贋説白雪姫


   1


「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは、誰?」
「(かなり棒読みで)ああ、美しいお后様。貴女は本当に美しいです。しかし、白雪姫は貴女の100倍美しい、と思います」
「……白雪姫?白雪姫って、あの??」
うーん、長年使っていると鏡も呆けるんだろうか……でも、危険な芽は摘み取らなくちゃ、だよね。


その日。白の国の姫君、白雪姫は17歳のお誕生日を目前にして、物心ついてはじめてお城から出たのでした。もちろんお城から出ることは父王様にも、まま母のお后様にもかたく禁じられていましたが、その日は手引きしてくれる者があったのです。
時々お城に、いやどっちかというとお后様の元に、通ってきていた、狩人。
白雪姫はお后様がこの者に夢中なのを知っていました。そして、そのことが自分にとって危険であることも多少は認識していました。それでも、狩人自体は姫になんの危害も加えませんでしたし、むしろ外の世界の楽しさを語ってくれる、貴重な存在だったのです。

「おや、じゃあ、姫様はお城から外に出たことがないんです?」
「そうなの。小さいときにお城の庭で迷子になって以来」
「森は今が花盛りで、そりゃあ綺麗です。あれを見たことがないとは、何とももったいない」
「そんなに素敵なところなのね!」
「リスやウサギやシカたち、そして小鳥もたくさんいますぜ」
「ああ、行ってみたい!」
「それに、あの森には、こびとが棲んでいるんですよ」

森で起こる様々な不思議な話を聞き、森で摘んできた花をもらい、姫の森への憧れは募るばかりでした。
だから彼が「姫、ちょっとだけなら、森にお連れできますよ?もちろん、城の皆には内緒で」と申しでてくれたときには、それこそ天にも昇る心地だったのです。

お城から馬に乗せられることしばし。
初めて見る森は話に聞くとおりに美しい、けれど少し怖いような感じのところでした。

花ざかりの木々。灌木の茂みの影でひっそりと咲く、小さな花たち。小鳥のさえずり。木洩れ日。少しひんやりとした、空気。
遠くに聞こえる、せせらぎの音。聞いたことのない、たぶん動物の、鳴く声。

馬から降りた白雪姫は一歩ごとに深呼吸してみたり、また逆に急に駆け出したり、森の空気を満喫していました。
狩人はそんな白雪姫の様子を面白そうに見ていましたが、なぜかその表情はどんどん暗くなってゆくのでした。
歩き疲れはじめて、ずいぶん森の奥まで来てしまったことに姫が気づいた頃。狩人は俄に立ち止まると、いきなり白雪姫の胸ぐらを左手でつかみ、右手でおもむろにナイフを取り出し、振りかざしました。
姫はあまりの唐突な展開に何がなんだかわからず、固まっていました。

どれぐらいそのままでいたのでしょう。姫にとっては数時間にも思えたのですが、もしかしたらごく一瞬の出来事だったのかも知れません。
「ダメだ。俺には、できない。いくら王妃様のご命令だといっても、可愛い女の子を泣かすなんて」
狩人はナイフをぽとりと取り落とすと、いきなり走り去ってしまったのでした。

茫然とする姫にわかった事と言えば。
自分は森の奥深くに取り残されて、到底お城に帰り着きそうにない、ということ。
ついでに、どうやらお城には帰らない方がいいらしい、ということ。

さすがに姫は必死で対策を考えました。
とりあえず森を抜けて、城下町に住む乳母やの家に身を潜めようか?
しかし、父王様たちが姫の外出を禁じたのは、実はその途方もない方向音痴のせいでした。住み慣れた城の中でさえ時々迷子になる、といえばどの程度か見当がつくでしょうか。
ともかく、そういう身の上だけに、この案は却下せざるをえません。
では、とりあえず森で雨露をしのげそうな場所を見つける。
かなり不安はありますが、じっさいこれしか選択肢は残っていません。
幸い、姫は人一倍お転婆で好奇心が強く、ついでに冒険譚の愛読者であったのです。

とりあえず歩き始めた姫は、じきに、自分の服装が身軽に動くのには全然適していないことに気がつきました。 そこで、ドレスを脱ぎ捨てると、まず長いサシェを胸に直に巻きつけました。ドレスはスカート部分を切り離して(狩人の落としていったナイフが役に立ちました)、短めの上着のように着込みました。足がすーすーするけれど、ドレスの下に着込んでいた厚手の下着は、少年のはく短いズボンに見えないこともありません。「やっぱり、男の子のカッコしてた方が何かといいはずよね」スカートの方は、何か使い道があるに違いないと、丸めて担ぎました。

とりあえず、せせらぎの音を頼りに歩きます。絡み合った木の根を越え、細い木が密集している場所を迂回し、少しぬかるんだ場所を慎重に歩き、小さな小屋を見つけたとき、姫はさすがにくたくたになっていました。

見ると扉は開け放たれているのに、中には誰もいません。
「これはもしかしてこびとさんのお家かな?」
疲れて回らない頭のすみでそんなことを思いつつ、姫は小屋に倒れるように入り込むと、一番暖かい場所(もちろんかまどのそばです)に倒れ込むと、スカートだった布をかぶってぐっすり眠ってしまったのでした。


   2


姫がまどろみから醒めたとき、あたりは薄暗く、小屋の中にはすでに灯りがともっていました。部屋の真ん中に置かれたテーブルを囲んで、いつの間にか外から帰ってきた、この小屋の住人らしき者達が話し合っているのが聞こえます。

「……やはり眠っている今のうちに森にはこぶのが一番だ」
「せやけどそんなんしたら死んでしまえへんか?」
「ええっ!?…人死にを出すのは嫌だなあ……」
「しかし、我々はまだ任期を終えていない。他人を入れるのは危険だ」
「そこやねん。最近思うねんけど、これってそんな大層な仕事ちゃうんちゃう?」
「バカ言え。我々の存在は最重要機密のはずだ」
「オレも最近、実はなんだか本部にも忘れられてそうだって感じしてる…」
「……」
「……とりあえず、危険な人物ではないね。我々に害意を持っているわけではない。
 いやどっちかというとかなり善良な人物って感じがするな」
「4号もああ言ってるし、とりあえず今日はこのままってところかな」
「あ、そうだ、任務に集中するために雑用をしてもらうって言うのはどう?」
「あ、それいいかも!」
「しかし……」
「とにかくここはリーダーの判断を仰ごう」

とりあえず、自分の処遇のことが話されているようです。
いったいここはどこで、彼らは何者なのでしょうか。
しかし、姫にとってもっと切迫した問題は、問いつめられたとき、いったい自分のことをなんと説明したらいいのかわからないことでした。……うう、どうしよう。

そこに、扉を大きく開ける音がして、皆のざわつきが急におさまりました。
誰かが帰ってきたようです。

「では報告」その人は一言だけ、言いました。
その後、知っているような知らないような地名がいっぱい入った報告とやらがそれぞれから発せられました。数えてみると、報告者は5名いました。

ひとしきりしたあと、
「で、あれは?」
「侵入者のようです。我々が帰ったときからあの状態で」
「起こそう」

姫は起こされて、テーブルのところまで連れて行かれました。
テーブルの回りには、6人の、姫と同じぐらいの年頃の少年がいたのでした。

一番年かさの、リーダーとおぼしき人物が尋ねます。
「名は。なぜここにいる」
「……わかりません。気がつけば森の中で倒れていたのです。しかし、このままではけものに襲われるか餓え死ぬかのどちらかだとと思って、水音を頼りに歩き、ここにたどり着いたのです」
とっさに名を隠したのは、単にいい偽名が思いつかなかっただけなんですが。ついでに、森で取り残されたもっともらしい理由も思いつかなかったので、わからないで通そうと思ったのでした。かなりいい加減だけれど、度胸だけはある姫なのでした。
「……なるほど」
リーダーがたえず鋭い視線を姫に注ぐので、じっさい、姫は生きた心地がしませんでした。
しかし、思いきって逆に尋ねました。

「あの、ここはどこなのでしょう。そして、あなた方は?」
「どこ、と言われても、『森の中』としか言えまい。そして、我々は……『森のこびと』と呼ばれている」
「こびと?」
「それでは知らないのだな。森のこびとに出会った者は、生きては森をでられないと言う話を」
姫は顔を引き攣らせつつ、首をぶんぶん振りました。
リーダーはそれを面白そうに見て、
「まあ、伝説だがな」と付け加えたのでした。

一方、姫の正体を探る試みも一応はあったのです。

「追い剥ぎの被害者でしょうか?」
「だったらあんな綺麗な布、賊が放って置くもんですか」言ったのは5号と呼ばれている者です。
姫は内心ぎくりとしました。が、話は意外な方向に転がるのでした。

「どうでしょう、この布と引き替えにここにしばらく居させてやるって言うのは」
「おや、5号。その布は値打ちモノか?」
「とびっきり高く売れますよ」
「そうか」

リーダーは姫を自分の前に立たせ、しげしげと検分するように眺めたあと、ちょっと脚を触って(姫は悲鳴を上げそうになりました)「うん、いい脚だ」とつぶやくと、
「ここに置いてやれ」
と短く結論を出すと、そのまま階上に上がっていってしまいました。

残された者は姫の回りを取り囲み、中で一番背の高い「1号」が、
「んじゃ、おまえ、6号な」と宣告し、皆を紹介し ――といっても、全員番号で呼ばれていたのですが――新しいメンバーのための仮の寝床を総出で大急ぎでしつらえ、こうして姫の「森のこびと6号」としての生活が始まったのでした。


   3


こびと6号と呼ばれるようになって幾日か経つと、ようやく姫にもここの生活が見えてきました。
森のこびとたちは完全に自給自足の生活をしているようでした。
リーダーはほとんど小屋にはいません。残りの者は、主に自分たちの生活を支えることに従事しつつ、(早い話が家事と金稼ぎです)、「本部」とやらが命じる「任務」にもついていたのでした。こびとたちが美少年揃いなのは、その任務と関係があるのか、はたまた「本部」とやらの方針なのか、姫には見当がつきませんでした。

森でとった茸や薬草、狩った鹿や鳥が彼らの食料であり主な収入源のようでした。

しかし姫はといえば、茸をとりに行けば迷子になるし、鹿を解体する現場で気絶するし、というありさまなので、10日もしないうちに、もっぱら掃除洗濯と食事の下ごしらえを担当することになって来たのでした。(なぜ下ごしらえかと言うと、味付けに関してはこだわりのある2号が絶対担当を譲らなかったからです。)


その日も姫は一人で洗濯をしつつ、お留守番でした。
1号と3号は、一昨日から「任務」にでています。姫にはよくわからないのですが、結構大変なことのようです。2号・4号・5号は今朝から町にでていて、帰りは明日です。

この森は相当広く、周囲には小国がたくさん隣接しています。
そのうちのいくつかの比較的大きな国(姫の国もその一つです)の町まちで、彼らはものを売ったり、生活に必要なものを買ったり、また、うわさ話や町の雰囲気といったものを調べる、「風評の収集」とかいう仕事をしたりしていたのでした。
(ついでに言うと皆が「任務」という時に指すものは、風評の収集とは別口の、もう一段高度な仕事のようでした。)
今日は、姫が持っていた例のドレスのスカートだった布を使って、5号が数個の袋物を仕立てたもの(見事な出来映えでした!)と、森の奥で採れた薬草を売りに行ったようです。

ここのメンバーは、それぞれの特技を活かしあっています。
1号2号3号は、任務にかりだされることが多いのですが、狩りにも巧みでした。
その他に2号はまた、ものを売りさばくのがとても上手だったのです。話術が巧みなせいでしょうか。
4号は、ちょっと変わった、あるいは不思議な能力を持っていました。他人の強い感情などを知ることができるほか、普通の人には見えないものが見えるようでした。それを活かして、町にでては占い師のまねごとをして、大いに現金収入に貢献しているのでした。もちろん、任務においても彼のこの能力はフルに活かされているようなのは確かです。
そして5号は手先が器用で、たとえば全員の着ているものはほとんど彼の手によるものだったのです。姫自身も、共に暮らしはじめて数日後にはまともな服装に改めさせられていました。
本部から任務が与えられると、メンバーはそれぞれの能力を活かしあって、計画を立て、必要な準備をし、実行しています。しかし、6号としての姫が参加できる状況はなかなか現れませんでした。なので姫はいつまでも雑用係または家事担当者のままだったのでした。

洗濯物を踏みしめながら、姫は、自分になんの特技もないことを悲しく思っていました。刺繍などは一応たしなみとして学んでいたはずなのですが、5号の腕には到底かないません。根性はあっても体力は他のものには及ばず、しかもあらゆる経験が圧倒的に不足していました。
しかし。
「ま、いっか。経験なんて、今からでも積めばいいんだし。」
この立ち直りの早さと果てしない前向きさこそ、姫の、ほとんど特技といってよい美点だったのです。

そんなとき。
一人の男が、小屋に近づいてきました。
「何者!」姫は鋭い口調でいいました。
「あ、あの、すみません、水を一杯いただけますか?」
害意のあるものではないようです。姫は大急ぎでカップに水をくみ、差し出しました。
「ああ、親切な方。助かりました。私は旅の商人なのですが、その小川の水は飲まないように仲間から言われていたものですから……」
うーん、たしかに、生活排水流してるからなー、と姫は思いました。
それにしてもこの男、なんだか見覚えがあるような気がします。
「これは私からのお礼です。どうぞお使い下さい」
そう言って男は、糸つむぎの道具を差し出しました。ご丁寧に、紡ぐための毛玉までつけて。
普通だったら、この時点で、少年のなりをしている自分にそんなものをくれることに不審を抱きそうなものですが、ちょうど「自分にもできそうなこと」を一生懸命考えていた姫には、それは素晴らしい贈り物でした。

「ありがとうございます!」
とびきりの笑顔で旅の商人を送り出し、大急ぎで洗濯物を全部干すと、姫は早速糸つむぎをはじめました。遠い昔、乳母やに教えてもらったことがあったのです。
「えっと、これをこうやって……」
なんとか勘を取り戻すと、作業は思いの外楽しいものでした。しかし、慣れてきた頃が一番危険なのはどんな作業でも同じ。
「あ、痛い!」

なんと言うことでしょう。糸を巻き取るつむの先端に指を刺された姫は、そのままその場に倒れ込んでしまったのでした。

第一発見者は一足先に任務から帰った3号でした。
彼は小屋の外のベンチの足下に倒れ伏している6号に駆け寄り、彼が仮死状態なのに気づくと、大急ぎで蘇生法を施そうとして。
……ええ、とんでもないことを発見してしまったのです。

瞬時アタマの中が真っ白になってしまった彼ですが、
「だから俺あのとき反対したんだよ」とつぶやくと、力無く首をふりました。
とりあえず、白くて柔らかい肌のことは意識しないように必死に他のことを考えながら、蘇生法を試してみました。
しかし、なんの変化も起きません。
こういう場合は、魔法がからんでいることが多いのを経験上知っていた3号は、そちらの可能性を検討してみました。
周囲を見やると、6号は糸つむぎの途中だったようでした。よくよく見ると、指先に真っ黒な小さな棘というか針が刺さっています。引き抜いてみても、先端部が残ってしまいました。もしやと思って、それを吸い出してやると、案の定6号はうすく目を開いたのでした。

「おれ、どうしたの……?」
自分が3号の腕の中にいるのをぼんやりと意識しながら、姫は言いました。
「死にかけてた」
3号は短く答え、姫を小屋の中に運び入れ、寝床に横たえました。
「今日はもう寝てろ」
そう言うと乱暴に布団を掛けて、小屋から出て行ってしまいました。

無口で近寄りがたい との印象をずっと持っていた相手に思いがけず世話になってしまい、横になった姫はなんだかドキドキが止まりませんでした。目を閉じても、彼の深い光を湛えた黒い瞳が頭から離れないのでした。

3号は。
6号が想像通りかなりの「わけアリ」だったということ、そして魔法の使い手から命を狙われているらしいこと。もしかしたら、自分たち森のこびと自体の秘密も危うくなってくるかも知れません。しかし。
なぜだか彼は、このことを自分の胸にだけしまっておこう、と思いました。どうしてそんな風に思ってしまったのか、自分でもよくわからなかったのですが。
そして、知ってしまった以上、彼を、いえ、彼女を守る、ということが自分の義務だと思ったのでした。


   4


6号が倒れたことは、3号以外知りませんでした。

3号はそれ以降、姫が一人きりにならないように、スケジュールの調整時に働きかけるようにし、また、実際なるべくそばについてやるように心がけたのでした。
「メンバーの一人が狙われると言うことは、全員の危機でもあるからだ」
彼はそんな風に自分に言い聞かせていたのです。何か大切なことを見落としていることを意識しつつ。

一方。倒れてからこちら、ふと気がつくと姫の視線はいつの間にか3号の姿を捉えていました。まじめな顔つきで報告書を作る様子、仲間とふざけ合う姿、一人でじっと書物を読んでいる横顔。
「あたし、どうしちゃったのかな」姫は思います。
「きっと、あの人は、あたしが男だったらこういう風でありたいって言う、理想の姿なんだわ。だから、こう、憧れてしまうのよね」
そう考えて一人納得すると、姫はまた3号のことを考えるのです。どこから来た人なの?本当の名前はなんというの?
どうしてこんなにアタマの中が一杯になってしまうのか、このふわふわする気持ちはいったい……。

ふたりに微小な変化を及ぼしつつ、時は流れて行きました。


3号の繊細な気配りにもかかわらず、ある日姫はまた一人で留守番をすることになりました。ただ、姫は別にそれについて特別警戒したりするそぶりはなく、そのことが3号を一層心配させていたのでした。

例によって洗濯物を踏みしめながら(もちろん3号の分だけ特別に丁寧にというか優しく踏んだものと思われます)、姫は考えていました。
どうしてあのときとっさに男の子のふりをしたのか。
でも、男の子じゃなかったら、ここにはいられなかっただろう。
でもでも、本当にあれは正しい判断だったのか。
……考えても仕方がありません。
とりあえず今自分が自分のためにできることをする。それだけです。

そんなことをとりとめもなく考えるうちに。どうでしょう、また見慣れない男が小屋のそばまでやって来ました。
姫は今回はあえて気づかないふりをしていました。一応、前回の経験からそれなりに学習したつもりです。

男は姫の方に近づくと尋ねました。
「この道は、南の…『緑の国』に通じているのでしょうか」
「わかりません」
姫は正直に答えました。

「道のことに詳しいものは今出払っています。森を抜けたところでお尋ね下さい」

男は一瞬心底困ったという顔をして、
「そうですか…」と、ため息をつきました。

「ではとりあえずこの道をゆくことにしましょう。
 ところでどうです、あなた方のところではこういったものはお使いになりませんか?」そう言って、ブラシを差し出しました。
「私どもはこういった商品を白の国から緑の国や赤の国に売りさばいているのです。
 特別にお安くしますから、お一ついかがですか?」
「しかし、お金を持っていませんし」
「いえいえ、ここでお会いできたのも何かのご縁でしょう。なに、お代は要りません。どうぞお使い下さい」

男はブラシを強引に置いてそそくさと立ち去りました。
その後ろ姿は、なんだかどこかで見たことがあるような気がしました。

「どうしよう」
ブラシを手に考えていた姫ですが、日頃、油断するとすぐ鳥の巣状態になる自分の髪にほとほと手を焼いておりましたので、
「これってラッキーかも♪」と思い直すことにしました。

そこで、洗濯物を大急ぎで干すと、鏡を持ってきて、ベンチに腰掛け、歌など歌いながら髪をブラッシングしはじめたのでした。
「扱いにくいけれど、綺麗な髪だって、乳母やにもずっと言われていたわ。
 だから、ちゃんと手入れしたら、あの人にも綺麗だって思ってもらえるかも… 」
なんていささか虫のいい空想に浸りながら。

ところが。
やっぱり、うまい話には裏があったらしく。
表面を軽くブラッシングしているうちは別になんと言うこともなかったのに、地肌まで深めにブラッシングしたとたん、姫はその場に崩れてしまったのでした。


今度も第一発見者は3号でした。
っていうか、3号はやっぱり心配だったので、早めに帰ってきたのです。
そうしたら、案の定、6号は倒れていました。そして今度も息をしていなかったのです。

「……学習能力、ゼロ」
3号は深いため息をつきました。

「今度は何だ」
見ると見慣れないブラシが姫のそばに転がっています。
「……あれか」

蘇生法が効かないのは前回試し済みだし、どうせまた魔法がらみでしょう。
3号は6号を抱き起こすと、試しに6号の頭をくしゃくしゃとやってみました。
細い短い銀の針が2,3本落ち、6号はとたんに意識を取り戻しました。

「…おれ、どうしたの?」
「死にかけてた」
3号は短く答え、姫を小屋に運び入れました。
「今日はもう寝てろ」
そう言うと乱暴に布団を掛けて、小屋から出て行ってしまったのでした。

一人になったとたん、姫は自分がさっきまで3号の胸に抱かれていたことを、そして3号の胸の広さと温かさを思い出し、一人赤面するのでした。

3号も、自分の腕に刻みつけられてしまったかのようにいつまでも残っている、柔らかでいい匂いのする身体の感触に顔を赤らめつ、じっと手を見てこれからのことを考えておりました。


   5


結局今回も、6号が何者かに狙われていることは3号の胸の中にだけしまい込まれました。
もしかしたら6号自身も自分が狙われているなんて思っていないかも知れないと、3号はひそかに疑っておりました。
「とにかく、俺が見ててやんないと」
…それは仲間を、ひいては自分を守るため、だとかたくなに思いこんでいました。ではどうして皆に相談しないのか、その方がよりちゃんと6号を守れるのに。そんな考えも浮かびはするのですが、ワケ有りの6号の秘密を公開するわけには行かない、というのが強力な根拠となったのです。

そんなこととは何の関係もないように、月日は過ぎていきました。

その間、姫は、一度だけでしたが、森のこびと6号として任務に参加し、森のこびとが周辺小国を束ねる東の帝国の直属で、周辺小国の情報収集の他に、小国間の争いや内紛を避けるための最小限の工作活動などもしていることを知りました。
「やっぱり、すごい人たちだったんだ」姫はこびとたちへの尊敬の念を新たにしたのでした。

しかしそれより重要なことは、彼らの任期がもうすぐ終わると言うことでした。

メンバーはそれぞれ、次の任地に赴いたり、故国に帰ったり、また解散時に渡される報酬を元手に旅に出たり・・・などの計画を持っているようでした。
しかし、姫はどうすればよいのか全然見当がつきませんでした。
姫には帰る場所も、行くべき場所もなかったのです。

そして、せっかく慣れたここの生活が突然終わってしまうことの不安。
「何よりも、あの人に会えなくなるかも知れない」
…それが今の自分にとって一番恐ろしいことだ、と気がついたとき、姫はようやく自分の胸にあるこの想いが何なのか自覚したのでした。

「ここに残るのなら、そうすればいい」リーダーは言いました。
「あるいは、君にもちゃんと報酬が与えられるから、どこかの国へ行ってみるか」

本当に、あとわずかの期間のうちに、決めることができるのでしょうか。

姫がみたび一人で留守番をすることになったのはそんな状況の中でした。
皆任期満了を前にしていろいろと忙しく、3号もどうしてもスケジュール調整ができなかったのです。


またもや洗濯物を踏みしめながら、姫はこれからのことをあれこれ思い悩んでいました。一番気になる3号のこれからについては、何も聞いていませんでした。
「でも、聞いたからって……それとも、追いかけていっても、いいのかな?」
「しばらくここに残って、3号の行き先を確認してから会いに行こう。
 でも歓迎されなかったら。……歓迎されるはずナイよね、考えてみれば」
一人で考えているとどんどん考えが暗くなっていきます。
「やっぱり3号のことは置いておいて。……でも」
考えても考えても、とりとめのない断片ばかりがアタマの中でぐるぐるして、具体的な考えはちっともまとまらないのでした。

のろのろと洗濯物を干し、ベンチで少し休憩していると、森の奥からでてくる人影があります。
見るとそれは老婆で、片手に杖をついて、もう片手にはりんごの入った籠を携えていました。
老婆はよろめくように歩いています。危なっかしいなあ、と思った瞬間、その杖が岩を滑り、老婆は前につんのめりました。

姫は猛スピードで駆け寄り、老婆を支えました。
「……おやおや、これはご親切にありがとうございます」
老婆はとても嬉しそうでした。

「どうしてもこのりんごを孫たちに食べさせたくてねえ。森を抜けて娘の家に行くんですよ」
ベンチに腰掛けて、老婆は姫が出した一杯のお茶を飲みながら話していましたが、やがて立ち上がり、
「いやいや、本当に親切にしていただいてありがとうございましたねえ、お若い方。
 私は何のお礼もできませんが、それ、このりんごをひとつ置いて行きましょう」

姫は丁寧に断ったのですが、老婆が
「そうですよねえ。…こんな汚らしい年寄りからものをもらうなんて、お若い方はきっとおいやでしょうねえ」と悲しそうに言ったので、つい、
「いえ、では遠慮なくいただきます!」と叫んでしまいました。

老婆はニッコリ笑って、一番大きなりんごを手渡し、「それじゃあ今食べていただけませんかねえ」といいました。
ここで、なんか変だと思えばよかったのでしょうが、姫はそれでこの老婆の気がすむのなら、と思ってりんごを一口かじり、

……とたんにその場に倒れ伏してしまったのでした。


老婆は姫が起きあがらないのを確認して、姫の手からこぼれたりんごを拾うと、その場をそそくさと立ち去りました。


今度も第一発見者は3号でした。
小屋の前で倒れている6号は、前回同様、息をしていませんでした。

3号は「2度あることは3度ある、か」とつぶやいて、深いため息をつき、天を仰ぎました。
「今度は何だ」
周りを見回しても、今度は原因が分かりません。証拠のりんごはすでに老婆が回収してしまったのですから。
とにかく効かないとわかりつつも蘇生法を一応試し、どこか不自然な外傷がないかを調べ……

でも、わかりませんでした。今度は、3号にも、6号を救うことはできなかったのです。
「おれ、どうしたの?」
その声も、仕草も、再現されることは無かったのでした。

あとは為すすべもなくただ動かない6号を抱きしめていました。
魔法のせいでしょうか、その身体はまるで生きているかのようでした。息も鼓動も止まっていることを除いては。


6号の死はその日が終わる前に、皆の知ることとなりました。
皆ひどく驚き、そして悲しみました。
途中参加とはいえ、6号は森のこびとメンバーとして欠かせない存在になっていたことを、皆は今さらながら気づかされたのでした。
しかしそれ以上に皆を驚かせたのは3号の取り乱しようで、それはこれまでの彼からは想像もつかないものでした。
彼は他の者には一切6号に触れさせようとせず、一人で6号の死装束を整えるいっぽう、皆に棺を作らせ、花を集めさせ、花を敷き詰めた棺に6号を横たえました。

そして、誰がなんと言おうとそのそばを絶対離れようとしなかったのでした。


   6


その夜、予定よりずいぶん早く本部の偉い人がやってくる、との知らせがリーダーからもたらされました。
予定より早く皆が任務から解放される報は、こんな時ではなかったら、皆で宴会でも始めてしまうような事だったのでしょうが、皆は黙々と荷物整理などをはじめたのでした。

3号は相変わらず6号のそばにぴったりくっついています。
皆は「あのふたり、そんなに仲良かったっけ?」と思いましたが、3号が素っ気ない態度をとりがちな割には意外にも情の深いたちであることは薄々知っていたので、それがこういうカタチで出たのか、と解釈しておりました。

ところで、解散の日が間近なので、6号のこともちゃんと解決しておかねばなりません。
「どこの国の者かわからないから、やはりここに葬ることになるのかなあ」
「結局本当の名もわからなかったから、墓碑銘はどうすればいいのだろう」
「6号ここに眠る、じゃあんまりだし」
などと皆は具体的な相談に入っていましたが、3号は
「どうせすぐなんだったら、本部から誰か来てから指示を仰ごう」と主張しました。皆、何も言えませんでした。その日を一日でも引き伸ばしたい3号の心情が痛いほど伝わりましたから。そして実際、棺の中の6号は、生きているかのようだったのです。


そして次の次の日、早くもその人はやって来ました。
本部の偉い人、が、リーダーの直属の上司ではなく、数年後には皇位を継承するという噂の皇子であったことに皆は驚き絶句しました。
皇子はてきぱきと用件をすまし、それぞれにねぎらいの言葉をかけて。

「で、あとで入ったとかいう6号は?」
皆は小屋の裏手に皇子を案内しました。棺を見て皇子はすべてを悟ったようでした。
「せっかく美少年が入ったというのでわざわざ見に来てやったのに、遅かったか。仕方ないが、せめて死に顔でも見て行こう」

彼は6号の亡骸を一瞥して、一瞬驚いた顔をしました。
「これを……ええと、6号をこの状態にしたのは?」
3号は黙って手を挙げました。

皇子は「ふーん」というとにやりと笑みを浮かべ、さらに6号を詳しく調べはじめました。
この皇子は、正直言って品行はあまり誉められたものではなかったのですが、医術と魔術の心得があることで皆に一目置かれている、ということを森のこびとたちは思い出しました。

「なるほどね」
皇子はなんだか嬉しそうな顔になりました。

そして、おもむろに、
「6号の事については3号に一任する。その他の者は速やかにここから退出し、森のこびとだったことはただ胸の中にだけ残しておくことだ」
と皆に宣言しました。
皆は敬礼して、荷物を持って小屋を出て行きました。
あとには皇子の一行と3号が残されました。

皇子は3号の方に歩み寄って囁きました。
「よろこべ、6号はまだ生きている」
3号は驚きに目を見開きました。
「あれは何か毒の入ったものを食べさされたのだ。だがそれがまだ喉の奥に引っかかっているので、死んではいない。
 こういうとき、どうやって毒をとってやるか、わかるな?」
ニヤニヤ笑いを浮かべている皇子に、3号は黙って頷きました。

「というわけで、お前にはもう一つやる物があるようだな」
お付きの者を呼び、なにやら書状をつくり、3号に渡し、
「じゃ、邪魔者は去るかな」
と、あっと言う間にその場を離れて行ってしまったのでした。

「……なんなんだ、アレ」
とずいぶん失礼な感想をぽろりとこぼすと、後に残された3号は、姫の傍らに跪きました。
姫の表情はおだやかで、まさに眠るが如し、といったところでしょうか。
しばらくじっと眺めていた3号でしたが、意を決したように姫の顔を両手でそっと包むと、深い口づけを落としたのでした。


それは一瞬のことだったのかも知れません。
でも、永遠にも思えるほど長い時間でもありました。


姫は少し身じろぎすると、そっとその目を開けました。
目の前、あまりにも至近距離にある人の顔をぼんやりと眺めながら、姫は言いました。

「……おれ、どうしたの?」
「死にかけてた」今度も短く答えた彼は、今回はもう一言付け足しました。
「……俺まで死んでしまうかと思った」
そして、まだまだ混乱している姫に、再び深い口づけを与えたのでした。


それからのことは、手短にお話ししましょう。

ふたりは3号の故郷、青の国に帰りました。
青の国では皇帝の近衛隊に配属されたはずの王子がやっと役目を終えて戻ってきたので大騒ぎでした。しかも、美しい姫君を連れ、次期皇帝の直筆の結婚許可証を持って。
もちろん誰にもこの結婚には異存が無く、国を挙げての盛大な結婚式でふたりを祝ったのでした。

そして。
ふたりはいつまでもいつまでも、幸せに暮らしたということです。

(おしまい)


配役
  姫・・・芦屋瑞稀/王妃・・・中央千里/鏡の精・・・門真将太郎/狩人・・・難波南
  リーダー・・・九条威月/1号・・・関目京吾/2号・・・中津秀一/3号・・・佐野泉/4号・・・萱島大樹/5号・・・野江伸二
  皇子・・・梅田北斗

瑞稀お誕生日企画「Daisy Princess」の中で、私としては初めて、連載形式をとって書いたものです。
で、もう2度と連載はやらないと決心しました。だって、後ろに行けば行くほど前の部分に縛られて、何度も書き直すことになるんだもの。

白雪姫に限らず、昔話の大きなポイントは「繰り返し」にあると思います。そのへん上手く処理できたかちょっと悔いが残ります。
原作ではいまいち人間的魅力に欠ける白雪姫も、瑞稀らしく元気で前向きだけれど少し抜けてるかな、と言う程度にとどめられたでしょうか。

実は配役では王子(皇子)役がはじめに決まったので、佐野をどこに持ってくるか考えたあげく、妙な「森のこびと」になりました。
でも九条さんが書けて満足です。こびとのことは一旦すごく長々と書いたけれど、本筋からあまりにそれるのでばっさり切りました。
そのうちおまけ編「森のこびと危機一髪」を書くかも知れません。王妃と狩人のお話も、ね。

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