(You don’t need) Nothin’ to be Free       by みかん様




その日、ゼフェルはいつものように、市場を歩いていた。
ここ最近、良い銀製品を売りに来ている商人がいるというので、その下見に来ていたのだった。
何も変わらない、日常の一日になるはずだ。
ゼフェルの耳に、あの声が聞こえて来なければ。

「止めて下さい。」

ゼフェルの直ぐ横から、緊迫した女の声が聴こえる。
と同時に何やら物騒な会話が聞こえてきた。
どうやら、女が絡まれているらしい。
相手は数人の男達で、通行人たちも見てみないフリをして過ぎ去っていく。
ゼフェルも、その他大勢の人のように、脇を通り過ぎようとした。

が、その時に。
ゼフェルは見てしまったのだ。絡まれているその女を。
まだ、女と呼ぶにはあどけなさの残る彼女を。
白磁のような肌に、柔らかそうな金色のふわふわの巻き毛。
そして何より、相手を見据えているその翡翠色の眸。
ゼフェルの中に衝撃が走る。

彼女は男達に腕を捕まれそうになりながら、尚も必死に抵抗している。
「離しなさいと言っているでしょう? 無礼者っ、」
その女は男達に向かって、力強く慄然と言葉を発した。

ところが、それが拙かったらしい。
「この女、言わせておけばいい気になりやがってっっ、」
男達の様子が変わる。
無意識のうちに、ゼフェルの足は動き出していた。
ゼフェルがふと気付いた瞬間、その少女の手を取り、走り出していた。


※※※※



「はぁはぁはぁ、こ、ここまで来りゃ、大丈夫だろ、」

何度も、曲がり角を曲がり、どうやら相手を完全に巻くことが出来たらしい。
二人は、一本の大きな木の下に寄りかかるようにして座り込む。

ゼフェルは、肩で大きく息をしながら、隣で座り込んでしまっている少女に声をかける。
「ほらよ。」
ゼフェルは、オレンジ色の果実を投げ渡す。
「え?」
放物線を描いて飛んできたその果実を、少女は驚きの表情のまま、なんとかキャッチする。

「全力疾走したから、ノド渇いたろ?」
そしてゼフェルも自分の分の実を、木から毟り取る。
「あんだよ?」
ゼフェルが怪訝そうな顔をして、少女を見やる。

翡翠色の瞳は、不思議そうな顔をしてゼフェルと果実の両方を見比べている。
「これ……、どうしたの?」
「あぁ?」
ゼフェルの左眉が思い切りあがる。
「見てなかったのかよ? この木の実だぜ、」
ゼフェルは、寄りかかっている木をトントンと小突く。
尚も不安そうな顔をし続けるその少女に。
ゼフェルは呆れたように、言葉を紡ぐ。
「毒なんて入ってねぇから、安心して食えよ、」
そう言って、ゼフェルは自分自身の手にとった果実にかぶりつく。

その様を見て、少女は微笑む。そして意を決したようにゼフェルに向って宣誓した。
「貴方を信じます、」
そう言って、自らも口を大きく開ける。

「……美味しいっ、」
目を見開いて、ゼフェルにそのことを告げようとする彼女。

「だから、言っただろ?」
ゼフェルも得意になって、鼻を鳴らす。

2人の間にあった妙な緊張が解けたのか。
それから、少女はいろんなことをゼフェルに聞いた。
あの、男達は何か、あそこに見える花や木は何か―――。
その少女の好奇心と、くるくる動く表情にゼフェルは引き込まれていった。
暫く話したあと、少女は突然叫んだ。
「あっ、私、貴方の名前聞いてないっ、」

ゼフェルは思わず笑ってしまう。
「おめぇなぁ、そんなに驚くことあるのかよ?」
くくっと笑いがこみ上げてくる。

「自己紹介ってね、初対面の時には大切なものなんだよ?」
そう力説する。

「あぁ、そうかよ。オレはゼフェルってんだ、」
金色の巻き毛を、柔らかく揺らして彼女は微笑む。
「ゼフェルって言うの?よろしくね、私の名前は……、」

翡翠の瞳が、ゼフェルを真っ直ぐ見据えた時。
周りを囲まれた気配がした。
はっと、気付いたときは遅かった。二人の周囲を、屈強の男達が取り囲んでいた。

――― アイツラ、巻けきれなかったのか?
それは先ほど追いかけてきていたやつ等とは違ったが、さっきのやつらよりもずっとタチが悪そうだった。
ゼフェルは、少女を庇って立ち上がる。

だが、その様子は何か違っていた。その屈強な男達が、膝を落とす。
そして、少女の前に跪いて、こう言った。

「お迎えに参りました。無断で外出されては困ります。さぁ、帰りましょう。」
そう言って、男達は少女の腕を掴んで、後ろに控えさせていた馬車に乗り込ませようとする。

驚いたゼフェルの視線は、彼女を追う。その翡翠色は、哀しそうに曇っていた。
「ゼフェル……、」
そう言って彼女は、自分の名を告げずに去っていった。


ゼフェルが甘い記憶から覚醒すると、そこは暗闇だった。
目の端に、ぼんやりと淡く光っているものがはいる。

――― そうだ、オレは依頼主に裏切られて……、
上体をゆっくりと起こしながら、あやふやな記憶を蘇らせていく。

身体のあちこちは痛いが、幸いにも目立った外傷はないようだ。
身体をすっかり起こして、入り口だったあたりに目をやる。

――― 光も入ってきてねぇ……ってことは、塞がったってことか?

どうやら、ゼフェルが落ちた衝撃で、岩肌が崩れ落ちてしまったらしい。
入り口らしいものは、まったく見えなくなっていた。

ゼフェルは、大きく溜息をつく。どうしようもなかった。まさに八方塞りである。
ゼフェルの足は、なんの気なしにあの不思議な明るい花が咲いている場所に向う。

――― アイツに逢うとか、それ以前の問題になっちまったな。チクショウ、あの野郎……。
ゼフェルは、口唇を噛む。ここから出られなければ、総ては意味を喪う。
淡い光を放つ花の周りに、勢い良く腰を下ろす。
――― なんとかここから出ねぇと、

座った瞬間、カツン、と金属製の音がした。
ゼフェルは不思議に思って、音のしたあたりに目を向ける。
そこには、腰紐にしっかりと結いつけられた、あの古びたランプがあった。

――― ざまぁみやがれっ、

ゼフェルは依頼主に、毒づく。今ごろ、依頼主は悔しがっているだろう。
人を殺そうとしてまで、手に入れたがっていたランプ。
それは今、ゼフェルの手許にある。ゼフェルは、ランプを手にとった。

――― ランプの秘密、とか言ってやがったな……。なんのことなんだか、わかんねぇ、
そこでゼフェルは、ランプをひっくり返してみたり振ってみたりした。
しかし別に何の変哲もない、ただの薄汚い古びたランプである。

――― ん?何か文字が彫ってあるぞ、

丸みを帯びた側面に小さな文字らしきものが彫ってあるようだった。

――― 見難いなぁ……、

ゼフェルは、何の気なしに服の端でランプの側面を擦る。
すると、ランプの口から白い気体のようなものが飛び出てきた。その形は徐々に人型に縁取られる。

「やれやれ、やっと出れましたよぅ、」
のんびりとした口調で現れたのは、頭に白いターバンを巻いて、だるだるの服を着た男だった。

ゼフェルは、目の前で起きたとんでもない出来事に心臓が壊れそうだった。

――― なんて日だよっ、ちくしょう、
と毒づきながら。それでも、元来の気の強さがゼフェルに平静さを取り戻させようとする。

「お前、誰だ?」
しっかりとした、不信そうな口調で。

「はぁ。知らないで私を呼び出したんですねぇ。それでは、自己紹介をしましょう。自己紹介は大切です。」
そう言って、その男はにこりと笑った。

「私はランプの精です。個の名前はルヴァと言います。ランプを擦った者の願いを3つ叶えるためにやってきたランプの魔人ですよ〜。」
そう言って、ルヴァは柔和な表情で微笑む。

「願いを叶える……?」
「そうですよ〜。にわかには信じられないかもしれませんけれど。そのために私は在るのですよ、」
身振りも大きく説明をし出す。

ゼフェルは不思議なこのルヴァと言う男を信じていいものかどうか、考えていた。
ランプの精だなんて、信じろと言う方が無理である。それでも。
――― 自己紹介は大切です。
いつかの少女も言っていた言葉だった。
それに、身に纏う雰囲気や柔らかさ。人を疑うことを知らないようなその表情に。
ゼフェルは、不思議と柔和なこの男を気に入りはじめていた。

「……ルヴァって呼んでいいのか?」
「はい、どうぞ〜。それが私の名前ですから。」
ゆったりとした間で返事が返ってくる。

「オレは、ゼフェルってんだ。ちょっと訳あってこんなところに居るけど……、」
一瞬、顔を顰めてゼフェルは話す。
「はい、騙されたんですね。私を利用しようとしていた人に。」
そう言って、同情らしき表情を顔に浮かべる。
「知ってるのか?」
「ある程度はわかりますよ〜。一応、魔法使いの端くれですから。」
そう言って、微笑む。

「ここから出たいって言ったら、出してくれるのか?」
「それが貴方の望みの願いならば、もちろんですよ、」
そう言って、ルヴァは自分が出てきたランプを拾い上げる。

「オレはここから脱出したい。ひとつ目の願いだ、」
「わかりました、」

ルヴァは、ランプに何やら呪文のようなものをいい、大きな本を取り出した。
ゼフェルが驚いた表情で見ているのを尻目に、さらに本から呪文を拾い上げていく。
あたりが一瞬、真っ白な閃光に包まれ、目を閉じる。
ゆっくりと目を開けた時に、ゼフェルが立っていた場所とは。
丸い窓からあの宮殿が見える、いつものゼフェルの部屋だった。


「すげぇ……、」
ゼフェルは、身体の底から湧きあがってくる震えのようなものを感じていた。
部屋はもうすっかり暗い。それは夜半であることを物語っていた。
目の前で、相も変わらず穏やかな表情で笑っている、ランプの精ルヴァの顔が見える。

「信じていただけたでしょうかねぇ?」
「あぁ。おめぇ、すげぇなぁ。なんでも出来るのかよ?」
まず起こり得ないことが今目の前で起こっている、この非日常の事態に、ゼフェルは幾分か興奮していた。
「いえ。幾つか制約があります。人を傷つけること。死んだものを生き返らせること。人の心を変えること……、」
ルヴァは指を折りながら、そのひとつひとつを説明していく。

「期限ってあるのか?」
矢継ぎ早にゼフェルは、問い掛ける。
「願いを叶えるためのですか?いえ、ないですよ。ただ、貴方が命を落とされればその時点で終わりですが」
「怖いこと言うなよな、」
そう言って、ゼフェルは笑う。

人と親しく言葉を交わすのは久しぶりだった。
異なる存在だからだろうか、ルヴァはゼフェルに警戒心をまったく抱かせなかったのである。
「ゆっくりで、いいんだな。んじゃ今日は休もうぜ、」
そう言って、ルヴァにも床を勧める。

「いえ、私はランプの中で眠ります。何かあったらお呼びくださいね、」
そういうが早いが、ルヴァはきゅぽんという音を立てて、ランプの中に吸い込まれいった。
そのあっけなさが何か可笑しくて。
ゼフェルは、くくっと肩を揺らして込み上げてくる笑いを堪えた。



※※※※



ふと、夜半過ぎに目が醒めた。
――― 昨日は、いろんなことがいっぱいあったな、
ゼフェルは半身を起こしながら、考える。
そして、ゼフェルはいつもの定位置へ向う。
宮殿が見える、丸いあの窓へ―――。

月は昨日よりもほんの少し肥えていた。相変わらず白い光を宮殿に浴びせている。

「眠れないのですか?」
いつのまにか、その傍らにはルヴァが立っていた。

「あぁ。もう一年くれぇ前から、夜になると目が醒める、」
ゼフェルは視線を宮殿から外さずに答える。
「そうですか……、ゆっくり休めるといいのですけどね、」
ルヴァが、優しく微笑んだのが空気を伝ってゼフェルにも伝わってきた。

「なぁ、ルヴァ、」
相変わらず、視線を宮殿に向けたまま、ゼフェルは徐にルヴァを呼ぶ。
「はい、なんでしょう?」
「おめぇだったら、何を願う?」
「はい?」
「願いが何でも叶うって言ったら、おめぇは何を願う?」
ゼフェルはそこまで言って、ゆっくりと視線をルヴァに向ける。
ルヴァはそこに、目を見開いて―――、驚きの表情で立っていた。

「どうしたんだよ?」
ゼフェルは怪訝そうに尋ねる。ルヴァは、ゆっくりと口を開いていった。
「……貴方と、同じ問いかけをしてくれた人が、以前にもいました、……ひとりだけ。」
ルヴァは懐かしそうに、遠くにその視線をやった。

「これでも私は、何百の人の願いを叶えてきているんですよ。それがその人にとって良い方向に作用したのかどうかはわかりませんが、」
ふうっ、と、大きく息を吐く。
「その大勢の中で、たった一人、今の貴方とまったく同じ質問をしてくださった方が居ましたよ。もう、何百年も前の話になるんでしょうねぇ。そのときの私のご主人様は良く笑う少女だったんですよ。」
そう言って、遠い記憶に微笑んでいるようだった。
ゼフェルは黙ってルヴァの話に耳を傾けていた。

「そんな質問をされたのは初めてで。その時私は初めて自分の為に物事を考える、ということをしたんです。
……私は、自由になりたい、と答えました。それが私の願いだったからですね。こんなランプの精としての制約から解き放たれて、自分の思うまま、自由に暮らすこと。それが私の願い。」
そう言って、ルヴァはだるだるの服の袖から、自らの腕を伸ばしてゼフェルに見せた。
そこには、金色のリングが、手枷のように嵌っていた。
「ランプの精の自由を奪うもの、です。」
そう、哀しそうに言った後、手を袖の中に戻す。

「その少女は言いました。最後の願いで、私の願いを叶えてくれる、と。その少女はとても優しい子で。
最後の願いで赦してね、って笑っていました。」
そこで、ルヴァは大きく息を吐く。

「でも、おめぇ今もランプの精やってるよな……?」
――― 裏切られたのか、
その言葉はゼフェルの咽喉元で止まった。

それでも、ルヴァはまるでそれが聞こえたかのように頸を振って答えた。
「彼女は、病魔に冒されていました。彼女自身、知らぬところで。気付いた時には、人間の医者の手に負える状態じゃなかったんですねぇ、」
ルヴァは哀しそうに微笑む。

「んじゃ、おめぇ、」
ゼフェルは、目の前で笑っている男を見つめる。

「いえ、それでも彼女は私の願いを叶えてくれようとしました。彼女はこう言ったんです。
貴方の一番欲しいものをあげる、」
「んで、おめぇは……、」
「はい、彼女の倖せな人生を。願ったんですよ。」
そう言って、優しく笑う。

ゼフェルは、なんともいえない気持ちになる。

「懐かしい話をしてしまいましたねぇ。これじゃぁ子守唄にもなりませんね。」
そう言って、ルヴァはまた温和な表情に戻った。
そう言って、ランプの方に戻ろうとする。
「貴方も忘れられない人がいるのですね、」

――― アンジェリーク、
ゼフェルは、眼差しを白亜の宮殿に向ける。
――― オレもいざとなったら、彼女の倖せを願うだろう、
「ルヴァ。オレのことは、ゼフェルでいい。」
そして、大きく息を吐いて整えた後、小さな声で、それでも力強く呟く。
「……オレが、その言葉を唱えてやるよ。待ってろ、」
ルヴァの動きが止まったのが、服擦れの音でわかる。

「ありがとう、ゼフェル、」
そういって、あのきゅぽんと言う音と供に、ルヴァの気配は消えた。


  

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