野菜畑でつまずいて   4  

セロリ克服昼食会の席でアンジェリークが恥ずかしそうにうつむいて、セロリで母親を思い出して泣いてしまった、と語ったことはルヴァに少なからぬ動揺を与えていた。アンジェリークがまだ17才の少女であるという事実を思わぬ形で実感することになってしまったのだ。
折しも、試験は終盤。あと一月も経たない内に女王は決まるだろう。今のところロザリアがややリードしているとはいえ、2人のどちらが女王になってもおかしくない。

試験が終わったら、どうなるのだろう、とルヴァは考える。数えきれないほどたくさんの分岐が目の前に展開し、選択を迫る。思わず目をつぶって長く息を吐き、
「とりあえずここを引き払うことだけは確かですねー」
と声に出して言ってみたりするのだった。
時期柄か、来客は多い。毎日もの問いたげな表情でやって来て黙って出ていくゼフェル。ナマズを見に、と称して心配げな様子で来るリュミエール(ちなみに例のナマズはまだルヴァの部屋にいて、しかも増殖している)。昨日などたいへん珍しいことにクラヴィスがやって来た。彼はいきなり入ってきてじっとルヴァの顔を見下ろし、
「お前は、……良いのか?」とだけ言って出て行ってしまったのだった。

飛空都市に来て生まれた新しい習慣は、迷いと対峙するときに畑に来るようになったことだ。
畑は少しずつその面積を減らしている。収穫とそのあとの片づけが今のメインの仕事だ。アンジェリークも手伝ってくれているので、畑はどこも比較的すっきりしている。
あとひと月弱、と手のひらの中の種をじっと見つめてからラディッシュを蒔いた。


試験は順調に進んでいるが、アンジェリークはこのところ憂鬱だ。
これまで極力考えないようにしてきたことを考えざるを得なくなってしまったのだ。
いわく、「試験が終わったらどうなるのか?」

いろいろ聞きかじったことを総合してみると、女王陛下には守護聖といえどもめったにお目にかかることはないそうだ。つまり、女王になったらルヴァにはもうめったに会えないと。
かといって、女王になれなかったら、どうもそのまま家に帰されるような気配だ。そうなればどう考えてももう絶対にルヴァには会えない。
ということはやっぱり、試験の終わりが縁の切れ目、ということになってしまうらしい。
それは困るけれど、自分としてできることはこの場合思いつかない。とりあえずしばらく妨害に精を出す事に決めても、もちろん全然本質的な解決にはなっていないのは自覚済みだ。
――と、そんな調子なので、地の守護聖の執務室からも畑からも足が遠のきがちなのだ。


久々に畑に向かったアンジェリークを待ち受けていたのは、大量のふたばと格闘するルヴァだった。
「ええ、ラディッシュを蒔いたんですよ。二十日大根、とも言いますね。これって間引きがまた美味しいんですよー。」

土まみれになってにこやかに語る地の守護聖の姿と、いつもどおりののんびりした口調に、訳もなくいらいらするアンジェリーク。だが、自分でもそのいらいらの理不尽さは解っているので、黙って間引き作業を手伝い始める。

「ここもすぐに引き払うからと思ってラディッシュにしたのですが、正解だったようですね。間引きと収穫と2度も楽しめるのですから」
たぶんルヴァにとっては何気ないこの一言に、アンジェリークの中で何かがいきなり切れた。作業の手を止めた彼女は手をぎゅっと握って少し肩をふるわせ、ゆるゆると立ち上がる。その目は完全に据わっている。

「…じゃあルヴァ様には試験が終わるって事、たいしたことじゃないんだ。やっぱりね。私は試験が終わって大好きなルヴァ様に会えなくなってしまう、そのことばっかり考えて、眠れないほどだったのに。…ホントもう馬鹿みたい」

話しているうちアンジェリークがどんどんヒートアップしてくるのがわかって、ルヴァはどうやって止めようかとおろおろするのだが、堰を切って流れ出した感情の流出は止めようがなかった。そしてついには
「……そうよバカだわ。一番バカは私だけれど、ルヴァ様だってバカよ。ルヴァ様のバカ!ルヴァ様の人でなし!ルヴァ様なんてだいっ嫌い!!」
と叫ぶと、アンジェリークは泣きながら走り去ってしまったのだった。

茫然と彼女の後ろ姿を見送るルヴァ。
なんだか、いろいろすごいことを言われたような気がするのですがねー、とかぶりを振って、結局せっかく間引いたラディッシュを持ち帰るのも忘れてふらふらと帰途につくのだった。


それからも時は無慈悲に過ぎたが、2人は動けないでいた。

ルヴァの頭の中では、アンジェリークの放った「大嫌い」がいつまでもこだましていた。「人でなし」、も相当こたえたが、「大嫌い」のインパクトには敵わない。
「やっぱり私のような優柔不断な男は嫌われてしまいましたかねえ……」
聖地への引っ越しに備えての本の整理を口実にルヴァは部屋にこもりがちになった。唯一畑にだけは毎日通っていたが、以前のような牧歌的な雰囲気は畑にいる彼から消えていた。

片やアンジェリークは、正直その時は興奮しすぎていたので自分が何を口走ったのか実はよく覚えていないのだった。だが何を言ったにしても、ルヴァに合わす顔がなさそうなのは確かだ。もしかしたら怒らせるだけでなく見放されたかも、とさえ思う。ついでに試験が終わるのもやっぱり怖い。だから当初の予定どおり妨害に専念しつつ、ルヴァの出没ポイントには近寄らないようにしていたのだった。

ジュリアスが畑に来たのはそんな中だった。
「どうしたのだ、ルヴァ。今に倒れるのではないかと子ども達が心配していたぞ」そう問うジュリアスも心配そうだ。ルヴァは「いいえー、私はいつもどおりですよー」といつもの曖昧な笑顔を作って返事すると、このところずっと考えていたことを思いきって在位最長の守護聖たるジュリアスに尋ねてみた。

「ねえジュリアス、どうして聖地に来る者は皆年若なのでしょう。サクリアを持つというだけで年少の時から家族から引き離されなければならないのはなぜでしょう。今度の女王候補だって本当はまだ家族が必要な年頃ではないのですか?貴方もものすごく幼くして聖地に来ましたが、聖地の時間を調節するなりして、もっと大きくなってから来るようにすることはできなかったのか、なんて思うことはなかったのですか?」

予想外の質問に一瞬目を丸くしたジュリアスだが、少し考えて答えた。
「それが適当な時期かどうかは私にはわからない。だがそれが宇宙の意志なのだと思っている。大抵の者には生まれた家を出る時が来るものだ、ただ聖地は少しばかり遠くて特殊だというのに過ぎない。…私の言えるのはこれぐらいだ。」
そして改めてルヴァの顔を正面からまっすぐ見つめていたが、やがて視線を落としたかと思うとあさっての方を向いて、「考えの深い人間が慎重に過ぎるのはありがちだが、『幸運の前髪』との言葉を私に教えたのはルヴァだった気がするぞ」とつぶやくと、くるりときびすを返してすたすたと行ってしまうのだった。

ジュリアスの背中を見送りながら、ようやくルヴァは決心したのだ。
「まさかジュリアス、貴方に背中を押されることになるとは、思ってもいませんでしたよー」


泥だらけの手をきれいにするや否や、ルヴァは女王候補寮のアンジェリークのもとに駆けつけた。さっきまでふて寝していましたという風情(実際その通りなのだ)で部屋からのろのろと出てきたアンジェリークは、ドアの向こうにものすごく嬉しそうなルヴァを見つけて驚き戸惑った。だが、ルヴァはそんなアンジェリークの様子に気を配る余裕はないらしく、緊張気味の笑顔を貼りつけて一気にまくし立てた。

「ああ、アンジェリーク、あれから私もさすがに考えましたよー。それでね。その、聖地のほうの屋敷の近くにも野菜畑を作ることにしたんですが、えっと、その、これからもずっと、手伝っていただけますかねえ?」

正直寝起きのアンジェリークには話が全然見えなかった。が、とりあえずルヴァは怒っていないようだし、わざわざここまで来てくれたということは少なくとも自分のことを見放したわけではなさそうだ。だってこれからも畑を手伝って欲しいって言うのだから。とりあえずこれで一安心かな、そう思うとちょっと表情が緩んだアンジェリークはそれでも少しばかり自信なさげに「はい…」と答えたのだった。

「本当ですか?」
声を裏返したルヴァは、「ああ、よかったー。貴女がそう言ってくれてほんとうに嬉しいですよー」といきなりアンジェリークの両手をがばっと掴んでぶんぶん振った。ルヴァらしくない行動にアンジェリークは少々困惑していたが、ルヴァの方はそんな彼女の反応はまったく目に入らない様子だ。

「あーそういえばこの前のラディッシュ、ちょうど収穫できる時期なんですよー。早速一緒に行きましょうねー」
頬を上気させ少年のように瞳を輝かせたルヴァに、いつになく強引に手を引かれて畑に向かいながら、ここにきてようやく落ち着きを取り戻したアンジェリークは、先程の会話を心の中でこっそり反芻していたのだが、突然

「もしかしてルヴァ様、さっきのアレってプロポーズのつもりだったのでは?」

と思い当たってしまい、さながらラディッシュのように赤くなるのだった。



(おしまい)

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やっと無事にハッピーエンドに漕ぎ着けました。はい。

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