幹事心得


放課後の職員室で、関目京吾は返信葉書を整理していた。
「くそっ」
葉書の束を繰り、名簿と照合する作業の合間に悪態をつく。しかし、彼は自覚していた。その悪態が他ならぬ自分自身にしか向けることができないものだということを。

どうしてこんな事になってしまったのか。
要するに、自分の読みが浅かったのだ。



卒業を間近に控えたある日、3年C組の教室。
既に進路が確定しているものが2割ほど。
残りは、これから本番を迎える、バリバリの受験生たちである。

そんな時期ではあるが、皆が揃ったときに決めてしまわなければならないことがあった。同窓会のクラス幹事である。幹事は2名選出されるのが普通だ。さらに暗黙の了解として、将来地元に残りそうな者をその一方に据えることになっていた。関目は、それが自分に回ってくるだろうと言うことを薄々感じていたが、別に悪くない役目だと思っていたので、自分から引き受けないまでも名前が挙がるとすぐに受諾しようと覚悟していた。

そして、それはすぐに現実のものとなった。ただしそこに予想外の展開が待っていた。
「あとは誰がやっても条件は同じだし、関目が推薦すれば」と、いささか無責任な意見を中央が述べ、何故かその場の人間がそれもそうだ、と思ってしまったのである。

はて。
自分が一方になることは予想できていても、もうひとりが誰かなんて考えていなかった。
しばしの熟考。そして。

「三人、っていうのはどうだろう」
「??」
「海外特別窓口、ってことで」

二人目ではなくて、三人目を先に決めようと思ったのは、ざっと回りを見渡したとき、ぼんやりとしている芦屋が目に入ったからだった。
芦屋瑞稀のお祭り人間ぶりは、これまでの幾多の実績と歴史が証明しているところである。ある意味、率先して幹事に立候補しても違和感がない。しかし、今回は、「おれ、帰国する予定だし」と、幹事選定から早々と「一抜けた」を表明し、あとはずっとうつむき加減に窓の外を見ていたのだ。
確かに、海外にいることがほぼ確定している人間は、幹事にはむかない。しかし、芦屋のこのキャラクターを失うのはあまりに惜しいではないか。また、幹事であることによって、少しでも同窓会との結びつきが強くなれば、係累の少ないこの国に来る機会もいくばくかは増やせるのではないか。
そう考えたからこそ、通常はおかない三人目の幹事に芦屋を据えようと思った。同じようなことを考えていたものがやはり多かったのか、関目のこの意見はすんなりと皆に受け容れられた。
だが、肝心の芦屋はひたすら困惑の表情を浮かべていた。
「幹事の仕事、なんにもできないと思うんだけれど。」
「三人目なんだから、名目だけの幹事だってば。大丈夫、実際の仕事はオレともうひとりの奴がするから」
そう言ってみても、煮えきれない様子の芦屋だったが、結局「名目だけ」とか言って押し切ったのだった。

あとで思えば、あの時点で気がつくべきだった。
芦屋の煮え切れなさは、彼なりの責任感の発露だと解していた。「名目だけ」の役をすることは、彼の主義には合わないのだと。そして、実際それは決して間違ってはいなかった。ただ、より深い事情の存在に気がつかなかっただけで。


しかしその時点では、すぐに二人目を選定する作業に入った。これはもう連想ゲームだった。芦屋といえば、佐野。組の中の過半数の者がたぶんひとりが芦屋ならもうひとりは佐野と自動的に思いついたであろう。
この二人の仲の良さは何か別格だったし、中には「真剣にアヤシイ」と断言する向きもあったが、彼ら二人に最も近い立場のひとりとして関目はその手の意見を「お前、のーみそ腐ってるだろ」と一蹴してきていたのだった。たぶん校内で3番目ぐらいには佐野と親しい立場だと自負する関目の見解としては、そういう二人なのだ、としか言えなかった。彼なりの分析では、ずっと愛情のはけ口を必要としていた佐野が、この国の価値観から妙にずれた芦屋を保護するという形で心の平衡を保っている。一方の芦屋は元来他人の世話になりたくないタイプの人間だろうが、彼にとってただひとりのあこがれの対象だった佐野だけは別格なのか、おとなしくかまわれている。とにかく、かなり相互依存な関係を作り上げてしまっているのだ、と。
そういう風に思っていただけに、卒業によって進路が完全にバラバラになってしまう二人が(なんせ住む国からして違うのだ)どう折り合いをつけるのかも、関目なりに気になることのひとつだった。
というわけで、佐野を二人目に推薦してしまったのは、いわば最後のお節介だったのだ。

佐野の第一志望は都内の大学だったし、合格確実と進路指導担当も太鼓判を押していたので、そういう意味でもこの人選は正解だ、と彼は思っていたし、組の皆も同様に思ってくれたのだろう。憮然とする佐野を後目に、この人事はあっさり可決され、関目もその結果には満足していたのである。


そう、あの時点までは。


桜咲を卒業して最初の秋、同窓会名簿の定期改訂にあたり、自分のクラスの分のデータを整理するようにクラス幹事に声がかかった。
関目は佐野に連絡を取ったが、どうしても出て来られないと言う。
まあ、ひとりでも十分できる作業だからな、と思って久しぶりに母校を訪れた関目だったのだが。

当然ではあるが、同窓会員の消息は卒業してから年数が経つほど、捕捉しにくくなる。その点、卒業してまだ一年も経たない自分の学年のデータは全部揃っていてもおかしくない。現に、受け取った名簿の原稿は、他の上級生たちのそれに散見できる空欄が、進路を示す現況の欄を除いては、全くない、ように見えた。なのに、一瞥したとき奇妙な違和感があった。そしてその原因は、すぐに判明する。芦屋瑞稀の名それ自体が名簿から抜けてしまっていたのである。

「一行抜けていますけれど」

しかし同窓会事務担当からの答えは、関目にとってまさに青天の霹靂だった。

「芦屋くんは、同窓会から脱退しています」

脱退。そういうことができると言うこと自体、関目は知らなかったのだが。とにかく芦屋は帰国直前に同窓会の脱退手続きをし、そしてそれはすんなり受理されたというのだ。
これを皆に何と説明したらよいのだろう。「申し訳ありません」と同窓会にいくばくかの寄付をしていった、事も事務担当は付け足したが、そんなことはもはやどうでもいいことだった。


このニュースは元クラスメートの中をあっという間に駆けめぐった。皆一様にまずは意外の念に打たれ、そしてその後、もしかしたら芦屋流の責任感からは逆にこうなって当然だったかも、と思い当たる、というのが共通した受け止め方だった。

佐野にこのニュースを伝えたとき、「知ってた」と言葉少なに答えが返った。そんな大事なことどうして黙ってるんだよ、というと、「知らせても何も変わらないし、どうせすぐにわかることだから」とあっさり言われてしまって、関目はもう何も言えなかったのだ。


だが、芦屋の場合は、最初から役に立たないことはわかっていたのである。


芦屋の脱会判明から一年も経たない内に、陸上仲間から佐野の渡米話が伝わってきた。陸上競技は大会にも学校単位と言うよりは個人で参加しているも同然の者が多く、そのぶん同じ種目の選手同士は学校を越えてのつきあいがあることが多い。その話は佐野と同じ大学の中距離選手から聞いたのだった。

早速佐野に連絡を取ると、彼は肯定も否定もしなかった。「まだ決まりじゃナイから」
「決まったら、連絡する。それから、同窓会のこと、頼む。済まない」

もちろん、この話はあっさり実現してしまい、かくして関目は事実上ただひとりのクラス幹事となってしまったのであった。
しまったと思ったが、もう何もかもが遅すぎたのだった。

だから、「佐野さんがアメリカに行っちゃったのは、もしかして私のせいなんでしょうか…」とひたすら落ち込む、佐野の大学の陸上部女子マネを関目なりに慰めているうちにすっかり仲良くなってしまった、なんて役得じゃ、まだまだ割に合わないのだ。



そうして、今、5年ごとの同窓会名簿の改訂にあたり、最初のそれとは違ってぐんと空欄の増えた名簿の原稿と、近況を知らせる葉書の記述を突き合わせているのだ。
自分がどういう巡り合わせか、母校の体育教師として奉職することになったのはこの場合ラッキーだったといえるだろう。少なくともわざわざ原稿を受け取りに行く手間が省ける。

しかし名簿改訂は面倒な仕事には違いないし、やはり空欄が多いのは幹事としての自分の沽券にも関わる気がして、思いつく限りの手を使って空欄を埋めようと試みているのだった。

そして、こんなときやはり気になるのが脱会した芦屋の消息だ。
もしや彼なら何か知っているかと思い、関目は当時自分たちの学年主任だった本町教頭に尋ねてみた。はぜどんはしばらく考えたのち、「ああ」、とひとりうなずき、しかし「いろいろ事情があったんだよ」としか言ってくれないのだった。

佐野の欄でふと気がつく。これまで、「(連絡先)」として彼の祖母の住所が書かれていたのだが、今回、住所は同じだが、「(連絡先)」のカッコ書きが消えている。面倒になって省略したのだろうか?その可能性は高い。だが、やはり、少し、気になった。

結局、名簿原稿締切前日、関目は佐野の「連絡先」に電話を入れた。若々しい声の彼の祖母(といっても血はつながっていないため、本当に若いのだ)は、「まあまあ、泉のお友達ね」と嬉そうに話し始め、佐野の現住所をどう発音してよいかわからず電話の向こうでさんざんおたおたし、ようやく目的を果たすと、会話を爆弾発言で締めくくったのだった。
「でももうすぐこっちに帰ってくるのよ。お嫁さん連れてね」
その場で関目は、臨時クラス会の召集を決意した。もちろん佐野の帰国とスケジュールを合わせて、である。



突発的な召集のワリには、会場には20人近くが集まっていた。たいしたもんだ、と関目は密かに自画自賛した。出席者は主に東京とその周辺に在住するものと、あと関西から萱島がわざわざ出てきてくれた。
さすがに卒業して6年目ともなると、皆それなりに身辺に変化があり、しばらくは自分が今どうしているかを披露しあい、それにも一段落つくと今ここに来ていない誰かの噂を交換し合う。
ダントツに話題になった今日の主役はやはり佐野だった。
佐野は遅れて参加することになっており、まだ当分姿を見せそうにない。それをいいことに、あることないこと、憶測が飛び交う。
「もしかしてやっぱり金髪のねーちゃんなのか?」を筆頭とした、佐野の「お嫁さん」なる人物への興味は中でも最大の関心事であった。しかし、この点については、あまりにも情報が乏しい。
「まあでも佐野は高校の頃からもててたから」
「学祭の時とか、すごかったよな」
「それより2年の時のモデル騒ぎ。そりゃ、アイツひとりじゃないけどさ」
「うんうん。佐野も中津もただ逃げ回ってたけどな。傍目にはもったいないオバケが出そうだったよな」
「要らんかったらこっちに回してくれ!って内心思ったけど」
「あ、オレも」
「……しかし佐野が真っ先に結婚?いやーわからんな、世の中」
と、だいたいこのへんに話は落ち着くのである。そして、皆一様に、
「そーいや、芦屋はどうしてるんだろうな」
と、高校時代の佐野を語る上で欠かせない人物の現在になんとなく想いをはせるのだった。

やがて宴はすすみ、程良くアルコールが消費されて来た頃、本日の主役、と皆が勝手に決めた人物が姿を現した。

「久しぶり」
彼は短くあいさつをすると、関目の隣に座した。少々あやしくなった足取りでビール瓶を持った者達がわらわらと寄ってくる。「おい、佐野の酒癖忘れてないだろうな」という関目の一言で人波は一気に引いたのだが、それでも佐野の左手にめざとく指輪を見つけると、たちまち大騒ぎになってしまったのだった。
「新婚だってなー」「このスケベ!」「ねーねー相手どんな人?」「金髪か?なー、金髪か?」
「どこで見つけてきたんだよ」「どーせ今写真ぐらい持ってるだろ?白状しろ」「相手いくつ?」
アルコールの勢いも手伝って、皆言いたいことだけ言っている。
佐野がただニコニコしているのは、冷静に考えるとなかなか不気味だと関目は内心思ったが、また、ああ、ずいぶん変わったなあ、とも思う。

「とにかく挨拶すればいいんじゃないか」と関目は提案し、それを受けた佐野は素直に立ち上がって
「またこっちに帰ってきました」なんて言っている。

そうすると会場のどこからともなく
「お嫁さん!」コールがわき起こり、佐野は黙って突っ立ったまま苦笑を浮かべた。
今や会場いっぱいに響く「おっよめっさんっ!」コールの中、かがんで関目に「何だったら今からここに呼んでもいいか?」と訊いたのには正直関目も面食らった。コトバもなくただこくこくと頷くと、どこへだか電話をはじめた。

「すぐ来るって。アイツもものすごく皆に会いたがってたからな」
たぶん、自分の知らない佐野のことを知っている、元同級生って言うのに興味があるんだろうな。ぼんやりとそんなことを思いながら、関目が立ち上がり、
「静粛に。今話がまとまって、佐野の新妻がこの会場に来てくれることになりました」
と報告すれば、会場はやんやの喝采である。関目の向かい側の萱島が薄く笑う。
「佐野おめでとう。でも、本当に呼んでいいのかい?大騒ぎになるよ」
「ああ、でも、来たがってるし」
「とりあえず避難経路は確保した方がよくない?」
「なるほど、そうかもな」


小半時たった頃、「ちょっと失礼」と立ち上がった佐野はまっすぐに入り口に向かい、何分も経たない内に戻ってきた。どうやら連れが到着したようだ。
にこやかに会場に入ってきたマタニティドレス姿の(これにも皆は仰天した)長い髪の女性を見て、なんだか見覚えがある、と思った者は少なくなかった。
不自然な沈黙の中、彼女は口を開く。
「みんな、お久しぶり〜。えっと、もう、時効、だよね??」

その意味を解するまでの数瞬のあと、関目は何度も声をからして「座れ!」「静まれ!」を繰り返す羽目となり、やはり幹事などひとりでするものではないと改めて思ったのであった。そうだ、次回は、絶対に、この夫婦に幹事の仕事を全部押しつけてやる、そう決心しながら、皆にもみくちゃにされている二人を眺めて、不思議に温かなキモチが溢れてくるのを感じていたのだった。

(お粗末)


これも佐野お誕生日企画「聖星月夜」の、お年玉として書いたもの。しかし、こんなんでお年玉といえるのでしょうか……(大汗)
お年玉作品を見るためには、15箇所の花君系HPを回って、パスワードを集めなくてはならないと言うハードな条件の中、
一体何人の人がこれを読んでくださったのかは謎です。

後半は99年ぐらいの時点で私の考えていた理想の最終回なんですが、
2001年現在、もはや絶対こういう展開にはなりそうもないですな。ははは。

……とりあえず一度関目で書いてみたかったので、その点は満足です。

タイトルも最後まで悩んだんですが、やっぱりどうもしっくりしないなあ……

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