あとおし


聖都にくるのは、初めてじゃない。
この前アンジェリークの戴冠式に招待されたときが初めてだったと思う。もしかしたらものすごく小さいときに親に連れて来られた事があるのかもしれないけれど。

あ、戴冠式っていうのは、まあ言葉のあやで。実際はあの子は女王にならず、かといってメルローズにも帰ってこず、そのまま陽だまり邸にいる。でも教団の偉い人たちは、女王の卵が結局なんだったのかをはっきりさせなくてはいけないらしく、女王にはならないけれど、卵はちゃんと孵ったんだと宣言する儀式が聖都でひっそりと行われたのだ。オーブハンターの仲間とか親戚のお兄さんだけでなく、校長先生とハンナと私にも臨席してほしいって案内がきて、ものすごく緊張して迎えの馬車に乗り込んだのを覚えてる。

式典は拍子抜けするほどあっけなく進行し、そのあと「よい機会ですから」とハンナと私は聖都中を案内してもらった。聖都はとてもきれいなところだし、案内してくれた教団の人たちもとても感じがよかった。おかげで私もハンナも聖都にはいい印象しかない。校長先生が一足先に帰ったので、帰りの馬車はリラックスしすぎて二人とも爆睡しちゃったんだっけ。

それで、今。私が たった一人ではるばる聖都までやってきているのは、校長先生の代理なのだ。
先生は、聖都で開催される雪祈祭に招待されていたのだけれど、一昨日左足を傷められたので急遽欠席のお返事をした。すると、なぜか教団は代理人に私を名指したのだ。普通そういうときは教頭先生とか事務長先生とか生徒だったら生徒会長とかに来るものじゃないかと思うし、実際そう問い合わせたのだけれど、私なんだそうだ。教団って、よくわからない。
ハンナと二人だったりしたらさぞ楽しかったんだろうけれど、招待されているのは私だけだ。もっとも、ハンナも今頃は聖都に向かっているはずだ。雪祈祭を彼女の婚約者と過ごすために。そんな状況なので、私はお祭りに招かれているのに今一つ華やいだ気持ちになれないでいた。まあメルローズの制服に学校指定のコートといういでたちということも大きいと思うけれど。それでも、聖都はいいところだと思うし、お祭りを特等席で見ることができるし、迎えにきてくれた教団の人は美形だし、これ以上贅沢を言うと罰が当たるというものだ。
そんなことを考えているうちに馬車は聖都に着く。

「少しばかり早く着きすぎたみたいですので、よろしければ時間まで聖都の中をごゆっくりご散策なさいますか。今日は祭ですのでたくさん露店も出ていますよ。道に迷うのがご心配でしたら、騎士団のものを1人護衛におつけしましょう」
護衛は断って、露店を冷やかしつつ歩いてみることにした。

さすがに聖都の中なので、リースやファリアンの露店より全体に格調が高い。怪しげなのがほとんどないっていうか。とりあえず見世物小屋とかは無さそう。教団が出している店もある。来年の暦や祈祷書、聖歌集などの定番。タナトスよけの護符になるという噂のお守り類が激減しているのと、女王様の絵姿が一番目立つ場所に置かれていることは、きっとこれまでとは違う部分なんだろう。
もちろん雪祈祭なので白樺の枝はあちこちで売られている。羽の他にも縁起物の飾りをつけるのが流行らしく、きらきらした飾りをいろいろ並べた店も多い。
それから、食べ物屋さん。騎士団が銀樹サブレと騎士の友――木の実がたくさん入った、小さいけれどずっしり重いやや堅めのケーキで、騎士団の携行食だという触れ込みだ――を売る店を出しているのが面白かった。私も帰りに寮のお土産用に銀樹サブレを買おうっと。
あとは、衣類を売る店やおもちゃ屋さんなど、よく見てみると最初の印象以上にいろいろな店があった。


その小さなテントは雪祈祭が行われる広場への参道を少し外れた場所に、建物の壁にくっつけて設営されていた。たぶんどう詰めても3人までしか入れない大きさ。入り口にはやはり小さな看板。達筆で『占い 1件のみ無料』と書かれている。なんだか字と内容がちぐはぐで可笑しく、無料なんだったらちょっと冷やかしてみようかと思って入り口をくぐった。

中は薄暗く、小さなテーブルに向かい合わせに二つの椅子が置かれていた。奥の椅子には目だけ出したフードをかぶった人が座っていて、私にも座るよう勧めた。かなり大きい人だ。占いというと龍族の専売特許のようなもので、しかも龍族の占い師はほとんどが女性なので、私はその人の大きさに驚き、早くもテントに入ってしまったことを後悔し始めていた。怪しい。
その人は穏やかにそして上品に「ようこそいらっしゃいました。何かお悩みでしょうか」なんて言う。いい声だが、女の声ではあり得ない。すごく大柄な女の人なんだという可能性は完全に潰えた。水晶球にかざされたその手もどう見ても男だ。占い師の背後には扉があり、閉まっているが施錠されていない、ということはこの人は聖都の住人かその縁者だという可能性が高い。ならそれほどまで警戒する必要はないかもしれない、と観念して着席した。

「どんなご相談でしょう?」
「いいえ、特にこれというのではなく、来年の全体の運勢など占っていただけたら」
「全体…総体運ということでしょうか。それでよろしいのですか?」
気のせいか声ががっかりしている。漠然としすぎていたかと反省して、付け加える。
「進路のこととか…」
「学生さんなのですね。確かに一番の関心事でしょうね」
不思議なやり方で水晶球の上の手をひらひらと動かしたあと、テーブルの上で手を軽く組んで、宣言するようにいう。
「今思い描いていらっしゃる進路で間違いないと水晶球は告げています」
今って。別に何も考えていなかったんだけど、どういうことよ。そんな思いが顔に出たのだろうか。
「教師を目指してカルディナ大学を受験する、ということです」
ちょっと、どうしてそんなことが?

教師もカルディナ受験も、ごく狭い範囲で使用している私の希望する進路、だ。
もうそろそろきちんと決めなくてはいけないのだけれど、将来についてはまだ迷っている。アンジェリークたちの活躍で大きく世の中の流れが変わってしまっただけに、いっそう。
特に親しいわけでない学校の友達は、私も卒業後は花嫁修業だと思っているようだ。
家族は何も言わないけれど、何となく親族の間では、議員をしている叔父の秘書になるのがいいのではと思われていて、叔父自身も誘ってくれている。
小さい頃から私を知っている人たちは、今こそ銀樹騎士になるチャンスじゃない?なんて言う。タナトスが出ない以上、浄化能力は不要なら、女の人も騎士になれそうな気はするけれど、今のところ騎士団に女性が入ったという話は聞かない。あ、今日教団の偉い人にお会いできるなら聞いてみようっと。
そして教師云々は、ええっと、誰に言ったんだっけ?私の成績を知らない人が相手なのは確かなんだけれど。

…確かに教師になることはアンジェリークがオーブハンターになったあたりから考え始めていた。でも、カルディナに行くにはちょっと成績が心許ないので、あまりおおっぴらには言えないでいる。体育の成績だけは自信があるので、なるとしたら体育教師だろうけれど、それでもメルローズ以外の教師になるにはカルディナに行くしかない。メルローズに先生の助手として残って、という方法も昔はあったようだけれど。

正直あきらめた方がいいのではと思い始めていた教師になる希望を、この怪しげな占い師にあっさりと口にされた驚愕は、すぐに感激に変わる。なにげなくここに入ってきてみてよかった。さすが聖都。何かの導きを感じる。

「すごいです。今の一言で決心がつきました。がんばります」
「お役に立てて嬉しいですよ。ああ、ついでにおまじないをしておきましょうね。あなたの真剣な気持ちがカルディナ大学に届くことを願って」
占い師は奇妙な身振りをして唱えた。

ラブラブフラッシュ!

私はうっかり吹き出してしまった。子どもでも知っている龍族のおまじないの言葉。でもそれって、恋のおまじないじゃなかったっけ?

「どうなさいましたか」怪訝な様子だ。
「そ、それは恋のおまじないじゃないんですか」
だめだ、笑っては失礼かも、なんて思っているのに止まらない。あの奇妙な身振りだけでも相当笑えるのに、あの低めの無駄にいい声でラブラブフラッシュなんてフレーズを聞かされてしまうとは。
「思いを届けるという意味では同じようなものですが」
まじめくさった調子がさらに私の笑いに拍車をかける。
「ごめんなさい、笑ってしまって」笑いが止まらないのでちょっと言い訳もする。「なんか変な感じがするんですもの。でもごめんなさい、こんなに笑って、失礼ですよね」

「いや、いいのですよ。泣き出してしまわれるよりは笑っていただける方が千倍ありがたいですから。しかし、変な感じですか…」
穏やかに話すその人はちょっと首をかしげて、やがてつぶやいた。
「確かにそうかもしれません。…やはりマニュアル外のことはしてはいけませんね…」そして慌てて口元を覆う。

マニュアルという言葉にではなく、慌てた調子にこそ引っかかりを覚えた私は、何となく思いついたことを口にしてみた。
「…占い師さんじゃ、ないんですね?」
その人は無言で固まっている。
「…教団の人でしょ?」私はカマをかける。

「降参です。でも、他の方には内緒ですよ、サリー」
フードをするりと脱いだその人の顔には確かに見覚えがあった。
「さすがにアンジェリークのお友達は違いますね。たいしたものです」とちょっと困ったようにほほえむその人は。ええっと。
とにかく、教団の偉い人だ。そうそう、名前はたしかマティアス様。
よかった、思い出せて。

「マティアス様はどうしてこんな事を?今日は雪祈祭でお忙しいのでは」
「私の仕事はもうすべて終わっているのですよ。それでかねてからやってみたかったことを、と。教団の皆も勧めてくれましたし」
「占いがご趣味なのですか?」
「いいえ」
静かに首を横に振ると、その人は告白し始めた。

「お恥ずかしいお話なのですが、実は私、新聞の身の上相談欄を読むのが大好きなのです」
「はあ」
「私は子どもの頃に聖都に来ましたし、教団の中の生活しか知りません。なので新聞の相談欄は私の知らない世界を垣間見せてくれる貴重な資料でもあるのですよ。それで、長年愛読していますと、自分でも回答をしてみたくなったのです。もちろん私は世間知らずですが、私の頭の中にはこの二十年間アルカディア中の新聞に載ったあらゆる身の上相談の質問と回答が入っているのですよ」
「あらゆる、ですか?」
「ええ。『覚える』のはなんと申しますか、習い性となっていまして。それで、身の上相談をされてみたいと言ってみましたが、私の立場ゆえか、教団の教義上の質問ぐらいしか来ないのですよ。その話をしたところ、ニクス氏が占い師のまねをしてみたらどうかとおっしゃって。それで、今日は先ほどからこんなところで占い師のまねごとをしているのです」
ニクス氏って例のうちの理事でアンジェリークと一緒に住んでいる人よね。あの人もなんというか、つかめない。でも確かに身の上相談を受けたい人が占い師に擬態するのは正解だわ。

「それで、今日は収穫はあったのですか?」
と聞くと、それは嬉しそうにほほえんで答える。
「あなたがいらっしゃるまでに数人の方が相談してくださって。感激でした。アドバイスもそれなりに役立てていただけそうでしたし。でも普通に占いを求めてきてくださった方々にとっては多少はご不満かもしれませんね」
いくら変装しているといっても、聖都で占い師のふりをしている以上、聖都の関係者ならみんなマティアス様だって気がつくんじゃないかな。見かけも声も雰囲気もやっぱり特徴があるもの。案外その数人もサクラなのかも、と思い当たったら、私は急ににこにこしているマティアス様がかわいそうになってきた。

「私のこともはじめからお気づきだったのですか」
「もちろん。戴冠式の時に少しお話ししましたね。雪祈祭に来てくださってありがとうございます」
そうだった!私は慌てて時計を見た。約束の時間が迫っている。
「たいへん、、もうすぐ約束の時間でした!私はこれで。占いありがとうございました」
「どちらで待ち合わせなのですか?」
「銀花の苑です」
「ならばこのドアから入って突き当たりを右に曲がり、そのまま道なりに進むと最短距離で銀花の苑に出られます。さあ、こちらへ」と背後のドアを開けてくれた。
「何から何までありがとうございます。またお話し聞いていただけますか?マティアス様のお話も聞かせていただきたいです」
「もちろんです」
そう言葉を交わして、私は急いで集合場所に向かったのだった。


雪祈祭はつつがなく進行した。さすがは来賓席、白鳥の羽は私のところにもちゃんと降ってきた。羽のついた白樺の枝をメルローズに持ち帰るという今日のメインミッションは達成できそうで何よりだ。空から白い羽の舞い散る光景は実に美しかったけれど、私はそれを眺めながらぼんやりとマティアス様のことを考えていた。以前会ったときは物静かで優しいのに威厳があるという印象だったけれど、今日の彼はなんだか明るくて可愛い感じがした。ものすごく失礼な感想だろうけれど。そして私の夢を後押ししてくれた彼の夢について、何か自分ができることは、とも。

用意された羽がすべて撒かれて、お祭りのメイン行事が終了したので、私は招待してくれた関係者に一通り挨拶をしてまわった。聖都を出る前に校長先生へのお見舞いとみんなへのお土産を買っていると、マティアス様が今度はちゃんと教団の式服を着て誰かと話している場に行き当たった。マティアス様は私の方を向くと言った。
「ああ、もうお帰りなのですか。またいらしてくださいね」
普通に挨拶するはずだったのに、私は自分でも思いがけないことに、マティアス様に駆け寄ると、密談めいた声の大きさと距離で言った。
「マティアス様、今日はありがとうございました。あの、思ったのですが、私のお友達にも先生や両親に相談できないけれど友達じゃ心許ない、なんて悩んでいる人がたくさん居るんです。そんな人たちにマティアス様を紹介してもいいでしょうか?それから私もまたお話を聞いていただけますか?お手紙とかで」
するとマティアス様はとろけそうな笑みを浮かべて、
「ええ、いつでも大歓迎ですよ」
と答えてくれたので、私は見とれてあやうく荷物を落とすかと思ったのだった。

帰りの馬車の中、私は、学校に戻ったら何よりも先にアンジェリークに手紙を書き、親戚の新聞記者さんを紹介してもらって、マティアス様を身の上相談コーナーの回答者の1人に加えてもらう方法を相談しなければ、と決心するのだった。


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