常夜灯


やっと期末テストも終了した、夏の夕方。瑞稀は久しぶりに佐野と2人で裕次郎の散歩に出かけることになった。

流石に3年生になると、他の進学校に比べてきわめてのんびりしていると言われる桜咲でも受験色が濃くなってきて、試験の雰囲気もそれまでとは少し違う。おまけに佐野はインターハイをも目前に控え、スポーツと勉学の両立、なんて言うきわめて古典的な命題を抱えていたものだから、裕次郎の世話は瑞稀と、新入生の動物好きコンビ、牧野と樟葉が担当するようになって久しいのだった。

日中のうだるような暑さもすでに和らぎ、夕刻から風も出てかなり過ごしやすい。なによりも今夜は久しぶり熱帯夜から免れそうなのがありがたかった。

せっかくだから、少しでも遠回りしようなどと考えるのはお互い様で。
遠出はしないのだが、いつもの町内を、より複雑な図形を描いて、お互いの近況(主にテストの首尾)をとつとつと交わしながら小走りで駆ける。夕月が路地をいつもと違った姿に見せる。
と、ある三つ辻で瑞稀は不思議なものを見つけた。いや、不思議でもなんでもない、それはただの提灯なのだけれど。三叉路の突き当たりの部分に長い棒が突っ立っていて、その上の方に提灯が一対、掲げられているのだ。


「何これ?こんなの前からあったっけ?」
「さあ。俺は初めて見るな」
「提灯って、なんていうか、雰囲気あるよね」
「ああ」


2人は足を止めて提灯を見上げていた。2人の足下、もう既に散歩の距離に満足したらしい裕次郎はしっぽを振っておとなしく待っている。

「おやおや、若い人は提灯が珍しいんですかね」
よく手入れされ、控え目に飾られた小型犬を連れた老婦人が2人に声をかけた。
「あ、こんばんは。あの、これは?」
「今日はお祭りですからね」
「え??」
「お祭りと言ってもね、こことあとひとつ提灯を飾るくらいで、露店のひとつもなければ、御神輿も山車も出ないんですけどねえ。それでも氏神様ですから、地元のものは『お祭りだ』と思ってお参りしているんですよ」
「このあたりに神社があるのも知りませんでした……」
「ほほほ、そうでしょうねえ。若い方は神社参りなんてなさらないから。ほらこの真ん中の路地の突き当たりですよ。あんまり地味なんでただの空き地に見えるかも知れませんけど。」
彼女の連れている小型犬はこれ以上待てないとばかりきゃんきゃんと吠え、しきりにもう行こうと催促する。
あらあら、と苦笑して老婦人は行ってしまった。

「行ってみる?」

どちらともなく誘いあい、真ん中の道をまっすぐ進んだ。

2人ともそれぞれこの道には見覚えがあった。でも、突き当たりが神社だとは、知らなかった。どうして気がつかなかったのだろう、と思いながら、
「神域に犬はまずいかなあ」
「でも狛犬はどうなる?」
などと他愛ない会話を交わすうちに、小さな屋敷林、だと今まで思っていた場所に大きな提灯が掲げられているのが見えた。
いつもはもちろん提灯の灯りもついていないし、鳥居も大木の影で見えず、また門も閉じられているので神社と認識できなかったのだ。

お祭りだと言うが人気はまるでなく、ただいつもと違うのは提灯の他にもあちこちにろうそくの明かりがともっていたことぐらいだった。来る途中ですれ違った幾組かの人たちがともしていったものだろう。

ほのかに揺れるろうそくの光のむこう、小さな鳥居の下に祠が浮かび上がっていた。
とりあえず犬連れではやはりよくないだろうと、敷地の外から手を合わせる2人。

敷地のまわりの石の柵には、よくみると人の名が彫られている。寄付者の名前だろう。
正面の左右にある石柱には、常夜灯、と彫られていた。

「常夜灯なのに灯をつけないんだね」
「ずいぶん昔の石灯籠の、上側がもう壊れてしまっているんだな」
「そっか。灯をつける場所がもう無いんだね。壊れてるんじゃ、仕方がないか」
「……まあ、石灯籠なんてそんなものじゃないかな」

話が途切れる。2人は押し黙ってろうそくの光を見つめている。

瑞稀はちらりと佐野の方を盗み見た。
本当はこんな話をするために遠回りしたのではないのに。
そう、話したいことはもっと他に山ほどあったのに。
でも。
2人の間の空気は思っていたよりもずっと繊細で、不要に重い言葉を満たしたらぱちんとはじけてしまいそうで。だから、ほとんど意味をなさない軽い言葉、軽い会話だけをごく少なく重ねていくことになってしまうのだ。

「行こうか」

不完全燃焼な気持ちを抱えて、ふたりは無言で寮への道をたどった。路地の角を幾つか曲がると、遠くに寮の門灯が見える。それはありふれた蛍光灯の光だが、暗い道の中ひときわくっきりかがやいていた。

「常夜灯、だね、あれも」
「…そうだな。」

たとえばすっかり日暮れてから下校したとき、寮の門灯を見ると、「帰ってきた」と思う。そしてそれはひそかに、愛しい人がいる場所のしるしでもある。その灯りを見るときに真っ先に思い浮かべるのはその人の笑顔なのだから。
でも2人でそのあかりを見る今日は、あそこに帰ったら、また2人は別々の部屋に帰るのだ。明るいが少し冷たい、光のもとで。

気がついたら瑞稀は立ち止まっていた。
「どうした?」
瑞稀はすぐには答えず、ぼんやりと寮の方を眺めていたが、やがてぽつんといった。
「さっきの神社のろうそくも提灯も、とっても神秘的で綺麗だなあって思っていたけれど。寮の門灯も、改めて見ると負けないぐらいにいい感じのあかりだったんだなあって思って」
そして思い出したように付け足し、佐野に笑顔を向ける。
「ちゃんと氏神様にもインターハイのことお願いしといたから」

佐野はいつものように瑞稀の頭に片手を置き、くしゃくしゃっとしながら
「サンキュ、な」と返事してから、付け加えた。

「いつもそこに灯っている、あったかくて明るいのを常夜灯っていうんなら、・・・お前がそうだと思う」

少し早口で言い切ってから、とっさには何を言われたのかよくわからない瑞稀を一人残して、佐野は裕次郎を引っ張ってびっくりするような早さで先に寮まで駆けていってしまったのだった。

(おしまい)


何度書き直しても気に入らないけれどそろそろ見切りをつけなくちゃな一品。
はじめこれを某サイトへのお祝いにしようと思っていたのですが、やめておいて賢明だったな、あたし。

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