三文字の漢字で三十のお題・09「理想像」
ほほえみ


「よう」
公園でオスカーが親しげに声をかけてきたので、リュミエールはひそかに最大限の警戒態勢に入った。

「聞いたぜ。お嬢ちゃんの理想はお前らしいじゃないか。全くうらやましい限りだな」

笑顔の底に潜むものを敏感に察知したリュミエールは一瞬ぎりりと奥歯をかみしめたあと、それでも最上級の微笑みを浮かべて答える。

「あなたにまでうらやましがられるとは、光栄の至りです」

一歩も引く気がない様子を見て取ったオスカーは
「流石だな。しかしお嬢ちゃんにその微笑みを見られたら、俺たち他の者の出る幕がますます無くなりそうだ」
と、その場をさっさと離れていった。

いま、鼻で、笑いましたね。

悔しいと思ってしまう自分が情けなくなったリュミエールは、心を静めようと携えていたハープを爪弾きはじめるのだった。
晴天の公園にハープの穏やかな調べが流れる。


ようやく平常心を取り戻した頃、女王候補が駆け寄り、目を輝かせてさっきの演奏への賛辞を並べた。その愛らしい様子は、ささくれた気持ちを癒してくれる。だが、穏やかな時間はそう長くは続かない。
通りがかったマルセルが女王候補に声をかけたのだ。


「リュミエール様、こんにちは。アンジェリーク、今日は憧れのリュミエール様と一緒なんだね」

「きゃっ、マルセル様!そんな恥ずかしいこと大声で言っちゃダメですって」

「ふふっ、ゴメンゴメン」


「それに、リュミエール様は私のこうなりたい理想像なんですから、そんな風にからかうのは筋違いですよ」

「そうだったね。どう、理想に近づけそう?」

「ぜーんぜん。でも、いいんです。理想を持つことそのものが大切だってスモルニイの先生もおっしゃってましたし」

「そうなんだ。じゃ、僕は行くね。またね、アンジェリーク。失礼しました、リュミエール様」


マルセルがすっかり見えなくなるとアンジェリークは大きくため息をついた。


「リュミエール様、ごめんなさい。私が昨日うっかり変なこと言ってしまったばっかりに」

「ふふ、おかげで皆からうらやましがられていますよ。可愛い女王候補の心を射止めたかどで」

「もう、そんなんじゃないっていくら説明しても聞いてもらえないんだから。本当に困っちゃう。理想って『なりたい私』のことのつもりだったのになぁ」

「どちらにしても光栄至極というところでしょうね」今度は自然に笑みが浮かぶ。

その極上の笑みに見とれたアンジェリークは、

「わたしもそんな風に美しいお心があふれ出すような笑顔ができるようになりたいです。育成も自分磨きもがんばらなくっちゃ」というと一礼して駆け出した。

そこはどちらかというと走るのではなくて優雅に歩くところなのでは、と声をかけようにもすでに届きそうにない。

美しい心、ですか。一体彼女の目にはどんな私が映っているのでしょう。
リュミエールは心底心配になってくるのだった。



昨日のお茶の時間、ルヴァのところにいたのは部屋の主の他、リュミエールとオリヴィエとゼフェルとアンジェリーク。オリヴィエに

「アンジェリーク、気のせいかあんたリュミエールを追っかけ回してない?」

と単刀直入すぎる質問を受けたアンジェリークはそれでもきわめて真面目な口調で

「リュミエール様は私の理想なんです。美しくて優雅で優しくて芯が強くって。だから少しでも近づきたくって」と答えた。

一呼吸置いたあとくすくす笑いはじめたオリヴィエを不思議そうな目で見てから、彼女はさらに

「美しいって言っても容姿じゃなくて、っていうか容姿も憧れといえばそうですけど、それはいくら何でも図々しいというか無理だから、せめてたたずまいというか人間性というか、そっちの面で少しでも近づきたいなって夢見ているんですよ。あ、でもそっちの方がもっと厚かましいような気もしてきました。だから当然無理、っていうかきっと絶対無理、かもしれないけれど理想だからそれでいいんです、たぶん」
とかなり支離滅裂気味な熱弁をふるい、

「ってどうしてご本人を前にこんなこと言わなくちゃならないんですか、わわわ」と顔を真っ赤にした。


この話はあっという間に広まった。アンジェリークに密かにあるいはおおっぴらに好意を寄せていた者たちは、これまで最大の障壁と標されていたリュミエールがもはや敵とは言いがたいことを知り安堵した。


リュミエール自身はひたすら戸惑っていた。彼自身は女王候補をそれ以上の何者とも思わずにいたつもりなので、この宣言はある意味ありがたいことのはずだったが、何か釈然としない。
クラヴィスは「面倒ごとのない好意、だな」と評した。なるほどそうなのだろうとは思う。これはむしろ歓迎すべきことだと。
しかし、どこか納得がいかない。有り体に言ってなんだか悔しい。
自分が彼女の恋愛対象外と確定したことで他者からの扱いが微妙なものになったせいもあるが、それだけではないような気がした。



執務室に戻ってもリュミエールの思考は、アンジェリークとの関係を思うときのこのもやもやの正体を巡って行きつ戻りつしていた。

「結局、一種の闘争心なのですね」と最終的に思い当たってため息をつく。
争いごとが大嫌いなはずの自分が、争いの輪から外されて疎外感を味わうなどという矛盾。むしろ見下されているとまで感じてしまう現状。
「私もまだまだ修行が足りない未熟者だったようですね」


それならいっそ、あらためて参戦するというのもありだろうか。
それは面倒ごとをひたすら避けてきた自分に時々感じていた自己嫌悪を振り切るのにも有効かもしれない。
もちろん無用な争いは今だって嫌いだと断言できる。それに今回は争うのではない。好意に応えるだけだ。

なにより、正直言ってあの場面で自分はとても嬉しかったのだ。あのきらきらした瞳で見つめられる幸福。全身で好意を表す彼女に対してむしろ愛しさを感じない方がおかしいだろう。否、本当はもっと前から自分の中で愛しく思う気持ちが育っていたに違いない。「そんなんじゃない」と断言された衝撃はだからきっとそこにあったのだ。

そして敬意は好意に、憧れは恋心に転じやすいのは経験で知っている。まだ幼さの残る彼女ならなおのこと。


「これは、まだ遅くないのかもしれません」
リュミエールは小さくこぶしを握りしめると、ふとデスクの上のフレームに自分が映り込んでいるのに気がつき、思いつく限り最高の微笑みを試してみるのだった。

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