(You don’t need) Nothin’ to be Free by みかん様
まだあどけない顔の少年と少女が、柔らかな表情を携えている男の両脇に座っていた。
少女は徐に、その男の膝の上に乗ろうとする。
「ねぇねぇ。いつもみたいに素敵なお話を聞かせて。」
少女がおねだりをする。同時にその傍らの少年も、頸を大きく動かし肯定の意を告げていた。
そんな二人の様子を見て、男は優しげな表情を更に破顔させる。
「それでは、今日は私がまだ異なる存在だったころの、昔話でもしましょうかねぇ……、」
そう言って、男はすっと自らの人差し指を立てる。
人差し指を自身の頭に巻かれているターバンに軽く触れさせた後、子ども達の目の前にその指を持っていく。
男が不思議な言葉を唱えると、人差し指の上空に、淡い光を放つ球体が現れた。
柔らかい光に包まれて、その球体の中に一人の青年がぼんやりと浮ぶ。
少年と少女はその瞳を大きくして、球体を覗き込む。
男は、その様子を柔らかい表情で見つめながら語り始める。
「この球体の中にいる青年は、とても貧しくて、いつも部屋の窓から見えるお城に憧れていました。
彼はとても貧乏ですが、ひとつだけ誰にも劣らないものがあったんです。彼自身はまだ気付いていないんですけどね。そんなある日を境に彼の周りは大きく変わります。」
ターバンを巻いた男は、懐かしそうに球体の中の青年を見つめる。
「そして、この彼こそが、このお話の主人公ですよ―――、」
男は、そう言ってゆっくりと語り始めた―――。
銀色のつんつん立った髪の毛。赤い眸。浅黒い肌。―――彼の名をゼフェルという。
青年と呼ぶには、まだ充分に少年らしさが残っていた。
彼は今日もちいさな窓から見える、大きな宮殿を眺めていた。
「……遠いよなぁ、」
誰に向かって喋るわけでもなく、一人呟く。
「だけど、いつか。いつか、あそこまで行ってやる。」
力強く―――、ある特定の意志を感じさせるように。
「……いつか、絶対ぇ逢いに行く。」
そう呟いた途端、押し込めていたものが溢れ出しそうになる。
ゼフェルの脳裏には、金髪の巻き毛の少女が映し出される。
顔中笑顔にして、こっちを向いている映像。
幾度となく思い返された表情―――。
「アンジェ……リーク、」
その名を口に出して、俯く。
とうとう本人から直接その名を聞くことは無かったが、彼女の名前は直ぐにわかった。
なぜなら、彼女がこの国の国王の娘……、つまりアンジェリーク姫だということが分かったから。
――― まさか、思いも因らなかったけどな……、
視線を宮殿に向ける。あそこのどれか一室に彼女がいるはずだった。
一年前にたった一度だけ出逢った少女。くるくるくるくる表情の変わる、深い翡翠の瞳が印象深い少女。
時が経てば経つほど、彼女の存在が大きくなっていた。
ゼフェルは、一年の間に、この感情を何と呼べばいいか知ってしまった。
かと言って、簡単に手を出せる存在ではない。
方や一国の一人娘。方や、明日の暮らしも知れない男。
――― それに、あの法律……、
ゼフェルは口唇を噛む。
太陽が西に傾いていた。白亜の城が、オレンジ色に染まっている。
――― 明日は早起きだ、もう寝ねぇと。
窓辺の隙間から飛び降りると、ゼフェルは寝床へと向った。
夜中に目が醒める。
明日は、久しぶりにトレジャーハンターとしての仕事だった。
月明かりが眩しかったのか、仕事前で興奮しているのだろうか。
ゼフェルはすっかりと目が醒めてしまった。
夕方と同じように、その窪んだ場所に腰を下ろす。
外に突出して丸く象ちどられた窓。
その窓の桟に寄りかかって座る。窓からは、白亜の城が見える。ここが、ゼフェルの特等席だった。
ゼフェルは、遠くに白くぼぅっと浮かび上がった宮殿を見つめる。
丸い月に照らされて、そこだけ浮かび上がっているように見える。
――― あそこには、アイツがいるんだな、
毎日、ここに座るたびに思い出す。飽きもせずに、蘇る感情。
ゼフェルは紅玉の眸を閉じる。瞼の裏に浮ぶのは、金髪の巻き毛の少女。
“ゼフェルって言うの?よろしくね、私の名前は……、”
甘い声で、ゼフェルに話し掛けた少女。
そしてゼフェルの思いは、あの日に飛ぶ。
宮殿を見つめながら。
紅の眼差しはそのままで、心は―――遠くへ飛んでいく。
一年前から初めた、何でも屋の仕事。
――― 少しでも、アイツに近づけるように、
一国の姫に面会するためには、王族か、貴族、もしくは大富豪でなければならなかった。
要は、貢物がないと面会が叶わないのである。
――― 金持ちなんて、いつになったらなれるかわかんねぇけど……
王族でも貴族でもないゼフェルにとって。唯一の面会の方法は富豪として会うことだった。
富豪になること、……それは今の暮らぶりから考えても、途方も無い話に思えた。
それでも、何もしないでいることの方がゼフェルには辛かった。
ゼフェルはそれまでやっていた細工工の仕事のほかに、何でも屋の看板を揚げることにした。
元からやっていた手先を生かす仕事のほかに、修理・工作・護衛と頼まれればなんでもやった。
盗み、脅し、殺し以外と割と際どい仕事までやってきた。勿論、自分の道徳観念に基づいて。
報酬が良いものほど、際どい仕事が増えるのは常識。
ゼフェルの住む地域には、そんな輩がたくさん住んでいる。
何でも屋の商売は、それなりに繁盛していた。
今回の依頼は、トレジャーハント。
依頼主から、古地図を渡され、そこを探検する仕事。
下見に行ったそこは、下に延びている岩穴のようで、ロープさえ使えば割とラクに仕事が出来そうだった。
――― まだまだ、大富豪にゃほど遠いが……。近づいていってるよな?
“諦めるよりも、動いていること。”
それがゼフェルの出した結論で、それに動かされて一年ちょっとの間頑張ってきていた。
城を見ているような見ていないような時間を過ごしていた。
段々、空が白くなる。
ゼフェルは空が完全に闇を追い出す前に、特等席の窓辺を動き出す。
ゆっくりとしっかりした足取りで、目的地へと向かう。
――― 今日の仕事。もし、本当に宝が出たら。そろそろアイツに逢えるだろうか?
空が明けきらない頃に出発をして、依頼主と一緒にその洞穴に行く。
宝が、眠っているという話の洞穴―――。
依頼主が、直々に着いてくるのは珍しいことだった。
大体にして依頼主は、自分は動かない。
何故ならば古地図や文献は、危険な場所が多いからだ。
見張りとして、供を独り付けられることはあっても、依頼主は大抵動かないのが常識だった。
家でゆったり待っていれば、宝が転がり込む、といった風に。
だから今回、結構いい身なりをした依頼主が自分を連れて行け、と言ったことにほんの少し不信を感じていた。
しかも、依頼主はこうもいったのだ。
「オレはひとつの宝が欲しい。それ以外は総べて、お前にやる、」
ゼフェルの不信は、一気に頂点に上ったが。
それでも、彼自身も着いてくると言う話。下見に行った時の、洞穴の状況。
――― 洞穴は、自然のモノのようだったし、人工的な仕掛けはなさそうだった。依頼主は一人でついてくるって言ってるんだし。ああいう場所で素人相手に負けはしねぇ。
ゼフェルは、危険はさほどないだろう、と踏んだのである。
それに、“総べて”と言う言葉に心惹かれたのは事実である。
――― 宝が本当にあるか解からないにしろ、確実にアンジェに近づく一歩になる、
この考えが、ゼフェルの決め手の大きなひとつの要因だった。
ゼフェルは、横に歩いている依頼主の顔をちらりと見る。
――― まぁ、いざとなったら切り抜けられるだろ、
それは、大抵のことを今まで独りで乗り切ってきた自信であった。
しかし、この自信が慢心になってしまうことを、このときのゼフェルには知る由もなかった。
「ここだぜ、」
ゼフェルは、依頼主をその地図の洞穴に案内した。
岩山の頂上付近。その洞穴は、細い岩の裂け目のようだった。
見える範囲では、下へ下へと延びていっている。
「……入るのか?」
依頼主は問う。
「入らなきゃ、宝取れねぇだろ。」
そう言って、ゼフェルは背負っていたリュックから仕事道具を取り出す。
ロープに、フックに、繋ぎ止めるための金具。
ゼフェルは傍にあった岩に、ロープの一方をしっかりと括りつける。ロープのもう一端には、フックをつけ、ゼフェルの腰に巻かれているベルトと結びつける。
――― よしっ。
「アンタはどうする? 独り潜るのがやっとってとこだな、」
ゼフェルは依頼主に事実を告げる。
「オレはここで待っている。悪いが頼むよ。」
依頼主は抑揚の無い声で言う。
ゼフェルは、一瞬不信に思ったが、確かに潜れるのは一人。
こっちに相手の欲しい宝がある分、危険はないだろうと踏む。
「んで、アンタは何が欲しいんだ?」
ゼフェルは、今まで聞いていなかったことを訊く。
「ランプだ。小さい、古びたランプだ、」
――― 古びたランプ?
ゼフェルは、思わず眉根を顰めたが、すぐさまロープに手をかける。
「解かった、んじゃ見てくるわ、」
そう言って、ゼフェルは岩の隙間にするすると消えていく。
ようやっと独り分だけ通れそうな細い隙間を器用に、ロープ一本だけを頼りにして。
依頼主は、ゼフェルの消えた隙間から、声をかける。
「いいかっ、ランプだぞっ!それ以外はお前にくれてやるっ!ランプだけを持って来いっ、」
依頼主の煩い声を聞こえないフリして、岩肌に足をかけながら、ゆっくりとロープを伝って降りていく。
降りた先は、平らな地面、何もない空間が広がっていた。
中が思っていたよりも広いことに、ゼフェルは驚いていた。
奥にある空間が、ぽうっと明るい気がした。ゼフェルは何かに惹かれるように、そこへと近づいていった。
――― すげぇ、あの世みてぇだ。
それはゼフェルの想像を絶する光景だった。
小さな円形のその洞には、宝の類はまったく見えなかった。けれども、それよりも美しい光景が目の前に広がっている。光の差さないこの空間で、小さな花が群生していた。
それ自体が淡く光っている小さな花―――。
――― アイツが見たら、目を引ん剥くだろーな、
どんな小さなことにも驚いてた、彼女。
一瞬、ゼフェルの思考が飛びかける。
だが、頭を振って、今の自分の状況を思いだす。
淡い光を放つ不思議な花に守られるようにして、真ん中に小さな飾台があった。
なるべく花を踏まないようにして、その中心に近づいていく。
近づいていくにつれて、飾台の上に何が置かれているのか判別できるようになっていた。
――― ランプ、だ。
小さな古びたランプが、ひっそりとそこに在った。
恐る恐るランプに手を伸ばす。ひやり、とした感触。
ゆっくりと持ち上げてみる。
――― これが、言ってたランプか?
あたりをきょろきょろ見渡す。期待していたような宝の山はないらしい。
ゼフェルは、肩で大きく息を吐き出す。
――― そう簡単に、巧くいくはずねぇよな、
「見つかったのかっっ?!」
遠くから苛立たしげな、エコーのかかった声がする。――― 依頼主の声だ。
ゼフェルは、そこに立ち尽くしたまま、声だけを返す。
「あぁ、」
その声は暫く経って、相手に届いたのだろう。逸るような声が再び聞こえる。
「早くっ、早くそれをもって上がって来いっ!」
ゼフェルは、大きく息を吐き出す。もう少し、ここら辺を見て回りたかったが、とりあえず依頼主を優先する。
――― ランプ渡したあと、また降りて来りゃいいんだし、
そう思い、ゼフェルはロープの垂れている場所へゆっくりと戻る。
今、手に入れたランプを落とさないように腰ひもに結び付け、するすると器用にロープを登っていった。
岩肌が狭くなり、漸くまぶしい光が顔を照らした瞬間。
にゅうっと、入り口に顔を出した男がいた。
「ランプはあったのか?」
そのまま、地上に這い上がろうとしたゼフェルの出口を塞ぐ。
「あぁ、あったぜ、」
「渡せ、」
ゼフェルは、怪訝そうな顔つきをする。
「待てよ、とりあえず、出てからでいいだろ?」
ゼフェルは、今、岩の裂け目から、顔だけ地上に出している状態だった。
「いや、先にランプを渡せ。本物かどうか確かめてからだ、」
依頼主は依然、頑として動かない。
「……これ以外、何もなかったぜ、」
「それでもだ、」
ゼフェルは、眉根を顰めながらも、ロープを持っていた腕が痺れてきたこともあり、腰からランプを引き上げる。
依頼主の男は、ランプを手にする。
「確かに、これだ、」
依頼主の口の端が、にやりと醜く歪む。
と、胸元からナイフを出す。そのナイフの切っ先は、ゼフェルの目の前に突きつけられる。
「てめぇ、何しやがんだっ!」
「ランプの秘密は、決して洩らしてはいけないもの。お前にはここで消えてもらう。」
そう言うが早いか、ロープにナイフの刃が入れられる。
ゼフェルの全体重を支えていたロープが、目の前でさくりと切られる。
「うわあぁぁぁ、」
ゼフェルは真っ逆さまに落ちていく。
暗闇の中へと―――。