この作品は、10000番目の迷子、てふてふ様に捧げます。

バタフライ・キス


年が明けてからずっと、寮内はなんだかアルコールくさい。

皆が実家からもどったら、遅ればせの新年会。部活や委員会で3年生がいなくなると言っては、送別会。本命の受験が終わった者を囲んで、打ち上げ。遠方に受験に行く者を捕まえて、壮行会。(これはかなり迷惑だと思う。)そして合格した者を囲んで、祝賀会。そのほかにも、バレンタインのやけ酒パーティーとか、わけの分からない飲み会が毎日どこかの部屋で開かれて、寮の資源ゴミ置き場はビールの空き缶やワインボトル、地酒の一升瓶などが山積みになっている。桜咲で寮生活をしたために、アルコール依存予備軍となってしまう者もいるのではないかと、芦屋瑞稀は密かに危惧しているのだが、そのような疑問を抱く者も別にいないようなのがまた余計に、ちょっとこわかったりするのだった。

そんな状況の、2月下旬。

ここ205号室ではいつもの面子が揃い、なんだかわけのわからない宴会に突入していた。
野江が「先輩からまわってきたんだ」と、ワインの一升瓶を2本も持ってきたのだ。
もちろん、このメンバーがそれを放っておくはずなど無い。

この時期は結構微妙な時期だ。
進路志望調査票と、選択科目希望調査書が手渡され、月末の提出を控えている。
卒業式は月末だ。(とはいえ、退寮はだいたい3月半ばという者が多い。)
その後、新3年生には、部屋の移動が待っているのだ。

いつものメンバーも、それなりにいろいろの事情や思い、あるいは心配事や後悔を抱えて集まっているわけである。
中央で言うと難波先輩の卒業であり、関目で言うととうとう彼なりの期限のうちに彼女が作れなかったことであり、そして佐野と瑞稀で言うと、個室への移動、というところだろう。
それでも酒宴は重苦しい雰囲気にはなく、結局は、たわいのないバカ騒ぎになるだけ、なのだが。

程良くアルコールが回り、瑞稀は中央と野江の会話を聞いている。
中央は飲み始めに盛大に泣いてしまってから憑き物が落ちたようにすっきりして、すでにさっき泣いていたのは誰?とばかりにけろりとしている。野江は心配事があるらしく、ずっと顔色がさえない。

「あのさ、野江、一度聞いておきたかったんだけれど」
「?」
「佐野って酔ったら実際のところどうなの?」

「お、思い出したくない……けど…
 一年のはじめての飲み会でさ、佐野の隣で飲んでたんだ。
 いつもしゃべらない奴だけど、酔ったらちょっとはしゃべるかな、とか気楽に考えていたんだけれど、コップ半分ぐらいでますます無口になってさ。
 そのうち目の回りとかうっすら赤くなって、『あ、もう酔ってるのか?』
 なんて思って、『どうした?』って声をかけたんだよ。
 そしたら、んー、なんか熱っぽい目と目が合ってしまってさ。
 な、なんかヤバイ、と思う間もなくこっちの方へずずずって寄ってくるんだよ。
 はっと気がついたら壁際に追いつめられて」

(う、あたし、2度ばかり覚えがあるかも……)

「で?」
「オレ情けないことに『ヒエッ』なんて叫んじゃって。
 そしたら関目が異変に気づいて、佐野を背後から殴ったんだよ。
 ホント危機一髪って感じ?ファーストキスの相手がオトコじゃ情けないもんな」
「あははは」

キスの話題がでて、そばにいた関目が待ってましたとばかりに割ってはいる。

「キスっていやー、野江、お前エリカちゃんとどこまで行ってんだ」
どうもみんなその点が気になっていたようで、あっちで話していたはずの萱島たちまで寄ってくる。もちろん瑞稀も興味津々なのだった。

「えええ???そんな、普通だよー」
「フツーってどうフツー?だいたいこの中で彼女もちお前だけなんだぜ。そんな奴にフツーなんて説明されてもわかんねーよ、な」
関目は酔ってちょっとガラが悪くなっているようだ。

「バレンタインの時ちゃんとチョコもらってたし。
 それとも、チョコレートの他になにか?『私も食べて』、とか」
意地悪な質問に中央はきゃーきゃー騒ぐ。意外なことに萱島まで口笛を吹いている。アルコールってこわい。

「チョコだけだよ!!!……」
答えたあと、しばらく黙って、皆の注目を一身に集めていることを再認識すると、野江は覚悟を決めたのか、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ちょっと待った。前の飲み会の時えらく泣いてたよなー。やばくないかい?」と瑞稀は思ったのだが、かといって打つ手はなかったのだった。

「で、キスぐらいはしたの?」中央が遠慮なくズバリ聞く。
「ダンパの帰り、すごく盛り上がって……キスした…んだけれど……
 そのあと、なんかどっちもヘンに意識しちゃって。
 バレンタインの時も、こういうイベントの時だったらいけるか!なんて、虫のいいこと考えてたけど、全然そんな感じにならなくって。
 ……やっぱ、こんな意気地なし、エリカちゃんは嫌いかなあ……」

案の定様子がヘンになってきた。野江はすっかりうつむいている。
みんなようやくここに来て前回の顛末を思い出して、「しまった」と思っている。
野江とその彼女は(少なくとも傍目には)とっても仲がよいので、周囲としてはついついからかってしまうのだが、本人にはまた違う思惑というか問題点があるらしい。見当はずれな悩みって気もするが。
「大丈夫だってば」となぐさめの声をかけようとした瑞稀を遮ったのは、意外な人物だった。


時は少し前にさかのぼる。
いつものように宴会になったが、中津は佐野のことが気になっていた。
皆が酒を楽しんでいるときに佐野は飲めない。
本当は佐野も飲みたいんちゃうん、と思うと、やっぱり気になる。
佐野の酒癖は有名だが、実際の被害者というのは中津の知る範囲ではいない。もしかしてアレはただの伝説って言う気もする。
「やっぱり、ちゃんと腹割って話したいしな」
お互いに同じ思いを共有していることを確認して以来、わだかまりはとけたのだが、当然ながらことさらじっくり話すことはなかった。今夜は久々のチャンスかも知れない。
「泉も飲めや」
「いや、俺は……」
「かまへん。いけるって。前とちごて、みんな気ぃつけてるし。オレ一人飲んで酔ぉてしゃべってて、ゆーのん、イヤやねん。変なことになったらオレがどうにかするし、飲めや」
「……」
黙ってコップを差し出す佐野。
ふたり、ぽつりぽつりと、たわいのない話をはじめていた。
「よっしゃ」中津は内心たいそう喜んでいた、のだが、佐野には佐野の思惑があったのだ。

中津は佐野に飲ませるという自分の計画が成功したことに満足して、その実佐野がほとんど飲んでいない事には気が回らなかった。また佐野の方でも、自分が飲んでいないことは他のもの、とくに中津には悟られてはいけなかったのだ。――結果的に、であるが。

話が途切れて、佐野が中津に酒をつぎ足す。
向こう側で5人がなにやら騒いでいる。
「なんやろ?行こか」
佐野を誘ってしまったことを中津はあとで死ぬほど後悔することになる。


「キス?」
およそ佐野にもっとも似つかわしくないことが、会話に割り込むことだろう。その似合わないことをしている佐野は、なんだか目が据わっている、ような気がする。
とにかくいつもの佐野じゃ、ない。とりあえずその場の全員は硬直した。

「誰だ佐野に飲ませた奴わ!」関目が情けない声を出す。
中津はぶんぶん首を振り、
「せやかて、さっきまで全然フツーやってんで!!」と答えている。
「そういう問題じゃないだろー!!飲ませたんだな?!」
「……しゃーかて…」

「きっかけがないのか?簡単だ」
背後の騒ぎには全く関心がない様子で、佐野が野江に話しかける。
野江はすっかり固まっている。おおかた前回の恐怖がよみがえっているのだろう。
瑞稀は固唾をのんで事の成り行きを傍観している。いや、そのはずだった。

「要は事を大げさに構えないことで。
 別れ際とかに、ちょっと近づいて」
そのときなぜか何の脈絡もなく佐野が瑞稀の方を向いて微笑んだ。
ぞくり。・・・なんか、こわい。いや、素敵といえば素敵なんだけど。すでに混乱している瑞稀である。
「蝶が花に止まるような、軽いキス」
いいながら斜め後ろの瑞稀に唐突に顔を近づける。

あ。

全員、わけが分からないうちに、佐野の唇は瑞稀のそれをかるく掠め、再び一瞬重なった。

瑞稀は見る間に真っ赤になったが、間もなくぽってりとその場に倒れてしまった。

「アメリカ生まれのくせに、だらしねー奴」
ふてぶてしく平然と言い放つ佐野。

ここで、ようやく我に返った中津が
「泉のアホ!」と叫んで、見事な拳を鳩尾に決め、佐野もその場にずるずると沈んでしまったのだった。

その間、わずか1分足らず。

もちろん、酒宴はその場でお開きになり、皆はそそくさと酒ビンを片づけて退出し、あとには意識のないこの部屋の住人が残るばかりとなったのだった。気を失ったのが両方ともこの部屋の人間でよかったと皆が思ったのは言うまでもない。


意識を取り戻した佐野が、「案外使える手だったな」と思ったことや、
瑞稀が「アレって、やっぱり、キスだったのか?」と悩んでも、誰も答えてくれそうになかった、というのはまた後の話。

ともかく、「佐野には絶対飲ませるな」が伝説ではなく鉄則になってしまった一夜なのだった。


(おしまい)


こ、こんなんですみません〜〜。
佐野確信犯なんですが、そのへんが全然上手く書けないです〜〜。
ついでに、きょうびの高校生カップルのつきあいとか、それについての男の子の心情なんて、ぜーんぜんわかりません!!!

でも、これ以上お待たせするのもナンですし、
何よりも2ヶ月も書けないでいると、このまま永遠に書けないような気がしてきたので、とりあえず完成と言うことにしておきます。
てふてふ様、ごめんなさい……

あ、野江くんとエリカちゃんの関係については全くもってわたしの趣味ばしった妄想ですよー。「勝手に野江くんが心配して空回りしている」のです。念のため。

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