この作品は18000番目の迷子、奈菜さまに捧げます。

ナナメ


バレンタインの翌日、桜咲学園の校内は一種独特の白々しさに満ちている。期待と焦燥渦巻く前日までの空気を、無かったことにしようという妙な連帯感がその基調だ。もちろん、昨日の成果を触れ回りたくてたまらないという者も少数派とはいえそれなりに存在するが、その存在を許したくない層の、「黙殺あるのみ」という意志が白々しさに拍車をかけるのだ。
 
芦屋瑞稀はその少数派にはいる。それも、もらう立場ではなくて渡した方だというので、そのマイノリティっぷりは学園屈指といえよう。
というわけで、今の幸せな心境を世界中に叫びたいという欲求はものすごく強く存在するものの、さすがにバレンタインの告白が成功したという話は自分からふりにくく、しかもその相手はルームメイトだというので友人達に吹聴するわけに行かない。
それでも誰かに話したい高揚感はひとりだけこの喜びを披露できる相手を発見した。芦屋瑞稀が男子校に紛れ込んだ女の子であるという事実を学園内でただひとり知る人物にして学園生活における心強い味方、梅田校医その人だ。
思えば彼にはこれまで恋愛の相談にも継続的に乗ってもらっているので、結果の報告はいわば必須ではないのか、などという都合のいい論理展開のもと、彼女は今梅田校医のすみかたる第2保健室でマグカップを抱えているのだった。


赤面しつつも昨日の首尾をかいつまんで話す。
「その、…ダメ元でチョコ渡したら喜んでくれて、そんで、その」と、かなり大胆なかいつまみっぷりではあるが。
「で、そのままベッド直行か?」
聞く方は遠慮がない。聞かれた側は気の毒なほど赤くなって両手両腕を意味無くばたばたさせて「ち、違います!」と叫んでいる。

と。
窓から外の冷気と共に背の高い男が入ってきた。と思う間もなく梅田校医はびっくりするスピードでいずこかへ消えた。闖入者はコートのフードを脱ぎながら、「せんぱい、逃げるなんてひどいですよー」、と、別にひどいなどとは全然思っていないに違いない口調で言いながら、窓の外から大きな紙袋を引き上げ、窓を閉める。そして瑞稀に向かって「や」と一声かけるとさっきまで梅田が座っていた席にどっかりと座り込んだ。
「やー瑞稀くんいてちょうどよかったー」
「秋葉さん、その荷物は?」紙袋の中は妙に色とりどりだ。
「うちのかわいいモデルさん達に届いたプレゼントだよー。だいたいは昨日PUPAから回ってきた分。どれが誰宛かなんてよくわからないからまとめてつっこんであってゴメン。いやー、いっぱいあるよ。どこの誰か全然わからない相手にこんな風にお金使う人がこれだけいるって言うんだから、景気回復ってのもウソじゃないね。そんで、もしまだ残りがあったりしたら今度持ってくるわ。」
「秋葉さんお忙しいのに」
「ここに来られるこんな立派な大義名分つきの美味しい機会を逃せと?」
「大義名分が無くて来られない人でしたっけ?」
「あはは、君も言うねえ。って、瑞稀くん、雰囲気ちょっと変わった?色っぽくなったってゆーか。何かいいことあった?昨日とかにさ」
不意をつかれて再びあたふたする瑞稀にくすりと笑うと、
「オレちょっとセンパイ探すから、これ皆に渡していてくれる?じゃあ頼んだよー」と返事のひまさえ与えずに行ってしまった。

あのポスター撮りからずいぶん経っているし、それからイロイロありすぎて瑞稀にとってはすっかり時の彼方な感じだったのに、こうやってたった一度のキャンペーンに出た自分たちのことを覚えているだけではなく、連絡先をわざわざ探してプレゼントまでくれる人がそれなりの数いるという事は本当に驚きだ。
とりあえず、皆を集めよう。全員同じ寮でよかった。そう思って見かけより重い荷物を抱えて寮に帰る瑞稀だった。


難波の計らいで空き部屋が供され、贈り物を山分けした。
4人は名前が公開されていたわけではないので、誰宛なのかはカードを見ないとよくわからない。
はじめこそこそばゆいような居心地が悪いような気持ちでいたが、いつか作業は淡々と進む。
進めてみると、4人のキャラクターがプレゼントにも反映されているようだ。瑞稀と中津の分はポップで可愛い感じのものが、佐野と難波先輩の分は大人っぽくスタイリッシュなものが多い。
4人宛のものや、誰宛か特定できなかったものについては瑞稀が引き取ることになった。山分け中、「美味しそう」を連発したので皆が気を利かせてくれたのだろう。


部屋に帰ると、佐野は自分の分をまとめて「俺いらないから」と、まるごと瑞稀に渡した。
多少は覚悟していたのだが、瑞稀の心中は複雑だ。急におとなしくなった瑞稀に佐野は不審気な視線を向ける。
しばらく黙っていた瑞稀はゆっくりとその思いを口にする。
「どこの誰かもわからないおれたちにこうやってプレゼントしてくれたのがやっとここまでたどり着いたっていうのに、全部送り手の意図と全然違うおれがもらっちゃうなんて、やっぱり変だと思う」
「……オマエ時々発想がナナメに飛ばね?」
「なんかおれだけ幸せでいいのかと思うわけ」
「この場合それでいいんじゃないのか」
「でもほら、なんかうち捨てられたチョコレートが化けて出そうで」
「…そんなもん実際にあんのなら是非お目にかかりたいとこだけどな」
「おれはこれでも真剣に言ってるのに」

そこまで言ってまた瑞稀は黙り込む。どうしてこんなに情けない気持ちになってしまうのか自分でもよくわからない。
正直想いの量も質も誰にも劣っていないと自負はしているし、そもそもそんなもの、他人と比べるものでもない。それでも、自分が蹴散らしてしまったことになってしまう他人の想いを、こうやって形として見せつけられると、これは大変な事態なのだと思ってしまうのだ。
そのうえ、想いを共有しているはずの相手に自分は大きな秘密を抱えたままにしていたりする。それもかなり根源的なレベルの「性別」というやつを。

「あの」
佐野は優しい目を向けてくれている。よかった、機嫌を損ねてしまってはいないようだ、と瑞稀はほっとする。
「ひとつだけでいいから、ちゃんと食べてあげて欲しいんだ。おれからも頼む」
「ま、それでオマエの気が済むんなら」佐野は少し呆れたような表情だけれど、目には暖かい光が満ちている。
「で、どれを食えって?」
「目つぶって袋から選ぶとかでいい?」
「じゃ、オマエ選んでくれ」
「えっと、じゃ、これで」

甘いものが苦手な佐野のために瑞稀は当然いちばん小さいと思われる箱を選び、これでこの一件は無事に終わるはずだった。
だが、事態はしばし想像のナナメ上をゆく。


「そうか、俺もがんばるから、オマエも言い出した以上は受け止めるてくれるんだよな」

佐野が後ろ手でドアに施錠する音をぼんやりと聞きながらも、瑞稀は、さっき自分が選んだ箱に入っていた最高級ウイスキーボンボンをまとめて口に放りこむ佐野を、呆然と見つめているのだった。


リクエストいただいてから幾星霜。本当にお待たせしてしまってごめんなさい。
お題は「バレンタインにチョコレートを食べる佐野」でした。バレンタインの翌日の話なのでリクエストからは微妙に外れてしまってごめんなさい。
両想いのふたりを書くのはとても苦手なのですが、終わってしまって振り返ると楽しかったです。(ちるだ)

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