*この作品は、2000番目の迷子、ゆきやなぎ様にお贈りいたします。

ゆきやなぎ・はらはら


3年に上がる前後の変化がこうも劇的なものだとは、認識不足だった、と佐野は痛感する。

といっても、煎じ詰めれば、変わったところは二つしかないのだが。寮が個室になったことと、時間割に「選択科目」という時間が加わったことと。
だからこそ、ちょっと軽く考えすぎていたのだ。

まず、寮の部屋。3年生は一人部屋なんだから、当然これまでずっと一緒に寝起きしていた瑞稀とは別々になる。これは以前からしっかり解っていたことなので、当然覚悟はしていた。でも、実際一人部屋になってしまうと、何という喪失感の大きさ。
何もない空間に押しつぶされそうなあの感じ。
自分がこれまで保っていた特別な地位のひとつ、芦屋瑞稀のルームメイトであること、を手放したことの精神的痛手。

常に共にあったあの500日あまりは、ほとんど奇跡だったのだ、と身にしみて思った頃にはもうとっくに遅すぎたのだった。

とりあえず勉強に集中できるかも、と最初は自分に言い聞かせたりもした。しかし、落ち着かないのだ。なぜだか全然集中できない。
今回の事で何かメリットがあるとしたら……簡単には思いつかないが……彼女の名を口走ってしまっても、とがめ問いただす者がいない、ぐらいだろうか。

加えて、授業もだ。選択科目によって、クラスは有名無実になりつつある。(と言っても授業の半分以上は従来のままのクラス単位で行われるのだが。)幸い、3月の時点で進路の確定しきっていなかった二人は、つぶしの利く時間割を組むように指導されていたので、選択科目も共通の物が多いのだが、それでも週に何時間かは、別々に授業を受ける。

教室を眺め回しても、少し茶色がかった髪が風に揺れて光るさまや、プリントを回すときなどに後ろを向いたついでに佐野の方をちらりと見やる仕草や、指名されてはきはきと答える様子などは絶対に見ることができない。

その分選択科目でない教科の時、ふと気がつくと瑞稀をじいっと見つめている自分に自分でも少々あきれはてているのだった。

そうだ。離れてみるとよくわかる。自分の毎日が、生活が、すべてが、こんなにも彼女の存在に浸潤されていたと言うことに。決して失ってしまったわけではない。現に毎日顔を合わせるし、話だってする。それどころか、たぶん学校内で佐野と一番よく言葉を交わすのは芦屋瑞稀である、と言う事実は、進級してからも何ら変わることはない。

それでも、今の状態は絶対「違う」のだ。

独占欲が強いのは自覚済みではあったが、自分がこんなにも情熱家であったとは。

いや、そうではなく。
自分の中からでてくるもの、と言うより。
ひとつの方向性を持って導かれる、想い、または、チカラ。

この想いは既に熱を帯び、膨らみ、いつか暴発してしまわないか。
彼女の秘密が露見することと自分が暴走することと、どっちが破局としてましなのか、などと自虐的に考えたりもしてしまうのだった。


久しぶりに部活のない日。佐野はもしかしたら今日は一緒に寮に帰れるかも、と淡い期待をしていたのだが、間の悪いことに瑞稀は学年主任にして進路指導担当の一人でもあるはぜどんに呼び出しを食らっていた。当てが外れて一人で帰りながら、こうやって、少しずつ離れていることに慣れて行くものなのか、と思う。そうこうしているうちに、決定的に離れてしまう日も、確実にやってくるのだから。……どうあがいたところで。

4月の天気は不安定で、今日も時折強い風が吹く。雨になるな、とまだらに雲のかかった空を見て思う。裕次郎の散歩はちょっと早めに行こう。雨が降る前に。この妙ちきりんな天気がそのまま自分のもやもやとした気分を具現しているような気がして、佐野はしばらく空を眺めていたが、やがて決心したように寮への道を急いだ。


雨になる、と言う自分の勘を信じて、きちんと雨支度して裕次郎を連れ出す。と言っても、折り畳み傘を持参プラス防水仕様の上着を着る、と言うだけの話だが。
小走りで進みながら考えるのは、やはり彼女のことで。あいつの進路なんてどうでもいいけれど、こう何度も呼び出しがかかる事態だって言うのに、周囲に何の説明もないなんて。否。自分はくやしいのだ。この一件について完全に蚊帳の外におかれている自分が。そして、全然彼女の中の「特別」でない自分が。

あーんなにぼーっとしているくせに、秘密主義だなんて反則だぜ。そう心でつぶやいたのが古来言い習わされている、誰かと顔をあわすためのとっておきのワザ、「呼ぶよりそしれ」にヒットしたのだろうか、散歩をはじめて3分、佐野は寮へ帰る途中の瑞稀とばったり出くわしたのだった。
いや、ばったりというのは嘘だ。もしかすると会えるのでは、と思って、学校と寮の間のいつもの道を散歩コースに設定したのだから。

「えええ?今日はもう散歩に出てんの?おれが連れていこうと思ってたのに」
情けない声で叫ぶと、嬉しそうに裕次郎に駆け寄る瑞稀。
「こんな天気だからな」
「そっか。……そうだね」

瑞稀は空を仰ぎ見てしばらく考えていたが、
「おれも一緒に行きたいけれど、待っててくんない?カバンおいてくるから」
「そのままでついて来いよ」
「うーん……よし!そうしよっと!」
どうやら捕獲に成功してしまったようで、佐野はなんだかほっとする。

瑞稀は通学姿そのままで、佐野の隣をついてくる。
「なんかこういうのって久しぶりだねー」
「ああ」
今日の呼び出しのことを尋ねてみようか、と一瞬考えるが、いつも彼女がそうしてくれたように、自分も待とう、と結論する。

それから二人は無言で裕次郎について行く。黄昏時の空も、今日はずいぶん奇妙な色合いで、なにかまわりの景色を非現実的に見せている。

せっかくだから、少しだけ遠回りしようか。
ふと思いついて佐野は先日発見した場所に裕次郎を誘導した。
住宅が並ぶ中の細い路地をいくつか曲がり、短い坂を上ると、あたりは急に開けて、そこは土手の上である。目の前の柵の向こうには小さな川が流れていた。
柵のきわには、植わっているのか生えているのか、10本ちかくの雪柳が並んでいて、その花は、桜で言うと満開を少し過ぎた「散り初め」の風情だった。

「うわー、綺麗……」雪柳の前で嬉しそうに足を止める瑞稀。

蒸し暑くなってきた。遠くで稲妻が小さく閃く。遠すぎるのか、雷鳴は聞こえない。ただ空のその部分が周囲よりうんと暗くなっていて、そしてその暗い部分の面積はどんどん拡大しているようだ。

風が雪柳を時々揺する。そのたびに小さな花びらがはらはらと散り、舞い上がり、渦となる。瑞稀は花びらの渦に手を伸ばし、花と空とを交互に見ている。ひらひらとあたりをただよう無数の白い小さな花びらは、今や瑞稀のまわりにもまといつきはじめている。
「すごーい」花に両手をさしのべたまま微笑む瑞稀を、佐野はぼんやりと見つめていた。

不意に。
突風が吹き抜け、雪柳を枝ごと全部持ち上げて、再び下に打ちつける。「ざ」と音がして、よりたくさんの花びらが小枝から放たれ、瑞稀の姿を覆う。

大きな稲妻が光り、数秒遅れて雷鳴がとどろいた。しかし雨はまだ降っていない。

こんな天気の夕暮れにはよくあるように、夕焼けになり損なった何色とも形容できない不思議な光があたりを包んでいる。その光の中、雪柳に囲まれて、その花びらに包まれた瑞稀は、この世のものではないように思えた。
手をさしのべたまま上を向いた姿が、今しも天上に帰ろうとするようで。


次の瞬間、佐野は背後から瑞稀を抱きしめていた。


直後に、再び吹いた突風には、大粒の雨が混じっていた。
ナナメに打ちつける雨。

我に返った佐野が手早く開いた折り畳み傘の内、他に遮るものが何もない土手の上で、佐野の防水仕様の上着にくるまるようにして、二人は一瞬の嵐をやり過ごした。
二人とも何も言わなかった。もっとも、なにか言っても雨音で聞こえなかっただろうが。

ものの5分も経たないうちに雨風はぴたりとやんだ。
佐野は無言のまま、ゆっくりと傘を畳む。
「……あっちへ行ったみたい」瑞稀が今度は北の空で光る稲妻を指さす。

ふたりはその後もずっと無言で寮まで帰ってきた。
裕次郎を小屋につなぐと、瑞稀の方を振り返った佐野は何でもないような顔でようやく言う。

「思ったより濡れないでよかった」
「うん。……あの……傘、ありがと」
「あんな傘でもナイよりましだったな」
「本当、助かった」

つ、と佐野が腕を伸ばす。
瑞稀はほんの少し身をすくめる。

「いっぱいついてる」ほら、と示した指先に、雪柳の花びら。
「本当だ。でも、なんだか取っちゃうの、もったいないね」
そんなものなのか、と佐野は不思議そうな顔をする。

「風邪引くなよ」
「うん、佐野もね」
「ああ」

他愛ない会話を交わして、廊下で別れる。
そして、部屋の扉を後ろ手で閉めて、大きく息をするのだった。


逢魔が刻、とはよく言ったものだ。そうだ、なにか魔性のものに誘われたのだ。
何も訊かれないでよかった。
もちろんきかれたところで、言えない。どこかへ行ってしまいそうで、こわかった、なぞとは。
……でも、どうしてあいつは何も言わなかったんだろう。


それからしばらく、花がすっかり散ってしまうまでの間、佐野も瑞稀も、学校の裏庭の雪柳のそばを通るときになぜかうつむいてしまっていることに気づいたものはなかった。
そう、本人たちでさえ。

(おしまい)


甘いシーンと風景描写はどっちも思い切り苦手なのだと、書いてみてよく解りました。
こんなのでごめんなさいね、ゆきやなぎ様。
これに懲りず次のリクエストもよろしくです。

しかし、3年生が一人部屋だなんて・・・

で、ついでに瑞稀サイドのお話も作りましたので、よかったら見ていってね。

瑞稀サイドのお話を見る

ちるだ舎に戻る