三文字の漢字で三十のお題・13「頭文字」
ステンシル


ロザリアの持ち物のほとんどすべてには、彼女のイニシャルが入っている。
衣類などの布ものは、ばあやが刺繍を入れる。ロザリア自身が刺したものもいくつかある。図案は二通りあって、RとCの字を組み合わせたモノグラムと、Rの字と白い羽を組み合わせたものだ。

二つのうちどちらが使用されているかは、その持ち物がロザリアの所有物になった時期によって区別されている。前者はロザリアが生まれてから、スモルニィの女王コースに入るまでに入手された物で、それ以降は後者だ。
女王になれば出自が伏せられることを意識して、あるいは婚家に入ることを予測して、カタルヘナの家名は彼女の周辺から少しずつ削られてゆく。羽は女王を輩出しているカタルヘナ家の紋章の右上部分にあるものを踏襲しているのだが、紋章学を修めた者でないとRの字に組み合わされた羽の意味を見て取ることは難しいだろう。もっとも、フェリシアの住人ならば、天使様の持ち物にはやはり天使の羽が描かれているのかと感動してくれるに違いない。


土の曜日フェリシアに降りた帰り、ロザリアは公園で若い女性から声を掛けられた。
彼女はロザリアを見つけると駆け寄ってきて、
「ロザリアさんですね。女王試験、応援していますから頑張ってください」とものすごく緊張した様子で言った後、
「あの、これ、きのう公園に落ちていました。ロザリアさんのものに違いないって思って」と手に持っていた小さな紙袋を押しつけると、びっくりするような早さで行ってしまったのだった。

しばらくして我に返ったロザリアが紙袋を開けてみると、中には白いハンカチが入っていた。上等そうだが少し古ぼけたそのハンカチの隅には、赤でRの文字が、その脇には青で花か星のようなものが3つほど、おそらくステンシルでしるされている。図案がよく判別できないのは、染料がかなり褪せているせいだ。
「どうしよう、私のじゃないわ…」

落とし物を見つけたときはどうすればいいのだろう。飛空都市に来てひと月近くが経ったというのに、そんな事ですら分からないでいる自分に気付いてロザリアは驚いた。試験を受けるのと生活するのは少し違うのかもしれないが、これで飛空都市で生活していると言えるのだろうか。もう少し、試験以外の身の回りにも目を向けなければと反省する。つい先週末の初めての定期審査で、育成状況で明らかに後れを取っているはずのアンジェリークが、数人の守護聖の支持で勝者になってしまったのも、ロザリアが大陸の育成以外は現在の自分には不要だと切り捨ててしまっていた事が影響しているはずだ。

「困ったときはディア様に相談、が基本だったわね」


補佐官室には先客がいた。
部屋の最奥で風の守護聖が紅茶のカップを片手に補佐官室の大きな窓の前に腰掛け、外をぼんやり眺めている。椅子はわざわざ窓辺に運んだのだろうか。いつも活発に動き回り、自分の執務室の中では宙返りまでしてみせる彼のこういう姿は初めて見る、とロザリアは思った。

「まあ、ロザリア、ようこそいらっしゃい。何か困ったことが?でもその前に、あなたもお茶をどうかしら」
ロザリアは一瞬断ろうとしたが、ディアのほうはロザリアの返事を待つ気は無いらしく、すでにてきぱきと用意している。それに気づいて、断らなくてよかったと内心胸をなで下ろしながら、勧められた椅子にかけた。

「実は落とし物を預かったのですが、こういう時はどうすればいいのかわからなくて」
「預かった、とは?」
「はい。これです」

ロザリアが差し出したものを手にとったのとほぼ同時にディアはランディに声をかけた。
「ランディ、見つかったようですよ」

とたんにランディは椅子から跳ねるように立ち上がるとあっという間に向かい合うロザリアとディアの間に初めからそこにいたかのように収まった。
そしてハンカチを慎重に検分すると、満面の笑みで
「ありがとうロザリア。これ、俺のなんだ。古いものだからもう出てこないかと思って半分あきらめていたから、すっごく嬉しいよ」
「公園で女の人から預かったんです。私のじゃないかって」
「?……あ、そうか。ロザリアも俺と同じ頭文字なんだね」

言われて初めて気づく。だから公園の彼女はロザリアの持ち物と思いこんだのだろう。実際、彼の持ち物という感じはしなかった。彼が持つならハンカチよりはむしろタオルだろうし。

「これ、妹が俺の頭文字を入れてくれたんだよ。だからなくしたと思ったときはホント焦った。占いの館で相談したらサラがディア様のところで待っているように言ってくれたけど、やっぱり落ち着かなくてさ。ああでも本当に見つかってよかった。ロザリア、届けてくれてありがとう」
と、にこにこしながら胸元にしまい込む。あんな所にポケットがあったなんて、守護聖様の執務服って、つくづく謎の構造だわ、とロザリアは目を丸くして一部始終を見届け、じっと見られていることに気づいたランディと目を合わせてしまってお互いしばし動揺しあった。

「それにしても、そんなに大切なものをわざわざ持ち歩いていた理由を聞いていいかしら?」
ロザリアにお茶と小さな焼き菓子を勧めながらディアは優しいけれど有無を言わさない調子で聞く。
ランディはしばらく、えー、とか、その、とか言いながら目を泳がせていたが、諦めたのか、彼らしくないボソボソとした調子で「お守りっていうか…」と答えた。
続きを促すディアの視線に抗えず、ランディははじめまるで問い詰められて犯罪を告白するかのような調子で語り出したが、すぐに開き直ったのか、いつもの明るい調子に戻った。

「俺の中で、なんていうか、少しばかり決心が要ることがあって。…勇気を与える風の守護聖なのに、って思うとカッコ悪いけど、決心がつかないときや勇気が出ないときはこのハンカチを身につけるんです。風の守護聖になるって決まったとき、妹が『みんなに勇気を配るってカッコいい!さすがお兄ちゃん!』ってすごく喜んでくれたことを、昨日のことみたいに思い出して、力が湧く気がして。…まあ、ちょっとしたジンクスっていうか」
意外な話の内容に思わずまじまじと顔を見つめてしまったロザリアに気づくと
「いや、その、シスコンとかそんなんじゃなくって」と焦って付け足す。

「ランディ、誰もそんなこと思っていませんよ」ディアはくすくす笑う。「本当に大切なものだということはよくわかりました。もうなくしたりしないと思うけれど、気をつけてね」
「もちろんです」
「ロザリアもきちんと届けてくれてありがとう」ディアはロザリアの方に向き直り、少し首をかしげるようにして微笑んだ。

それが一件落着の合図となった。ランディとロザリアはお茶のお礼を言ってディアのもとを辞した。


聖殿のひんやりした廊下を無言で並んで歩きながら、ロザリアはちらちらとランディの顔を見てしまう。
考えたこともなかった。
人々に勇気を運ぶこの人に、誰が勇気を与えられるのだろう。
――普通に考えたら、女王陛下その人なのだろう。自分は、そんな女王になれるのだろうか。風の守護聖に勇気を与えられるような。
廊下は長いようで短く、ふたりはすぐに階段の所まで出た。ランディは階上の自室に、ロザリアは外に出る、ちょうど分岐点だ。

「ロザリア」
不意に呼びかけたランディはいつの間に出したのか、さっきのハンカチを左手にしっかり握りしめている。

「明日の日の曜日だけど、何か予定あるかな?なかったら、一緒に過ごさないかい?」
「お誘いありがとうございます」
 唐突な誘いに驚きはしたものの、ロザリアはにこやかに返事をした。

「やった!…じゃあ、朝食後、迎えに行くから!なんか、元気の出る、ステキな気晴らししよう」
「気晴らし?」
「この前の定期審査からこっち、君、ずっと元気がないから心配だったんだ。どうやったらちゃんと励ませるだろうってずっと考えてたけど、難しいね。女の子の楽しいことってなかなか思いつかなくって」
と、頭に手をやってはにかんだ微笑を浮かべる。

「じゃあ、明日、約束だよ」
ぶん、と大きく手を振ってランディは階段を二段飛ばしで駆け上っていった。

ロザリアはしばらくその後ろ姿をぼんやりと見送っていたが、足音が聞こえなくなったので帰途についた。
明日のデートの予定が決まってしまったのだから、色々準備しないといけない。
「ステキな気晴らし」の後、お部屋に送ってもらったら、是非一緒にお茶を楽しもう。お茶菓子はこのあいだ焼いたフルーツケーキが食べ頃のはず。
そこまで考えて、唐突に思いつく。
紙ナプキンに頭文字をステンシルしておいたら、気づいてくれるかしら、と。
さらに想像は広がる。
それで、時間があるとき、お返しに一緒にステンシルを楽しむこともできるわよね、と。

部屋に帰ったら早速ステンシルの道具を探そう、と決めたロザリアの心は、確実にここ3週間の間でいちばん高揚していたのだった。

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