小宴


2学期は慌ただしい。学祭のあと、すぐに中間テストがやってくる。そのあとに修学旅行なんて言うのも控えているし、もちろん部活な日常も続いている。もしかしてそれは、ごちゃごちゃした心を、忙しさの鎧が、なんとか「しゃん」と立たせてくれるためなのかも知れない。


テスト前になると無性にしたくなることの1つが机の片づけである、と言うと賛成してくれる人は多いだろう。彼、佐野泉にもそれは例外ではないらしい。

彼の机は、元々、普段からたいした惨状には陥っていないのだが、やはりすべての引き出しを片づけるとなると一日のテスト勉強の予定の半分近くはつぶれてしまう。それを承知でやってしまうあたりが現実逃避以外の何ものでもないとわかってはいるのだが。

とにかく今回の意外な収穫は、引き出しの奥から出て来た去年の生徒手帳だった。何気なくぱらぱらとめくる。さすがに入学したての頃はきちんとした字で細かく予定などが入っているのだが、夏頃になるとずいぶん記述がまばらになり、2学期以降はけっこうすごいことになっているのだった。

そんな中、ちょうど去年の今頃のところに、赤い字で「荷物片づけ。この日まで。」と乱暴に書かれているのが目に止まる。マルを付けられた日付と今目の前にあるカレンダーを見比べる。……明日か。そうか、もう一年になるのか。
ここで今日の片づけは事実上終了したが、佐野の机の上に広げられた化学のノートの内容は、全然別の思考に沈んでいく彼の頭にはいることは無かった。


瑞稀は現国のノートからふと顔をあげて卓上カレンダーを見る。テストまでもうすぐ。でも、その前に。明日の日付の上に、水色のマーカーでごく小さい印がついている。他人が見たらたぶんただの書き損じに見えるであろうその印の意味するところは、彼女の記念日なのだ。そう、桜咲に転入してきた日。そして、大好きな佐野と同じ部屋に暮らしはじめた日。

一年、経ったんだな……
いろんなコト、あったな……

たぶん、いや、きっと、誰もこんな日の事覚えていない。正直言って瑞稀本人も「あ、そういえば!」と学祭のあと思い立って去年の日記を調べて、この日を特定したのだから。でも、いや、だからこそ、何かこっそりお祝いしたいな。
一年間、ちょっとがんばっていた私のために。

……とりあえずでもテスト範囲の漢字片づけなきゃ。


その日。
テスト直前でも部活が無しにならないのが桜咲の変なところだ。テスト問題のセキュリティとかよりも日々の鍛錬が重視されているのだろうか。それでもさすがにいつもよりは幾分早く切り上げられる。
前夜、今日のこの日をどう過ごすか佐野なりに色々考えたのだが、結局何も気の利いたことは思いつかず、いつものあれ、すなわち桃ジュースを買って部屋に帰る。

一足先に帰っているはずの瑞稀はまだのようだ。とりあえずジュースを彼女の机の隅に置いて、服を着替える。リーダーの教科書とノートを開いてしばらくした頃、やっと扉が開いた。

「ただいま!佐野見てみて!今日、ちょっと思いついて神戸屋に寄ったら!
 コロッケの新商品が出てたから、買ってきたんだ!!一緒に食べよ!」

嬉しそうな顔で「神戸屋」と店名のロゴの入った袋を自分の机の上に置き、にこにこと
「ちゃーんとお茶も買ったんだよー。はいこれ佐野の分」と、そこでようやく桃ジュースに気がつく。

「あれ?これもしかしておれにおみやげ?」
「まあな。」
「どしたの?」

佐野はここで突然、何も言い訳を考えていなかったことに思い当たるがもはや後の祭りだ。
こういうときは、あれだ。

「……コロッケは冷めると味が落ちる」

どうやらこの方向変換は成功したようで、瑞稀は
「そうだねっ。すぐ食べよ!」と袋からコロッケのトレーを取り出し、解説をはじめる。
「これがいつもの普通のコロッケでしょ。こっちが夏前に出たカレー味でしょ。そんでこっちが新製品、肉じゃがコロッケで、残りがやっぱり新製品のかぼちゃコロッケ。……二つずつあるから適当に取って先に食べてていいよ。おれ着替えるし、手も洗いたいし」
宣言すると着替えを手にバスルームに消える。

毎度のことだし、事情はよくわかっているのであえて指摘はしないのだが、わざわざバスルームで着替えるって言うのがけっこう不自然なことだとこいつは気づいているのだろうか?と佐野が内心苦笑しているのを瑞稀は知らない。

瞠目すべき素早さで(いつも感心する)バスルームからするりと出てきた瑞稀。

「あ、待っててくれたんだ。ありがと。じゃ、いただきまーす
 ……へへへ、まだあったかくてよかった。んーと、どれからいこうかな?」と端っこのひとつにかぶりつき、思いっきり嬉しそうに笑う。
「ふふふ、かぼちゃコロッケ、甘くておいしい〜〜!シアワセ〜〜」
「これは……肉じゃがコロッケって言ったか?けっこういけるな」
「うん!」

佐野もコロッケを気に入ってくれたのが嬉しくて、より一層にこにこした瑞稀と、コロッケの味よりも瑞稀の表情に気を取られているような気が自分でもしている佐野のふたりは、あっという間に4種のコロッケをすべてお腹に納めてしまった。

「おいしかったねー」
「ああ」
「また、買ってこよっと。…そうだ、次回は佐野担当ってことで」
「ええっ?……まあ、いいけど……」
「わ!佐野、リーダーのプリントに油のシミがっ!」
「げ。いつの間に」
「やーい、こぼしてやんの!にゃははは」
「まいったなー」
「そーだ、まだジュースがあったんだ。エンリョなく貰うね。……んーシアワセ……
 さ、この勢いで強敵古文に立ち向かうかな」
「ま、がんばるんだな」
「へへへ」


ふたりとも、今日がどんな日なのかについては一言も言わなかった。でも、このささやかなひととき、好きな人と共にあるシアワセを思いっきり意識していたのだった。それぞれ、「でもむこうはきっとなんにも思っていないんだろうけれど」、と同じ事を考えて。


この小宴ののち、神戸屋の肉じゃがコロッケは佐野の好物として双方に認識されることになる。だが。嬉しそうに笑う彼女がそばにいない状況でも本当にそれがおいしいのかについては佐野は今ひとつ自信がない。
しかしもちろんそんなことは自分だけが知っていればいいのだ。最近自覚したばかりのこの胸の想いと共に。

(おしまい)


にゃおさんのところの、一周年記念企画に参加させていただいた作品です。
ギリギリまでできなくて、締め切り当日のお昼過ぎ、突然浮かびました。
実はそれまでは、中央君と瑞稀の友情記念日って言うのを書こうともがいていたのです。
そんなこんなで推敲時間はとても短かったのですが、それなりにまとまっているのが不思議です。

こういう淡々とした感じが自分では好きなんですけれど、薄味過ぎて物足りないでしょうか?


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