三文字の漢字で三十のお題・04「揚羽蝶」
たしなみ


まだ明けやらぬ早朝の庭園、ヴィクトールは、ロードワークを終えて学芸館に向かう途中、噴水の縁に腰掛けて花壇脇の植え込みを眺めるオリヴィエを見かけた。

「おはようございます」
「おはよ。毎朝精が出るね。それとも、女王試験もうすぐ終わっちゃいそうだから、聖地をじっくり回るなら今のうちってこと?」

「いやその、試験のことは自分にはよくわかりませんが、走るのは単なる日課ですから。そういえばオリヴィエ様にこの時間帯にお会いするのは初めてですね」
「夢の守護聖としては夜中にお仕事しちゃってこーんな時間になっちゃうこともあるのよね、お肌荒れちゃうからヤなんだけど」
「それは…お疲れ様です」

オリヴィエは再び花壇脇に目を戻す。一心に見つめる先、葉陰の細い小枝に何かいる。
「これをご覧になっていたのですか」
「そ。キレイだよね、いろんな意味でさ」
ヴィクトールも黙って同じところを見た。羽化したての揚羽蝶がじっと止まっている。まだ羽が乾ききっていないようだ。

「チョウチョ捕まえたことある?」オリヴィエが突然問う。
「子供の頃のことですが」
「子供は追いかけ回して籠に入れてそれでおしまい。大人は違う。コレクターはね、捕ったらその場で殺すのさ」
何故そんな話をするのか、いぶかしく思う気持ちが顔に出たかもしれない、と心配するヴィクトールの方を横目で見て、オリヴィエは続ける。

「子供はそれを残酷だっていうけど。でも子供の方は気まぐれで追いかけ回して、羽をボロボロにしてしまったあげく、捕まえるだけ捕まえたら、あとはただ死なせてしまう。大人は、本当に必要な時以外は眺めるだけで済ます。」
「はぁ」なんと答えていいか解らず言葉を濁す。

「だから、蝶を捕まえるなら静かに一気に最後までやり抜くのが大人のたしなみなのさ。そうだろ、ヴィクトール」
ああ、そういうことなのか。やはりこの方は鋭い。だが、素知らぬふりでヴィクトールは答える。

「オリヴィエ様が蝶にもお詳しいとは存じ上げませんでした」

「ふふ、この世のキレイな物は全部私の管轄なんだよ。チョウチョだって、大人になりかけの女の子だって、世間で言う純愛ってヤツだってね」

そう言いながら立ち上がると、オリヴィエは、じゃ、と手をひらひらさせながら、振り向きもせず私邸の方に向かって歩き出した。

「ありがとうございました」と声を掛けたあと、ヴィクトールも部屋へと向かう。
もう迷うのは止めて、今日こそは彼女を湖に誘い、すべてに決着をつけるべきだとあらためて決心して。

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