三文字の漢字で三十のお題・08「既視感」
ともだち


  1


ノックの音がした。
「入れ」短く答えると、おずおずと茶色の髪の女王候補が入ってくる。
話に聞いていたように確かに顔色が良くないが、それはこちらからあえて触れることではない。
彼女は終始うつむき加減に育成を頼むと、ぺこぺこしながら部屋を出て行ってしまった。
まあ、ありがちな反応だ。
暗い部屋。無愛想な部屋の主。少女を萎縮させる立場の差とやら。
だから別に気分を害したりはしない。いやそれ以前に、女王候補にも女王試験にも、正直関心がない。積極的に避けたりはしない程度に。

数分もしないうちに、またノックの音がした。今度は音に先ほどより勢いがある。
入れ、と言おうとするより先に扉が開かれ、金の髪の女王候補が駆け寄ってくる。
「ワタシのことをお話しします!」
どうでもいいと、うんざりした気分を隠しもしていないのに、ひとり文字通り熱弁をふるう。しかも妙に嬉しそうに。
話が終わったあとも、すぐには帰らずに切り出す。
「さっきアンジェリークが来てましたよね?なんの話をしていたんですか?」
「…何も」隠しているのではなく、本当にそうなのだ。
しかしこの回答は気に入らなかったようで、とたんに表情を曇らせた彼女は、
「ああ、もう、ガード堅いなあ」とぼそりとつぶやき、それでも「ありがとうございました」とテンション高めに挨拶してから行ってしまった。

試験開始以来、このようなことが続いている。勝ち気な娘は、競争相手の動向がかなり気になるのだろうか。ご苦労なことだ。気の弱い娘が、あからさまに気が進まない様子で、それでも毎度この部屋にやってくるのは、聖獣とやらが闇の力を欲しているかららしい。

またノックだ。龍族の少年が扉から顔だけ出して、嬉しそうに白い歯を見せて笑う。
無言で頷くと飛び跳ねるように駆け寄ってきて、部屋の隅に積んである一番大きなクッションを運んできて隣に来た。
どういう訳かこの子は自分のことを気に入っているらしく、毎日やってくる。
同じく水晶球を使う同志、とでも思っているのだろうか。ともかく彼によると、夜の星の力を借りる種族にとっては、闇は恐ろしいものではなくむしろ親しいものなのだそうだ。そのせいかきわめて親しげに口をきく。

「クラヴィス様、こんにちは!今日、アンジェ来た?」
「ああ」
「どうだった?元気になってた?」
「お前の言うとおり、顔色が良くなかった」
「やっぱり。…心配だな。だってメルが気づいてからもう2日経つのに」
どうやら少年はおとなしい性質の、茶色の髪の女王候補に肩入れしているらしい。
「メルね、こういう時、誰に何を頼めばいいのかわからないのが困るって思うの」
少なくとも、私は適任ではないのだが、それはわかっているのだろうか?
「…もうひとりも来たぞ」
「レイチェルはアンジェがすごく好きみたいだよね。アンジェって女の子にも好かれるんだな。とってもいい子だもんね」
…少年よ。落ち着け。そう内心で思いつつ、夢見るような彼の表情に、我知らず和まされている。
小鳥のさえずりのような、嬉しそうなひとり喋りを終えると、龍族の少年は満足した、とばかりに帰って行った。
龍族は人よりも鳥に近いものなのかも知れない、などと考えながら、見送りがてら扉を開けると隣室の同輩と目が合った。どうやら出先から帰ってきたところのようだ。
彼は一瞬はっとしたようだったが、すぐに曖昧な表情を浮かべると、視線を落として扉を閉めた。
これまでならこんな風に顔を合わせた時、「女王試験に非協力的だ」などと指摘され説教されることがままあった。しかし今の彼はまるで別人だ。

前回の試験でジュリアスは劇的な変化を遂げた。女王候補に惚れ込んでしまったのだ。
本人的にはおそらくものすごい苦悩の末、結局その相手アンジェリークを女王にしてしまったが、相手はある意味一枚上手で、女王就任後ジュリアスへの恋心を公言し、なし崩しに公認の恋人同士になってしまった。
恋愛というのはとてつもないパワーがあるらしく、ダイヤモンドより固いと思われていたジュリアスの思考と態度はずいぶん軟化してしまった。というわけで、長年相互不可侵を暗黙の前提としていた自分と彼との関係もそれなりに改善されたと言えるだろう。
ところが、今回の試験は、彼にとって青天の霹靂で、女王と補佐官の間だけで準備が進められたのだ。公私ともに女王陛下と最も近しく接していると自負していた彼は、このような重要事項において蚊帳の外に置かれたことに相当傷つき、その余波を引きずって試験に前回のように身を入れられずにいるらしい。長いつきあいで初めて見る彼の打たれ弱さに、恋愛沙汰は本当に人を変えるのだと実は少し驚いている。

そして夕方にもノックの音がした。リュミエールだ。慌ただしい一日を落ち着いた心で締めくくるべく、静かな曲を所望する。
「千客万来の日々が続いているようですね。みなさん、クラヴィス様がずいぶん試験に協力的だと喜んでらっしゃいますよ」
「…身に覚えがない」
リュミエールは微笑みを濃くすると、演奏をはじめたのだった。


 2


卵が孵り、試験は新しい段階に入った。
茶色の髪の女王候補もかなり聖地での日常に馴染んできたらしく、最近では依頼だけでなく、話をしに来るようになってきた。
相変わらず彼女が来るとその直後必ずもうひとりも来る。そして何を話したか聞き出そうとするのだ。別に隠すこともないので教えてやるときわめて上機嫌だ。

何度かそんなことが繰り返された頃、茶色の髪の女王候補が尋ねた。
「私が来たあとレイチェルも来ていますか?」
頷くと長いため息をつく。
「本当、わからないんですよね。すごく追い回されてる気がするんです。お休みになると私の部屋に遊びに来て、さんざん自慢話して帰って行くし。これって精神的に追い詰める作戦なの?って思ってしまいますよ。やっぱり手加減して、なんてうっかり言ってしまったのが良くなかったのかな、とも」
「手加減?」
「初めての顔合わせの時、『手加減して欲しい?』って言われたんですよ。で、突然のことで訳がわからなくて、とりあえずにっこり笑っておいたら、手加減してくれって頼んだことになっていたみたいで」
それは初耳だ。やたらと試験の進行状況や女王候補たちのことに詳しく、頼みもしないのに毎日いろいろな情報を届けてくる龍族の少年からもこれまでそんな話は出なかった。
「とにかくこっちの罪悪感や劣等感のせいだと思うのだけれど、なんか恐いんです」
「わざとそういうことをする人間には見えんが」
「そうでしょうか…やっぱり疲れているんでしょうか、私」
「聖獣よりもお前にこそ闇の力が必要なのかも知れぬな」
胸につかえていたことを吐き出してずいぶんすっきりしたらしく、来たときより幾分元気になって彼女は帰っていった。

案の定、続けてもうひとりも来た。
例によってどんな会話を交わしたか聞いてきたのだが、困った。正直に言うのはいくら何でも気が引ける。なので、あまり気が進まないながらも、逆に質問してみる。
「いつももうひとりの候補のことを尋ねるようだが、競争相手というのは、そのように気になるものなのか?」
「競争相手?あ、もしかしてアンジェリークのこと?えっと、もしかしてワタシ、なんか誤解されてます?」と困った表情になる。
「ワタシ、同年代の女の子とつきあうの10年ぶりぐらいで、っていうかほぼ初めてで、接し方がよくわからないんですよね」
「ほう」
「ほら、6歳で王立研究院併設のアカデミーに編入したから、学校の知り合いは皆うんと年上で」
大人の中の子ども。…どこかで聞いたような話だ。
「だからアンジェリークと友達づきあいするのがすごく新鮮で楽しいんですヨ!彼女のこといろいろ知りたいんだけれど、あの子あまり自己主張しないタイプだから難しくて」
「休日ごとに部屋に行っているとか」
「そりゃもう基本じゃないですか。押しの一手です」
「部屋でどんなことを?」
「んー、ワタシとお友達だったらこういう良いことがあるよ!っていう感じに自己アピールしまくっているつもりなんだけれど」
「けれど?」
「最近アンジェリークの反応が薄くなっていて、ちょっと寂しいというか失敗したかもと言うか」

自慢ではないが幼い頃から友人などほとんど無い。誰かと友達になりたくて行動したこともない。しかし、彼女が間違っていることだけはわかる。こんな場合、どうすればいいのだろうか。
もちろん私には全く関係のない話だから、放置すればよいのだとは思うが、このまま金の髪の女王候補が暴走し続けると、どちらの少女にとってもつらいことになりそうだ。

「クラヴィス様、実際どうだと思います?」当の本人なりに問題は感じているようだが、全然足りない。しかしどう指摘したものか。
「女子どもの世界はわからん」
「やだー、古くさくて失礼な言い回し」
そのあともたくさんの言葉をまき散らし、満足して帰って行ったようなのが正直よくわからなかった。

手を貸す義理も趣味もないが、間違いを正すわけには行かぬものか。
程なく訪れた龍族の少年を見て、唐突に彼に話してみようと思いついた。

「うん、レイチェルはアンジェリークが大好きなんだって。
お友達同士でもおまじないできるよって教えてあげたら、毎日おまじないに来ていたんだよ。
だから今のふたりものすごく相性は良いはずなんだけれど…」
「だが、アンジェリークはレイチェルを恐れているようだ。なにやら精神的に追い詰められているらしい」
「ええっ、そうなの?難しいなあ。メル一生懸命おまじないしたはずなのに」
「お前が責任を感じることは何もない」
「でもなんとかしたいよ。おまじないだけじゃダメだって事なんだもの」
「…それなら、できればレイチェルに、お前のそのやり方は間違っていると言ってやってくれまいか」
「レイチェルにアドバイスするの?そんなことメルにできるかな」
「これ以上の適任はないと思う」
「アンジェには?」
「レイチェルが本当に仲良くしたがっていることを伝えてやってくれ。誤解のままでは双方が哀れだ」
アンジェリークのためでもあることを理解した彼は俄然やる気が出たようだった。
「うん。じゃあ、まかせて。メルがんばるから」
握り拳を作って意気揚々と部屋から出て行くのを見送る。入れ替わりのようにリュミエールがやってくるのが見える。

こちらの執務室の勝手を知り尽くしているリュミエールは、ルヴァから分けてもらったというお茶を入れながら言った。
「メルは本当に可愛らしい子ですね。クラヴィス様のことをたいへん尊敬しているらしく、占いの館に来る皆にクラヴィス様がいかに女王候補たちの心の平安に気配りなさっているかを力説していますよ」
そ、そんなことがあったのか。
「それでなくても、全体に、今回の女王試験はジュリアス様があまり関わらない分クラヴィス様が大活躍なさっている、という見方が主流のようですね」
ああ、世間の口というものは。自分の部屋なのに、その日はそれ以降ずっと居心地が悪かった。


 3


メルは本当にがんばってくれたらしく、ほどなく女王候補たちの仲はすっかり改善された。
いや、すっかりというには語弊がある。アンジェリークのレイチェルに対する苦手意識は払拭されていないのだから。
それでもレイチェルは大喜びだ。どうも恩人認定されたらしく、闇の力での育成が一段落してしまったらしいアンジェリークがあまり姿を見せなくなってしまったというのに、毎日執務室に通ってくるようになった。
そして話すのはアンジェリークのことだ。毎日のろけ話を聞かされている、とでも言えばいいのか。
正直内容には興味はないが、幸せそうなレイチェルを見るのは悪くない。おさなごの無邪気な微笑みが万人を癒すのに似ている。

レイチェルの来る頻度が上がるのと同時にメルが来る頻度が下がった。しかしメル自身の弁ではこの二つに相関性はないらしい。
「協力者のお仕事がたいへんだって言うのは深い意味があったんだね」
「心とか気持ちを扱うっていうのがどういう事か、メルちゃんとわかってなかった気がするの。もっと勉強しなくちゃね」
真面目な表情でとつとつと語る少年は、少年期の終わりを迎えているのかも知れなかった。

その言葉の意味を知ったのはレイチェルの報告からだ。
「ワタシ、こういう時お友達としてどうするべきかよくわからない」彼女の喜怒哀楽を支配するのはもちろんアンジェリークだ。
「どうもアンジェ、好きな人がいるみたいなんです。すごく、すごく応援してあげたい。でも、自分に何ができるのか見当もつかないんですよね」
ああそうか、あの小さな占い師は、思い人の思い人を知ってしまったのか。確かに占い師というのは微妙な立場だ。

「どうしたらいいと思います?」
「何もしないことだな」と正直に答える。
「えええ?だって、ワタシだってお友達として役に立ちたいじゃありませんか!そうでしょ?」
「黙って見守ることが一番の思いやりだと言うこともあるのだ。自分に置き換えて考えるのだな」
「だってワタシ恋なんてしたことナイし」…想像はついていたが。
「ならばなおさら、見守るしかあるまい」

この回答はずいぶん彼女の不興を買ったらしく、その後の訪問がぱたりと止んだ。
結局レイチェルはアンジェリークの思い人に関する集められる限りの情報を集め、分析レポートまでつけてアンジェリークに渡したらしい。それが彼女の思いついた協力の内容だったのだ。

レイチェルがすっかりしおれ果ててこの執務室に来るまで、あまり長くはなかった。
「思いきり叱られちゃった。よけいなコトしないでって」だから警告したのだ。
「おとなしいと思っていたけれど、アンジェリークって怒るととっても恐かった」ああいうタイプは得てしてそういうものだ。
「ワタシただ役に立ちたかっただけなのに、って言ったら、だからよけいにダメだって」
おや、アンジェリークという娘、実にレイチェルのことをよくわかっている。
「そら見ろ」
「もう、クラヴィス様までそんなコト。ああもう、どこをどうミスしたんだろう」
「とにかく謝って来るがいい。どうせまだ謝っていないのだろう」
「ええ?ワタシ悪くないのに?」
「大人の言うことは聞くものだ」
意地っ張りではあるが存外素直な質らしく、レイチェルはふくれ面のなごりを表情に残したまま、アンジェリークの元に向かった。

翌日喜色満面でやって来たレイチェルは、この件でより友情が深まったのだとたいそう自慢した。自慢するようなことではないと思うのだが。
「でも気がついたんです。アンジェの役に立ちたかったとか応援したかったとか言っていたけれど、要するにアンジェリークが好きな人にかまけてワタシのことを放って置くんじゃないかというのがこわかったんだって」
「一緒に女王試験をがんばるって約束したつもりだったのに、途中で降りられたりでもしたらワタシどうすればいいかわからない。それをちょっと正当化したかっただけだって」

いきなり、これまでレイチェルと接しているときにうっすらと感じていたものの正体が判明した。
既視感だ。
彼女の行動の何もかもが、あまりにも似ている。幼かった頃のジュリアスに。

自慢にしか聞こえない話を続ける。こちらの意向を無視して自分の計画を押しつける。せかす。つきまとう。やたら意見する。

そうか。私がたいへん苦手としていたあの言動の底には、レイチェルがアンジェリークに対して抱いているものに似た、暑苦しいほどの好意があったのか。
はじめ過去の私同様レイチェルを苦手としていたアンジェリークは、彼女の真意に気づいて上手くレイチェルと関係を構築できたが、自分にはできなかった。
我々の間には、メルが居なかったのだ。
そして先ほどのレイチェルの告白で悟った。我々の間のわだかまりを確固たるものにした前々回の女王試験の件にも、共に女王を支えようというメッセージが根底にあったのだ。

「クラヴィス様には何度も本当にお世話になってしまって。感謝しているんですヨ」
「そうか。ならもう少し意見を聞くんだな」
感謝しているのはむしろこちらだ、などは言わなくていい。

とりあえず、今日はじっくり隣室の同僚と話し込むとしよう。
目の前の少女については、そうだな、友情の他にも教えてやれることが色々ありそうだ。
「クラヴィス様、なんだか今日はすごく嬉しそう」
…たぶん、明日以降も。
その想像は、久しぶりに心を文字通り躍らせるものなのだった。

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