三文字の漢字で三十のお題・11「独占欲」

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この部屋に入るときは自然に背筋が伸びる。はじめて来たときは自分でも相当おどおどしていたと思う。そして、相当慣れてきた今でも、やはりひたすら「堂々と、堂々と」と念じながら、執務机の方に会釈すると、定位置に向かって歩く。ちなみに歩き方は、現在進行形でロザリアに特訓をうけているところだ。

ジュリアス様は執務机から立ち上がると、窓際に置かれた小テーブルに移動する。そこには今日の分の資料が乗っている。
そして二人でテーブルを挟んで着席すると、「はじめよう」と短く宣言するのだ。

同じ資料を使っての講義(生徒が私ひとりなのでこの表現は正しいのかどうか自信がない)なのに、ルヴァ様のそれとジュリアス様のそれは全く違う。教える人の雰囲気の違いも大きいのかもしれない。

 ×  ×  ×

ロザリアが女王にはならないことを考えはじめたとき、初めて見る心細げな表情で相談に来た彼女に「任せて」と言ったのはもちろん心からだ。おっかなびっくりはじめた育成もなんとなくコツがつかめてきたし、私から誰よりも大切な友達のためにできる最大の贈り物だと思ったから。そう、私が女王になればあのお似合いの二人は別れずにすむのだ。自分でもずいぶん頼りない女王だと思うけれど、ロザリアが補佐官として協力してくれるのならたぶん大丈夫、と腹をくくって。
そんなわけで、それから数日後ロザリア達が女王試験の辞退をディア様に告げに行ったとき、私も控えの間にいた。3人はかなり長い間話し合っていた。やっと扉が開いたと思ったら、ジュリアス様が呼ばれて部屋に入っていき、しばらくしてクラヴィス様も加わった。自他共に執務に興味がないと認めていてもやっぱりクラヴィス様は最重要メンバーなのだ、と私は今更のように感心した。
ロザリア達の助けになれるかもしれないと勢いに任せてついてきてしまったけれど、自分がここに来る必要などなかったのではないかと考えはじめた頃、私も部屋に呼ばれた。

長い話し合いのあとなので多少の疲れは見えるけれど、皆一様にすっきりした表情だというのが部屋に入ったときの第一印象だった。
「ここ3日でアンジェリークの女王のサクリアが急に増大していたのはそういうことだったのですね」ディア様の微笑みはあくまでも優しい。
「つまり宇宙もアンジェリークを女王と認めていると考えてよいだろう」
ジュリアス様の眉間にはくっきりと縦皺が刻まれていたけれど、覚悟していたほど厳しい言葉は出なかったのでほっとした。私はあまりにも知識に乏しい「なっていない」女王候補だったので、それまで彼からの言葉の8割ちかくはお小言だったのだ。

「女王試験は一応継続されることになりました。女王はアンジェリークに決まりましたけれど、時間の許す限りもう少し育成の実地研修をした方が良いからです。ですからこれからは育成で困ったら、アンジェリークはまずロザリアと相談しなさい。私や守護聖に尋ねるのはそのあとに。いいですね」
「そしてロザリアはスモルニィの女王クラスで学んだすべてをアンジェリークに教えてあげてください。そのほかにもアンジェリークは、ジュリアスとルヴァから宇宙と女王と聖地について色々教えてもらう必要があるでしょう。具体的な日程は今日中に決定して伝えます」

結局私は「はい」と返事する以外一言も話すことはなかったので、やはりついていく必要があったかどうか今も自信がない。

それ以来私はめっきり理屈っぽい。たぶんスモルニィの頃の友達にそんなことを言っても「想像できないにもほどがある」なんて笑い転げるばかりで信じてはもらえないだろうけれど。ディア様によると女王教育が始まったことと女王のサクリアの相乗効果なのだそうだ。「直観で」「大局的に」「論理的根拠を持って」「即断する」ことが必要な女王の仕事の中で、自分が特に弱かった論理面がフルに強化されているということなのだろうか。

 ×  ×  ×

今日の説明は守護聖についてだ。女王が大きく関わらざるを得ないのはその交代の時と任命式。なのに資料にはなぜか現守護聖のプロフィールデータが記されている。
「今日の資料を担当した事務方は誰なのだ。見当違いも甚だしい」と眉を吊り上げているジュリアス様。以前ならそれだけでこわいと感じていただろうけれど、最近は、実は彼は怒っているというより困っているのだということがわかってきた。なんだかちょっと可愛いかも、なんてこっそり思うときすらある。

首座に全否定された資料をそれでもちらりと覗く。身長体重誕生日血液型出身地趣味食べのものの好き嫌い。なんというか、ロザリアが降りるまでの女王試験中なら役立ったかもしれない。
用意してくれた事務方のためにも何かひとことコメントしたほうがいいだろうか。
「ジュリアス様ってもうすぐお誕生日なんですね。守護聖様たちってお誕生日はどうお祝いなさっているのですか」
その場の雰囲気をとりあえず変えるだけの軽い話題のつもりだったのに、ジュリアス様は真剣な顔でしばらく宙をにらんでから答えた。
「ことさら特別な祝いはない」
え、あの考え込み方でこの答えなのか、と思ったけれど、この人の発言はいつも慎重だ。とくにこうやって一対一で指導を受けるようになって、その傾向は加速気味だ。

「守護聖信仰のある星から生誕記念祭などに招かれたりすることはあるが、あくまで職務だ。そのうえ、現地暦での誕生日なので正直誕生日という実感は薄い」
「じゃあ私が女王様になったら、聖地でお誕生日のお祝いをしてもいいですか?」
「陛下直々のご厚意であれば臣下たる守護聖としては反対するいわれはないが、正直たいへん嬉しいものとは言い難い」
「はあ」一応日常雑談のつもりの会話で二重否定なんてレトリックを使われてしまうとは、なんというか、疲れる立場だな、女王って。
「我々は年を取るのが極端に遅い、というのもあるが、個人としての祝いに慣れていないともいえるからだ」
個人。たしかに、女王や守護聖はおおやけの存在なので個人として扱われる部分は小さくなる。「存在そのものに意味がある」と言われる状態では、公私の区別は本人がぴしりと線を引かないと限りなく曖昧になるものだ。
そんなことを一生懸命考えている私の様子に、もう少し説明が必要だと考えたのか、ジュリアス様の話は続く。

「幼い身で守護聖になったとき、厳しく言いつけられたのが、何かを欲しがらないことだった」
…聖地孤児院、なんて不謹慎な単語が脳裏に浮かぶ。
「基本的に聖地での暮らしは、ほしいという前に与えられるのだからと」
あ、全然逆ベクトルだった。そりゃそうか。
「実際まったくその通りだ」
羨ましいような可哀想なような話だ。
「たとえば視察に行って、何かが気に入ったとしても、はじめに与えられた以上に欲しがるのは罪なことだ」
罪。子ども相手に教えるには、何とも重すぎる単語。
「それは基本的に民に無理をさせることになるから」
そうか、確かにそうだ。でもそれって子どもが考えることじゃない。…どんなに幼くても、守護聖は子どもではないのだということなのか。

「物心つく頃からそのようであったので、私は、ああそれからたぶんクラヴィスも、何かを欲しいと明言することはほとんどないし、ほしいと思うこと自体にもむしろ罪悪感に近いものを感じるのだ」
生育環境ってこわい、と思わず小さくため息をついてしまった私の方をジュリアス様はちらりと見た。
そしてこの雑談に結論をつけて幕を引く。
「そなたも女王となるのだから、その言葉の重みをよく考えなくてはならない」

「気をつけます」だって他に返事のしようがない。
偶然こんな話になるまで考えてもいなかったのだ。宇宙を守り育てる、という女王の役目についてはみっちり勉強しているつもりだったけれど、その日常の重さについてまでは。

そして考える。
聖地が閉じた世界なのは、もちろん時の流れのことが一番大きいだろうけれど、女王や守護聖が穏やかにわがままが言える空間の確保という意味もあるのかもしれない、と。

どんどん暴走気味の考えにのめり込んでいく私に、苦笑混じりの表情でジュリアス様が言う。
「とりあえず対外的にわがままは言えないというのは理解も覚悟もできると信じている。気をつけるべきなのは何かに対する執着や、なんというか、独占欲のようなものを匂わせてしまうことだな」
独占欲なんて思いもつかなかった単語が出てきて驚く。ああ、確かに、それはこの人から一番遠い単語の一つだ。今初めて気がついた。他の守護聖様たちについてはそこまでは思わないけれど。
同時にこうして定期的にこの人と向き合う時間を持つようになってきてから育ちはじめた感情に名前を与えられそうになって少したじろぐ。

「匂わせてもダメとは、かなり厳しいですね」
「我々の相手を務めるものは、普通の人間よりもそういったことに聡い傾向があるからな」
ただみんな守護聖様とか女王様に喜んでもらいたいと単純に考えているだけかもしれないのに、と思ったけれど、そのことでひとつの星の産業構成まで変わってしまう危険すらあることに思い至る。恐ろしい。
「もちろん聖地の中ではそこまで気にすることはないのだが、はじめのうちは慎重すぎるぐらいでちょうど良かろう」

それでも突然ひらめいたフレーズを試してみたくて、いたずらを仕掛けるように、少し上目遣いで聞いてみる。
「私の守護聖たち、はアリですよね」
「我らが女王陛下、があるように」即答した彼が少しほほえんでいるのは見間違いじゃない、と思う

こんな短いやりとりの中に、試験当初には少しも気がつかなかったジュリアス様の愛情深い性質が伺えるようになったのは、進歩だと思っていいのかわからない。洞察力や観察力がついてきたのなら良い傾向だけれど、結果として危険地帯に近づいている気もするから。
考えてみたら、物心ついてからの人生ほとんどすべてを宇宙なんてやたら広大な対象に捧げてきた人なのだ。愛情深くないはずがない。同じような立場のクラヴィス様よりも、ゆるぎなく守護聖らしくあるその分、思いは深く、その複雑さは増すのだろう。
なかなかそれが表に出ないのは、その表出を禁じられている、と少なくとも本人は考えているからのようだ。
誰も別に止めたり咎めたりしないだろうから、ジュリアス様もいろんなことをもっと表に出せばいいのに。ぼんやりと考えていた私は、ふと先週末の、ルヴァ様とジュリアス様とディア様の3人を前にしてのやりとりを思い出す。


「キーワード、ですか」
「そうですよー。自分がこれからどんな方針で宇宙を導いていくかを考えるとき、いくつかのキーワードを念頭に置くのは大切なことです」ルヴァ様が優しく言う。
「それは迷ったときの判断基準になるだろう」ジュリアス様も頷く。
「急に言われても言葉の持ち合わせが…」と焦る私に、ルヴァ様は説明する。
「よくあるのはそうですね、善とか美とか、そのあたりですかね」
ルヴァ様にヒントまで出してもらったのに、考えれば考えるほど頭の中が真っ白になってゆく。あまりにも考え込んでしまったわたしの様子に、ディア様はあきれた顔もせずただにこやかに
「ではこれは当分宿題にしておきましょう」といってくれた。ちょっと情けない。


「大好き」ぽろりと言葉がこぼれた。
ジュリアス様は一瞬目を瞠ったが、すぐに表情を消した。
「あ、ごめんなさい、突然ひらめいたものだから」
あからさまに不審げな視線が返されるのは無理もない。自分でも唐突だと思うもの。
「いえ、先週末の宿題のキーワードです。『大好き』ではどうでしょう」
ジュリアス様は無表情のまま固まっている。だけれどよく見れば、せっかく消えた眉間の縦皺がまたくっきり。

あまりにも唐突で説明不足だったと反省しつつ、付け足す。
「好きなものは好きでいいんじゃない、という世の中だったらいいなというか」
「…それが良いとそなたは考えているのか?」
「…良いかどうかはともかく、好きですね」
「…」

軽く瞑目して考えるジュリアス様を横目で見ながら、この眺めが女王の特権だと思うことで私の独占欲は満たされる、と実感する。
切望するがゆえの独占欲ではなく、望むことができること自体を確認するための、括弧つきの「独占欲」だけれど。

やがて、ため息を一つつくと、ジュリアス様はとても不本意そうに言う。
「宇宙が認めた女王が出した結論なのだから、私にとやかく言うことはできない。それでも指導役としての権限で可能なら、その案は『要再考』の判を押して突き返したいところだ」
「ダメってことですか?」
「個人的にはどうかと思う。宇宙を統べる女王の理念としてはいささか軽すぎまいか。だが、これは対外的に公表されるものではなく、そなたの心の中心に置かれる言葉なのだから、どうしてもダメだという権限は私にはない」
「じゃあOKと取ることにしますね」
「私が素直に賛成しかねたあたりの事情ももう少し慮ってもらいたい。だが実際問題、きわめて不本意だが、反対はできない」
仏頂面で返したあと、ふと表情を緩めて、付け足した。
「ただ、たいへんそなたらしくある気はする」
そして、挑むような微笑み。

それ、かなり反則な気がする。私は焦って、このキーワードに至った経緯を説明しようとするけれど、付け焼き刃の論理力と元からあまりない説得力が空回りするばかり。
「愛って言ってもいいけれど気恥ずかしいじゃありませんか。私らしい言葉でこの気持ちを伝えるならやっぱりこれしかないかと思うんですよ。はじめは『善』と『快』かなとも思ったんですけれど」
「私にはそのほうがよほどましだと思えるが」
え、マシってことはそれもほめられたものじゃないって言うこと?要求水準高すぎです、と思いながらなおも焦る。
「ジュリアス様がおっしゃった、迷ったときの判断基準、だったら、こっちなんです。『快』はともかく、『善』は迷ったときにはますます迷いを深くさせるに違いないってほぼ確信できるし」
「確信されても」
「とにかくこれが一番しっくり来るんですってば。自分でもどうかと思うけれど、それが一番の根拠なんですよ実際」
こういうごり押しはしてはいけないわがままに含まれるのだろうか。だけれど、ちゃんと、伝えなきゃ。伝えてはいけない何かもこっそりセットにして。

「宇宙を導くという、これ以上ない『公』のキーワードが、きわめて個人的な主観による『大好き』だということも、私が私の宇宙を本当に好きだからですよ…って、なんかすでに論理が破綻している?!」
ここはかっこよく決めるはずだったのに、なんともしまらない。

それでも一人で混乱している私の様子がおかしかったのか小さく声を上げて笑ったジュリアス様は
「そなたらしい、良い宇宙が育ちそうだな。私も尽力したい」と簡潔にまとめると、
「それでは、本題に入ろうか」と、そもそもなぜ守護聖が置かれるようになったか、から説明が始まる。

ああ、この宇宙も、私を支えてくれるすべても、ジュリアス様も大好き。
改めてしみじみそう思い、私はノートを取り始めるのだった。

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