このお話は、15000番目の迷子、パンダ☆様に捧げます。

パンダの檻で


今まさに満開の桜の下、ここ桜咲学園の講堂では明日に控えた入学式のための準備設営作業が行われている。
先頭に立って指揮を執るのは新3年生の芦屋瑞稀だ。てきぱきと指示を出す彼の高めの声が講堂内によく響き、作業は順調に進んでいるようだ。
 入学式の準備の責任者は、担当者の間の話し合いで決定する。さらに入学式準備は新2年の時に経験した者は新3年次では免除となるのが暗黙のルールだ。というわけで、伝統的に責任者になる者は、それなりに知名度があって、しかも前年度にしっかり対策を講じておかなかった「自分の立場がいまいち掴みきれていない憎めない奴」だということになっている。
今年の責任者がそれに該当するかはともかく、多くの新2年生に「芦屋先輩って可愛いだけじゃなかったんだ」との感想を抱かせて、作業は無事に予定より少し早く終了したのだった。
担当教師への報告を終え、寮に引き上げようとする瑞稀に声をかける者があった。新2年の門真と枚方だ。特に門真は、どの部にも所属していない瑞稀にとって最も親しい新2年なのだが、今日はいつになく緊張のおももちである。
「芦屋先輩、これから何かご予定がおありですか?」
「いや、べつに。もう終わったから帰ろっかなー、なんて思ってたんだけど」
「それでは申し訳ありませんがちょっと空手部までご足労いただけますか?部長がぜひお願いしたいことがあるというのです」

バカ丁寧な口のきき方に内心苦笑しながら道場へと向かった瑞稀を待ち受けていたのは、土下座で出迎える空手部の中心メンバーたちだった。
面食らって「か、顔あげてよ」と悲鳴に近い声をあげる瑞稀。

新部長・北花田が言う。
「わざわざ呼びつけてすまない。実は3日後のクラブ紹介なんだが、ちょっと協力してもらいたいのだ。
部員たちは皆よくやっているのだが、天王寺先輩と九条先輩を初めとしたメンバーが卒業してしまったせいだろうか、どうも今年の我が部には華が欠けている気がしてならない。ともかく自分の代で空手部を潰してしまっては先輩方に顔向けできん。そこで、お試し入部の経験もある芦屋にどうしても演武に加わって欲しいのだ」
「ええっ??……でも、おれが入ったら演武のレベル落ちちゃうよ?」
「そこはちゃんと考えて構成してあるから心配ご無用」と言うと居ずまいを正し、
「学園祭の時あんな事をしてしまった自分たちがこんな事を頼む資格は無いかもしれんが、どうか、頼む」
再び、土下座する一同。

部活をしていない瑞稀にもクラブ紹介の重要さはなんとなく解っているつもりだった。寮内でも、部活をしている者、中でも部長とか副部長とかの要職にある者はこの時期目が血走っている。桜咲学園は部活がとても盛んだが、生徒の絶対数が少ない。というわけで新入部員の獲得が文字通りその部の存亡に関わるのだ。一時は全国大会でもかなりいいセンまで行ったというラグビー部が、スター選手の卒業と共に年々寂れてゆき、ついには部員数が15人を切ってチームを構成することができず廃部に追い込まれたことは記憶に新しい。
しかし、どちらかというと人気の高い空手部でさえこんなにも危機感を持ってクラブ紹介に臨んでいるなどとは考えもしなかった。まさに目から鱗が落ちた気分だ。
それでもって、まさか自分にこんな形でお鉢が回ってくるとは。

とにかく土下座攻勢にいたたまれなくなって、思わず「わかった」といってしまった瑞稀は、すかさず演武の順序が細かく記されたプリントを渡され、目の前で演武を実演され、小一時間後ようやく解放されたのだった。

寮の自室に帰った瑞稀は早速道着を着込んでプリントを見ながらゆっくり演武をさらい始めた。
実をいうと新入生の勧誘に関わることになるのは、正直、ちょっと嬉しい。このところ周囲の部活をしている者はほとんどそのことにかかりきりで、なんだか疎外感を感じていたのだ。
いや、疎外感と言うのはちょっと違う。
新年度になって、改めて自分の周りを見回して、なんだかすごいメンバーじゃない?と思ってしまったのだ。
佐野も中津もそれぞれの部の大スターで、勧誘ポスターの題材にもなっている。もっとも本人たちは直接勧誘活動には関わっていないのだが、その存在自体が新人を呼ぶ事ができる、と皆に認められているのだ。
関目は陸上部長として大変忙しく、せっかくできた彼女とのデートの暇もないとぼやいている。だがその手腕の確かさは、陸上部の勧誘ポスターの絶妙な配置に見て取れると一部で評判になっている。
野江もクラブ紹介の場で使用するらしい(どう使うのか謎だ)コスプレ衣装を大量生産しており、ここ数日寝不足の目を腫れ上がらせている。ほかのマンガ部部員に聞いたところによると、野江はその世界ではかなりの有名人らしい。
「部活をしていない仲間」だった中央は、このたび寮長に抜擢され、意外な熱心さでその責務に取り組み、今は新入生の受け入れに向かって大車輪の活躍中だ。
唯一萱島は周りの騒ぎにも全く動じずマイペースを保っているが、彼がどんなに大物であるかは改めて言及するまでもないのだ。
となると自分などは、パンダの檻の中に入れられたありふれた小動物のようなものだ。
いや、皆に適当に相手してもらっているのだから、小動物というよりタイヤか何か、の方が適当だろうか。
もともと自分の存在は文字通り「場違い」なのだが、それにしても、なんか、ちょっと、寂しい。
そんなわけで入学式準備のリーダーなんかも引き受けてみたが、やっぱり皆とは格が違うような気がしてならないのだった。

ふと、空手部にお試し入部した頃のことが思い出される。あのころ強くなりたい、と自分を駆り立てたのも、今の自分に似たような感情だったのではなかったか。……進歩してないなあ。

と、雑念の海に漂いながらもおさらいは一通り終わり、空手部への入部こそしなかったもののやっぱり空手は好きだ、と改めて実感していたとき、ノックの音が響いた。このノックのしかたは佐野だ。

瑞稀と佐野はつい最近までルームメイトで、部屋が別々になる直前お互いへの思いを打ち明け合い、今では瑞稀が実は女の子であることと、2人が恋人同士であると言うことのふたつの秘密を共有するに至っていた。同室の時、というか片思いだと思っていた頃には気がつかなかったが、佐野はかなりの策士で、たとえば現在瑞稀の部屋は最上階の一番端で、その手前が佐野の部屋なのだが、その秘密の恋人たちにとって理想的な環境は全て佐野があらゆる策を講じた結果なのであった。 

部屋に招き入れられた佐野は瑞稀の道着姿に驚きいぶかしんだ。
「ああ、コレ?実は北花田に頼まれちゃって、空手部の演武に出ることになって」
「空手部?北花田?……お前バカ?学園祭の時何されたか忘れたのか?」
「だって、もう過ぎた事じゃない。いつまでもぐずぐず恨みがましく思ってるなんて男らしくないでしょ。それに、土下座までされて引き受けなかったら男がすたるって思うんだ」
男らしく、ねえ、と佐野はため息をつく。
たしかに、瑞稀が女であるというのは絶対に隠さねばならず、男でないと疑われる行動は慎まなければならないのではあるが、瑞稀の判断はいつもどこかずれているような気がしてならない。
「大丈夫か、その道着?」危機感の欠ける瑞稀にはヒントが必要なようだ。
「全然。ちゃんとベストも着てるし」
そのベストがどう見ても不自然なんだよ、と佐野は内心頭を抱える。

「そうだ佐野、ちょっと見といてくれる?」と、瑞稀はあらためて佐野の前で演武を一から始めた。
そして不服げな佐野に気づいて
「どう?ちゃんと男に見えてる?」と念を押す。
ああ、そういうことか。佐野は正直に答える。
「女にしか見えねー」
案の定その答は姫君の御不興を買ったらしく、瑞稀はふくれっ面で黙々と演武の動きをさらっている。

しばらくあって、大きく突きを繰り出したあと方向変換するとき、道着の合わせがほんの少し緩んだのを合図に、佐野は背後から瑞稀を抱きしめた。
「駄目だ」瑞稀の耳元に囁く。
「これ以上は俺以外の目に晒すわけにはいかない」
「だって」
反論は佐野の唇でもってあっさり塞がれ、瑞稀は佐野の嫉妬心と深い愛情をたっぷり味わう事になるのだった。



佐野の渾身の説得でもって、確かに演武への参加は断った方が賢明だと瑞稀自身も認識するに至った。だがはたして北花田にどう説明していいものやら、と佐野が去った後部屋で一夜延々悩むのだった。


翌早朝、瑞稀は妙に慌てた調子の野江のノックに起こされた。野江は例によってコスプレ衣装を徹夜で縫っていたので、早朝の来客にいちはやく気が付いたらしい。
慌てて身繕いして玄関に出てくると、昨日の土下座軍団がまた土下座していた。
絶句して固まる瑞稀に北花田は心底すまなそうに説明した。

昨夜天王寺・九条両先輩からそれぞれ電話があって、クラブ紹介のことを聞かれたこと。
部外者に演武への参加を頼んだことを思いきり叱られたこと。
「というわけで、こちらから頼んでおいて申し訳ないのだが、例の依頼は撤回させてくれ。すまない」と、また土下座されそうになって、必死で止める。

あやしい。この展開、怪しすぎる。
絶対、誰かが裏から手を回したね。ね。
…その「誰か」に心当たりがありすぎて溜め息をつく瑞稀だったが、そのちょっと呆れたような表情が、その実幸せそうなのは言うまでもなかった。

(おしまい)


リクエスターのパンダ☆様、本当にごめんなさい。
いったいどれだけ待っていただいたでしょう。「両思い」設定がどうしても書けずにこんなに遅くなってしまいました。
おまけにリクエスト内容と激しくずれてしまっています。申し訳ありません。
実は当初は「オリエンテーリング」の話だったのです。それはオールキャラドタバタという感じでした。でも、本誌で宝さがしネタが出てしまったので没に。遅すぎるとそんなこともあるのです。自業自得ですね。

それにしても甘いのはこのへんが限界のようです。
ついでにこれってほぼ1年半ぶりの新作なのかしら。ひえええ。

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