夢見るリアリスト


正直言って、少しばかり期待していた。


イザベラの舞踏会のドレス作りに協力するという依頼は、思いがけずにオレとアンジェリークの距離を縮めた。
タナトスを倒して千夜草を摘んでくるのに一日、ドレスの仕上がりを待つのに更に二日半、一件片付けるのにあんなに時間がかかって、しかも実際の手間自体は通常の依頼と同じぐらい、なんてのはたぶん他にはないだろう。
おかげで二人の間の会話は少なく見積もって通常の依頼の3倍以上、街の中をうろうろする間、お互いの好みについての情報量も飛躍的に増大した。
また、千夜草が生えるという翠羽の泉への道中では、普段できないような話をした。依頼の内容が内容だけに、お互いの親の話とか。そんなデリケートな話題でも、戦いへと向かう緊張感が手伝ったのか、あまり湿っぽくならずに済んだのはラッキーだ。お互い親がもういないのはすでに了解済みっていうせいも多分にあるだろう。で、その流れの中で誕生日の話が出て、正直に教えるとあいつは「それってもうすぐじゃないの!」とものすごく驚いていたんだ。

千夜草を持ち込んだウォードンの仕立屋で、あいつは仕立屋の奥さんから何やら受け取っていた。あのとき工房にあったものから考えて、糸とか布とかそういうものだと思う。さらにドレスを待つ間に二人でウォードンで買い物した時に、編み針を買っていた。本人的にはこっそりのようだったので、オレもそれが何なのか気づかない振りをした。

そして依頼をすっかり済ませて陽だまり邸に帰って以来、あいつは部屋にこもりがちだと言う。伝聞なのはオレ自身も部屋にこもって研究をしていることの方が多かったからだ。

そして、今日はオレの誕生日当日だ。


朝一番(といっても世間的には昼近いと言うべきだろう)、なんだかちょっと肩が凝ったかな、と腕をぐるぐる回しながら階段を下りたオレに、ヒュウガが軽く運動するといいだろう、と剣の稽古をつけてくれた。なるほど、これがプレゼント代わりなのか。本人からはプレゼントのプの字も出ないけれど。
ニクスは、昼食の後、ちょっとついでがあったものですから、と、カルディナにある学術書専門古書店発行の目録をくれた。1年半ぶりに最新版が出ていたのは知らなかった。
ジェイドはオレの好物ずくめのディナーを作ってくれた。おまけにデザートはアンジェリークの作ったアップルパイだ。
もちろん、食事の最初に「誕生日おめでとう」のお祝いの言葉と拍手。ちょっと照れる。
大げさすぎないけれど嬉しいところは全部きちんとおさえてある、オレ的には近年まれに見る素晴らしい誕生日だったと言える。

けれど。これでもう終わりなのか?と言う気持ちももちろんあるわけで。とくにアンジェリーク方面。
…そうだよな、ちゃんと大好物のアップルパイを手間暇かけて作ってもらっているのに、それ以上なんてちょっと期待しすぎだよな。オレはリアリストだと自認していたけれど、どうもあいつが絡むと夢見がちになるらしい。


ディナーの後、部屋に引き上げて早速古書目録をチェックしていると、ノックの音がした。
「どうぞ」と答えると、開いたドアの向こう、アンジェリークがリボンをかけた包みを手に立っていた。
……もしかするともしかするのか?という思いと、今さらなんだよ、な気分が、ない交ぜになっているのを気取られたかも知れない。あいつの表情がいまひとつ冴えない。

「レイン、お誕生日おめでとう。もっと早く渡すつもりだったんだけれど、なんだか気が引けて遅くなってしまったの」
ビンゴ!飛び上がりたい気持ちを抑えて平静を装い、ドアのところに立っているあいつに中にはいるように促すと、かなり遠慮がちにゆっくりと入ってきた。
「あまり時間がなかったからこんなものしかできなくて」デスクのところに来たあいつはものすごくすまなそうにオレに包みを差し出す。オレはがんばって余裕の表情を作り、穏やかに告げる。
「お前からもらうものならなんでも嬉しいに決まってるだろ?」
あいつの表情がぐっと明るくなった。

はやる気持ちを必死に押し隠して包みを開け始めれば、中味はふわふわした黒いもののようだ。とにかく編んだものなのは確かだ。
「えっと、セーター、かな」
「…それが糸も時間も少なくて」あいつはまた表情を曇らせて、視線を落とす。この話題はまずかったのか。でも、この状況で他のことを話すのはもっとヘンだと思うので、これで続けるしかない。
「マフラー?」
「実ははじめはそれも考えたの。だけれど、レインのチェーンと絡まると悲惨かなって」
オレの脳裏には反射的にマフラーとチェーンが絡まってしかも更にどこかに念入りにからみついてしまうという地獄絵図が浮かぶ。確かに最悪だ。
「…なるほど。じゃベスト?」
「ええ、ベストは尽くしたつもりよ」そこは譲れない、とばかりに、やけにきっぱりと言った。

すっかり開封して持ち上げたそれには袖も襟もなく、ただ筒状だった。
これはどうやら、オレのボキャブラリーにはかろうじて存在するが、ワードローブには未だかつて存在しない、アレだ。
何かコメントしなくては、と焦るとよけいに言葉が出ない。

「…ネックウォーマーと言うことにしておこうか、お互いのために」
「いいえ、現実を直視して。私はいつかレインがお腹壊さないか真剣に心配なのよ」
「…わかった」
心配してくれるのは嬉しいし、手作りというのは感激だ。それでも、だ。オレがアンジェリークの好みをパーフェクトにチェックできたと思ったあの数日間で、アンジェリークはオレのスタイルやポリシーを少しも掬い取ってくれなかった、ということなのか。

オレがそれを手に持って硬直していると、凝視しているとでも思ったのか、あいつが付け足す。
「その糸は普通の黒の染料に千夜草を足して染めてあるんですって。特別な技法らしいわ」
「確かにそう言われてみれば色の深みが違う気がするな」
少し角度を変えてみると、千夜草の独特の色合いが黒の合間に見え隠れする。
「仕立ての早さといい、ドレスのみごとな出来映えといい、今思うとあのウォードンの仕立屋さんってかなりすごい職人さんだったのね」
「ああ、そういえばイザベラも千夜草で染める技術を持っているのはあの親父だけだとか言っていたよな」
「…ということはあの仕立屋さんが千夜草で染めたこの糸はとっても貴重なものだったのね。今あらためて気がついたわ。もっと時間があれば凝った編み地にできたのに、残念だわ」」
貴重なものならやっぱりもっと違う何かが、ほら。というか、凝った編み地のボディウォーマーって、どうなんだ?と思いつつ、ふと浮かんだ言い訳を言葉にする。

「おまけに編み手がこの世でたったひとりの女王の卵と来ている。そう思うとなんというかスペシャルでゴージャスな品だな。粗末に扱えば罰が当たりそうだから、大切にしまっておいた方が良いかもしれないな」
やっぱりなんだか苦しいかな、とは思ったが、案の定彼女は許してくれなかった。
「ダメよ。毎日使って欲しいと思って作ったのよ。寒い場所で戦闘するたびに、レインの背中見て私が寒くなるのはもうイヤなの」
戦闘中、背後から熱い視線を感じ、またそれが戦う原動力にもなっていたことがあったけれど、まさかあの視線にそんな理由がこめられていたとは!アメイジング、と口にだしたりはしないけれど。
「どうしても腹巻きが嫌だったらせめて寝る時にでも使ってね。お願い」
「おまえにそんな風に心配かけていたとは気づかなかったよ。言うとおり、これは部屋で愛用するようにする。ああ、違う。お前がオレのために作ってくれたものが嫌なはずないじゃないか。むしろすごく大事だから他の奴に見せるのも惜しい気がするんだ。本当にありがとう、アンジェリーク」

ようやく納得して貰えたらしく、晴れやかな表情で部屋を出て行ったアンジェリークが閉めたドアをぼんやり見ながら、オレは盛大にため息をついた。
熱い視線のからくりを知ってしまったダメージははかりしれない。オレの好みやこだわりについての情報があいつの中ではかなり軽視されているらしいことにも。このぶんでは、どう楽観してみても、オレのめざすような関係に至るには前途多難だ。

好意はある、それはうぬぼれではないはずだ。距離もうんと縮まっていて、たぶんオーブハンターの中では一番近い。でもその好意は自分の期待しているものから少しばかりずれている。
気のせいかも知れないが、どちらかというと恋人ではなく母親をめざしていないか?あのとき交わした家族についての会話がよくなかったのか。もしかしたら、母親についての記憶があまりない、と言ってしまったことがアンジェリークの中の何かのスイッチを押してしまったのかも知れない。もとより女王の卵は母性的な存在と考えられるから、素質は十分にあったのだ。

わくわくしてチェックし始めたはずの目録をデスクに投げ出して、オレはベッドに突っ伏した。なんとなく左腕に通した腹巻きは、妙に肌触りがよく、おまけに気のせいかあいつのにおいがして、そのどちらもがやけに悔しいのだった。


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