*この作品は、6000番目の迷子、てふてふ様にお贈りいたします。

ちょうちょ結びの日々


    序  /  蝶結び


始まりは、野江からだったろうか。
いや、正確には、マンガ研究部の丹波橋先輩の浪人が確定してしまった事がそもそもの発端だ。先輩は、悲壮な決意のもと、寮の自室に秘蔵していた膨大な数の少女まんがコミックスを、野江に譲ったのだ。(もっとも、これらは「手元用」の本で、自宅には「保管用」がちゃんとあるのだと聞いて瑞稀たちは驚愕した。)
かくして急遽大量のコミックスのオーナーになってしまった野江は、自分が個室に移動するまでの間、それらの保管を近場の部屋に分散させることにしたのだった。
「読まない?」と笑顔で誘われたが最後、段ボールいっぱいの本が届いてしまうのだ。

しかし、後には、じっくり読む少女まんがにみんな夢中になり、ちょっとした少女まんがブームまで起こってしまう事になる。

最初の日。
205号室では、預かった本を5冊ぐらいずつひもで縛ったあと、段ボールの中に放り込んでいる。どうせしょっちゅうほどくことになるから、と佐野が蝶結びでまとめていると、瑞稀の方も同じようにやり始めた。しかし、瑞稀は今ひとつ力が足りないらしく、蝶結びが崩れてしまうか、または上手く形が整っても、結び方自体としてはゆるゆるでなんの役にも立たないものになってしまうのだった。
「片葉結びにしたら?」見かねて佐野が提案する。
しかし、瑞稀は頑固に「こっちの方が可愛くて少女まんがって感じがする」と主張する。役に立つのかなんなのかよくわからない蝶結びは、そのまま中身の少女まんがを象徴しているようで、佐野は「深いな…」などとつぶやき、瑞稀に不審がられるのだった。


    1  /  洗礼


各部屋にどの本を置くかは、主に野江の判断による。単なる先着順の時もあるし、置く側の希望を聞くことも、もちろんあるのだが。
ここ205号室には同じタイトルの本が大量にそろった。「パタリロ!」だ。

これが運び込まれたとき。
「ほら、佐野って落語とか好きだろ?だったら気に入るから!」と嬉しそうに言う野江。
ええっ、そうだったの!!!と内心驚く瑞稀。無反応な佐野。
佐野は黙って一番巻数の若いものをさがし、ようやく見つけた1巻を手に、読み始める。
野江が「別に順に読まなくってもわかるよ。続いた内容の時もあるけどね」というので瑞稀は手元にあったものをパラパラと繰る。

正直言って、アメリカで生まれ育った瑞稀は、「少女まんがは苦手だ」という佐野以上に、少女まんがのリテラシーというか……読みこなす能力が不足している。いくつかの暗黙の約束事がたぶんよくわかっていないのが原因だと見当はつくのだが。とりあえず、読むのがものすごく遅い。
今回、適当に読み始めたら、基本の人間関係がよくわからないのに気がついた。面白いんだけれど、どうやらおもしろさの半分ぐらいを損している、気がする。これはやっぱり1巻から順に読まなきゃ。佐野を待って。
で、ふと顔を上げると。
佐野が百面相していた。

一瞬真剣な顔をしたかと思えば、肩をふるわせて笑いをこらえ、また怪訝な表情を浮かべ、再びニヤニヤ笑いを唇の端に載せる。

なんて珍しい。

瑞稀はもう、マンガより絶対こっちの方が面白い!と確信して佐野の表情を飽きることなく眺めていた。

結局一日中マンガ漬けになっていたその日の終わり、佐野の感想。
「確かに落語ネタは多いな。オカルトネタもよくできてた。それ以前にとにかく面白いけど」
「けど?」
「これホントに少女まんがなのか?っていうか、少女まんがってこんなのか?」
「???」

「けど」の中身が瑞稀にもわかったのはその二日後。美しくも濃厚な男同士のベッドシーンに思わず本を伏せた瑞稀と目があった佐野は、面白そうに「ふ」と笑ったのだった。


    2  /  真打ち


さて、沢山あったパタリロ!を消化すると、よその部屋にある分と交換して読むのは当然だ。一番たくさんの本が置かれているのは野江たちのところなので、(ちなみに二番目が普段から物が多くない瑞稀たちの部屋である)とりあえず夕食後に何か借りに行く。

「うーん、こういう絵柄とか苦手かも知れないけれど、絶対面白いから!」
と野江は一山の本を指さす。
「少しでいいよ。」というと、「じゃ、とりあえず十冊。」と、貸してくれた。
「とりあえず、で、どうして十冊なんだ?」と佐野は呆れている。「二,三冊でいいのに。」
そして。
「しかし……これは…」と、目に星で背中に花な、いかにも昔の少女まんが風の表紙を眺めていたのだが、「おれ遅いから佐野先に読みなよ」との瑞稀のコトバに背中を押されて読み始めるのだった。タイトルは「ガラスの仮面」。

隣で見ていると、めちゃくちゃ読むのが早い。はじめはそうでもなかったのだが、途中から明らかに加速している。しかも真剣だ。
「そっか、本当に面白いんだ〜」と、瑞稀も佐野の読み終えた分を読み始め……

はまった。

気がつくと日付が変わっていた。
十冊を読み終えた佐野はまたはじめから読み返している。
瑞稀も、あと三冊を残して眠るなんてできない。
「十冊借りてて良かったんだか悪かったんだか」ふたり、顔を見合わせて笑った。

翌日。夜更かししたのに、早く目が覚めた。続きが気になるのだ。
佐野ももう起きている。
「気になるよね、続き」と話題をふると、黙って頷いた。
照れている佐野、っていうものが見られただけで、今回は大収穫だ。

さて今日は日曜日なので、朝食時間もいつもより幅がある。野江はいつも九時頃だった、と思い出す。借りに行くならその後が妥当だろう。

「あんまり朝早くから借りに行くのも、だね。気になるけど」
「……」
「でももしかしたらもう起きてるかも知れないし、ダメもとで行ってみようか?」
「まだ六時だぜ」
「あはは、やっぱ早すぎる?」
と、笑いながら扉を開けて、驚いた。
部屋の前にど−ん!と大きな紙袋が置いてある。
一番上に、レポート用紙が乗っていて、そこには「続き。」とマジックで大書されていた。野江の字だ。中身はもちろん、十一巻からあとの残り全部で、ふたりは野江の洞察に改めて感心するのだった。


    3  /  あした


その後ふたりは快調に読み進めている。
佐野が「……結局何だったんだ。」との感想を漏らす、甘甘路線の恋愛もの。ちょっとビターな話。少年漫画にもありそうで、でももっと心理描写が細やかな、冒険もの。
瑞稀のリテラシーもそれなりに向上した。
何より、「少女的なもの」が慢性的に不足していた身には、心のリハビリ効果が大きかった、と思う。・・人には言えないけれど。

「動物のお医者さん」を読んでいた佐野がふと顔を上げた。
「おまえんち、獣医だったよな」
「うん」
「……お前もそっち方面とか、考えてるわけ?」
「うーん、全然考えないわけでもないけど、正直、今の成績じゃ難しいなあ」
「ふーん」
「佐野は?」
「うーん……」

考えてみれば進路の話はふたり、意識的に避けていた。本当はもっと前から、聞きたくて仕方がなかったんだけれど、「どうしてそんなことを聞く?」と問われたときちゃんと返せる自信がなかったから。そう、ふたりとも。

こんなきっかけでそれがやってくるとは思わなかった。
でも、結論から言えば、ふたりともお互いがまだ迷っていることしかわからなかった。

「これ、含蓄あるなあ。
 動物が大好きで獣医になったけれど、それは動物から一番嫌われる職業だった、ってところ」
「あはは、そう言えば父さんもそんなこと言ってぼやいてたの聞いたことあるよ」

くすくす笑いながら、瑞稀は考える。
佐野が大好きで、どこまでも追いかけていきたい気持ちは、正直、ある。
でも、佐野はきっと、誰かのために自分の本当の夢を削ってしまうなんて事、許してくれないだろうという確信も、一方にはあるのだ。

あたしは、とにかくあたしをきちんとやらなければ。

「どうした、ガラにもなくまじめな顔して。……夕飯の献立、気になるか?」
とからかう人に、「人が真剣に考えてるのにぃ!」と切り返すと、205号室にはいつもの空気が戻ってきたのだった。


そして、ふたりの「ちょうちょ結びの日々」は、たぶんまだもう少し続くのだ。


(おしまい)


とってもお待たせしました。6000ヒットのキリ番作品です。
てふてふさんからのお題は「花とゆめコミックスを読む佐野」。……難しかった…
タイトルできたらあとは早いかと思ったんだけれど、そこからもとてつもなく長くて。

今回も野江大活躍なのは気のせいではありません。
佐野が落語好きっていうのはちゃん太の妄想ですが、気に入ったので使ってしまいました。

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