よりごのみ


依頼のあとで立ち寄った碑文の森。そこから陽だまり邸に帰る途中、アンジェリークは小さなカタツムリを見つけた。一番小さな硬貨ぐらいの大きさしかないそれが、のんびりと枝を這っている様子はどこか微笑ましく、同伴するジェイドに
「ジェイドさん、カタツムリがいますよ。可愛いですね」と報告すると、
「本当だ。可愛いなあ」とものすごく嬉しそうな笑顔が返ってきたので、幸せな気分も膨らむ。
早くすべてを終わらせて「カタツムリをゆっくり眺めるような平和」をこの地に、と改めて誓うのだった。



時は下り、いくつもの戦いを経て、アルカディアにも平和がもたらされた。
アンジェリークも仲間たちもまだ陽だまり邸を拠点にして世界の復興に力を尽くしている。

先日は皆でフルールに赴き、鉢花を仕入れてきた。
たくさんの花に目移りしていると、レインがてきぱきと皆の分を決めてしまったのには驚いた。
その時のペチュニアがいい感じになってきた、とジェイドが微笑む。
「見せてもらっていいですか?」
「もちろん」
ああ、この表情に何度救われてきただろう。アンジェリークは密かに思う。
いつもジェイドさんは私の安らぎ。いや、それは少し違う。安心すると同時に落ち着かない気持ちにもさせる、カレイドスコープ。

アンジェリークはジェイドの部屋に招き入れられた。
窓辺に並べ置かれた小さい鉢にはそれぞれペチュニアが植え込まれ、株が増えたせいでこんもりと盛り上がっている。
「ペチュニアの気持ちになったら、少し手狭になってきているんだろうけれど、見る方としては山盛りな感じがとてもいいと思うんだ」
「色ごとに鉢をわけてあるんですね!カラフルで素敵です」
「君がそう思ってくれて嬉しいよ。それにね、実は可愛いお客様もいるんだ」
ジェイドはますます笑みを深くするが、アンジェリークの脳裏にはいきなり過去の芋虫事件が甦っていた。悪い予感がする。また蝶かなにかなのか?そして密かにこぶしをぎゅっと握る。ジェイドさんの笑顔を守るためなら、芋虫だって毛虫だって、受けて立つわ、と。

「案外食いしん坊で花との共存が難しそうなのが難点なんだけれど、いちばんいい方法を模索中、って言うところかな」
と、葉を裏返した場所には、小さいけれどころころとした、なめくじ。

意表を突かれてアンジェリークは固まる。
「憶えている?碑文の森でカタツムリを見つけた時のこと」
「ええ、もちろんです」
「可愛いよね。陸貝ってこの殻のないタイプの方が弱いはずなのに活発で、なんだか上手く言えないけれど、『人間』の存在に似ているかも、なんて思ってしまうんだよ」
「そうなんですか…」

確かに、カタツムリを可愛いと表現したのは自分だ。
カタツムリもナメクジも生き物としてはほとんど変わらないことも知っている。
だから今の状況がアンジェリークを喜ばせるためだけの、ジェイドの好意100パーセントから成り立っていると言うことも。
アンジェリークは心を落ち着けようとしばし瞑目し、状況打破の方策を考えた。

「でもジェイドさん、葉っぱを食べているうちは大丈夫でも、茎の根元をかじられたらペチュニアはあっという間にダメになりますよ?だから共存は諦めた方がいいと思います」
「そうなのかい?」
「私はフルール出身ですよ?お花のことにはちょっぴり心得があるんです」
「そういえばオーブハンターの時、花屋さんが出したクイズにもすらすら答えていたよね。あれには正直驚いて、それから俺のアンジェはなんて素敵なんだろうとあらためて君を誇らしく思ったよ」

どんなに嬉しい言葉を聞かされていても、ナメクジの処遇が決まるまでアンジェリークは気を抜けない。

「だったら残念だけれど君には庭にいてもらうことにしようか。ごめんよ」
とナメクジに話しかけて、手のひらに乗せたジェイドは、アンジェリークを伴って庭に出ようと、もう片方の手を伸ばした。
アンジェリークはそれに気がつかないふりをして、提案する。
「私、じゃあお茶の用意をしてお部屋に持ってきますね。ほら、先週作ったパウンドケーキが食べ頃のはずだし」
「いいね。急いで彼の引っ越しを済ませてくるよ」
手を振るジェイドを見送りながら、カタツムリとナメクジのように、よく似たものに対する好感情と悪印象について、自分はジェイドにどのように説明できるのかとアンジェリークは心の中で頭を抱えるのだった。


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