おはよう


理論は完璧なはずなのに、プロジェクトはいっこうに進まない。実験は失敗ばかりだ。
実験の手順にも構成にも、実験機材の構造にも問題がないはずなのに、機材が次々と破損する。
実験機材の素材自身に問題があるのかもしれないということで、最近では素材開発のチームも結成された。
それでも事態はいっこうに改善されず、これはもしかして素材開発のベクトルが間違っているのかも知れない、というのが最近の共通認識だ。
オレも既に理論面には手を入れる余地がないということで、最近は素材研究をメインにしているのだが、思った以上に手こずらされている。
――だからまだまだ休めない。眠れない。


白いエプロンをしたあいつは輝くような微笑みを浮かべて言う。
「おはよう、レイン。そろそろ何か食べないと身体に毒だと思って差し入れを持ってきたわ」


ああ、これは夢だ。いつの間にか眠ってしまったんだな。だって、あいつがここにいるはずはないんだ。
夢だと知っているのに、あいつの姿がかき消えてしまうのが惜しくて、時間稼ぎに返事をする。
「ああ悪い、じゃあ、もらおうかな――その前に『おはよう』と言った方がいいのか?」


「まったく、『おはよう』じゃありませんよ、レイン博士。今何時だと思っているんですか。研究室に泊まり込むことを禁止する気はありませんが、ものには限度があります。だいたい、最後に食べてから何時間経っているのですか。ブドウ糖欠乏状態では脳も働きませんよ」
目の前には、腰に左手を当てて右手の中指で眼鏡のブリッジを押し上げるエレンフリート。その横に見慣れない装置。装置の前には栄養補助食品と水の入ったグラスが載ったトレイ。

「ミゼルのグループが開発した装置を私が改良しました。女王の、女王の卵時代の音声データを使用しています。ミネラルウォーターと栄養補助食品しか出てきませんが、あなたが研究室で餓死するのを阻止したいと願う、プロジェクトスタッフの総意から出来ています。ダメだといっても要らないといっても断固ここに設置しますからね」
と、やけにきっぱりと宣言するだけして、オレに一言もしゃべらさないうちに、装置を運んできた他の財団員たちと部屋を出て行ってしまった。

ミゼルの、というとアレか。給餌するときに優しい声をかけることで肥育率がアップするという自動給餌装置。
…どうやらオレはこのフロアで飼われているらしい。

すっかり眠気が去ると、たしかに空腹だ。大げさにため息をついて、オレは栄養補助食品のパッケージを開ける。ご丁寧にリンゴ味だ。一応こちらの好みは考慮されているらしい。


さあ、食事が終わったら続きをしよう。
はやく研究を完成させて聖地にたどり着くんだ。もう一度あいつに会うために。
あいつはきっと声も出ないほど驚くだろうから、こちらから声をかけてやる。
「おはよう」って。

そのときやっと、オレの長い明けない夜は終わるのだ。


アンジェリーク阿弥陀企画に投稿したものです。お題は「朝のあいさつ」でした。

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