「ラタトゥユ」(後編)          by すばる


○カルディナ・ジェイドのアパート

玄関で頭の上に皿型の鳥の巣を載せた状態で立っているジェット。
ジェイド 「! ジェット、君はジェットじゃないか!?」
ジェット
「断っておくが、この鳥の巣は手土産ではない。顧客を待たせてはならない、という基本ルールに従ったことによる付随事項と認識してもらいたい」
ジェイド 「顧客?…」
ジェット
「俺は『今日もあなたに刺激とくつろぎを!』のキャッチコピーでおなじみ、ブラックペッパー協会から頼まれてきた」
と言い終わらないうちに秒速でキッチンに移動してポットが沸かしっぱなしになっているコンロの火を消すのだ。
そしてついでに照明も落とす。
ジェット 「これでも照度は十分に足りていると判断される。もし不都合があればエコモードレベルを下げることも可能だ」
ジェットの頭上では相変わらず小鳥たちが楽しげに鳴き競っている。
ジェイド 「とりあえずお茶にしようか…」
 × × ×
窓際に置かれた鳥の巣。
小さな折りたたみテーブルの上にお茶と豆大福が載せられている。それを無表情に見つめるジェット。
ジェイド
「(頭をかきつつ)『お手伝いさん』って聞いてたから、俺の中ではこんなイメージになっちゃったんだけど、食べてもらえるかな?」
ジェットのサングラスが豆大福をとらえると端に小さく数字が表示された。
ジェット 「220カロリーと出たので大丈夫だ」
ジェイド 「へえ〜便利なサングラスだね」
ジェット 「協会に要望を出せばレンタルも可能だが?」
ジェイド 「いや、俺は特に必要ないから…」
ジェット


「では契約条件の確認作業に入る。
 就労時間帯は午前10時から午後5時まで。
 契約期間はボスが野菜ソムリエ資格試験に合格するまでとする。現在セール期間につき、炊事、掃除、洗濯、買い物以外で3つまでオプション追加ができることになっているが、何か希望はあるか?」
ジェイド 「…そうだね…あとの2つは又考えることにして、とりあえず1つだけ希望はあるよ」
ジェット 「オプションは変更できない。その旨承知で追加項目を申告してもらいたい」
ジェイド 「俺のことは『ボス』じゃなくて『ジェイド』って呼んで欲しい。俺も君のことを『ジェット』と呼ばせてもらうから」
ジェット 「『ジェイド』…敬称略でいいということか」
ジェイド 「もちろんだよ」
ジェット 「…了解した、ジェイド」
と、出されたお茶を一気に飲み干す。

○カルディナ大学・並木道

樹の上に戻された鳥の巣を下から見上げているジェット。
ジェイド 「どうやらジェットの財団時の記憶は全て抹消されているようだ。当然俺と戦っていたことも」

○ジェイドのアパート(翌日)

机の前で問題集に取組むジェイド。
少し離れた場所では、腰から下の黒エプロン姿で床磨きしているジェット。
ジェット 「(小声で)その日、その時、汚れなく」
と、リズミカルにモップを動かすのだ。
 × × ×
ジェット 「首を傾げる角度62度、ベストタイミングと判断する」
と、折りたたみテーブルを抱えてジェイドに近づく。
ジェット 「ジェイド、ティータイムだ」
テーブルに出されるジャスミン茶とスルメ。
ジェイド 「う〜ん、いい香りだね」
ジェット 「ジャスミン茶だ。お茶請けには、噛めば噛むほど頭が良くなるスルメを選択した」
スルメを何度も噛みしめるジェイド。
ジェイド 「! 本当だ、早速君のオプション追加でいい考えが浮かんだよ、ジェット」

○ジェイドのアパート(数日後)

縫い物をしているジェット。ジェイドの姿はない。電話のベル。
T V電話の画面にアンジェリークが映し出される。
アンジェリーク 「(少し戸惑うが)…ジェットさんですね、アンジェリークです。ジェイドさんがお世話になってます」
ジェット 「アンジェリーク…この仕事の依頼主と判明した。感謝の意を表明する」 
アンジェリークの独白 「本当だわ、ジェイドさんが言ってた通り、私のこと覚えていないみたい…」
アンジェリーク
「そ、それはごていねいに…
 あのう、ジェイドさんは?」
ジェット
「ジェイドなら今製菓品を買出しに出かけている。今日は追加オプション2で、ジェイドが作ったスィーツを採点することになっている。何か伝言はあるか?」
と、縫い物の続きを始める。その並縫いの高速さに目を丸くしているアンジェリーク。
アンジェリーク
「伝言、ですか?…いえ特に用があったわけではないんですけど…そうだわ。ジェットさんは今の生活はいかがですか? 小さな悩みとかありませんか?」
ジェット 「小さな悩み…悩みといえば…煮物を作る時、『くつくつ』と『ぐつぐつ』の境界線がわからない…」
アンジェリーク 「それは…面白い悩みですね」
ジェット 「『面白い悩み』? 未知なるフレーズだ、新規登録する」  
アンジェリーク
「あ、ごめんなさい。今のはホメ言葉なんですよ。私も『くつくつ』と『ぐつぐつ』の違い、考えておきますから。
 それじゃジェイドさんによろしく」
と、電話が切れる。
ジェット 「(並縫いの手を休め)アンジェリーク…未知の谷に住まう少女だ…」

○ジェイドのアパート(夕)

ジェイドのナレーション 「そしていよいよ明日が野菜ソムリエ資格試験の第1次試験だと決まった日のこと―」
夕陽を浴びて大きく伸びをするジェイド。キッチンではジェットが鍋の火かげんを見つつ読書している。
本のタイトルは『人に2歩差を付ける先読み仕事術』。
いたずら心を起こしたジェイドがそっとジェットの背後に忍び寄っていき、いきなりジェットのサングラスを取ってしまうのだ!
ダークレッドのつぶらな瞳で振り返るジェット。
ジェット 「サングラスを外した場合、90秒後に『添い寝モード』に切り替わるがそれでもいいのか?」
ジェイド 「『添い寝モード』?」
ジェット 「主に6才児以下を対象とする特別オプションだ。料金は…」
ジェイド
「いや遠慮しておくよ。(小声で)
 アンジェにだったらしてもらいたいけどね」
と、ジェットにサングラスを渡す。
 × × ×
帰り仕度のジェットを玄関まで見送りにきているジェイド。
ジェイド 「今日も一日お疲れ様。明日は試験だから次会えるのはあさってだね」
ジェット 「了解した。…もし良ければだが、ジェイド、明日これを使ってくれ」
と差出したのは手縫いの書類ケースである。
ジェイド 「(感動して)これ…俺のために作ってくれたのかい?」
ジェット 「そうだ。この作業については料金等は発生しないから安心しろ。では明日の健闘を祈っている」
と、出て行く。
ジェイド
「(書類ケースを抱きしめながら)
 うーん、何だか緊張してきたみたいだ」
と、突然ドアを開け戻って来るジェット。
ジェット 「試験には適度な緊張も必要だ」
と、ゆっくり頷くと又去っていく。

○カルディナ大学・並木道(夕)

すっきりした様子で鳥の巣を見上げているジェイド。手にはジェット手作りの書類ケースを持っている。
ジェイドのナレーション
「だが俺はジェットの応援にこたえることができなくて、追試を受けることになってしまった。しかも合格基準点にたった1点足りなくて…」

○ジェイドのアパート(数日後)

机の前でスルメをつまみながらぼんやりしているジェイド。
ジェイド 「たかが1点、されど1点…」
と、玄関からジェットの叫ぶ声がする。
ジェットの声 「そうだ、どうしてもだ! 今の俺にはアナスタシア! アナスタシアがどうしても必要だと断言する!」
ジェイド 「! アナスタシアってジェットの恋人の名前なのかな…」

○願いの渚(ジェイドの空想世界)

見知らぬ女性とデート中のジェット。
おもむろにサングラスを外すと、渚に寝そべり女性を腕枕する。
ジェット
「アナスタシア…さあその俺を溶かすような優しい瞳を閉じて。物語を聞かせよう―むかーしむかーしあるところに…」
よく見ると女性がアンジェリークに変わっていてハッとするジェイド。
ジェイドの声 「何やってるんだ、アンジェ!」

○元のジェイドのアパート

大量のフルーツピーマン=アナスタシアを抱えて立っているジェット。
ジェイド
「(慌てて机上の野菜図鑑をめくり)
 アナスタシア…品種改良された機能性野菜…のことだったんだね…」
ジェット 「多少は勉強する意欲が戻ったようだな。ジェイド、今夜は俺のとっておきメニュー『ラタトゥユ』だ」
と、スキップしながらキッチンへ向う。

○願いの渚(ジェイドの空想世界)

巨大なフルーツピーマンを腕枕しているジェット。
ジェイドの声 「何やってるんだ、俺!」

○聖地・女王の執務室

応接セットで一人お茶を飲んでいるアンジェリーク。突然立上がって両腕を前に出すジェイドのポーズをマネてみる。
アンジェリーク 「(ジェイドの口調で)おかえり…何してるんだろ、私…」
と、ソファに沈み込んでしまう。
女官の声 「陛下、よろしいでしょうか」
一気に女王モードに切り換わるアンジェリーク。
アンジェリーク 「どうぞ。入って下さい」
入ってきて恭しく拝礼する女官。
女官 「陛下、ブラックペッパー協会より電報が届いておりますが」
と、真っ黒な封筒が差出されるのだ。

○ジェイドのアパート(夕)

ラタトゥユの香りが充満している。それにつられてジェイドまでが鍋をのぞき込んでいる。
ジェイド 「なすもズッキーニもセロリも皆楽しそうにダンスしているね。アナスタシアは特に華麗にね」
サングラスの奥のジェットの両眼がキラリと光る。
ジェット 「(鍋を混ぜつつ)お前は野菜ソムリエを目指す者だ。だから特別に俺のラタトゥユ三原則を伝授しよう」
ジェイド 「ラタトゥユ三原則?」
ジェット 「第1に『野菜は炭火焼きして煮込む』第2に『隠し味に手作りみそを使う』」
ジェイド 「すごいな、ジェットはみそまで作れちゃうんだね」
ジェット 「そして第3、コレが最も大事なポイントだ。『ラタトゥユをもてなす相手が喜ぶ最高のスパイスを用意する』」
と、玄関のベルが鳴る。
ジェット 「どうやらスパイスが届いたようだ」
 × × ×
ドアが開いてドレスアップしたアンジェリークが登場する。
アンジェリーク 「あの…お招きありがとうございます、ジェットさん」
ジェイド 「アンジェ!!」
と、喜びのあまりお姫様抱っこしてしまうのだ。

○同・表(夜)   

アパートから遠ざかっていくジェットの後ろ姿。
ジェット 「(振返り)アンジェリーク…お前はジェイドに伝えるべきモノにロスが生じている。さて今夜は…」

○同・中(夜)

折りたたみテーブルに向い合い極上のラタトゥユを頬ばる二人。
ジェイド 「せっかくアンジェが来てくれたんだからジェットも一緒に食べていけばよかったのに…」
アンジェリーク 「私もそのつもりだったんですけど。『くつくつ』と『ぐつぐつ』のお話もしたかったんですけどね」
ジェイド 「えっ? 何だって?」
アンジェリーク 「フフフフ…」
と、皿を持っておかわりをしようとキッチンへ。鍋にメッセージカードが貼り付けてあり、『アンジェリークへ』と書かれている。
カードを読むアンジェリーク。
ジェットの声 「ラタトゥユとかけて恋人関係ととく。その心は、冷やしてみるのもいいものだが、温かい方がおススメだ、おあとがよろしいようで」
アンジェリーク 「ジェットさんたら」
 × × ×
お茶を飲んでくつろいでいる二人。
ジェイド
「アンジェ、約束するよ。俺はきっと野菜ソムリエになって、君に今夜のラタトゥユを越えるレシピをプレゼントする。
 …時間はかかるかもしれないけど」
アンジェリーク
「はい、楽しみに待ってます。
 でも…あまり待たせないで下さいね。私…淋しいんですから!」
ジェイド 「アンジェ…」
顔を近づけていく二人がシルエットになってエンドマーク。
(おしまい)

     

カルディナン・プレス