三文字の漢字で三十のお題・07「光合成」
かなへび     


前夜突然思いついて、セイランは朝早くから紙束と最低限の画材を持って聖地の中を歩き回り、思いつく限りの場所でフロッタージュをとり、めぼしい木の葉や木の枝を集めた。戦利品は部屋に帰って作品づくりの材料にするのだ。
1時間あまりも経つと採集活動も一段落したので、開店前のカフェの隅を勝手に借りて休むことにする。


しばらくすると、女王候補のアンジェリークがふらふらと庭園に入ってきた。例によってセイランはとくに自分から声を掛けたりしなかったが、てっきり目ざとく彼を見つけて駆け寄って挨拶しに来ると思っていた彼女が、彼に気がつきもしないでまっすぐ右手の噴水に近寄ると縁石に腰を下ろしたのはちょっと意外だった。というわけで、以降セイランは意図せずして少し離れた場所から彼女を観察するていになってしまったのだった。


アンジェリークははじめうつむいて足をぶらぶらさせていたが、やがて大げさな身振りで深呼吸を数回すると、天を仰いだ。両手を少し広げ気味に、少し胸を反らし加減にしたその姿勢は、より多くの光を受け止めようとしているようだ。陽ざしを浴びて彼女の頬が白く光る。ふむ、悪くないと思わず口にしたセイランは自分が声を出してしまったことに気がついて眉をひそめた。


ほどよく暖まった空気と噴水の音の単調なリズムが効いたのか、そのうち彼女はうつらうつらとまどろみはじめた。頼りなげな腕二本で身体を支えたその不安定な姿勢は、銃にもたれて休息する戦士の図を思い起こさせる。うっかり失念していたけれど女王試験もある種の戦いだったっけ、とセイランは思う。だけれどその戦士の休息は本当に束の間だったようで、大きく船をこいだ拍子に支えにしていた腕ががくりと崩れ、身体が大きく傾いたあげく縁石から転げそうになったアンジェリークは、飛び跳ねんばかりに慌てて体勢を立て直す。誰かに見られなかったかときょろきょろ辺りを見回してはみるが、半覚醒状態のせいか、まだセイランには気がつかないようだ。そしてまた、今度は少し背中を丸め気味にじっとうずくまるように座り、再び小さく船を漕ぎ続けるのだった。



不意に占い師が庭園に入ってきた。すぐに彼女に気がつくと、「アンジェリーク!」と嬉しそうに声を掛けて駆け寄ってくる。全くアレは出来ない芸当だな、とセイランはひそかに苦笑う。細やかな気遣いと無神経とも取れる大胆さを同居させることがあんな風に可能だなんて。

「何してたの、アンジェリーク」

「ちょっと光合成とか」

「ええ?!」

「ほら、この場所すごく日当たりがいいでしょ。噴水の涼しい雰囲気もいいし、この石の座るとちょっとひんやりした感じも好きなんで、庭園の中で一番のお気に入りなんです。誰もいないようだから今日はお気に入りの場所独り占めってことで。で、ひなたぼっこしてたって言うとサボっていたのが丸わかりだからちょっと前向きな感じを出そうと光合成ってことで」

「ふふ、面白い言い方だね。でもよかった、アンジェリークが元気で。なんだかこの頃顔色が良くないみたいでメルちょっと心配だったんだよ」

「え、別に私はずっと元気ですよ。おかしいなあ。顔色、ね。あ、もしかしたら占いの館の照明って必要以上に色白美人に見えちゃうってことかな?だとしたらなんかいいこと聞いちゃったかも」

「照明のせいだったの?そっかなあ?でも今日のアンジェは本当に元気みたいだし、安心したよ」



違うな、とセイランは断じる。先日自習中にレイチェルとふざけてアカンベしていた時にはっきり確信したのだが、彼女は貧血だ。聖地には病気がないと聞くが、体質までは変えられないらしい。
しかし見かけによらず手強い彼女にあっさり丸め込まれているのはどうもいけない。もっとしっかりしてくれなきゃ、敵と見なすことも出来ない。おっと、敵ってなんだ。僕は誰になんの戦いを挑んでいるというのだ、全く。


そんなことを思っているうちにメルとアンジェリークは会話を終えたようだ。メルが「セイランさーん」と嬉しそうに手を振ったので軽く片手を上げたら、そのときはじめて彼の存在に気づいたらしいアンジェリークは心底驚いた顔をした。メルはそのまま研究院の方に走っていってしまった。


「セイラン様、いらしたんですか」

「いたよ、君が来る前から」

「え?じゃあ、えっと、見てました?」

「光合成の過程なら一通りね」

「うひゃー」

手で顔を覆ったアンジェリークに言う。

「そこで待っていて。急ぎの用はないだろ」


そしてすでに開店していたカフェの店員に二言三言声を掛けたあと、セイランはアンジェリークのところまで来て隣に腰を下ろした。


「うん、確かにこの位置は絶妙だね」

「そうでしょう。でもここがベストなのは朝のうちで、お昼ごろは東屋のほうがおすすめだし、そのあとはあっちの噴水の方がいいんですよ」

「流石に半年も聖地にいるとおすすめ観光ガイドが書けそうな勢いだね」

「あ、それ面白いかも。あっちに帰ったら本当に書こっと。そのときはコネのある出版社紹介して下さいね、セイラン様」


二人でくすくす笑っていると、カフェの店員が先ほどのセイランの注文を届けた。セイランは2つ並んだハーブティーのひとつをアンジェリークに差し出した。

「光合成には水分が必要だと思ってね。ミネラルウォーターと迷ったけれど、それは鉄分が豊富らしいから、たぶん君に今一番必要なものだ」

「ありがとうございます」

とびきりの笑顔でハーブティーを受け取ったアンジェリークは、黙ってしばらくカップの中を見つめ、その温かみを両手で楽しんでいる。やがて少し冷めてきた頃、一気にカップの中を飲み干して「うー、五臓六腑にしみわたるって感じ」と言うと立ち上がった。

「セイラン様、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。さあ、たっぷり光合成したからエネルギー満タン!育成に行ってきまーす」

「ああ、転ばないようにね」



彼女の後ろ姿を目で追いながらセイランは思う。光合成なんかじゃない。だって彼女は花でも木でも草でもないもの。あれはむしろ爬虫類だ。ゆっくり日光浴して身体を温めてから狩りに出かける、とかげやかなへび。しっぽを捕まえたと思ったのにするりと逃げてしまうところなんかとくに。でも、一見地味なのに長いしっぽが妙に誘っているように見えるかなへびが一番近いかな。

と、アンジェリークが突然振り向いて満面の笑顔でセイランに手を振る。参ったな。僕が目で追っていることを確信しているよ。しかもきわめて残念なことにその通りなんだ。



盛大にため息をついたあとセイランも立ち上がって自室に向かうことにした。女王候補の健康問題について補佐官に進言すべきかどうか迷うが、とりあえずくだんのハーブティーを女王候補寮のキッチンに届けておくことだけは決めた。
そして、今のやりとりで突然わき上がってきた次回作の、どこにどういう風に今日集めた素材たちを使えばいいのかを検討しはじめるのだった。もちろん、題材は、かなへび。いずれお姫様に変化するかは追々考えるとして。

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このコレットちゃんは勝ち気ちゃんもしくは勝ち気寄りの元気ちゃんのつもりです。

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