銀の樹銀の葉銀の花


 10


強制休暇が決定して、翌日早朝ヒュウガはカーライルの墓参りを済ませ、旅行の準備を整えた。さすが銀樹騎士は旅のプロだ。馬の私用使用許可をとって、天気と波の状況を調べ、船の出航をチェックし、乗船券を手配し、首都に郷里への手土産の品を買い出しに出かけて、夕方に戻ってきた。

聖都に戻ってすぐに女王宮に参内すると、翌日を待たず謁見後すぐに帰省する旨を宣言した。
この素早さには休暇を提案した全員が心底驚いたのだった。

彼の旅の安全を祈ったのち解散する一同。退出して私室に下がる女王にお待ち下さいと声をかけた聖騎士は、恭しくどこからか取り出した小さな包みを差し出した。
「俺がいない間これを」
「何かしら。開けてもいいですか?」
喜んで受け取ってそう問うと、言いにくそうに視線を落とした。
「いや、すまん。あとで見て欲しい。あなたの反応を受け止める自信がないのだ」
「わかりました。それならあとで拝見しますね。どうもありがとう。そうそう、聖騎士臨時代行にジェイドさんがなってくれるそうです。ルネさんが頼んだらしいわ」
「なっ」
予想外だったらしく、たいそう驚いているようだ。
「ジェイドさんならヒュウガさんもその実力を認めていましたものね。だからお仕事の心配はなさらずに、ゆっくり御帰省下さいね」
「…お心遣い感謝する」
複雑そうな表情のままヒュウガが部屋を出て行きそうだったので、アンジェリークは慌てて引き留める。
「あの、ちょっといいですか?旅の安全をお祈りさせて下さい」
女王は聖騎士の両手をとり、そっと握ると目を閉じた。あたたかい力がつないだ手から流れ込むのがわかる。まるで優しさがこの身を潤すようだ、この感覚は以前にもあった、と考えるヒュウガがそれがいつの事だったかを思い出す前に女王は手を放して微笑んだ。
「どうぞお気をつけて」
「ありがとうございます」
そう一礼したあと、いつもならそのままきびすを返して部屋から出て行くヒュウガだが、今回は違った。
正面からアンジェリークを見つめると、「失礼する」と早口で小さく言うといきなり抱き寄せたのだ。
え、と思った次の瞬間にはもう入り口で礼をして去っていく聖騎士の姿があった。

ごく短い抱擁はそれでもいろいろなことを思い出させた。翠羽の泉でのこと。天使の花束でのこと。星の舟でのこと。
みるみる熱が上がってゆく自分の顔を鎮めるように、アンジェリークはその場に座り込んだ。そして左手に持ったままだった包みに気づき、ゆっくりと開けてみた。
中には小箱があり、その中には、懐かしい花鏡が入っていた。
よく見れば以前のものとは微妙に図案が異なるが、スミレの花を描いているのは同じだった。指先でスミレの花をたどっているうちに花の間に小さく描かれた蝶に行き当たったとき、知らず落とした涙が花鏡のスミレを潤すのだった。


翌日から、聖騎士不在の日々が始まった。
ルネはアンジェリークから直接話を聞くなら今しかないと確信していたが、何をどう聞き出したもの決めかねていた。
当初ひそかに心配していた聖騎士の不在が女王に及ぼす影響もそれほどでもないようだ。
ふと思いついて聖騎士代行を頼んだジェイドは予想外の良い仕事をする。何よりもその温かな笑顔で女王宮のムードメーカーとなっている。
近頃ではアンジェリークは空き時間をジェイドと女官とでお菓子を作ることに費やしていた。その情熱には少し驚いたが、彼女なりに聖都に馴染んできた証だと思えた。

今日も新作のお菓子ができたのでお茶にしようとルネを呼びに来たアンジェリークに、お茶のあと来て欲しいと告げる。まるで秘めた恋を告げるかのようだと内心自嘲しながら。

快諾されたので、お茶のあと、他の者が来ないように、アンジェリークを銀の大樹の元に連れ出した。そして切り出す。
「本当を言うと、ヒュウガがいないことで何か影響があるかもと思って、銀の大樹を見に来たんだ。
でも、大樹は何も変わらないみたいだね。安心したよ。
ねえ、君が女王に決まったとき満開に咲いた花は、もうすっかり散ってしまったように見えるけれど、不思議なことに樹の中を探せば必ずひとつは咲いているんだ。ほら、わかる?あそこにあるよ。ね。
銀の樹がこの宇宙の生命の象徴だとしたら、銀の花は女王なのかも知れないね。
そして銀の樹を形作る銀の葉は、ボクたちみんなだ。樹を養い、散っていく。悲壮感もなく潔く」
アンジェリークは黙ってルネの話を聞いている。
「いろんなことがあって、ボクには考えなければならないことが沢山あると思ったんだ。でもここに立っていたら、『まあいいや』と思えてしまうんだよね。これって銀の大樹って言うか、宇宙意志のチカラなのかな」
アンジェリークは微笑んで頷く。
本題だ。
「ボク本当は君は女王にならないってずっと思ってたんだ。だってほら、ヒュウガが居たから。だから君が女王でしかもここ聖都にずっと居るっていう事態に納得できるまでずいぶんかかってしまったよ。ううん、本当は今も納得できていないのかも知れない。ねえ、どうしてここで、聖都で女王になるって決めたの?それしか選べなかったの?」

「宇宙意志は私に選ばせてくれましたよ。そう、私が、選んだのです。
この力で速やかにこの世界を安定させたかった。
それだけでなくて、同時に、私の大切な人たちの願いを――
『伝説の騎士になる』夢も、『籠から出る』夢も、叶えることもできる。
そんな素敵な選択肢を一緒に考えてくれたのです」

にこやかに言葉を綴る女王陛下に、ルネは訳もなく苛々した。その究極の選択の瞬間に、自分のことを思い出してくれたのは嬉しい。本当に嬉しい。自分も少しは彼女の特別に近かったのかという感慨もある。でも今このタイミングでその事に言及するのは、お前にも責任があるのだから口出しするなと暗に退けられていると感じるのだ。

「でも君自身は苦しそうだ。そしてヒュウガも全然幸せそうじゃない」
言い放って自分でも驚く。少し前までは彼女は幸せそうに見えていたのに、確かに今は苦しそうなのだ。いったいいつ何が?どうしてこんな変化に気がつかなかったのだろう。

「そうですか?苦しくなんてないんだけれどな。変だわ。とにかく今はアルカディアと私との蜜月なのです。蜜月の後のことは、ちゃんと考えていますからどうか心配しないで」
「ヒュウガのことも?」
この一言を訊くためになぜこんなに長い時間がかかったのだろう。ジェイドじゃないけれど、ただ、大好きな二人に笑顔でいてほしかっただけなのに。
アンジェリークはふふふと笑うと答えた。
「ルネさん、もしかしてご存知かも知れないけれど、私、ヒュウガさんに二度もお別れを宣言されているんですよ。だから後回しにされていると恨む権利はヒュウガさんにはたぶん無いです」
二度とは念入りだな。あまりの答えに脱力しつつ、返す。
「それって意趣返しってやつ?」
「あら人聞きが悪いです」
にこにこ笑う彼女からは、それ以上何も聞き出せそうになかった。
でも、少なくとも、今もヒュウガは彼女のいちばんの特別なのだということだけはわかった。


   

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