アルカディアデート三昧・碑文の森編

マティアスの悩み事


○陽だまり邸・表(朝)

普段よりも大人っぽい服装をして、緊張した面持ちで立っているアンジェリーク。
ニクスが横で微笑みを浮かべて見つめている。
ニクス 「そんなに緊張しなくてもいいのですよ。マティアス殿はああ見えて気さくなのだとヒュウガも言ってたではありませんか」
アンジェリーク 「ええ…でも私、マティアス様とはいつもご挨拶程度しかお話したことがないですし…」
と、馬車が近付いて来る音がする。
ニクス 「おいでになったようですね」
馬車が到着して中からマティアスが出て来るのだが―
ニクス 「!…これはまた…」
マティアスは法衣ではなく、まるで冒険家のような出立ちで現れたのだ。
アンジェリークも目を丸くしてあっけにとられている。
アンジェリーク 「マティアス様って髪だけじゃなく足も長かったのね…」
マティアス 「…やはり変でしょうか。この格好は二人の足手まといにならぬようにと、ルネに無理やり着せられたものなのです」
ニクス 「ルネ様のお見立てですか。大変お似合いですよ、ねぇアンジェリーク」
アンジェリーク 「はい、ととととても!」
と、ニクスの突然のフリに噛みまくりである。
マティアス 「(浅くため息をつきつつ)無理はせずとも良いのです。こういうのをきっと『木に竹をつぐ』と言うのでしょう」
ニクス 「さすがは博識でいらっしゃる。アンジェリークには少し難しいですか?」
アンジェリーク 「どうでしょう。骨をつぐよりは簡単そうな気がしますけど」
ニクス 「!…これはまた…」

○碑文の森までの道

髪を風になびかせながら気持良さげに歩くマティアス。少し遅れてニクスとアンジェリークがついて行く様相だ。
ニクス 「念のためおききしますが、このまま碑文の森まで歩く、ということでよろしいのですね」
マティアス 「はい。勝手を申してすまないのですが、聖都以外の空気に触れてみたいのです。直接私の肌で」
ニクス 「なるほど。しかし不慣れな長旅はお疲れになりますでしょう。休憩なさりたい時はどうぞおっしゃって下さい」
マティアス 「そなたの心遣い、感謝致します。
 ところでアンジェリーク?」
アンジェリーク 「はっはい!」
マティアス 「エレボス消滅後のアルカディアを、そなたはどのように感じておいでか」
アンジェリーク 「そうですね…一番変わったと思うのは『におい』でしょうか…」
マティアス 「におい?」
アンジェリーク 「はい」
と、大きく息を吸い込む。
アンジェリーク 「こんな風に深呼吸したくなるような、そんなにおいなんです」
アンジェリークをまねて大きく両手を広げ、ラジオ体操のポーズのように深呼吸をするマティアス。
マティアス 「ああ…なるほど」
そしてしばらくの間何かを確かめるかのように佇んでいるのだ。
マティアス 「(つぶやくように)『書物の中に幸福はない』…」
ニクス 「どうかなさいましたか?」
マティアス 「いえ、幼き頃より書物に埋もれていた私には、この『書物の中に幸福はない』というフレーズが常に心のどこかに引っかかっていたのです。しかし今ほんの少しだけ、その意味がわかりかけてきました」
ニクス
「『幸福』というものは『ほんの少しだけ』感じるものだというのが私の持論です。あなたは今日これからたくさんの幸福に出会えると思いますよ」

○モンタント手前の三叉路

各種の露店が連なりちょっとした市のように賑わっている。
ニクス 「このような場所にもアルカディアの変化が見てとれるというものでしょう」
数人の子供たちが集まっている所へ近付いていくマティアス。
マティアス 「何をしているのですか?」
一人の少年が振返り、寄木細工の小さな箱を差出す。
少年 「この箱、パズルのようになっていてなかなか開けられないんだよ。おじちゃん、開けてよ!」
箱の構造を見極め、あっという間に箱を開けてしまうマティアス。
少年 「天才だ! おいみんな! ここに魔法使いみたいなおじちゃんがいるよ!」 
  と、マティアスはたちまち子供たちに取り囲まれて人気者になってしまう。
アンジェリーク 「ニクスさん、見て下さい、あの嬉しそうなお顔。マティアス様、まるで別人のようですね…」
ニクス 「きっと本来はあのような方だったのですよ。セレスティザム教団という重い荷を背負っておいでなのです。法衣を脱がれた今日くらいは自由気ままにさせてあげましょう」
アンジェリーク 「はい…」

○碑文の森・入口

静寂に包まれた森の圧するような空気感に息を呑むマティアス。
マティアス 「何だか緊張します」 
アンジェリーク 「大丈夫ですよ。ここも以前はタナトスが多く棲みついていましたが、今はこんなに清々しい場所はありません」
マティアス 「! 初めてそなたから話しかけて下さいましたね」
アンジェリーク 「そ、そうでしたかしら…」
マティアス 「いえ嬉しいのですよ、とても。
 おかげでこの森に踏み入る勇気もいただけた気がします」  
ニクス 「確かにここは様々な不思議に満ちています。…そう訪れるたび何かが起こる、と言えばいいでしょうか。さあ御案内しましょう!」
マティアス 「はい、お願い致します」
森に幾筋もの光が射し、その中を進んでいく3人。

○同・中

傍らの木に青いリボンを巻き付けているアンジェリーク。
マティアス 「それが道標というわけですね」
アンジェリーク 「はい。でも時々リボンが外されている時があるんですよ。ニクスさんは『木霊』がやったんだって…」
ニクス 「彼らの中には大層いたずら好きなのがいるのですよ」
と、怪しげに微笑むのだ。
マティアス 「木霊を見たことがおありか?」
ニクス 「そうですね…あれは見たと言うよりも、感じたと言うべきでしょうか」
と、奥の方でざわめく音が聞こえ出す。
アンジェリーク 「まさか、そんな!」
マティアス 「行ってみましょう!」
と、先頭を切って走り出すのだ。

○同・大木の前

そびえる如くに立つ大木。
伸ばした枝や葉が擦れ合う音が響く。
アンジェリーク 「よかった…私、てっきり誰かいるのかと思ってしまいました」
マティアス 「待って下さい」
と、大木を見上げている。
マティアス 「ほら、あのあたり。何か庵のような物が見えませんか?」
マティアスが指差した場所に粗末な小屋のようなものが見え隠れしている。
ニクス 「…そうですね。ツリーハウスのように見えなくもありませんね」
アンジェリーク 「どなたかお住みになっているんでしょうか?」
と、突然繁みが大きく揺れて、鹿革のケープを纏った長髪の老人が出て来る。
アンジェリーク 「キャーッ!!」   
と、思わずマティアスに抱きついてしまう。マティアスはアンジェリーク以上にパニックである。
老人 「これはまた…どうやら驚かせてしまったようですな、ハッハッ…」
ニクス 「アンジェリーク、そろそろマティアス殿を離してさし上げないと、ずい分とお困りのようですよ」
アンジェリーク 「(真っ赤になって)ご、ごめんなさい!」
マティアス 「(汗びっしょりで)いえ…」
と、若干名残惜しげである。
アンジェリーク 「どうか御無礼をお許し下さい、森の賢者様」
老人 「私はそのような大層な者ではありません。ただ森好きな男です。今私はベリーを摘んできたところでティータイムにしようと思っとったのですが、よかったら御一緒にいかがかな。3人というのは狭かろうが、まあ何とかなりますでしょう」
マティアス 「それは是非もなく。ニクスは構いませんか?」
ニクス 「はい、もちろんですとも。しかし、どのようにしてあの小屋まで登ればよいのでしょうか?」
老人 「ハッハッ、そうでしたな。今はしごを下ろしますので、しばしお待ちを」
懐中からロープを取出すと、ロープを次々と枝に引っ掛け、スルスルと木の上方へと登っていく老人。
マティアス 「ほう…御老人とはいえ猿のような敏捷さですね…」
アンジェリーク 「フフ…マティアス様、御本人の前では言われない方がいいですよ」
マティアス 「そうなのですか?」
ニクス 「私もアンジェリークに賛成です」
やがて小屋の中から頑丈そうな縄ばしごが下ろされてきた。
老人 「さあ、どうぞ〜」

○同・ツリーハウス内

限られたスペースでニクス達3人はピッタリ寄添うように座っている。
老人 「窮屈でしょうが我慢して下され。申し遅れましたが、私はグレンと言います」
ニクス 「グレン…」
木皿の上に小さく千切ったパンとバター、それに様々な種類のベリーを盛って3人に差出すグレン。
グレン 「摘みたてですからシンプルに頂くのがコツでしてな。さあ御遠慮なく」
アンジェリーク 「美味しそう!」
と、早速パンにバターを塗り赤いベリーを乗せると、
アンジェリーク 「はい、マティアス様」   
マティアス 「私にですか?」
アンジェリーク 「あの…バターをもっと塗った方がよろしかったですか?」
マティアス 「いえそれで十分です。いただきましょう」
と、震える手でパンを取ると一気に口に押し込む。
グレン 「いかがかな?」
マティアス 「…美味しいです。甘酸っぱくて」
グレン 「左様、左様。こちらのような可愛いらしいお嬢さんと一緒だと、甘酸っぱさも一段と増しましょう」

    × × ×
木皿の上のベリーはすっかり無くなっている。
グレン 「私自身は賢者ではありませんがな、実はうんと幼い頃に一度だけ、この碑文の森で賢者様に会うたことがあります」
ニクス 「それは興味深い話ですね」
グレン 「『賢者』と言いますとつい私のような老人を想像されるでしょうが、そうですね、どちらかといえばニクスさんの年令に近かったのではないでしょうか―」

○同・賢者の棲みか(グレンの回想)

テントのそばで鹿革のケープ姿の賢者がたき火をしている。
そこへやって来るグレン少年。
フードをかぶっている賢者の顔がほとんど見えず、少しおびえた様子だ。
賢者 「こわがることはありません。よければ火に当たりなさい」
グレン老人の声 「顔はよくわかりませんでしたが、温かな声の印象で私はホッとしました。私はその時母の郷里のモンタントに滞在していたのですが、いたずらを叱られ、森に逃げ込んでしまったのです―」
たき火で沸かした湯でお茶を入れる賢者。湯気のたつカップをグレン少年の手にそっと握らせる。
賢者 「これは魔法のお茶です」
グレン少年 「魔法のお茶?…うわあとってもいい香りがする!」
賢者 「一口飲めば素直な心になれる、と言われています。飲んでみますか?」

○元のツリーハウス内

アンジェリーク 「何だかちょっぴりコワイお話ですね。それでグレンさんは飲まれたんですか?」
グレン
「ええ、それはもうカップを長い間見つめていましたよ。けれどもかぐわしい香りに抗しきれなかったのでしょうね。気がつくと私は一気にその『魔法のお茶』を飲み干していました…」
マティアス 「一気に、ですか!?」
マティアスの横でニクスはただただうなずいている。
マティアス 「それでどうなったのです?」
グレン 「不思議なもので、お茶を飲んだら急に叱られた母の元に戻りたくなったのです」
マティアス 「まさに『素直な心になれる』お茶だったのですね」
グレン
「私が『帰りたい』と言うと賢者様は私の頭を撫でられ『ではお土産をあげましょう』とおっしゃってこれを持たせてくれたのですよ」
と、ケープの中から古びた寄木細工の箱を取出す。
思わず声を上げるアンジェリーク。
アンジェリーク 「それって、今朝子供たちが夢中になってた箱にそっくりですよね?ニクスさん」
ニクスの目は箱に釘付けで、まるで魂が抜けたようになっている。
アンジェリーク 「あの…ニクスさん?」
ニクス 「あ、ああ、そのようですね」
グレン
「今も私の大切な宝物です。ですが…」
と、次々木片を動かしていくのだが途中で止まってしまう。
グレン 「何度挑戦してみても私にはここまでしか開けることができないのです」
マティアス 「私に見せていただけますか?」
グレン 「どうぞどうぞ」
箱の構造をつぶさに観察するマティアス。試行錯誤を繰り返すうちに―
マティアス 「最後の鍵はここですね!」
と、細い木片を動かすと、はじかれたように箱の中身が飛び出した!
アンジェリーク 「マティアス様、スゴい!」
マティアス 「たまたまですよ。それよりもこれは何でしょうか?」
と、出てきた小袋をグレンに渡す。
グレン
「さて…」
と、小袋を開けるや否や強い芳香が漂い始める。
グレン
「!! これはあのお茶の香りだ!…懐かしい…」
と目を潤ませている。
ニクス 「これは金木犀の香りですね…」
グレン
「…あれから何十年も経っておりますのに。さすがは賢者様の贈り物だ。マティアスさん、何とお礼を言えばよいものか…
そうだ、あなたこそこの箱を持つのにふさわしいお方ではあるまいか」
と、マティアスに箱を渡そうとする。
マティアス 「いいえ。それはグレン殿の大切な宝物。私ごときにお与えになってはなりません」
グレン 「しかしそれでは私の気が済みません」
ニクス 「ではその香り高き金木犀の花冠を少し分けて差し上げてはいかがでしょう」
マティアス 「良い考えです。それでしたら喜んで。そしてグレン殿、もしよろしければ私の悩みを一つ聞いていただければ嬉しいのですが…」
と、胸ポケットから1枚の折り畳んだメモ書きを取出す。

○碑文の森・奥(夕)

グレンがマティアス達3人を案内しながら進んで行く。
アンジェリークはマティアスのメモ書きを手に思案顔である。 
アンジェリーク

「『忘れてはならない。偉大な人間になって、何か立派なことを創造しようと思ったら、◯◯ということができなくてはならない』…この言葉が刻まれた石碑が、アルカディアのどこかにあるはずなんですね、マティアス様」
マティアス
「あくまでも私の個人的な推論ですがね。それでここ『碑文の森』ならいかにもありそうではないかと。私はどうしても◯◯の正解を探し当てたいのです」  
ニクス 「なるほど謎が解けましたよ。あなたが視察の地として何故まず第一にこの森を選ばれたか」
グレン
「私のおぼろげな記憶では賢者様のテントの後ろに石碑のようなものが立っていたように思うのですが…。ああもう日暮れが近い。とにかく急ぎましょう」
早足になる一行。
    × × ×
   金木犀の花が咲き乱れている。
アンジェリーク 「この香り! グレンさん、ここが賢者様にお会いになった場所なんじゃありませんか?」
グレン 「はい何とかたどり着けたようですね。 ただ…」
と、視線の先には粉々に砕かれた石の塊が黒々と横たわっている。
マティアス 「(落胆の表情で)これでは確かめようもありませんね…」
ニクス 「タナトスの仕業でしょう」
アンジェリーク 「…マティアス様…」
マティアス 「ありがとうアンジェリーク。これでも見た目ほど落込んではいないのですよ。まだ希望はありますから」
ニクス 「おっしゃる通りです。石碑はここに限ったわけではありませんから。そうですよね? アンジェリーク」
アンジェリーク 「そ、そうです! 虹華の森や薄霧の森にも、ええ静寂の湿原にだって石碑はたーくさんあったと思います!」
マティアス 「では(と背筋を伸ばし)次の旅に大いなる期待を抱くことと致しましょう」
グレン 「その意気ですじゃ。私も心がけて調べてみますでの、ハッハッ」
ニクス
「さあご覧なさい、あの夕焼け空を。言葉にも尽くせぬ景色とこの豊かな香りと。もう十分ではありませんか」
美しい夕陽に祈りを捧げるアンジェリークと、アンジェリークに見惚れているマティアス。

○陽だまり邸・ニクスの部屋(数日後)

ノックをしてエレガントに入ってくるアンジェリーク。
アンジェリーク 「ニクスさん、マティアス様からお手紙が届いていますよ」
手紙を受取り早速読み出すニクス。
ニクス 「…あなたにもよろしくと書いてありますよ。そして幸福に満ち満ちた旅だったとも」
アンジェリーク 「素敵なフレーズですね。…あのニクスさん、一つ聞いていいですか」
ニクス 「何なりと、マドモアゼル」
アンジェリーク 「(いたずらっぽい目で)ニクスさん、もしかして『立派なことを創造しようと思ったら、◯◯ということができなくてはならない』の答を御存知なんじゃありませんか?」
ニクス 「ええ、知ってますよ、もちろん」
アンジェリーク 「やっぱり!。グレンさんが会った賢者様はニクスさんだったんですね」
ニクス 「答を知りたいのならお教えしないでもありませんよ。ただ耳元で囁いてもよろしいのであれば」
アンジェリーク 「ニクスさん! もうっ」
と、乱暴にドアを開けて出て行く。
ニクス 「これはまた…楽しみはもう少し先のようですね」
と、優雅に金木犀の香りのお茶を飲むのだ。

( おしまい )


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