置き土産


年が明けると、別れの季節はすぐだ。
ここ、桜咲学園第2寮でも、卒業を間近に控えた3年生のうち、既に進路が決定している者達は、はやくも退寮の準備を始めていた。
もう寮で使う予定のないもの、夏服などその最たるものだが、それらはさっさと荷造りされて、実家に送られる。3年の間にいつのまにか把握しきれないほど増えた家財道具(?)を前に呆然とする者も少なくない。そういった荷物のいくつかは実家に送られ、またいくつかは後輩に譲られたりするのだった。
とくに、3年間の間に増えたものの中には、できれば親の目に触れさせたくないようなモノも当然あり、そういったものについては主に部活の後輩に譲るのが恒例になっていた。

ここ陸上部の部室でも、今日は卒業して行く3年生達のお宝放出が行われている。映像媒体については、再生装置を持つ者の間で引継が行われ、また引き継いだ者達は再生装置を持たない者のために上映会を開催するのもお約束である。と言うわけで、部室で主に行われるのは印刷物の山分けであった。毒々しい色彩の薄っぺらい冊子たちは、次々に新しい所有者を決めてゆく。むろん、中には、肝心のページがくっついてしまっていて廃棄処分になるものもあるのだが、それを除いて、所有者の移転は順調に行われていた。

だが。
事の成り行きを見守る3年生達の中には、なかなか観察力のある者も当然混じっているわけで。彼は、その場にいながら、この行事に全く参加していない存在に目を付けたのだ。

「おい、佐野。さっきから全然取ってないじゃないか」
「……」
こういうときに全然友達甲斐が無いというか、タチが悪いのが関目である。
「そうなんですよ、先輩。
 こいつの部屋って、この手のモノが少なくとも表面上は全くないんですよ」
「へえー」怪訝な表情で佐野を見やる。
「こいつも、同室の芦屋って奴も、なんっかやたら清らかな部屋にしていてね。言うなれば、いつ女の子が突然入ってきても全然慌てずにすむっていうか」
……ある意味、めちゃめちゃ鋭いコメントだな、と佐野は密かに感嘆するが、今はこの場をどう切り抜けるかだ。
「芦屋ってあのちっちゃいかわいい奴だろ?……まさか佐野ってそういう趣味とか?」
「違いますっ」
「いや悪い。……しかし、そうか。
 じゃ、ここは俺のとっておきを佐野に譲ることにしよう。喜べ」

かくしてかの先輩の所有物だった数冊の冊子は佐野のものとしてその場の皆に認識されるに至る。
「あー、佐野いーなー」関目がのんきな声を上げる。冗談じゃない。こんなの部屋に持って帰れるかよ。
だいたい、あの秋葉の「ゲージュツ」な写真集であれだけ大騒ぎした奴だぜ。あのときもあんまり一人で大騒ぎするからいったい何が写ってるのかと思って本屋に行ったついでにチェックしたら、どこをどう考えたらああいう大騒ぎになるのかって感じだったし。それでいきなりこれだろ。どう考えても、無理だな。

そうこうするうちにお宝放出は無事に終了し、部室の熱気も少しずつ引いていった。佐野はムリヤリ持たされた冊子をロッカーの上にさりげなく置き、いかにもうっかり忘れた風を持ってその場をそそくさと立ち去ったのだった。「誰か欲しい奴が持っていってくれる」事を信じて。


部屋に帰るといつもの笑顔と明るい声が彼を迎える。
「お帰り!」
「ああ」
「なんか3年生も慌ただしくなってきたねー。今日なんか中央くん、
『センパイがこの学校からいなくなるなんて……』って言って涙ぐむもんだから、どうしようかと思ったよ」
「中央と出かけてたのか。」
「うん。プリンのおいしいお店、教えて貰ったんだ。へへへ」
「ふーん」
何か非常に面白くない佐野だったが、もちろんそんなことは口にしない。
「でも本当、3年生が卒業してしまうなんて、信じられない……」
「俺達が3年になることもな」
「ふふっ、たしかに」

いつもは意識しないできたことが不意にふたりのあいだに浮上する。この、あたたかい毎日に終わりがあること。そしてその日は確実に近づいていること。
瑞稀も同じ思いなのかどうかはわからないが、ここでふたりは黙ってしまうのだった。
重苦しくない程度の沈黙が降りつもる。


「佐野、いるー?」
沈黙を破ったのは、脳天気な関目の声。扉を開けると、後ろには野江も来ている。
「あーいたいた。ほい、これ忘れモン」
「ねーねーオレにも見せて。関目ったら、持ち主に許可もらえって言って、見せてくれないんだ」
もちろん、彼らは、佐野の「忘れ物」を届けに来てくれたのだ。
「…別にいらねーから誰か欲しい奴が持ってけばイイのに…」
「そうはいかないよ。先輩じきじきのご指名だったって事、忘れたか?やっぱり筋は通さないと。なあ芦屋」
「へ?え、お、おれ?う、うん!」とは言いながら瑞稀には既に彼らが持参したものを正視する度胸はなかった。そのことにめざとく気づいた野江にからかわれる。
「まあ芦屋だから」なんていまいち釈然としない理由で野江も関目も納得はしてくれたのだけれど。

 とまれ、二人を部屋に招き入れると、片端からページは開かれ、関目と野江から感嘆符のみの言葉(と言うのか、あれは?)が発せられるが、瑞稀は、この場をどうしようかと視線をさまよわせてぐるぐるするばかり。佐野も、どうも居心地がよくないと思いつつ、二人につっこまれない程度に(あるいは不審がらせない程度に)相づちを打っている。ひとしきり内容の披露が終わると、そういえば野江が漫研でもらってきた戦利品はと言う話になり、とくにCD−ROMのうちのひとつがすごい、と言う展開の元、今度は佐野達が207号室に来ないかという話になったのだが、「今日は疲れているから」などと妙な断り方をしてしまうのだった。実際、今日二人が来ていた間の気疲れはこれまでのどんな時間の経過よりも大きい、とこの部屋の住人たちは実感していたのだ。
 ちょっと残念そうに、でも来たときと同じように妙に明るい調子で関目達が「じゃ、また」と出ていき、二人は心底ほっとした。ただし関目は
「くれぐれもその本、勝手に処分とかしないように」と釘を刺すのを忘れなかった。なんというか、このへんの抜け目なさが関目って言う感じがする。


さて。問題は、残されたブツをどうするかだ。
「とりあえず、片づけなくちゃ」瑞稀は赤い顔で散らばった冊子をかき集める。その姿にふと素晴らしい解決がひらめいた。
「芦屋」
「へ?」
「それ、全部、おまえにやる」
「えええ??」
「おまえ免疫なさ過ぎ」
「う」
「女の子じゃあるまいし、なんて言われたくないよな?」
「……」

かくして事件は瑞稀の机の引き出しの奥深くに、あやしげな薄っぺらい数冊を残して一段落したのだった。

そして、昨日までと全く同じ顔で、この部屋とそこの住人はある。今日も、明日も。たぶんその先も、しばらくは。

(おしまい)


とってもお待たせしたのにこんな変な話ですみません。
いつも「本編が扱わないようなお話」、と思って書いていますが、今回もその一環。
野江くん好きなんですが、動かしづらいです。
動かしやすさでいうときっと中央くんはすごいと思います。……書いてないけれど。


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