アルカディアデート三昧・メルローズ学園編

メルローズ・ガーデン


聖都から陽だまり邸に帰った後、最優先でなされたのはアンジェリークの学業に関しての手続きだった。
世の中が落ち着き次第学業を再開し、カルディナ大学医学部に進学して医師を目指すという夢を彼女は捨てていなかったのだ。
復学について、当初学院側は諸手を挙げて歓迎する意向を示していた。その際、どのような形式で学業を続けるか、寮住まいとか、陽だまり邸から馬車通学とか、いろいろな選択肢が考えられていたのだが、いざ話が進んでいくと、「世界を救った元女王の卵」に野次馬精神で接近しようとする輩をどう排除するかの点で自信がもてないと言い出したのだ。ほかの生徒への影響が懸念されると付け足して。もちろんこちらが本音である。
結局、特例措置として、アンジェリークは通信生扱いでメルローズに在学することになった。
送られてきた教材を陽だまり邸内で自学し、レポートを提出して単位を得る。また、定期的にメルローズに赴き実習系の授業をこなす。

というわけで、今日はその手続きと最終の打ち合わせのために、陽だまり邸から出た馬車には、アンジェリークとニクスとレインが乗っている。ニクスは学院理事ではなくアンジェリークの保護者として、そしてレインは陽だまり邸におけるアンジェリークの指導者役としてとして適当であるかを学院側に査定されるために。
教師役としての適性を認めてもらう必要があるので、きょうのレインは珍しくフォーマルな雰囲気で、かっちりとタイをしていたりする。
「ほう、そのような服装をしていると、まるで真面目な研究者に見えるな」
「見えるってどういうことだよ」
「まあまあ。すごいな、カルディナ大学の先生…というより、ウォードンの銀行員みたいだよ」
「ジェイドおまえ、それ、ほめているつもりなのか?」
「え、もちろんそうだけれど」
ジェイドの満面の笑顔にすっかり毒気を抜かれたレインは戦意を喪失したまま馬車に乗り込んだ。


「感慨深いものがありますね」陽だまり邸の主は言う。
「メルローズはアンジェリークの母校というだけでなく、私にとってもレイン君にとっても、彼女と初めて出会った記念すべき思い出の地なのですから」
窓枠に肘をついて思案顔のレインはしばらく自分に話題が振られたことに気がつかないでいた。ニクスはこんなとき決して親切とはいえない。
「おやおや、どうやらレイン君はあなたと二人きりで記念の地を訪れることができなかったのがご不満のようですよ、アンジェリーク。このような事務手続きではない機会に訪れてみたかったのは私もまったく同意するところではありますが」
「え、おい、ちょっと、何の話だよ。人が考えごとをしている間に勝手に話を作って進めないでくれ」
「レインはいったい何を考えていたの?話しかけられても気づかないほど集中していたのね」
「案外ただぼんやりと思考の海を漂っていたのかもしれませんよ」

ニクスの茶々入れを無視してレインはいう。
「リースの町の復興状況だが、復興用に特化したジンクスの配備具合がなんというのか、どうも上手くない印象を受けるんだ。それがいったいどの辺に由来するのか少し考えていた」
なるほど、とニクスはうなずいた。
「ジンクスは使いようではなかなか役に立つようですが、いかんせんエレガントさに欠けるのが残念ですね」
「エレガントな災害復興を求める層はさほど厚くないと思うが?」
レインの口調のあきれかえった響きを完全に黙殺したニクスの
「確かに迅速・確実の二つの陰に隠されてしまいますが、3番目ぐらいには重視されていると私は信じています」
という発言に、つきあいきれないと判断したレインはおとなしく議論から降りた。
「次にジンクスチームの連中とコンタクトをとることがあれば、そのあたりを伝えておくさ」

二人のやりとりを興味深そうに聞いていたアンジェリークは素朴な疑問を口にした。
「復興作業の手順はそもそもどこの管轄なんですか?」
「自治体の長が財団に依頼を出し、両者が共同で進めるのが建前ですが」とニクスが答えかければ
「実際はふたを開けるまでわからない」とレインが続ける。
このふたり、決して和気藹々とはしていないのだが、物事を説明するときは実に見事なコンビネーションを見せる。頭脳の回転速度が近いのだろうか、とアンジェリークは密かに分析している。

「それがうまく回っていないということは、両者の話し合いが足りないということなのでしょうね」
「そうだ」レインは即答する。
「結局どちらにも余裕がないのですよ。復興が必要なほど混乱している状況、なのですから」
「自業自得とはいえ、今の財団は忙しすぎるしな。後始末すべき場所が多すぎて」
たしかに、とニクスもアンジェリークもうなずいた。
「初めて聖都に行ったとき、銀樹騎士団に入った方がいいかしらと思ったものですけれど、その伝で行くと、今なら、財団に入った方が世界の復興がより進むような気がするんですけれど」
アンジェリークの思いつきはしかしニクスにあっさり却下された。
「それは笑えない冗談ですよ、アンジェリーク。確かに現在教団と財団とは協力体制にありますが、両者は本質的に相容れません。そして、実態はどうかはさておき、あなたはどちらかというと教団寄りの存在として世間に認識されているのですから」
話題がこの方向に転がるとレインはいつも少しばかり居心地が悪い。それはアンジェリークと自分との距離がほかのオーブハンター仲間よりもほんの少し遠いことを示唆されているように感じられるからだろうか。
「とにかく気がついたところから改善しなくてはな。財団は先走らない、地元は手をこまねかないというルールを徹底させなくては」
「私は、財団はもっとこの件でのイニシアチブをとるべきだと思いますよ。復興用のジンクスは財団にしかないのですし。現在のように妙に腰が引けている状態なのはどうかと思いますね」
「出すぎるとうるさい輩が案外多いんだよ」ため息混じりにレインが言う。
「そういう、結果的に邪魔だけする人々っていったいどういう了見なのかと思うわ」アンジェリークも彼に同調した。
「彼らなりに正義を行っているつもりなのですよ。アンジェリーク、もし世論を動かしたいと思うのなら、今のあなたにはそれが可能です。あなたの平穏な生活のためにはあまりおすすめはしませんが」
「そんなことが私にできるんですか?正直ぴんと来ません。どちらにしてもとても難しい選択ですよね。…でも自分の身の回りの平穏よりはより早い復興を願うべき、なんでしょうか。元女王の卵として」
「アンジェリーク、おまえはその肩書きをなるべく早く忘れるべきだと忠告したいな」
「そうですね、私も個人的にはそう思いますよ」
「でも…」
結論の出ないまま馬車はメルローズの校門前に横付けされた。

「ここに『女王の卵とレイン博士出会いの地』という立て札があるってサリーの手紙に書いてあったんだけれど、冗談だったみたいね。よかった」
馬車を降りるときのアンジェリークのしみじみとしたつぶやきに、レインは危うく馬車から転がり落ちるかと思ったのだった。

校長室で用件は順調に消化された。
元々成績の良いアンジェリークは独学でも課題を消化できると思われたのに、指導役が天才の誉高いレイン博士だというので、学院側には否やはない。おまけに理事が同居して監督に当たってくれるのだ。そして、たとえ通信生という扱いであっても、元女王の卵が従来通りメルローズに在学することは理事会のなによりの望みでもあったのだ。

「毎日お顔をみることができないのが残念ですけれど、どこにいてもメルローズの生徒としての自覚を持って行動してくださいね。なんて、あなたには改めていう必要もないのでしょうけれど。まだしばらくはいろいろと忙しいでしょうけれど、あなた自身の将来のためのお勉強も、がんばって続けてくださいね」
「もちろんです、校長先生」
アンジェリークとほぼ同時にレインが言ったのでその言葉はきれいに重なった。
「当方の体制は万全だと自信を持って言えます。スクーリングの日程が決まったらお知らせください。他のどんな用件より最優先にいたしましょう」
とニクスも続け、話し合いはつつがなく終了したのだった。

「アンジェリーク、実はあなた方のために昼食の席を用意しているのです。久しぶりにお友達に会っていけますよ。それまでレイン博士を案内して差し上げたら」
教頭の提案で、3人は校内を一通り見学することになった。
「寮の方は男子禁制なので案内するわけにはいかないけれど、特別教室などを中心に校内をいろいろご案内しますね。もしかしたら理事のニクスさんもご存知ない場所があるかもしれませんよ」
「それは興味深いな。是非おまえのお気に入りの場所を全部教えてほしいものだ」
「ふふ、まかせてください」

「それにしても、思いがけず教育現場におけるアーティファクトについて提案するレポートが書けそうだな」
まずひととおり校舎内をまわりましょう、とアンジェリークに言われたレインが何気なくつぶやいたのを、ニクスはすかさず突っ込む。
「デート中に仕事のことばかりなのはどうかと思いますよレイン君」
「で、デート!?」
「ええ、その通りです。関係者二人でアンジェリークを案内してアルカディアの各所を巡ることになっていたでしょう。ジェイドが3人デートだね、と言っていたではありませんか。そして今この状況こそその計画の一環にできると思うのです」
「まあすてき!みなさんに案内していただくばかりでは心苦しいって思っていたんです。確かにここメルローズなら私も案内役になれます。ふふ、とっても嬉しいです」
「ではマドモアゼル、よろしくお願いしますよ」
「はい!」
この感じでは「デート」という呼称はアンジェリークにとって全く重要でないようだ、と過剰反応した我が身をレインは反省するのだった。

アンジェリークは手際よく二人を案内した。
「高等部になると学校にいらしたお客様をご案内するっていう係っていうかお当番もあるんですよ。それで皆で上手な案内ルートや説明の口上を研究したりもするんです。だから実はちょっと得意なんですよ、こういうの」とアンジェリークはきわめて上機嫌だ。
「学校生活のあらゆる場面を教育の機会としているのですね。改めて、ここは本当にすばらしい学校なのだと感じられますね」
「それにしても皆が寮生活をしているからなのか、学校といっても勉学の場というよりはむしろ生活の場という感じだ。案外、授業というか勉強に関係ないように思えるスペースが多いものだな」
「そうでしょうか?中等教育の施設としては標準的だと思うのですが」
と、レインの感想にニクスが疑問を呈する。
「え、そうだったのか。実はオレ自身はこういう学校に通ったことがないので、そのあたりがわかっていなかったようだ。すまない。比較対象が自分の中にないので」
「え、どういうことなの?」アンジェリークが驚いて尋ねる。

「ヨルゴのところに引き取られる前はまだ小さくて学校には通っていなかったし、引き取られてからは家の中で教育を受けていて、実は生まれて初めて通った学校がカルディナ大だったんだ」
「なるほど。もしレイン君が普通の高校生活を体験してみたかったということでしたら少しばかりご協力できますよ。さすがにここメルローズでは無理ですが、この近くにある男子校サンシモンなどいかがです?」
「いや、それは遠慮しておこう」
「ニクスさんはサンシモンにも何か関わってらっしゃるんですか?」
「理事会の末席を汚していましてね。客観的にどの程度の学校かはわかりかねますが、悪くないところですよ」
「ニクスおまえいったいいくつの学校に関わっているんだ?」
半ばあきれたようにレインが問う。
「それほど多くありませんよ。学校はメルローズとサンシモンだけですし、他に教育関係というとリースの孤児院二つとモンタント郊外の矯正所ぐらいですね」
「そんなにたくさん!」
「ノーブレス・オブリージュですよ、アンジェリーク。大人ならばこの大陸の将来を担う子供の育成に力を注ぐのは当然です」
「それで、サンシモンはニクスさんの出身校だったりするのですか?」
「いいえ。レイン君の経歴は当世では珍しい部類ですが、私の少年時代ではよくあることだったので、私もずっと家で家庭教師についていて、初めての学校がカルディナ大だったのです」
「じゃあニクスは二つの意味でオレの先輩なのか」
「まあ、私は法学部でしたが。なにぶん、当時のカルディナ大には法学部と神学部しかなかったのです。そして、体があまり丈夫ではなかったもので、カルディナには実質2年ぐらいしかいなかったと思いますね。幸い学位はいただけましたが」
「そうか、あんたのそのうさんくささ、妙に既視感があると思ったら、財団の顧問弁護士に言い回しが似ていたんだ。奴もカルディナ大法学部だ」
ぶつぶつ言うレインを尻目に、アンジェリークは感慨深げに言う。
「わたし、二人にそんな共通点があったなんて想像もしていませんでした!やっぱりこのメンバーで学校に来てよかったわ。でなければ絶対聞けないお話だったと思います」

「それはそうと、あなたのお気に入りの場所というのは結局どこなんですか?」
「なんだか恥ずかしいですね。一つ目は、3階の北西の角の近くの小窓なんですけれど」と2人を引率しながらアンジェリークが答える。
「眺めがいいのか?」
「メルローズに来たばかりの頃、その窓がいちばんフルールに近いって教えてもらって。お天気がよければフルールが見えるかもしれないって思い込んで通っていたんです。もちろん見えませんけれど。でも小さい自分が一生懸命通っていた場所だから、いつの間にか特別になったんですよ。フルールは見えないまでも眺めは悪くないですし、風が気持ちいいんです」
ややもすると重くなるような内容を嬉しそうに話すアンジェリークに、女王の卵ではなくなっても、この少女はやはりどこか特別だとニクスが考えているうちに一行はその窓につく。廊下の隅の手洗い場の隣にある小さな窓だ。
「3階の隅だし、少し高いところにあるし、そういう小さい子供にとっての敷居の高さがこの場所をすごく特別に感じさせる要因になっていたと今ならわかるんですけれど」
「あなたが特別に感じていた場所だというのでこの場所はあらたに脚光を浴びることになるかもしれませんね」
「それは正直あまり嬉しくないかも…ちょっと秘密めいたところも魅力の一つだったんですもの」
「みんなが知っているようで実は自分だけの場所、っていうのはポイント高いよな」
レインの言葉に大きくうなずいたアンジェリーク。
「お気に入りの場所はもう一つあるんですよ。今度は1階ですからさっきの階段から下りましょう」
と2人を誘導する。
「花壇のたぐいかな」
「全然違うような近いような…つくまで内緒です」
階段を下りて、どんどん元々いた場所である校長室に近づいていく。
「ここです」
そこはエントランスホールにいくつも並んだ柱の一つの前だった。
「この角度からエントランスの外を見ると意外なものが見えるとか?」
「いいえ、この柱そのものなんです」
「私には正直他の柱との違いがよくわからないのですが」
「大理石の柱、だな。あ、もしかして」
レインは少しかがむと柱の表面を丹念に調べる。
「もしかして、これか?」
「すごいわ、レイン。私のヒントなしでこれを見つけた人は初めてよ。――ほら、ニクスさん、これ、全然目立たないんですけれど、古代生物の化石なんですよ」
「これですか。よく見つけましたね。いちばん小さな硬貨の半分よりも小さいではありませんか」
「見つけたときは化石とは知らないで、でも不思議な模様だと思っていたんです。それからそのちょうど裏側の下の方」
「もしかして、この色合いは、地のオーブのかけら?」
「やっぱりそうですか!もしかして、とずっと思っていたんですけれど、本当にオーブのかけらだったんですね」
「これはすばらしい。私も何度もこのエントランスを通りましたが、ついぞ知りませんでしたよ。他の理事からも聞いたことがありません」
「私も今の今までこれがオーブだって知りませんでしたから、今まさに発見されたんですよね?すごいわ!」
化石やオーブにきらきらした瞳を向けるアンジェリークを見て、いつか発掘現場にも誘ってみたいと密かにレインは思う。

そのとき、鐘が鳴った。
「午前の授業が終わったみたいです。さあ、食堂に行きましょう。すぐそこですよ」
とアンジェリークは腕を伸ばして食堂の方を指し示した。

心づくしの昼食は、決して豪華とは言えないが家庭的な温かさにあふれ、大変満足のいくものだった。しかしレインとニクスにとっては、女生徒たちの視線が自分たちに集中しているのがひしひしと感じられ、居心地がいいとは言い難かった。アンジェリークはオーブハンターになる前に所属していたクラスの席に混じり、級友たちのとの旧交を大いに温めた。彼女の実に楽しげに談笑する様子に、2人は多少の不自由さは我慢することにしたのだ。

昼食がすめば今回の訪問の予定はすべて終了だ。アンジェリークは友人たちと別れを惜しみ、ぶんぶん手を振りながら馬車に乗り込んだ。帰路の車中、彼女は興奮気味にメルローズの思い出を語った。ニクスとレインはそれをほほえましい思いで聞く。今日一日が彼女にとってとても充実したものだったことが伺え、この訪問を他の何よりも優先してよかったと実感しながら。

陽だまり邸についてもなお紅潮したアンジェリークの頬は、彼女が今日のすべてにきわめて満足している様子を示し、レインはそれだけでオールオッケーだな、と思った。
しかし、窮屈なタイを外し自分らしい服に着替え、夕食までの間に研究の続きでも、とデスクに向かったレインは、そこで初めてアンジェリークと公然と一日を過ごすことができるとても貴重な9回の機会のうち1回を本日消化してしまったことに気づいた。
「しまった」
ニクスは帰宅後そのままアンジェリークとサルーンで話していたはずだ。今更その中に割り込むのも間が抜けている。
結局レインはジェイドが「スウィーツができあがったよ」と声をかけにくるのを、デスクの前でじりじりと待ち続けたのだった。


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