Jam


第2寮の場合、日曜の朝食はほぼ決まっている。
パンとサラダ、ゆで卵、スープ。
まかないのおばさんの手を煩わせないセルフサービスメニューだ。
パンは7割方食パンで、自分でトーストする。それに塗るバターとかジャムはかごに入れて4台あるトースターの脇に用意されている。
スープも自分でつぐ。ポットのお湯を注いで作る事もある。平日と違って食堂を利用する時間がバラバラなので、あまり混乱が起こることはない。

5月の初め、佐野は平日と同じ時間に食堂に向かった。
試合などで遠征する者や、遠出を計画する者が一通り出ていって、寮に残った者の大半がまだ寝床から離れられないでいる時間だ。佐野自身、惰眠をむさぼるのは正直大好きなのだが、ここふた月ほど日曜の朝は練習と決めているのだ。そう、故障をきっかけに一時期中断していた走り高跳びに再び挑もうという気持ちになって以来。
おかげでようやく昔の勘も戻り、記録も昔のものに近づいてきた。
それもこれも、熱心に高跳びへの復帰を進めてくれたルームメイトのおかげ、だと思う。

佐野のトーストが焼け、テーブルに着いた頃、当のルームメイト芦屋がくしゃくしゃの髪のまま食堂に駆け込んできた。
「おはよ、佐野。誘ってくれたらよかったのに」と大きく手を振る。
小さく手を挙げて応えつつ、
「誘おうにも大口開けて寝てたからな」
「ええっ!!!」
「……お前、髪、とかずに来たろ」
「わ」あわてて髪に手をやる。
「ついでにシャツのボタン掛け違ってるぞ」
「わわっ」どうやら今初めて気づいたらしい。何とも世話の焼き甲斐のある存在だ。

それでも比較的てきぱきとトレーに食器を乗せて佐野の斜め向かいに座った芦屋は、「いただきまーす」の声と共にトーストしていないパンにジャムを山盛り乗せた。甘いもの嫌いの佐野にすれば信じられないような行為だ。
そしてしあわせそうにジャムのたっぷり付いたパンをほおばる。
「あー、絶品。ここのジャム、どれも美味しいんだよね。ついつい一枚に全部塗っちゃう」
「…他の食べ物の味が解らなくなるんじゃないか」
「そんなことナイさ。それに、朝食に甘いものを食べるのは脳の栄養になるって聞くよ」
「ふーん」

しばらくしてパンを一枚食べ終わった芦屋は、残った一枚を見つめて考え込んでいる。
「ジャムはもう要らないのか?」
「だってジャムはひとり一回一個だろ。…本当言うとね、毎週毎週、今度こそ自前でシナモンシュガー買ってきてシナモントースト作ろうって思うんだけれど、どうも忘れちゃうんだよね、食べ終わったら」
いろいろな意味で実に芦屋らしい発言だ。後半はともかく、別にひとりで2つ取ろうが3つ取ろうが見とがめる者も無いだろうに、妙なことを気にするあたりがとくに。ルールとか公平さに頑固にこだわるところがあるのだ。そんな性格のくせに嘘と沈黙を自ら抱え込んでいるのはどれほど耐え難いことだろうと彼、ないし彼女、の秘密を偶然知ることとなった佐野は考える。屈託がないと言うよりはむしろ能天気な普段の言動からはそんな事みじんも感じられないけれど。

佐野はやおら席を立つとマーマレードを一つ取ってきた。
「ほれ、これ俺の分、やる」
「本当?」芦屋は嬉しそうだ。「えへへ、ありがと。実はおれ今日誕生日なんだ」
「そうなのか。じゃ、ついでだから朝食のジャム一年分やるよ。どうせ俺ジャム使わないし、っていうか苦手だし」
「えっ一年分!!すげー豪華!ありがとう!」
佐野の手をぐいと引き寄せ、両手で包み込むようにして感激を表したらしい芦屋は、固まる佐野の様子に自分の行動の大胆さを自覚したらしく、ちょっと赤面して、それでもにっこり笑って「素敵なプレゼント、嬉しい」と言った。

その笑顔は佐野を一瞬うろたえさせた。

どうしてだろう、このところ、芦屋のちょっとした表情に、何か胸が詰まる気がするのは。胸に湧く温かい柔らかいものが本来の自分を押しつぶし、混乱させる感じがする。正直それほど不快ではないけれど、違和感ではある。
だからこそ、そんなことはおくびにも出さず
「お前ほんっとに甘いモン好きなんだなー。隣にいるだけで胸焼けしそうだ」
などとまぜっ返して芦屋をふくれっ面にし、あの危険な笑顔を一時的に遠ざけるのだ。
とりあえず今は、心の平安を優先することにして。
そう、とりあえず。


(おしまい)


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