銀の樹銀の葉銀の花


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銀の大樹がその葉と花びらを大量に降らせる中、即位の儀式は伝承に則り厳粛に進められた。

儀式の冒頭で「女王の卵」と呼ばれたその人が、教団長から祝福を受けて戴冠したとたん「女王陛下」となり、逆に教団長に忠誠を捧げられて祝福する立場になる。

教団長から正式に女王であると認められ戴冠したばかりの大聖堂壇上の女王が、会場を埋め尽くす信者たちの方にあらためて向き直った時、背後に掲げられた女王の絵と寸分違わないその外見に、どよめきが地吹雪のようにこだました。

それでも超満員の大聖堂はとても静かだったと言える。儀式の間、そこに臨席できた者は稀代の出来事に臨む興奮でいっぱいだったにもかかわらず。
大聖堂にいるのは、教団幹部や古くからの(それこそ何代も前からの)信者、教団に大規模な寄付をした有力者たちが中心だ。そのほかに、女王の卵の個人的な知り合いも招待されていた。タナトス退治の苦難を共にしたオーブハンターたちはもちろん、親族や恩師・学友たち。またオーブハンター時代に交流を持った、いわゆる依頼者だった者たち。皆一様に招待にあずかった感激をかみしめていた。
大聖堂に入りきれず、聖都のあらゆる道を埋め尽くした教団信者たちの喜びもはかりしれない。

聖騎士の叙任式は、即位の儀式直後、教団関係者の間だけという名目で行われた。名目というのは、結局、即位式の興奮冷めやらぬ出席者のほとんどがその場に居合わせたからだ。

女王の即位の儀式は教団長に伝承されたそのままの形であったが、こちらについては準備段階でかなり討議を重ねなければならなかった。従来教団長が聖騎士を叙任する時の剣を仲立ちにするやり方ではイヤだと女王陛下その人が主張したからだ。大切な人に刃物を向けたくないと。
大切な、にどれぐらいの含みがあるのかものすごく気になることはともかく、おとなしやかに見えるその人の意外な頑固さに当の聖騎士を除く全員が内心驚愕したことは記憶に新しい。

そして議論の末、とても彼女らしいやり方で叙任式は進行した。

即位したての女王陛下がやや緊張気味の面持ちで聖騎士の名を呼び、そっとその肩にマントを掛ける様子、跪いた聖騎士が女王陛下の手に口づけて忠誠を誓う様子、どちらも実に絵になる光景で、大聖堂には人々のため息がさざ波のように広がり満ちるのだった。

戴冠の儀式と聖騎士叙任式を終えた女王陛下は、そのまま大聖堂を突っ切って、開け放たれた扉から銀花の苑までゆったりと行進し、広場と沿道を埋め尽くす人々に祝福を捧げる。銀花の苑の広場の奥の一角には一段高くなった舞台がしつらえられ、そこから女王は詰めかけた人々にほほえみかけ、手を振った。

ここまでが公式の式典で、次は教団主催の晩餐会だ。現行政府や社交界のトップ、自治体の代表者、財団などが招かれている。
式典のあとしばらくは緊張と興奮がない交ぜになった表情をしていたアンジェリークだが、晩餐会までのしばしの休憩時間ですっかり本来の姿を取り戻したようだ。
会場への移動中、アンジェリークがにこやかにルネに話しかける。
「これでルネさんも聖都から出られますね。その気になったらいつでもどこへだって行けますよ」
思いも寄らぬ言葉に、ルネは何も返せなかった。
「ルネさんがどうせ籠の鳥だからって悲しそうにすることがなくなったら嬉しいです」
アンジェリークはなおも続ける。
それでは、自分もアンジェリークを女王にした責任の一端を負わねばならないのか?
混乱のまま、ルネは答えた。
「じゃ、とりあえずお礼を言っておかなきゃなんないかな。よけいなお気遣い、ありがとうって」
憎まれ口などはじめから織り込み済み、とばかりににこにこするアンジェリークから逃れるように、ルネは足早に歩みを進めるのだった。

晩餐会は教団主催らしく簡素かつ厳かに進行した。出席者は満足の中、自らもできうる最上の形で女王の治世を支えたいとそれぞれ決意したのだった。


今日予定されていた行事のすべてが終わり、かなり疲れている様子の女王陛下を私室に見送ったあと、ルネは傍らのヒュウガに声を掛ける。
「ヒュウガもお疲れ様。で、明日以後もすべての公式行事で陛下の隣ね」
どんな反応をするかちょっと楽しみでもあったのに、何の動揺もためらいも見せずにひとこと
「御意」
と礼をとる様子はなんというか非常にむかつく。せめてもう少し他の反応はないものか、と思いながら更に宣言する。
「あ、その聖騎士の衣装だけど。当分、式典以外は前からの騎士団服でいいけれど、追々全部入れ替えるから」
「御意」
だめだ、会話にならない。表情を読み取ることさえ。
ルネはヒュウガとのコミュニケーションを諦めて、ディオンを捕まえることにした。

「どう、ディオン。何かわかった?」もちろんヒュウガが行ってしまったのが前提だ。
ああ、やっぱり諦めていなかったのか。うんざりした気分を慎重に隠してディオンは答える。
「何かとおっしゃいましても、私から申し上げられることなぞ」
とたんにルネは不機嫌を隠そうともしない口ぶりで
「前から思っていたけどさ、キミもそつがなさ過ぎるよね。子ども扱いされているみたいで、不愉快だな」とふくれた。
そういう風にふくれるのは子供の証左では、と思ってしまうディオンには当面返す言葉がない。ただ目をしばたたかせるばかりだ。
その様子をしばらく見ていたルネが、突然何か思いついたらしく、急に話題を変える。
「そうそう、もうタナトスも出ない事だし、銀樹騎士の使命の危険度が下がっているから、今がチャンスだと思うな」
「は?」ディオンは話題の転換について行けない。

「ボクすっごくいいこと思いついたんだ。協力してよね」
こういう風に目をキラキラさせているルネは危険だ。とても危険だ。しかし、ディオンとしては
「はあ…」
と、いささか頼りない返答をするしかないのだった。


小半時後、私服に着替えたディオンがヒュウガの私室を訪れた。
そのいささかぐったりした様子にヒュウガが声を掛ける。
「どうした」
すすめられた椅子に腰掛けたディオンはうんざりした様子で
「嫁貰えって言われた…」と答えるとテーブルに突っ伏す。
「ほう」ヒュウガは短い返事を返す。

「え、それで終わり?」とディオンが顔を上げる。
「で、あてはあるのか?」いきなり核心なのがいかにもヒュウガだ。

「それが全然。だが、ルネ様が『ボクに考えがあるから、キミは何も心配しないで』って」
「それは恐ろしいな…」ヒュウガは腕を組み、ため息をつく。
「だろ?」
二人は顔を見合わせる。

「まあ教団創設以来の悲願が叶った今、ルネ様がはしゃがれるのも無理はない。いささか羽目を外し気味ではあるが」
「確かにそれはそうなんだが。だいたい、心当たりはないかも知れんが、貴様にもこの事態の責任はあるんだぞ」
と、ついうっかり八つ当たりすると、急に真顔になったヒュウガに
「……見当はついている。すまん」
と謝られてしまったので、ディオンは当初の目的を見失って、そそくさと立ち上がると部屋に帰ってしまった。
「明日からも当分行事だらけで忙しいから、お互い節制しないとな」などと言いつつ。


それから5日間、聖都は女王誕生を祝福しようと詰めかけた巡礼者でごった返した。
女王は決められた時間に大聖堂の壇上と銀花の苑の広場奥にしつらえられた女王席に立ち、人々を祝福した。
その傍らに控える聖騎士は、初日こそその眼光の鋭さで巡礼者たちを知らず威圧していたが、教団長の苦言もあり、かなり無理のある微笑を貼り付けるに至ったのだった。もっとも、その微笑みの方が恐いという者も少なからずいたが。

ともかく聖都で予定されていた行事はすべて無事に終了し、関係者一同は胸をなで下ろしたのだった。


女王の誕生は民衆に熱狂的な興奮と共に歓迎された。
ウォードンタイムズ社が緊急出版した「女王の卵が孵るまで」なる冊子は、増刷に次ぐ増刷を重ねても品切れ状態が続いている。

大陸中のあらゆる町からのみならず、大陸の外からもひとめ女王を見ようと巡礼者が大挙してやって来た。
巡礼者の町をはじめ、街道沿いの宿や食事どころは女王就任の感動を語る者であふれた。見知らぬ者同士も女王の愛らしさと神々しさで盛り上がった。少し訳知り顔に聖騎士について言及する者も少なくなかった。皆一様に平和と新しい時代の到来を喜び合った。

聖都のみならず、ウォードンやファリアンといった都会から、フルールやナバルなどのあまり大きくない村にまで、ウォードンタイムズの号外が大量にばらまかれ、人々はそれに群がった。
彼らは号外のトップに置かれた女王の凛々しくも可愛らしい姿に熱狂し、即位直前独占インタビューでのアルカディアを再び理想郷に、のフレーズに感涙し、聖都で実地に女王を見た者の土産話に熱心に聞き入るのだった。
また、この期間中、聖都からずいぶん離れた地にも、聖なる銀の葉や銀の花びらが風に乗って飛来する現象が多々見られた。それは、アルカディアそのものが女王誕生を祝福しているのだと、これまでとくに教団信者でなかった者にまで感じさせることになった。

聖都での行事が終わった翌日の円卓会議では、この蜜月の興奮が冷めないうちに大陸を行幸すべきだという意見が出、そのような流れになったが、案の定聖騎士が強硬に反対した。女王への負担が大きすぎると。「大丈夫、疲れてなんかいないわ」と当の本人が言うにもかかわらず、だ。
折衷案をとって、早めに行幸のスケジュールを発表することで民草の期待の火を絶やさぬ方向で行く。
聖騎士を騎士団から独立した存在にし、議決権まで与えてしまったのは失敗だったかも知れない、と教団長を含めた上層部の何人かは後悔した。円卓会議にもれなく彼が発言権付きで参加してしまうからだ。寡黙な彼はあまり発言しないが、その意見を曲げさせるのは至難の業と言えた。


同じ日、長逗留したオーブハンターたちが聖都を出た。
彼らは一旦陽だまり邸に引き上げ、そこからそれぞれの本来いるべき場所に戻る。
ニクスはそのまま陽だまり邸を拠点に復興活動に勤しみ、レインは財団に戻ってアーティファクトを真に人々の希望を託せるものにする研究を続け、ジェイドは一旦コズに行ってから世界中を笑顔で満たすための旅をして回るのだ。

「一日も早く陽だまり邸にお里帰りできる日が来ることをお待ちしていますよ」
「笑顔の君が見守るようになったこの世界がどんなに素敵かすみずみまで確かめてくるよ」
「お互い当面は忙しいだろうが、何かあったらいつでも呼びつけてくれ。飛んでいくから」


――そして、聖都に新しい日常が始まる。


   

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