ねぎらい


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「だめです。レイン理事が来るとなると現場が混乱します」
「あの現場ではおまえの研究に関連がありそうなものは発掘されていないはずだ」

財団の各部署は半月後に控えた報告会の準備一色になっている。報告会の総合責任者のナギはともかく、発表をとりまとめるエレンフリートと裏方を取り仕切るジェット、どちらも融通のあまり利かない完全主義者なのだから、財団総動員体制になってしまうのは仕方のないことかもしれない。ただレインは例外で、一般人相手には内容が難解すぎるというので研究の発表はないし、冒頭での理事挨拶の原稿のOKも出た今、特に準備も必要がなかった。だから気分転換を兼ねて、最近ジャディスの廃坑近辺で見つかった古代遺跡の発掘現場を見に行きたいとふと漏らしたら、ナギもジェットも即座に彼の思いつきを却下してしまった。気のせいなのかもしれないが、どうも近頃この二人は、「絶対レインの思い通りにはさせない」ということを行動の基準にしているように思えてくる。
だが、レインにとっては予想外だったのは、二人がレインは休むべきだという点において完全に一致していたことだ。

「研究が一段落ついたのなら、発掘現場で新しい仕事を仕入れるよりも、思い切って休暇を取ることをおすすめしますね。仕事から完全に離れた方がよいアイデアもわくというものですよ」
「おまえが率先して休暇を取ることが研究員たちの労働環境の向上に役立つ。報告会とパーティーのあとならまとまった休暇を取ることが可能だ。休暇の日数によってはそれまで少しばかり忙しくなるかもしれないが」

休暇、か。急に休めと言われても結構困るものだな。
それでも二人が出て行ったあと、レインは休暇を押しつけられたら――その可能性がとても高い――どうするかをぼんやりと考えた。
久々にヨットで遠出するか。海伝いに思い切ってコズに行くのはどうか?コズは気候も気持ちいいし、フルーツが美味しかったはずだ。高級リゾート地にふさわしい、感じのいいホテルもいくつかある。それともヨットはやめて、陽だまり邸に押しかけるのもアリかもしれない。あそこのオレの部屋はまだ生きているし、ニクスは適度にほおっておいてくれるから有り難い。のんびりと何もない休みを過ごすにはもってこいだ。それとも。

そこまで考えて、自分が想像する休暇の風景にはいつもアンジェリークがいることに気がつき、レインは一人赤面した。自分が休暇でも、あっちは学生なんだから一緒に休暇を過ごすなんて不可能なのに。だいたいどうやって誘うというのだ。休暇を利用してあちこち回る途中リースに立ち寄って、昼食の一回ぐらいなら共にできるかもしれないけれど。

陽だまり邸を出てから、4ヶ月あまり。正直自分にはアンジェリークが足りない。圧倒的に足りない。
会いたいとか直接話したいとか思っていても、実際会えるのは学校の長期休暇の時だけだ。その代わりにかなり頻繁に手紙をやりとりしているけれど、残念ながら根本的な問題がある。すなわち、自分たちは恋人同士でも何でもないのだ。もちろん自分は初めて会ったときからアンジェリークのことが好きだし、向こうもそれなりに好意を持ってくれているというのはうぬぼれではないと思う。だが、ひと月前に陽だまり邸に帰ったとき、ちょっとアンジェリークの様子がおかしかったのに、なんだか差し出がましい気がして「どうかしたか?」と聞くことさえできなかったことが、自分たちの微妙すぎる関係を象徴している。

共に陽だまり邸にいた頃、自分の研究はひとえにアンジェリークを手の届かない場所に行かせないためにあった。そして、無事にアンジェリークがこの世界にとどまることが決まったというのに離れて暮らしている今、もう自分は彼女のために何をしていいのかわからないでいる。そもそも”彼女のために”自体、余計なお世話なのだろう。彼女はすでに一人で歩き出している。

わからないのはアンジェリークの態度もだ。それなりに楽しく過ごせたものの、一月前、年末年始のホリデイに再会した彼女は心配事を抱えている様子だった。おまけにそれ以来手紙の頻度も落ちているような気がする。あの再会までに交わした手紙ではあんなに会えることと直接話せることを楽しみにしている様子だったのに。
何一つ思い当たることはないが、もしかしたらあのときに、自分はアンジェリークを傷つけるような言動をとってしまったのだろうか?
結局、自分はこういった事態に不慣れなのだ。それは認めよう。
「恋愛は惚れた方が負けといいますから」と何気ないため息に脈絡無くしかし正確に絡んでくるナギはいったい自分を励ましたいのか落ち込ませたいのか。っていうかどうして恋愛がらみとバレているんだ。いや根本的にいつの間に入ってきているんだ。
今のところはそんな茶々入れにも、ただ迷惑そうに横目で見やる以外のことはできないのだった。





ニクスがお茶のセットをワゴンで運び込んだとき、客人はかなり大きく頑丈にできているはずのサルーンの椅子に、窮屈そうに腰掛けていた。

「ようこそ陽だまり邸に。サルーンにいらっしゃったのはたしか初めてでしたね?」
ニクスは優雅な手つきで手早くティーセットをテーブルに並べる。
「そうだ。正直に言うと、これまでこの屋敷には数回来ているが、いずれも偵察に来ていたのだから、庭先止まりだった。…ああ、当方には水分は必要ない」
「そうおっしゃらずに。お客様を美味しいお茶でおもてなしするのが、目下私の一番の楽しみなのですから。それに、ジェイドはここにいた頃お茶の時間を楽しみにしていてくれたものですから、あなたもご同様かと」
「そこは個体差と認識してもらいたいところだ」
ジェットの真向かいの自分の席に着いたニクスは悪びれた様子もない。
「ああ、なるほど。これは失礼しました。それで、単刀直入にご用件を伺えますか」
「報告会出席の返事を受け取った。長年謎だった幽霊理事の正体が判明して、古参の財団職員たちは一様に驚いている」
「それはそれは。では、レイン君にもばれてしまいましたか」
「いや、この件についてはレイン理事にはひとまず伏せてある。で、ナギからメッセージを預かっている」
と、懐から封筒を出す。
「承りましょう」
受け取った封筒からすぐに中身を取り出し文面に目を走らせたあと、ニクスはジェットの目を真正面から見て微笑んだ。
「もちろん私も一口乗せてください。そして、実は私の方にもちょっとした計画というかアイデアがあるのですが、そちらにご協力いただければより確実に大きな効果が得られると思われます。少々お待ちいただけますか。すぐに手紙を書きますから」
「必要ない。口頭でも完全に正確に伝達できる」
「ああ、そうでした。では、お耳を拝借」
と、耳に直接ささやくという形で話された経験のないジェットを大いに戸惑わせつつ、ニクスはなにやら耳打ちした。

「…その提案は少なくともたいへん財団のためになると思われる。ぜひ採用するようにこちらからも推しておこう」
「ありがとうございます」
「一つ気になるのは、今のところレイン博士はパーティーの開会挨拶のあとすぐに抜け出す算段だということだ」
「問題ありません。いや、むしろ好都合かもしれませんよ。そのあたりはもう少し詰めなくてはいけませんね」
「承知した。いったん財団に戻り、おそらく6時間以内にもう一度来る」
「さすがです」

「それにしても、レイン君は財団の皆からも愛されていますね」
来客が辞したあと、ナギからのメッセージを読み返しながら、篤志家は満足げに微笑むのだった。





突然呼び出された校長室では、校長先生がにこやかにアンジェリークを待っていた。
「実はこういうお話が来ています」
と手渡された書類には、アーティファクト財団業績報告会とタイトルがふってあった。
「これまでは財団の業績報告と言えば報告書の発行だけだったらしいのですが、今年は新生した財団を宣伝するべく大々的に報告会を開くそうです。それで、特に有望な学生にも財団の仕事への理解を深めてほしい、ということで当校にも招待状が来ました。報告会のあとにはパーティーもあって、各学校間の交流もはかれるそうです。もっとも、パーティーの方は任意参加ですけれど」
アンジェリークは話を聞きながら真剣に書類を読んでいる。
「それで、同じ件で別口にニクス理事からも打診があって」
思わず顔を上げたアンジェリークに校長先生は微笑むと、続けた。
「ニクス理事もその報告会とパーティーに招待されているそうで、当校から生徒が参加するのなら引率してくださるとのお申し出がありました。それで、我が校からはあなたを参加者に、と思っているのですけれど。どうですか、アンジェリーク」
「ぜひ参加させてください」
「ああ、よかった。当日と翌日、学校は公休扱いですが、その代わりにレポートを書いてもらいます。我が校でアーティファクトに興味のある生徒の割合はそれほど高くないですが、その割合を増やすことがこの報告会の目的でしょうから、レポートの内容は月末の全校昼食の折にでも発表してもらう予定です」
「わかりました。で、あの、参加するのは私だけなんでしょうか?」
「各校生徒1名と場合により引率者、という指定なのです。当初はミランダ先生が引率の予定だったのですが、ニクス理事のお申し出がありましたので、事実上あなた一人ですね」
「わかりました」
「引き受けてくださってよかった。それではよろしく頼みましたよ。何かわからないことがあったらいつでも聞きに来てください」


校長室を辞したアンジェリークは急いで自分の部屋に戻って扉を閉めると、書類を胸に抱いたままぴょんぴょん飛び跳ねてしまった。
望外の、降ってわいたような幸運。大手を振って財団に行くことができる。しかもその日は、まさにレインの誕生日だったのだ。
ニクスさんにもいろいろ相談しなくては、と早速机に向かって手紙を書き始める。どうせニクスさんには自分の考えている事なんてだだ漏れなんだろうし、と開き直って。

「校長先生から伺いました。報告会に出席できるだけでも嬉しいのに、ニクスさんに引率していただけるなんて!今から楽しみでそわそわしています。お世話をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたしますね。
「ニクスさんもお気づきだと思うのですが、その日はレインの誕生日でしたよね?なので財団に行くなら、プレゼントを持って行こうと思っています。もちろん忙しいレインに直接渡すのは無理でしょうけれど、アップルパイを届けることができそうなのが有り難いです」
と、そこまで書いたとき、ノックと共にニクスからの手紙が届けられた。行き違いにならなくてよかった、と思いながら開封する。

「14日のことについてはすでにお聞きかと思います。ご一緒できるのをとても楽しみにしています。
「ところで、あなたの参加はサプライズにしたいそうなので、報告会とパーティーに出席することはレイン君には内緒にしていただけますか?私とあなたの参加は財団内でも一握りの人間だけにしか知らされていないそうです。
「私もあなたを連れて行くことをプレゼントにしたかったのですが、皆考えることは同じなんですね。」

…なにか色々恥ずかしすぎると思いながら、アンジェリークは手紙を書き直すのだった。


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