この作品は、8000番目の迷子、ゆきやなぎ様に捧げます。


卒業式直前、いつものように保健室でお茶を飲んでいた瑞稀は梅田先生から妙なことを聞かれた。
「あ、そだ、お前、くま、いらねえ?」
「くまって、あの、ぬいぐるみの?」
「そ。里緒が『瑞稀君に聞いておいてね』って言うもんだから」
この人呼んで毒舌暴虐王(去年の卒業生からのプレゼントの表書きに書いてあったという噂だ)も、妹にはずいぶん甘いのだ。
「あ、もらう、もらいまーす!」
里緒ちゃんが選んだのなら、きっとかわいい。嬉しいなあ。

そして。実際に聞いてみると。
「ほら瑞稀くん、まえにピングーのハンドクリームあげたときにすっごく喜んでくれたでしょ?だから、こういうのも好きじゃないかって」
と、手にした紙袋を開けて、少し大きめの黒いテディベアを見せた。
「わあ、かわいい!ありがとう!・・でも、これ、どうしたの?」
「それがさ」

実はそのくまは、星良ママが、里緒ちゃんからネット上のテディベア・ショップのことを聞き、オーダーしたものだという。彼女はそれを可愛い孫(笑)の卒業祝いにしようと目論んでいたのだが。

「素敵なお祝いも用意してあるのよ♪」
「言っとくけれど、ぬいぐるみなら受け取らないからね」
「えええ???どうしてえ???可愛いのにいい!」
「どうしてもこうしてもないでしょ。(ため息)」

と言うわけで、オーダーメイドのくまは宙に浮いてしまった。
「せっかく、男の子っぽくしたのに」
星良ママは不機嫌である。しかし、男の子仕様(あくまで星良ママ基準)のくまは、自分の手元に置くには可愛さが足りないらしく、誰か引き取り手を、と言うことになったらしい。

「これ難波先輩のところに行くはずだった、なんて言ったら、中央くんどう反応するのかなあ。ちょっと、ううん、かなり怖いなあ。・・絶対黙ってよう」
なんて事を考えながら、瑞稀は里緒ちゃんから手渡された大きな紙袋をかかえて寮に帰ってきたのだった。


このところ佐野はイライラしている。
なんでなのか、自分でもよく解らない。
いや、本当は、知っている。
この部屋との別れが近づいているからだ。
嘘だ。部屋、なんかどうでもいい。
ルームメイトと離れてしまうのが、いやなのだ。
なのに。
今日は嬉しそうな顔をして大きな包みを持って帰ってきた。
コイツって緊張感とか無さすぎ。
不機嫌な気分は、八つ当たりしても、収まらない。それどころか、光を求めているかのように膨れ上がるばかりだ。

「ほらほら、見てみて佐野」
「……」
「いいだろ、これ。可愛いよね。うん、うん」
「……」
「あ、くまの他に何か入ってる。……リボンだ」
「……」
「そっか、首に結ぶリボンだね。なるほど。
 どれが似合うかなあ。そうだ、名前も付けなくちゃ」
「……」
「どう思う?佐野。……佐野?」
「……」
「……佐野、なんか怒ってる?」
「……」
「ねえ、やっぱり怒ってる?」
「……別に」
「でもなんだかヘンだよ、佐野。どしたの?」
「何にもねえよ。……何だ、女の子みたいに、ぬいぐるみなんかではしゃいで」
「ええっ、それって偏見だよー。」
「いいや。あっちではどうだか知らねえけど、この国じゃあ、ぬいぐるみって言うのは女コドモのものに決まってる」
「……」
黙ってしまった瑞稀に、佐野は自分が言い過ぎてしまったことを今さらのように反省するのだが、対策は何もないのだった。

実際、心配なのだ。
いったいコイツは自分の立場をちゃんと解っているのか、と。
女だとばれちゃいけない割には、女みたいだって思われることに対するテーコーがほとんどないように見えるのがもどかしい。
でも、それは言い訳にもならない。当たり散らしたのは本当なのだから。


そのまま、部屋の中は沈黙が支配している。


佐野はその場を離れ、ベッドに寝ころんで本を読んでいる。
瑞稀は、くまに5種のリボンを交互にあてがって、どれにしようか迷っている様子だ。
そうして頭の隅でぼんやりと考えているのだ。


なんか佐野、機嫌悪いなあ。
陸上部で嫌なことでもあったのかなあ。
ここのところ、全般に機嫌はよくないけれど。
やっぱり最上級生になるって、クラブの中でもいろいろ大変なんだろうなあ。

一旦考えはじめると、案の定今一番気になっていることに思いは収束してゆく。

・・・この部屋とももうすぐお別れなんだな。
佐野と別々になっちゃうんだ。

……だめだ、何か前向きなこと考えないと。うん。
えっと、きょうは、里緒ちゃんからくまもらえてよかったな。
くまさん、佐野と交代であたしのルームメイトになるんだよ。
嬉しい?
喜ばなきゃダメだよ。
佐野の代わりなんて、フツー絶対できないんだよ。

そこまで考えたら、なんだか不意に涙があふれてしまった。
慌てて目元を拭ったのに、佐野はしっかり見ていた。


もしかして、泣かせてしまったんだろうか。
佐野は思う。
謝るべきなんだろうか、やはり。
しかし最後に言葉を交わしてからゆうに10数分は過ぎている。
今謝ったり慰めたりするのはなんだかタイミングが変ではないか。

とりあえず、起きあがって、ベッドの縁に座り直す。

もうすぐ閉じられる、共にある日々。
それは今思い返すと、平和でおだやかだが同時に身動きがとれない時間でもあった。
ちょうど凪の中の小舟のように。
この暮らしが変わったら、ふたりの関係は動き出すのだろうか。
でも。
それがどちらに向いて動き出すのか、佐野には見当がつかなかった。


瑞稀はようやく、ロイヤルブルーのサテンリボンに決めたようだ。黒い(正確にはチャコールグレイだが)くまに、それは実際よく映えた。
先ほどから何度か結びなおしては首をかしげている。確かに、上手に結べているとは言い難い。
「貸してみろ」
返事を待たずにくまごと取り上げると、佐野はリボンをさっさと結んでしまった。
「佐野やっぱり上手いー」
嫌がるかと思ったのだが、瑞稀は嬉しそうに笑った。

「あのね、もう名前も決めたんだ」
「へえ」
「あったかくてほっとする感じの名前にしようと思って」
「……」
「なんて名だと思う?」
いたずらっぽい表情に、内心くらくらしている、なんてきっと気づかないだろう。
「もこもことか、そんな感じの名前か?」
「ううん。『オンセン』」
「……」
確かにあったかくてほっとするのだが。コイツの感覚って時々全然つかめない。佐野は思わずため息をつくのだった。


「お前は今日から『オンセン』だよー。よろしくね」
くまの頭を撫でて、机の上に置く瑞稀。いっそくまごと抱きしめたいとの思いがこみ上げたが、結局佐野はその場から動くことはできなかった。まだ、風はでていないのだ。そう、凪は終わっていない。

でも佐野は気がついていない。
「オンセン」の名には「温かい泉」の意味が込められていることを。
そしてこの名を持つことでこはじめて、瑞稀にとってこのくまが佐野の代わり足りうるのだと言うことを。

机の上のオンセンが黒い瞳でふたりを見つめる中、205号室での暮らしがまた一日短くなった。

(おわり)


とってもお待たせしてしまいました。8000番のキリ番リクエスト創作です。

書き始めるとき、一枚の絵のようなものをイメージしてからはじめるのですが、今回の場合、重要なのは、くま。
何色にするのか?毛並みの形状は?リボンの色は?
しょーむないことですが、これが全部確定しないと始まらないんです。
それが固まると、あとすんなり(全然すんなりじゃないですね)名前が出て来て、やっとそこから動き出したわけですが。

結局いつもどおりの甘くも苦くも何ともない薄味なお話になってしまったという次第。
でも自分では結構気に入ってます。あくまで自己満足。ゆきやなぎさん、ごめんなさい。

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