ねぎらい


   1


「活動報告会?」
朝一番に手渡された書類のタイトルを、レインは思わず音読してしまった。
渡した本人であるジェットは全く何の感情も表さず頷くのみだ。
「そうだ」
レインは早速ざっと目を通して疑問点を述べる。
「会の趣旨はわからなくもない。が、報告会のあとのパーティーの必要性はあるのか」
「財団が新時代にふさわしいものに変容したと広く知らせるとともに、以前からの支援者たちへの感謝を示すのに最適の方法と判断した」

レインが正式に財団に戻ったときにはすでに、ジェットは役職こそ無いものの、事実上財団の事務方の重鎮となっていた。財団の後ろ暗い部分を担当していた者をこんな位置に置いていいのか、との第一印象に反して、なじんでみればこれぞ適材適所。感情を交えない判断の確かさや、有無を言わさない押しの強さはもちろん、意外とも思える細かな心配り、隅々まで計算し尽くされたスケジューリング。彼の有能さが財団の活動の正常化に大いに貢献していることは確かだ。

「スケジュールの詳細がまだ決まっていないなら、オレがパーティー会場から最短時間で抜け出せるように調整してくれないか。パーティーよりも優先させたいことはいくらでもあるし、正直ああいう場は得意ではない」
イベントそれ自体が避けられないのなら、こちらの要求も伝えておくべきだろう、とレインは考えたのだ。

しばし瞑目したジェットは答える。
「それでは報告会とパーティーの会場を分けて、報告会はフルに出席、パーティーは開会の挨拶のみ、でどうだ。挨拶すべき相手には移動時間に声をかけることにすると、開会の辞さえ述べればあとは自由の身だ。ただし挨拶相手は少なくないので、向こうに引き留められない工夫と幸運は必要だ」
幸運という言葉が出るあたり、彼も変わったと実感する。よい意味で人に慣れたというのか。
「わかった。ではそのセンで」
「挨拶すべき相手のリストだが」と言いながらジェットはレインの端末に近づき、記憶媒体用の端子に軽く指先をのせた。事実上この端子はジェット専用だ。
すぐにディスプレイ上に名前と肩書きがずらずらと並んだ。ぱっと見たところ30足らずというところか。
「げ」
「これでも当初予定の半分以下に抑えたつもりだ。重要度順に並んでいる。では」
「サンキュ」

しばらくぼんやりとジェットが消えた扉の方を眺めていたレインだが、再びディスプレイを見てため息をついた。単純計算して1人あたり40秒で挨拶を済ませるには、どんな言い回しがいいのだろうかと考えて。





カレンダーをめくってアンジェリークは小さく身震いした。
今月はレインの誕生日がある。
プレゼントには昨年からマフラーを編み始め、すでに完成している。が、年末年始の休暇明けに寮に帰ってきた時点で、アンジェリークはレインに何を贈ればよいのかわからなくなってしまっていた。



年末年始、元オーブハンターたちは久しぶりに陽だまり邸に集まってゆっくり過ごした。
その三ヶ月前にオーブハンターは解散し、アンジェリークはメルローズの寮に戻っていた。各地に散った仲間たちとは頻繁に手紙をやりとりしているので、今やアンジェリークのお小遣いの使い道第一位はレターセットや切手などの手紙関係だ。そんな調子だから久しぶりに顔を合わせても三ヶ月のブランクなど感じないはずだったのだ。

レインの手紙は簡潔で、今取り組んでいる研究のこととファリアンの風物、オーブハンター時代の思い出が内容の三本柱だ。短いが心のこもったそれは、たいてい財団のエンブレムの入った便箋にしたためられていた。
アンジェリークはそのエンブレムを見ると自分と彼の間のとんでもない距離を思い知らされるような気がする。片や一介の女学生、片や今をときめくアーティファクト財団の事実上のトップ。元仲間というよしみでこうして親しく手紙を交わしているけれど、果たしていつまで保つのか。その不安を口にしたところ、ハンナには
「ちょっと、それってわかりにくいのろけ?」と一笑に付され、サリーには
「もしもあっちが住む世界が違うからもうつきあいをやめようとか言い出したんなら、私が殴りに行くから」と物騒な発言をされてしまった。
二人はアンジェリークとレインが恋人同士であると大きく誤解しているのだが、何度説明しても誤解だと納得してもらえなくてアンジェリークはもうあきらめてしまっていた。本当にそうだとどんなにいいか、と思いながら。

さて、アンジェリークがニクスの言いつけ通りヒュウガに付き添われて陽だまり邸に着いたときには、すでにバターサブレのよいにおいが入り口まで漂っていた。どうやらジェイドが先に着いているらしい。
「こんにちは、ニクスさん!」
「マドモアゼル、挨拶の言葉を間違っていますよ」
少し考えた後出た言葉は。
「ニクスさん、ただいま帰りました」
「お帰りなさい、アンジェリーク。ヒュウガ、遠回りさせてしまいましたね」
「なんの。で、これで皆揃ったのか」
「レイン君がまだなのです。夕食には間に合わせるとのことでしたが…おやおや、アンジェリーク、そんなにがっかりしなくても」
「そそそそんなに私別にがっかりなんて!」
一人焦るアンジェリークの元にジェイドがにこやかに近づく。
「久しぶりだね、アンジェ。さあ、荷物は俺が持つからね」
と荷物を担いで階段を上り始めたので、アンジェリークはにやにやするニクスと面白そうに様子を見ているヒュウガをサルーンに残してジェイドを追いかけたのだった。
部屋で荷物を整理していると、ピアノの音が聞こえる。前夜嬉しくてあまりよく眠れなかったアンジェリークは、ドレッサーの椅子に座ってピアノの旋律を追いながら、いつかまどろんでいた。
どれぐらい経ったのだろうか。オートモービルのブレーキ音と、オートモービルのドアを乱暴に開閉する音に驚いて目を覚ますと、辺りはすっかり暗く、夕食会までもうあまり時間がなかった。

アンジェリークが階下に降りると、ぎりぎりに間に合ったレインを交えて、すぐに夕食会が始まった。おのおの食べながら近況を交換する。
久しぶりに顔を合わせたレインは少し大人っぽくなったような気がする。「すまない、着替える時間がなかったんだ」、という財団の制服姿はかなり反則だ。しかし話し始めると、口調も内容もやっぱりアンジェリークのよく知っているレインで、安心した。
だが、現在の生活は財団の建物からほとんど出ることがないと語るその何気ないフレーズは、アンジェリークにとっては衝撃だった。それではこれまでの手紙の中で活写されていたファリアンの街の様子や、繊細に描写された季節の移り変わりはいったい何だったのか。

「ああ、オレの部屋は4階にあって、特に邪魔になるものもないから、なかなか眺めがいいんだ。だから気分転換によく窓から街や港の様子をぼんやりと見ている。時々行く理事室はもっと上の6階だから海もよく見えるぜ。天気のいい日など、今すぐ海に出てヨットに乗りたいと思うけれど、実際はせいぜい運動不足解消のため階段を上り下りしたり発電コーナーに行ったりかな」
「その発電コーナーってなんだい?」
素朴な疑問を率直に尋ねてくれるジェイドが同席しているのは実に有り難いことだ。
「研究員たちの気分転換と運動をかねて、各フロアの片隅に足漕ぎ式の発電機を並べてあるんだ。エネルギー的にはぜんぜん大したことはないが、皆の健康維持には役立っている」
「なるほど、ただ体を動かすだけよりも何らかの成果があるのはよい動機付けになりますね。万事合理的に考える傾向のある財団の研究員ならよけいにそうでしょう。さすがにアーティファクト財団は知恵者ぞろいですね」
とのニクスの意見に皆感心して頷く。

「ジェットを覚えているか?財団所属の、なんというか、ジェイドの兄弟分だが。アンジェリークやジェイドとは接点があったと聞く。陽だまり邸にも偵察に来たことがあるらしい。そいつが今事務方を実質上取り仕切っているんだが、発電コーナーもそいつの発案だ」
思いがけず懐かしい名前を聞いてアンジェリークは陽だまり邸で暮らしてきた頃の記憶が一度に押し寄せる気がした。
「ジェットが!彼も元気にしているんだね」ジェイドは目を輝かせている。
「ああ。あいつが今の部署に回ってから、研究環境が飛躍的に改善されている。研究部門のチーフのエレンフリートとも対等の立場でやりあっているし」
ジェットの現況が聞けたのは嬉しいけれど、一つとても気になることがあり、アンジェリークは思い切って尋ねた。
「その、もしかして彼の中では今、レインが主なの?」
「いや違う。そのあたりはエレンがうまく説得してくれた。だから今では彼が彼自身の主で、オレはむしろ研究対象」
「研究対象?」面白そうにヒュウガが問うと、うんざりした表情でレインが答えた。
「どう効率よく動かすかが勝負だそうだ」
「ふふふ…でも、ジェットさんが道具じゃなくなって、よかった」
気になっていたことが解決していたのでほっとして言ったのだけれど、なぜかレインは一瞬だけちょっと怪訝な表情をして、すぐにまた穏やかな表情に戻り
「おまえにそんなに喜んでもらえていると知ったら、あいつも喜ぶだろう」
と締めくくったのでアンジェリークはなんだか不安になる。
えっと、もちろん喜ばしいことだと思うけれど、でもその私ジェットさんの事をレイン以上に思っているとかじゃないからね、なんて心の内はもちろん口にはできなかった。

「しかしたとえ運動が足りていたとしても、建物から出ないのは感心しない」とヒュウガがたいへん彼らしいコメントを発すると、ニクスが何かを思いついたように言う。
「ここ陽だまり邸に来ていただく機会を強制的に増やしましょうか?」
「どうやって?」とレインが聞いても、もちろん
「おっと、ここで手の内をさらすわけにはいきませんよ。秘密です」という答えになるのだ。
「いやな予感がするな」
大げさに肩をすくめて見せたレインに皆が笑っていたが、アンジェリークの内では「ほとんど建物から出ない」の一言が何度もリフレインされて心を大きく揺れ動かしているのだった。なぜなら外に出ないということは、マフラーを使う機会がないということだからだ。せっかく編んだのだからやはり使ってほしいし、ついでにそのとき自分のことを思いだしてくれたらと淡く期待もする。なのに使わないとなると。もちろん、使わない贈り物でもレインは喜んでみせてくれるとは思う。レインは優しいから。でも、彼のそんな優しさにつけ込む自分を自分は許せないのだ。
ならば、何かほかのものをプレゼントに追加する方がいいのかもしれない。でも何を?

久しぶりの再会早々にそんな宿題を自ら背負い込んでしまったために、アンジェリークはせっかくの休暇を素直に満喫することができなかった。もちろん、誰が悪いわけでもないのだけれども。
とにかくずっとプレゼントのことを考えていた。レインとの会話も、他の仲間たちとの会話も、まるっきり情報収集だった。
そして休暇が終わってから、どうしてもっと楽しんでおかなかったのかと後悔するのだ。

寮に帰って最初の週末、ちょうど始まっていたセールに繰り出したアンジェリークはさんざん迷ったあげくリースで一番の品揃えの文具店で半額になっていた万年筆を奮発し、感じのよいラッピングペーパーやカードも一緒に購入した。
なのに部屋に帰ってから改めてみると、なんだか違う気がしてくるのだ。マフラーと万年筆という取り合わせも冷静に考えると微妙だし。


そんな気持ちを抱えたまま、日々は無情にすぎ、いよいよレインの誕生日が近づいてきたのだ。カレンダーにつけられた印を見ただけで、ああ本当にどうしたら、という気分になる。
とりあえず具体的にどう渡すかを考えなくてはいけない。


ここに来てアンジェリークは、もしプレゼントをレインに手渡しできるなら、アップルパイも一緒に渡せないだろうか?と考えるようになってきた。確実に喜んでもらえるものがあると思うのは心強い。そしてその確実なセンが今のところアップルパイしか思いつかないのだ。
だが、今年のレインの誕生日、自分は学校がある。学校が終わってから急いでファリアン行きの乗合馬車に乗ればいいのだろうが、もしもレインにすぐに会えずに渡すまでに時間がかかったりしたら、寮の門限までにリースに戻る馬車に乗れるかどうか保証はない。陽だまり邸に外泊するという届けを出せばなんとかなるかもしれないが、それをニクスに頼むのもどうかと思う。そうするとやはり直接渡すのはあきらめて、期日指定で送ってしまった方がいいだろう。ということは壊れやすいアップルパイを一緒に渡すのはあきらめた方が賢明だ。
そんなことはわかっている。わかっているけれど、やっぱり。いろいろあきらめきれないアンジェリークは、なかなか荷物を送りに行くことができないでいた。

こんなふうにいつまでもぐずぐずと迷うのは、結局、自分とレインの関係がよくわからないからだ。同じ陽だまり邸に住み、共に戦うパートナーだったり、旅する相棒だったりしたあの頃は「大切な仲間」と言い切れた。同じオーブハンターの仲間の中でも、少なくともアンジェリークにとってレインはちょっぴり特別だったけれど、それはわざわざ口に出すことでは無かった。それでも「何があっても守る」という“約束”を“信頼”する、その絆は確かにあのころの日々の支えだった。

いつも守ってくれるはずだった人と離れて暮らすようになって数ヶ月。もうオーブハンターでも女王の卵でもない自分にあの約束がまだ有効なのか、と自問するけれど、そのたび「もうそろそろ時効ではないか」と結論が出てしまう。もちろん直接尋ねるなんて恐ろしいことはできそうにない。それでも、もし自分が彼の特別でなくても、彼が自分の特別なのは確かなのだから、それだけでいいのだ、と自分に言い聞かせている。現実には、どんどん薄らえてゆくように見える二人の絆をただ心配し続けるしかないのだけれど。
もうそろそろ結論が出るのかもしれない。いや、きちんと結論をつけるべきなのかも、と考えることもあるけれど、誕生日プレゼント一つでここまでおたおたしてしまう自分にそんなことができるとは到底思えなかった。他のことではかなり思い切った決断ができる方だと自負しているのに。





陽だまり邸には今日も大量の手紙が届く。
通いの使用人から手紙の束を受け取ったニクスは、中に財団の紋章の入った封筒を見つけた。
ずっと昔住んでいた場所から転送されたらしいその宛先は、かれこれ40年以上前に名乗っていた名前だ。
「もうそんな季節になりましたか…いや、いつもより少し早いですね」
この名前宛に財団から来るのは、一年間の活動報告書と相場が決まっていたのだが、今回は封筒の体裁からして違う。紙質といい、封蝋といい、これはまるで招待状だ、と思いつつ開封する。

「本当に招待状だとは、これはこれは」
理事会のお知らせにはこの40年間いつも機械的に委任状を送っていた。
だが、今やエレボスに苦しめられてきたこれまでとは違う。自分も、新しく世の中と関わっていくことができるようになったのだ。その一歩を踏み出すよい機会かもしれない。

「活動報告会とパーティー。財団もずいぶん変わりましたね。財団にとってもまた、新しい時代、ということですか」
そして開催予定の日付を見て、念のためデスクの帳面で確認する。
……やはり。

「それでは私もプレゼントを用意しなくてはならないでしょうね。となると…」
ニクスは出席の返事と、もう何通かの手紙を書くべく、レターペーパーを引き出しから取り出した。
ちょっと楽しいことになりそうだと考えながら。

そう、この前の休暇はちょっといただけなかった。せっかくのお膳立てに、若い2人はなかなか乗ってこない。
「若さ故の無鉄砲さはむしろ美徳だと思いますがね」
それどころか、アンジェリークの様子がおかしかったのだ。初日の夕食会のあとにはもうすでに。
「夕食会まであの2人は接触していませんでしたし、いったいどうしたのでしょう。何かが起こる余地さえなかったはずですが」

あのよく似た2人がよく似た場所でつまずいているらしいのは確かだ。なら、最適のプレゼントは救いの手という名の交通整理だとニクスは確信していた。

(つづく)


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