つばくろ


裕次郎の小屋のすぐ近くに今年もつばめが巣を掛け始めたので、犬小屋の屋根が悲惨な状況に置かれる前に先手を打って、小屋の位置を1メートルほどずらす事になった。芦屋が裕次郎を確保している間に佐野が小屋を引きずるのだ。作業はあっという間に終わったのだが、終始一貫思い切りキラキラした目でつばめの巣作りを見上げている芦屋の様子に、佐野は声をかける。
「言っておくけどそのつばめの巣は食えない」
言われた側は一瞬考えたあと(もちろんこの一瞬の間がいい味出しているのだ)
「それっくらいおれだって知ってるよ」と膨れる。実にからかい甲斐がある。

「燕の巣だったら学校の中にもあるぜ」
「ほんとう?」やはり相当嬉しそうだ。鳥が好きなのか?
「少なくとも去年は2ヶ所はあった」
明日見に行こうっと、と鼻息の荒い様子をはじめは単にお子様め、と思っていた佐野だが、しばらくして芦屋にとって今回が初めての「桜咲の初夏」だという事に思い至った。そうだ、なんとなくずっと一緒にいるような気がしていたがそうではないのだ。そういえばここ2ヶ月ほどといえば、桜咲の名にふさわしい見事な桜並木の満開の様子や次々とさまざまな花が咲くたびにきれいきれいと興奮していたが、あれも初めての日本の春ゆえのことだったのか。
去年の自分はといえば、桜にはなるほど「桜咲学園」だと思いこそすれ、季節の風物などに心動かされることはなかった。それは男女の差なのか、去年の今頃の自分が環境の変化について行けないでいただけなのか、よくわからない。とりあえずすぐ感動する芦屋の様子を自分は結構気に入っているのは確かだ。


それ以来、部屋の中で会話が止まった時など、芦屋は嬉しそうに燕の育児の進み具合を報告するようになった。小学生のように一生懸命燕の巣を観察している様子が想像できる。もしかしてぽかんと口を開けて燕の巣を見つめているのかも、とふと思うと、まざまざとその様子が脳裏に浮かび上がってくるのだ。


「もうずいぶん大きくなってきてね、親ツバメから餌を貰おうと前にせり出してくると何羽か落ちてしまいそうでちょっとあぶなっかしいんだよー」
今日もいつもと同じように燕の報告を聞いていたはずなのだけれど、一体どうしたわけか、にこにこと雛の成長を語る芦屋の調子に佐野はふと母性とでも言うべきものを見いだしてしまった。
母性って。その言葉は佐野の中で思いも寄らない共鳴をする。
自分は普段芦屋が女だと言うことを忘れていると思っていた。少なくともそのつもりでいた。でも本当は少しもそのことを忘れてなどいない。忘れるはずなんかない。自分たちの関係に横たわる一番大きな問題点なのだから。どんなにいい奴でも、どんなに面白い奴でも、芦屋は女なのだ。そう未知の生き物なのだ。
よせばいいのに佐野は思わずまじまじと芦屋の顔を見つめ直してしまう。

「え、佐野、どうかした?おれ何か変な日本語だった?」
案の定挙動不審っぷりが人一倍鈍い芦屋にまで伝わってしまった。失態だ。しかし実はとっておきの言い訳をここ数日の間に用意してある。
「いやあの、大口あけたツバメの雛ってさぞお前に似てるんだろうなってうっかり想像してしまってな」

「えー何それひどくない?」本人にも何か思い当たる節があったに違いない、怒るでもふくれるでもなく大笑いしている。
一緒に笑いながら、この感動の仕方をよく知っているルームメイトを与えられたことがいかに大いなる恵みかを、しみじみと感じる佐野だった。まだ正直どう扱っていいのか解らないこともたくさんあるけれども。

(おしまい)


ちるだ舎へ