聖騎士クロニクル・4
花と騎士


自分はヒュウガと初めてあった日付を覚えています。6月6日、でした。なんでも、サキアでは習いごとを始めるのによい日だそうです。

その日、初等学校から帰ってきたばかりの自分は、カバンを置くとすぐ二階の祖母の部屋に直行しました。その前日に祖母のところにお菓子を持ってきた人がいたので、おやつに狙っていて。
「ばあちゃん、昨日のお菓子…」といいながら扉を開けた自分は硬直しました。部屋には見たことのない子と、何となく見覚えのある男性がいたのです。
その子は自分と同じぐらいの年齢に見えました。銀色のサラサラした髪を耳のところで切りそろえた姿で、びっくりした様子でこちらを見つめる瞳は深い青です。
「何ですかイサク、お行儀の悪い」と祖母は叱りましたが、彼女の客の男性は「いやあ子どもはこうでないと」と豪快に笑うと、
「イサク君はもうすぐ七つだったね。このヒュウガは君より一つ下だが、どうか仲良くしてやってほしい。今日から毎週ここでお世話になるからね」といいました。
よくわからないなりに、慌ててその人に挨拶をして、ヒュウガと紹介された子の方を見ると、「イサク君だよ」と言われて自分に向かってぺこりと頭を下げました。
祖母に目で促されて、自分はそのあとすぐに部屋を出、新しい知り合いについて考えていました。
見るからに東方の出とわかる風貌。聖都は世界中の人が集まってきますから、東方の人もたくさん見知っていたつもりでした。しかし、東方の子どもを見たのは実はそのときが初めてだったので、果たして本当に言葉が通じるのかと、いらない心配をしていたのは秘密です。
いったいどういうことなのかと、店番をしている母に尋ねました。あ、自分のうちは聖都で花屋を営んでいるのです。
「おばあちゃんのところのお客様?銀樹騎士のハリマ様でしょ。覚えていないの?時々いらっしゃってるわよ。今日は、今日からお稽古に来ることになった子を連れていらっしゃったの。今日はお稽古日じゃないけれど、この日から始めるのが東方の習わしみたいよ。次からは普通に来るみたい。ええ、書とお花と両方らしいわよ」
「どこの子?」
「サキアのキリセって言うところから若枝舎に来た子なんだって。あれで将来は銀樹騎士間違いなしだとか。小さいのにたいしたものよね」
生け花も習うということはもしかして女の子なのかもしれない、きれいな顔をした子だったし、という考えはわずか数秒で可能性がなくなりました。
「男なのに生け花?」
「あら、ハリマ様も生け花名人よ。そうだイサク、せっかくお連れができたんだから、あんたも書と生け花のお稽古に出なさい。お稽古の時は『ばあちゃん』じゃなくて『先生』って呼ぶのよ」
祖母はセチエの出身で、実家の近くでサキア出身の人が書と生け花を教えていたのを小さい頃からずっと習っていて、聖都に嫁いでからはずっと店の二階でそれらを教えていたのでした。
まだ一言も言葉を交わしてはいませんでしたが、こうして自分とヒュウガとのつきあいは始まったのです。

歳も近いし、週に一度は必ず一緒に過ごすので、自分たちはすぐに仲良くなりました。
別にふざけていたわけでもないのに気づけば2人とも墨だらけになってしまい叱られた、とか、学校の帰りに偶然行き会わせ、一緒に帰るはずが道草が過ぎて稽古をすっぽかして叱られたとか…アレ?なんだか叱られた話ばかりですかね?――とにかく、自分は銀樹騎士団の関係者以外では彼と最も長い時間を過ごした者だと自負しています。

「キリセのタマシイを身につけるんだって」
仲良くなってから、どうしてうちに稽古に来ることになったのかを聞いたとき彼はそう答えました。そのときの自分にはさっぱり訳がわかりませんでしたが、今ならヒュウガを連れてきたハリマ様のお考えがよくわかります。
ハリマ様は祖母より10歳ほど年上の銀樹騎士で、当時すでに前線を退いて、専ら後進に槍術と棒術を指導していました。細かい地名はわかりませんが、サキアのご出身と聞いています。嫁いできた頃から祖母のことを目にかけてくださっていて、お弟子も何人か紹介していただいたそうです。武芸百般の達人であるとともに、書の名人であり、花を愛で、墨絵もものすれば吟もたしなむ風流人でした。「騎士は武芸だけでなく、風流の心こそを磨かねばならない」と常に唱えまた実践していらしたのです。

「教団上層部には東方のことに詳しい者は私とシンぐらいしかいないから、東方がらみの話がこっちに集まってくるのはもう慣れたけれど、まさか子守りをすることになるとは思わなかった」
当時そう言って苦笑していたらしいハリマ様でしたが、本当の孫のようにヒュウガをかわいがっていました。若くして結婚なされたのですがすぐに奥様を亡くされ、その後ずっと独身でいらしてもちろんお子様もなかったハリマ様ですから、そのかわいがり方もなんというか不慣れでちょっとわかりにくいものでしたが。
少なくとも、他の子どもにとっては「おっかねーじいちゃん」だったハリマ様は、ヒュウガにとっては心から尊敬する師でした。ここだけの話ですが、ヒュウガって時々なんか年寄り臭い物言いするでしょ。あれ、たぶんハリマ様の影響です。

ちょっと聖都の子ども事情について説明しましょう。教団には聖職者に独身を求めるような教義がないにもかかわらず、聖職者の大半が独身を貫きます。銀樹騎士などむしろ家庭を持つことを奨励されていたのですが、あの忙しさですし。なので聖都は女性と子どもの人口の極端に少ない場所です。学校も初等学校が一校あるきりです。初等学校を終えると、聖職者や銀樹騎士を目指す者以外はたいてい聖都を出ます。他所の学校に行ったり、職を得たり。自分ですか?自分は、家業を継ぐつもりで、十五までは実家で働き、その後はあちこちで修行です。今はファリアンの大きな花屋で働いているのですが、書も生け花もたいへん役に立っていて、ヒュウガよ、よくぞうちに習いに来てくれた!と実感しています。

自分がよく遊んだ若枝舎のメンバーは、ヒュウガ以外だとディオンやカーライルです。カーライルはしかし正直自分にとってはまぶしすぎる存在でした。はえぬきの超エリートで。教団幹部の子弟でない自分には、異邦人ヒュウガの方が親近感があったのです。今思うとずいぶん厚かましい話ですけれど。
若枝舎の子どもたちは、聖都の他の子どもたちと同じ学校に通って同じように学校生活を送るのですが、授業が終わると今度は騎士団で教育を受けます。だから他の子どもたちに比べて自由になる時間が少ないのです。が、身体能力の高い彼らと一緒に遊ぶことはとても楽しいので、聖都の男の子なら一度は若枝舎の前で誰か出て来るのを待った経験があるはずです。もちろん誰かいたらすかさず遊びに連れ出すのです。そんなふうだからますます自由時間が減るわけで。その貴重な時間を書と生け花にも割くのですから、さぞ時間の使い方や気持ちの切り替えがうまくなったでしょうね。

ずっと一緒に稽古していましたから、彼の好みもそれなりにわかっている、と言いたいのですが、なにぶん幼い日々の数年間ですから、その好みはどんどん変化していきます。ただ、書も花も、頭から苦手意識を持たないようにとハリマ様にくりかえし言い聞かせられていたそうです。好みでないと思った花も、自分には書けないと思った書体も、無理に好きにならなくてもいいけれど、とりあえず一通りはつきあえと。
「一番好きな花は何?」
「好きというか、スミレは特別かな。キリセではスミレは幸せを守る花だから」
「スミレはさすがに活けないだろうなあ。残念」
「花ではないが麦の穂はいいな」
「わかるわかる。あとヒュウガ、おまえ青い花が好きだろ」
「そういえばそうかもしれない。女王陛下にお似合いになるから」
「え?」
「ハリマ様が以前、誰かの喜ぶ顔を想像して活ければいいとおっしゃったんだ。それから、女王陛下で考えることにしてる」
なんか、小さいときから銀樹騎士になることが決まっている奴は違うなあと当時は思ったものですが、今思い返すと、ヒュウガって本当に真面目で一途だなってニヤニヤしてしまいますよね。記者さんもそう思うでしょ?

幼年学校を出て騎士見習いになると、ヒュウガは稽古にもあまり来られなくなりました。それでも時間のあるときに書の手本や花材を取りに来ていました。自分も当時は仕事を覚えるのに忙しく、あまりゆっくり遊ぶ暇もなかったのですが、それでも月に一度ぐらいは話す機会があったと思います。互いの近況、知人の消息などの情報を交換しつつ、他愛のない話で盛り上がったものです。

ヒュウガが幼年学校を出たのと同時にハリマ様は騎士団を引退なさいました。「やっと好きなことだけができる」とおっしゃって、墨絵の大作に取り組んでいらしたのに、それから半年もたたないうちに病に倒れられて。
ヒュウガが見舞いに駆けつければ、ハリマ様は「タナトス被害の報告や退治の依頼がどんどん増えているというのに、おまえはこんなところに来ている暇はなかろう」と一喝して追い返していました。ヒュウガはそのあと、黙ってハリマ様の部屋に花を活けて帰ってくることを繰り返していましたが、当然誰の仕事か理解しているはずのハリマ様はそのことについて何もおっしゃいませんでした。
その花は、店にいるのが自分だけになった時を見計らって買いに来るのです。たいていは開店準備中の早朝とかに。
そういえばこんなこともありました。
「銀樹の枝を部屋に活ければ、病気も治らないだろうか」
「それは…たぶんないな」
あのヒュウガが禁を破って銀樹の枝を手に入れることをちらりとでも考えたということがなによりの驚きでしたが、そのあたりは顔に出さず、
「明るい色の花が病人を元気づけるんじゃないかな」と言うと
「かもしれんが、ハリマ様のお好きな花とはまた違うようで、――難しいな」とため息をついていました。
結局自分の薦めるものの中から選択してくれていたのは、今思うとあの頃ほんの駆け出しだった自分の意見をプロとして尊重してくれていたのですね。

病は特に進行していない様子だったのに、ハリマ様は倒れられてから数ヶ月後、突然亡くなってしまわれました。折悪しくヒュウガはその時実地訓練でタナトス退治の依頼に随行して夢幻の塔近辺にいたため、ハリマ様と別れの挨拶をすることもできませんでした。彼が聖都に帰ってきたときには、すでに葬儀も済み、ハリマ様は墓の下だったのです。
ハリマ様は集めていらした書画骨董の中で特によいものを形見としてヒュウガに遺されました。ヒュウガが自分でも東方のよい品を集め始めたのはそれがきっかけだと思います。そう、ヒュウガはハリマ様から見事に風流の心を受け継いだのです。

ハリマ様が亡くなってさらに数ヶ月後、一般の修業年限よりずいぶん短い見習い期間を経て、ヒュウガは正式に銀樹騎士になりました。騎士拝命式のあとわざわざ祖母のところに制服姿を見せに来てくれたのですが、それが自分がヒュウガの制服姿を見たただ一度の機会になりました。騎士になってからはヒュウガは依頼で聖都を離れることがほとんどで、自分は生家を出てまずウォードンに、ついでファリアンに修行に出かけたものですから、お互い接点がまるでなくなってしまったのです。はじめの数年はかろうじて年に一、二度の手紙のやりとりはありましたが。

最後にヒュウガに会ったのは、今から一年半前、クウリールの外れでした。ヒュウガが騎士団を出奔した事、カーライルが非業の死を遂げたことは家族からの手紙で聞き及んでいましたから、騎士の制服を着ていない彼に、ああ、やっぱり本当に騎士団をやめたんだと改めて思いました。クウリールで2人で食事をともにして、いろいろ話をしたのですが、ヒュウガは彼自身のことはほとんど話しませんでしたし、自分も何をどう聞けばいいのかわからなくて己のことばかり話してしまいました。「そういえばおまえ気のせいかハリマ様に似てきたな」というと少し嬉しそうだったことが印象に残っています。

それから半年あまりしてファリアンの自分のところに手紙が来ました。流浪の生活に一時終止符を打ってしばらくリース郊外にとどまるつもりだというような内容に、これでやっとハリマ様の形見の品々を手元に飾ることができるのだなと思いました。その後月一度ぐらいのペースで簡単な近況を綴った手紙のやりとりをしていましたが、オーブハンターのことも女王陛下のことも手紙には一切なかったので、タナトスの源であった存在が滅ぼされたというニュースをのせた新聞で彼の写真を見つけたとき、心底驚きました。元から無口で、特に自身のことは語らない奴だと知ってはいたんですが、あの一年弱の文通は何だったのかと。いや本当に。
そのあと、大陸中の花屋はどこも大忙しでした。女王陛下の戴冠式に向けて、聖都や教団施設に献花する人の多さに。教団信者でない人も大勢献花していましたから。戴冠式前の一週間など、自分はずっと店に泊まり込んで寝袋で寝ていましたよ。もうアルカディアの花畑にはどこにも花が全然残ってないんじゃないかと本気で心配するほどたくさんの花を売りましたね。仕入れにも本当に苦労しました。大繁盛はありがたいのですが、これほどとは。
そして女王陛下の戴冠式が終わってようやく休みが取れたので、ゆっくり新聞を読もうとたまりにたまった新聞を手に取れば、一面トップに女王の写真、隣に聖騎士としてヒュウガが立っているんですから、もう茫然ですよ。
もちろん、戴冠式の時の花がそろそろ傷んできた頃を見計らってお祝いの花を贈っておきましたよ。子どもの頃ヒュウガが好きだといった花を一生懸命思い出してね。スミレは野草だから流通ルートに乗っていなかったので、わざわざモンタント郊外に摘みに行ったんですよ。

ヒュウガの書と花の腕前ですか?いや、もうあれから10年になりますから。でも、そうですね、祖母がよく言っていたのはこんな感じですかね。「基本に忠実でやや堅め、なのにどこか艶がある」。
書も花もその人となりがよく現れるものなのだそうです。彼の書も花も、今後もっと艶を増していくのでしょうか。ちょっと興味がありますね。

語り手:イサク(花屋「フロリスト・ファリアン」店員)


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