銀の樹銀の葉銀の花 


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女王の卵アンジェリークとオーブハンターたちが、ついに星の舟に乗り込んでエレボスを伐つ、というので、騎士団長に見送りを命じると、ルネは銀の大樹に祈りを捧げるために聖都の最奥に向かった。いよいよこれが最後の戦い、祈るしかできない自分をもどかしく感じるが、それはアルカディアの民すべての思いでもあるだろう。


回廊を抜けて聖域の扉を大きく開くと、銀の大樹は、静かに葉を降らせていた。いや、違う。これは、花びらだ。いつの間にか満開の花を咲かせていたのだ。
この姿こそ、最後の戦いの結果を象徴するものに違いない。ルネは小走りで銀の大樹に近づくと、その幹にそっと触れた。宇宙意志たる思念がルネの脳内に直接流れ込む。


――女王が、決まった。女王は聖地ではなくここ聖都にその御座を置く。



まだ星の舟は出立さえしていないはずなのに、どうして?と一瞬思ったルネだが、すぐに宇宙意志が女王決定のその瞬間から少し時を遡ってくれたのだと理解した。こちらでの準備が間に合うように、と。宇宙意志はこの宇宙においてなら自由に時空を超える事ができるのだから。


そうだ。準備だ。
そう意識した瞬間、ルネの脳内に蓄えられた膨大な知識の中から、未だかつて使われることのなかった、女王即位の手続きと女王宮の整え方についての情報がひとつながりに引き出される。
記憶の底にあったときはただの文字の羅列だったものが、いきいきとした意味を与えられることで、そこに燦然と姿を現したのだ。蓄積する一方の日々で、このような体験は久しぶりだ。

騎士団長の留守を少しばかり忌々しく思いながら――留守にするよう命令したのは他ならぬ自分なのだが――ルネは教団上層部を急ぎ招集した。急いで手配すべき事がたくさんある。聖都建造よりこの方、定期的に手入れする以外誰も足を踏み入れていなかった、銀の大樹のほとりの女王宮予定地を、まずちゃんと使える状態にする必要があるし、即位までの間に女王陛下その人に各種知識を伝える用意も必要だろう。もっと現実的には即位の式典の準備もしなくてはならないし、現在教団中枢部には存在していない女官をはじめとする、女王宮のスタッフも選出しておくべきだ。それやこれやに優先順位を振り、確実に実行させるための会議を開かねばならない。

緊急会議は慌ただしく進行し、女王陛下自らがこの聖都に降りられる日に向かって教団じゅうが動き始めた。動くのは教団だけではない。決戦に不可欠だった星の舟が財団所有であったことを根拠に、最後まで反対する者の意見を押し切って、ルネは財団にも極秘に女王誕生の情報を伝えさせた。財団からはできる限り最大限の協力を惜しまないと即座に回答を得たのみならず、驚いたことに、理事自ら星の舟発進を見届け次第聖都に向かう、という。
女王を仲立ちとした教団と財団の協力関係。それは新しい時代の到来を人民に実感させることだろう。時代が大きく変わる現場に今まさに立ち会っているのだと。
まだ星の舟が教団本部にある状態なのはとても不思議な気がする。前もって結果を知ることで何かが変わってしまうことはないのか少し心配な気もするが、宇宙意志のすることに抜かりはないだろう。


これらの一連の動きはあくまでも秘密裏に進められたが、なかでも政府高官との調整折衝が、教団と政府との癒着―もちろんそんなものは元来存在しないのだが―をテーマにしたくてたまらない一部報道機関の関心を惹いてしまったらしく、聖都周辺に不審人物が往来し、ただでさえ忙しい騎士団の手を煩わすことになったのは計算外で、代々引き継がれるだけで誰も経験しなかった教団長としての最大の仕事に直面するルネの神経を大いに逆なでることになったのだった。
その対策として、聖都は情報統制の下ちょっとした戒厳状態におかれることになったが、教団の秘密主義に対する批判は、ウォードンタイムズに独占取材権を与えたという名目でかわした。もちろん取材担当者も女王の親族たる彼を抜かりなく指名しておいたのだった。


それにしても、とルネは思う。ディオンや騎士団員たちから伝え聞いた話、そして何より彼自身がアンジェリークと直接話した感触から、彼女は女王にはならないかもしれないと覚悟していたのに。むしろ確信していたと言ってもいい。なのに女王即位の準備に追われるこの状況はどういう事だ。
どうせヒュウガのことだ、女王の卵としての務めを果たすのが第一とかなんとか言ってしまったのではないか。教団長と違って拒否できるのが女王だ、ともっとちゃんとヒュウガにたたき込んでおくべきだった。そんなことができたかどうかはともかくとして。
アンジェリークもアンジェリークだ。もっとわがままを言えという、繰り返して伝えたはずの自分のメッセージは全然伝わっていなかったのか。まあ元々が真面目な上に好きになった相手がアレだもんね。
おおかた、わがままが言えない者同志が、相手の意図を深読みしまくったあげく、見当違いの方向になだれ込んでしまったということなのだろう。…なんていうか、救えないな。別に救う義務、ないけど。
少し肩をすくめると、ルネは各所から続々届けられる報告書類のチェックを続けたのだった。


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