ポイントは美形であるかどうかだった、とアンジェリークは思い出す。
「サリー、はしたなくてよ。でもたしかにメルローズの卒業舞踏会に何人か出席して下さらないかしらとは思うわ」
なぜ卒業舞踏会?と顔に出てしまったアンジェリークにサリーは補足する。
「ハンナはこんどの卒業舞踏会の実行委員なのよ、アンジェ。しかも陰の実行委員長ってもっぱらの評判で」
「すごいじゃないハンナ。そういうことなら協力するわ。騎士団長にお願いしておけばいいのかしら」
「アンジェ、だめよ。あなたが言うと女王命令になっちゃう。私、学院に帰ったらすぐお願いのお手紙書いてみるから、雑談とかで根回しだけお願いできる?」
「確かにそうね。わかったわ。一生懸命根回しするからね。そういえば私、ハンナに会ったら真っ先に聞かなくちゃって思っていたことがあるの。あの幸福の葉の人はどうなったの?」
ハンナは飲みかけの紅茶を吹きかけて、カップを一旦置くと、小さく咳払いして答える。
「えっと、まあ、その、…いろいろあるわ」
ちょっとまずい質問をしてしまったかしら、と内心焦るアンジェリークの様子を見て、サリーが可笑しそうに言う。
「アンジェ、わかるでしょ?ハンナはずっとハンナよ」
「え、でもあのとき『今度こそ』って言ってたわ」
「それがさ。残念ながら今度も、猛アタックの果てに向こうがすっかりハンナに夢中になってしまったら、なぜかハンナの方はすっかり冷めちゃって、っていういつものパターン」
「またなの?本当、ハンナって変よね」
「あなたたちにだけは言われたくなかったわ」
深いため息をついたあと、黙って手元のケーキをフォークで切り分けて口に運んだハンナだが、
「あらこれすごく美味しいわ」とあっという間に機嫌が直る。
そこからしばらくアンジェにとっては懐かしいリースの街のケーキ屋さんや、最近できた新しいお店などの話題で大いに盛り上がった。リースの街の復興は順調のようだ。

話題が街から学校のことに移ったとき、驚愕の事実が告げられた。
「そういえばね、あなたのいた部屋、「女王陛下メモリアルルーム」になっちゃうのよ!」
「え?どういうこと?」
「女王陛下が学生時代を過ごしたお部屋としてまるごと保存されるの。一般公開されるわけではないけれど、メルローズの来賓にお見せできるようにって。だからずっといろいろ工事っていうか展示用に改装する作業中なの。この前ちょっと見に行ったら、クローゼットの前に『陛下はここにタナトスとの戦闘で傷ついたレイン博士をかくまった』って説明の書いた立て札があったわよ」
「きゃーやめてー!!」
あまりの内容に思わず立ち上がって叫ぶアンジェに、なにごとかと女官長が様子を見に来てしまい、赤面した女王が「なんでもないんです」と謝る一幕があったものの、結局
「公開される前にチェックさせてくれって教団を通してお願いしようっと」
「…その方がいいかもね。私たちからも校長先生にお話ししておくわ」
と一応の結論めいたものは出るのだった。

「そうそう、卒業舞踏会が終わったら、もう最上級生なのね。ふたりは卒業してからはどうするの?」
あまり深く考えて聞いたわけではなかったのだが、少し意外な返事が返ってきた。

「女王が誕生したから、これからは時代が大きく変わっていくわ」
「メルローズみたいな温室にいてもわかるぐらいにね」
ふたりは頷き合う。
「私はカルディナ大に行って教職資格をとって、メルローズの教師になろうと思うの。
女王陛下に憧れて入学してくる子達に、学生時代の陛下がどんなに世間に疎かったかを教えてあげなくちゃ!」
と言い放つサリーに
「ひどーい何それー」と反撃しても
「たしかにそれはサリーにしかできない大切な仕事よね」と、ハンナにあっさりと締めくくられてしまった。

「だいたい3割ぐらいの子達がカルディナ大学を目指しているんじゃないかしら。学年トップのミリアはお医者様を目指すことにしたそうよ」
「ええ?彼女たしかいずれ財団員になるって息巻いてなかった?」
「でしょ。で、そう聞いてみたのよ。そしたらね、『わかってないなあ』」ですって」
「うんうん。彼女が言うには、メルローズの売りは、お嬢様学校でありながら、適性に応じて医学や法律などの多彩な分野に人材を輩出しているところ、なんだって。でもここしばらく医学に進む人がいなくて。で、あなたがいなくなった以上、自分が医学に進んでメルローズスピリッツを世間に示すべきなんですって」
「女王陛下の出身校だっていって、家がお金持ちだって言うだけの生徒がたくさん集まったりしたら嫌だもん、ですって」
「たしかにわからないでもないけれど、校長先生や理事会でその辺りはきちんとして下さっているのにね」
「それでもメルローズへの愛が伝わってくるいいお話だわ」
「ま、ね」
などと同級生の近況が次々に披露される。そして締めくくりにハンナが宣言した。

「私は卒業したらすぐ結婚するわ」
「え!!お相手は!?」
ハンナはカルディナ大学文学部かしら、と漠然と思っていたアンジェリークは驚いて反射的に尋ねる。
「これから出会う予定よ。この一年はお見合いしまくるの」
と微笑みを浮かべて平然と答えたハンナは、更に付け足した。
「さっきも言ったけれどここから時代は大きく変わるわ。貴族制度もいつまで保つかわからないって祖父が言っていた。だから思うの。こんな時代だからこそ、私がよく相手を選んで結婚することが、もしかしたら一族の命運を左右する事になるかも知れないって。
…アンジェはアルカディアに住むみんなのために女王になったけれど、私はもうちょっと規模を小さくして、今こそ大好きな祖父と家族のために自分のできることをしようと思う。だからアンジェもこれから巡り会う誰かが素敵な人であることを祈っていてね」
本人なりに考え抜いた結論であることはその態度からはっきりわかるが、それでも一言だけ聞かずにはいられなかった。
「だってそれでいいの?」
「ええ。残念だけど私は殿方を見る目にあまり恵まれていないみたいだってわかったし。どうせなら家族ととくに祖父のお眼鏡にかなった人の方が安心じゃないの」
「勇気あるなあ…」と、思わずつぶやくと、すかさず
「女王様になってしまうあなたの勇気には負けるわよ」と二人からつっこまれてしまった。

甘いものとお茶のおかわりをさんざん重ね、「また来るね!」と手を振ってから、とびきり嬉しそうに彼女らをメルローズへ送り届ける事を担当する銀樹騎士に駆け寄った二人を、聖都の門まで警護しに来た聖騎士と並んで苦笑混じりで見送って、初めての公休日は終わった。

女王宮に戻ろうとしたとき、うっかり顔を見合わせてしまったので、会話を試みる。自然に、自然にと心の中で唱えながら。
「…あのときの幸福の葉なんですけれど、ちょっと残念な結末になったらしいです」
「それは…彼女の幸福が思い通りの場所に無かったと言うことなのだろうか」
「ええ」
せっかく話題をみつけても、会話を発展させるのは難しい。

その日の終わりの打ち合わせの席、アンジェリークはルネに、リース行幸の際にはメルローズにも寄ることにしたいと頼むのだった。