お姫様のキス


力を合わせてエレボスを倒したあと、アンジェリークは俺たちに
「女王として天空の聖地に行くことになりました」と告げた。
それぞれと別れの挨拶をして、最後に俺の番になった。
会うのも話すのも、これが最後になるかもしれない。俺は人間よりも長い間彼女の帰りを待つことができるはずだけれど、確実に待てる保証はない。
だから俺は最後のわがままを言う。
「君からキス、してくれるかな?」
「えっ」
彼女は目を丸くした。心底驚いている様子だ。

「…ごめん、困らせてしまったね。以前ウォードンで子供達に絵本をたくさん読んだことがあっただろ? その中にあったんだ。
 お姫様からキスをされたものは、野獣も蛙もちゃんと人間になった」
「だったらダメです。 私は、今このままのジェイドさんが好きなんです。
 何かの拍子に人間になってしまったのならともかく、人間になって欲しいから何かをするのはヘンです」

もとより、願いが叶うなんて思っていない。人間になろうとも思っていない。
本当は最後にキスしたかっただけだったんだ。自分が彼女から求められていないわけではないと確信したかったと言えばいいのかな。

「そう…だね。ごめん、俺が間違っていたよ」

しばらく俺を潤んだ目で見上げていたアンジェリークはいきなり俺に抱きつくと、胸に顔を埋めて言った。
「ジェイドさん、大好きでした。いえ、大好きです。この世界がこんなにも大切なのも、ジェイドさんがいるからなんです」

そんな会話を最後に、彼女は聖地に召され、天空へと上っていった。



あれから数ヶ月。俺は大陸を巡り、知り合いたちが以前よりもっといい笑顔でいることを確かめてから、眠りにつくつもりでいる。
もうあらかた一周したので、あとはコズに3日ほど滞在してから陽だまり邸に行く。
陽だまり邸にはレインも来るので、そこで彼に最後の調整を頼むつもりだ。



クウリールからコズへ向かう森の中、銀の仔猫が道を遮った。
猫は急に立ち止まるとこちらを向いてにゃあと鳴く。
「エルヴィン!君はエルヴィンじゃないか!?」
猫は驚いて立ちつくす俺に駆け寄り、飛びついて、肩に上った。

とたんに、見たことのない光に包まれる。足もとの感覚がない。浮き上がっているんだろうか。
眩しくて何も見えない。俺の特別製の目でも。
他の感覚をとぎすまそうと目を閉じた。でも何も聞こえないし、どこかに移動している感じもなかった。ただ、暖かかった。

ほどなく、再び足もとに感覚が戻る。かすかな花の香り。エルヴィンが肩を下りたのを合図に俺は目を開けた。
目の前には、陽だまり邸にあった女王の絵と同じ、きれいなドレスに身を包んだアンジェリーク。
…俺は夢を見ているのだろうか。


「聖地の備品として絶対必要だって、やっと認めてもらえました。
 ジェイドさんがアーティファクトで本当によかった!!」

満面の笑顔で抱きついてくるアンジェリークを、そっととぎゅっとの境界になるあたりで慎重に抱きしめる。
たぶん、こういうのをハッピーエンドって言うのだろうな、と今ひとつ確信できないまま
「また君に会えて本当に嬉しいよ」
と俺は彼女に負けない満面の笑みで答えるのだった。


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