マスタールヴァのカクテルトーク ヴィクトール編
「いらっしゃいませー。
あー、ご注文は何になさいますかー。
えっ? 私のおすすめですかー? そうですねー。
いかにも頼もしそうな貴方様には『春の雪』なんていかがでしょう。
……ええ、最近はすっかりファンも定着した、清酒ベースのカクテルです。
うー、『春の雪』にまつわるお話をしましょうかねー。
ある男が初もうでに行った晩に夢をみました。
神社の境内にある大きな松の木の枝に一人の天女が舞い下りたんです。
その話をすると、歯に衣着せぬ友人が言いました。
――そりゃあお前、あれだよ。山が恋人だ、なーんて嘘ぶいていた奴がとうとう年貢をおさめる時がきたってお告げだよ。遅咲きの恋ってことさ。
その翌日、彼は山へと帰っていきました。実は彼は山小屋の管理人で、初もうでに行ったのもずいぶん久しぶりのことでした。
そしてしばらくたったある日のこと、山小屋の戸を叩く女性がいました。
――やあ、あなたでしたか。いらっしゃい。
彼女はもう何年もの間、1年に1日だけやってくる客でした。
その日が彼女の死んだ恋人の命日で、供養のために登ってくるのです。
――まだ忘れられないでいるんだろうか? うらやましいことだ。
恋人が遭難したと思われる場所まで案内すると、彼は手持ちぶさたに煙草をくゆらせます。
彼女はひざまづき、大地に向って何かを訴えかけているようでした。
――ありがとうございました。そろそろ下りますわ。
ちょうどその時淡雪がちらほらと舞い下りてきました。
――これは……名残り雪ですかな。
――名残り雪のことを、雪の果(はて)とも言うそうですわ。
雪の中を急ぐ彼女の後ろ姿を追いながら、彼は胸がざわめくのを感じました。
山小屋に着くと、彼はあたためたココアを出しました。
――寒くないですか? 雪でずいぶんと濡れてしまったようだが。
――ええ少し。でも大丈夫ですわ。
次の瞬間彼は自分でも信じられないような言葉を発していました。
――もう忘れてしまった方がいい。あなたには幸せになって欲しいんだ!
彼女の瞳はみるみる涙でいっぱいになりました。彼の胸ははりさけんばかりです。
――違うの。私、うれしいんです。だって、ずっとあなたのその言葉を待ってたんですもの!
そして彼女は衝撃の告白をしたのです。
彼女の恋人は実は遭難してはいなかった。
全てのしがらみから逃れたくて、死んだことにして別の土地で新しい人生をやり直していたのだ、と。
――3年ほどして手紙がきたんです。僕は幸せに暮らしているから忘れてくれ、と。
それでも彼女が毎年山を訪れ続けていた本当の理由は……もうおわかりですよね?
――もう何も言わないでくれ。
彼は彼女の肩をそっと抱き寄せました。友人の言葉を思い出しながら。
――遅咲きの恋か……どうやら図星のようだ。
さあ、お待たせしました。『春の雪』です。
緑色のカクテルの上に白い泡が見えますでしょう?」
「なるほどな。……遅咲きの恋か……しかしだからこそ力いっぱい愛するんだろう。
いや、別に、俺の話をしているわけじゃないんだが、ははは」