シャワールームの当惑


瑞稀はシャワールームに一人残されて、ぐるぐると当惑している。

来い、といわれて思わずうなずいたのは、やっぱり迂闊(うかつ)だった。
だいたいが本質的にうっかり者なのだ。こんな自分が、性別を偽るなどと言う、重大な秘密をずっと守ってこれていることは、はっきり言って奇跡だ。

それはともかく。

まず解決すべきは、着替えを持ってきていないことだろう。
そもそも佐野は瑞稀を起こすためにシャワールームに連れてきてくれたのだから着替えなどという発想はないし、よしんば解っていたとしても、着替えを出すために下着の入った引き出しを開けるようなことはしない、というよりできないだろう。
どうしても瑞稀が自分で取りに戻らないわけには行くまい。

しかし、ここを出るとたぶん佐野と顔をあわせてしまう。しかも彼の思っているのとはきっと異なる理由で部屋に戻るのだから、ただでさえ思い切り気まずいこの状況、気詰まりさは更に倍増だ。何か方向が違うような気がしながらも、透明人間になるすべはないものか真剣に考えてしまう瑞稀だった。

しかし当然いくら考えてもらちが明かないので、意を決してシャワールームからそっと出る。

「どうした?」……ああ、やっぱり。佐野の優しい視線がちょっと恨めしい。
「あ、うん、タオルと着替えを…」
「タオルなら貸すぜ?着替え…あ、そうか。……要るのか?……」
「ええっ!?」

よほどの勢いで言ってしまったのか、佐野はしまったという顔をしている。そしてやや視線を落として言う。
「ごめん……その……決心がつかないんだったら………いくらでも待つから…」
「……うん……」

うっかり大好きな佐野にあんな表情をさせたことの申し訳なさに瑞稀の声は消え入りそうだ。でも、いまひとつ決心がつかないのも本当だったから、返事はますますもって曖昧なものになるのだった。

それでもとりあえず梯子段を登って、ベッドの枕元の引き出しを開ける。伊緒さんからベストと一緒にもらったかわいい下着とナイティ。まさか、この学校にいる間に、本当に使う日が来るとは。これをくれた伊緒さんはこの日が来るのを予測していたのだろうか。だとしたらすごいと言うかなんというか……。

しばらくそれを眺めていたが、新品のバスタオルの中に丁寧に畳み込むと、梯子段をゆっくりおり、佐野の方は極力見ないようにして(って、正視できないし)無言でふたたびシャワールームにすべり込む。

いつもの数倍の手間をかけて身体を洗う。
シャワーの水音よりも自分の心臓の音の方が大きいような気がする。
耳の隣に心臓が引っ越してきたのかと思うほどだ。
とっておきのすずらんの香りの石鹸を楽しむ余裕など、もちろん、無い。

落ち着かない気持ちのままお湯に浸かって、今日起きたこと、そして今起こっていることを反芻してみる。そしてこれから起こることは……

え?ちょっと待った。

なんと言ってここを出てゆけば……あるいはあちらに向かえばいいのか。
「お待たせ」???何か、違うような気がする。
「よろしくお願いします」……これもあきらかに変だ。
黙ってつっ立っているというのもどうかと思う。
一体先人達はどのようにこういう場をくぐり抜けてきたのだろう。ちゃんと聞いておけばよかった。あああ、どうしよう。

「聞くって、でもいったい誰に?」という禁断の質問が出て、このぐるぐるは一応の終結に向かう。とにかく、その時が来てしまったのだから、なるようにしかならない、と自分に言い聞かせて。

佐野は佐野で、先ほどの不用意な発言をすこし悔やんでいた。ちょっとはしゃぎすぎたかな。それに、瑞稀のあの夏の日の心の傷がはたして既に癒えているのかも急に心配になってきた。文字通り泣きわめいていたその姿の記憶は、これまで長く佐野の衝動を抑制する優良なブレーキとなっていたのだが、ここに来て再びストッパーとしての役割を果たそうと心に何度も浮かび上がってくるのだ。

軽く目を瞑って、頭をふる。心の中を整理するために。……とりあえず、瑞稀が来るまでに、それなりの準備を整えなければ、というありふれた結論を導く。
とりあえず施錠だ。この場合、どんな乱入者もあってはならない。中津でも来たら最悪だ。そしてベッド周りを整える。こういう場合、どうするのがいいのか、難波先輩の講座(と寮内では呼ばれていた、彼のかずかずの武勇談)にもちゃんと参加しておくべきだったか。今さら考えても仕方無い事ではあるのだが。そしてなかなかバスルームから出てこない瑞稀をベッドに腰掛けて待っていると、ますます不安になる。これから起こることは瑞稀を泣かせることにならないのか?イヤそれよりも、今この時点で二人の間の、否、佐野自身の歯止めをはずしてしまっていいのか?

思いもかけないことに、つい先ほど瑞稀と自分が同じ思いであることが解った。そして口づけを交わした。思い出しても甘く物狂おしい感情が新たにわき上がってくる。でもその一方、妙に冷静な自分もいて、本当にこれでよいのかと意地悪く何度も訊いてくるのだ。

そしてバスルームの扉がためらいがちに開く。
「あの……佐野……」

お湯を使って白い肌をばら色に上気させた瑞稀がおずおずと扉から出てくる。少しうつむき加減に。

立ち上がった佐野はやや大きな歩幅で瑞稀を出迎えて、無言のまま抱きしめる。
一瞬驚きを瞳に浮かべた瑞稀だったが、佐野に抱きしめられた際に、彼の鼓動が自分と同じぐらい早いのに気がつくと少し落ち着いてくる。

ドキドキするけれど同時にほっとするのは……もしかして、ここが、佐野の腕が、あたしの還るべき場所だからなのかな。

「えへ」と少々落ち着きを取り戻した瑞稀はふんわりと笑う。
「ベッドに来てくれって言われたから、なんて言って行けばいいのかずいぶん考えちゃった。馬鹿みたいでしょ。」
ああそうかと佐野は悔やむ。
「ごめん…俺……そういうことあんまりちゃんと考えてやれなくて…」
そんな残酷なことを要求していた自分に精一杯答えようとしてくれる、腕の中の愛しい存在。もう離すわけにはいかない。

そして、一歩。
二人の関係は既に動き始めていて、どちらに進むのかまだわからない。
でも、二人で進んでいくのだ。いま、それだけは確かだと、つないだ手から伝わる体温と鼓動を共有していることをあらためてかみしめる二人だった。

(おしまい。続きはあなたの心の中で……(苦笑))


1年ほど前、でしょうか。
甘いお話なんて絶対書けないよー、とじたばたしていたら、ちゃん太が「ひかわさんの甘甘設定お借りしてみたら書けるんじゃない?」なんてそそのかすんです。で、できたのがこれ。
ひかわさんの「書かせて小説」第1話2章の設定を使って、私なりに続きを考えたもの、です。(ぜひひかわさんのほうの、正しい続きも読んでみて下さいね。)

その後、どうせならひかわさんにプレゼントしちゃえっていうたいへん乱暴な思いつきでお贈りしてしまいました。
自分の設定をさんざんいじくられたひかわさんはさぞご不快ではなかったかと、とっても心配しています。ごめんなさい。

内容としては「ここが私の還る場所」、の一節が書きたかったと言うだけのお話です。
ここで終わるの?なんて言わないでね。甘い展開が書けないと言うか考えられないので、それに開き直ってみた、ってところかな。

でもやっぱり変な話だと自分で思う・・・
発表当時話題になった(?)佐野の気の利かないセリフは、実は結構お気に入りなのでした。ははは。

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