集い           by まゆ様


森の湖の畔でふたり、木にもたれてただ黙って湖面を見ていた。
「・・・水は、いつも同じ姿とは限りません。
昨日までは穏やかであったものが、今日には何もかも押し流してしまう濁流となる事もあります。
私の故郷ではそういうことがありました。・・・昔話になってしまいますが聞いていただけますか?」
不意に口を開いたリュミエールをゆっくりと見上げ、アンジェリークはにっこり笑って肯いた。


「私が七歳で妹が五歳の頃だったと思います。いつも季節の変わり目には川の水が増すのですが、その年はいつもより水量が多く、流れも激しいものでした。子供は危ないから川に近寄っては行けないと言われていたのに、私達二人は川に取り残されたスイキュという動物を助けようとして流されてしまったのです」



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「にぃさまー、こっち、こっち!」
「アーシュ、あまり遠くへ行かないで。母様に言われたでしょう? 今は川の水が増えて危ないから門から先は行っちゃいけないって」
「だって、スイキュの赤ちゃん、たすけてあげなきゃかわいそうよ」
「でも、ふたりで助けられるとは思えないよ。だれかおとなの人を呼んでこないと・・・! あ、アーシュ! 待って!」
「グズグズしてたらスイキュの赤ちゃんおぼれちゃう! にぃさまはこなくていいから!」
「いけない! アーシュ!!」
振り向きもせずイコン川へ向かって走って行く妹を追ってリュミエールも走り出した。

目に見えて水かさを増すイコン川。
さっきまでリュミエールの背ほど見えていた岩は、今は肩ほどになり、丸いスイキュの頭が浮かんだり沈んだりしていた。

「にぃさま、水が・・・」
「・・・かわいそうだけど、やっぱり無理・・・」
「いやっ! たすけるの!」
「あ、ダメ! アーシュ!!!」

アーシュは辛うじて岩肌を見せている所を足場にしてスイキュのつかまっている岩まで危なげに進んでいく。
リュミエールはすぐその後を追い、アーシュを引き戻そうとするが、狭い足場では返って危ない。
不意にアーシュが立ち止まる。
白い波頭だけを残し、スイキュのところまでの足場となる岩は濁流に呑み込まれてしまったようだ。
「にぃさま・・・・」
追いついたリュミエールを不安げに見上げる。
「大丈夫、アーシュはここにいて。ここは少し広いから大丈夫。スイキュのことはにぃさまに任せて、ね?」
心配そうな顔をしたままこっくり肯く妹を残し、リュミエールは水の流れが白く砕けている場所を選びながらゆっくり進んでいく。
もう少し、あとちょっと、とどいた!

「きゃー!」
リュミエールがスイキュを抱きかかえるのと同時にアーシュの叫び声が聞こえた。
急ぎ振り向いたその場所にはアーシュの姿はない。

「アーシュ! アーシュ!!」
スイキュを抱いたまま妹の名を幾度も呼んだ。
だがその声もごうごうと流れる水音にかき消されてしまう。

「アーシュ!!!」
返事は無かった。
たとえあったとしても、リュミエールには聞こえなかった。
流れに足を取られ、スイキュもろとも水底に沈んでいた。
何とか水面まで浮かび上がり、一呼吸吐いたところまでは覚えている。
『アーシュ、ぼくが守ってあげなくてはいけなかったのに・・・』



○◎○◎○◎○



気が付くと森の中だった。
スイキュが心配そうにリュミエールの顔を覗いている。
「・・・ああ、スイキュ。良かった、助かって・・・・。・・! アーシュ! アーシュは?!」
急いで回りを見渡すが、アーシュはどこにもいない。
「アーシュ! どこ? アーシュ!!!」
リュミエールの声は深い森に呑み込まれるばかりで、何度呼んでも返事はなかった。
やわらかい下草でびっしりと覆われた地面は足音さえ消している。
誰かが先にここを通ったとしても足跡は残らないだろう。
妹はこの森で迷っているのかもしれない。
自分が助かったのだ。
妹が助からなかったはずはない。
泣きたくなるのを我慢してリュミエールは森の奥深く足を踏み入れていった。

不思議な森だった。
巨大な樹木が天井を覆っていて空は見えないというのに、回りは明るく、じめじめとした感じもなかった。
そして、その静けさ。
木々のざわめき、風に吹かれて落ちる小枝の音。
鳥の声、虫の声、獣の咆吼。
そういった、これ程の森になら必ず聞こえるであろう音が何も聞こえない。
腕の中のスイキュが身じろぎして小さく鳴いた。
「あ、ごめんなさい。ギュッってしちゃったね。・・・君も家へ帰りたいよね。でも、お願い、アーシュを見つけるまで一緒にいてくれる? もうギュッて強くしたりしないから」
スイキュはさっきより大きな声でひと声鳴くと、リュミエールの腕をすり抜け、ぴょんぴょんと跳ね回って、付いてこいとでも言うように振り向いた。
「わかるの? アーシュはどこにいるの?」
スイキュは大きな瞳でリュミエールを見てから、わからないという風に首を傾げた。
「・・・そう、だよね。ごめんなさい、ぼく・・・・、あっ! 待って!」
急に走り出したスイキュを追ってリュミエールも走る。

走って、走って、もう息が続かないと思えたところで、急にスイキュが動きを止めた。
スイキュを抱き上げやっと息が吐けたリュミエールは、ゆっくりと顔を上げ、回りを見渡した。
「あ・・・・・」
口をあんぐり開けたまま声が出ない。

そこはまるで大広間のように開けた空間だった。
そびえ立つような巨木が回りを囲み、中心にはうっすらと緑色に発光する巨大な樹。
吸い寄せられるように中心の樹のそばに行くと、光っていたのは樹ではないことがわかった。
「!」
樹の根方にひとりの人が眠っている。
呼吸に合わせて淡い光が明るさを変える。
「・・・あ、あの」
この不思議な人は妹のことを知っているかもしれない。
リュミエールは勇気を振り絞って声をかけた。
「あの、ぼくはリュミエールといいます。妹をさがしています。五歳くらいの女の子を見かけませんでしたか?」
光る人はゆっくりと目を開けて身体を起こした。
「・・・・アーシュ?」
リュミエールをみてその人が言う。
「! ど、どうして?!」
「アーシュは連れて行かれた。・・・私は、守れなかった」
「連れて行かれた?! どこに? 誰がアーシュを!」
「山の祠へ。水の神が・・・」
「山のほこら! ありがとう!」
「待ちなさい、リュミエール」
「そのスイキュは置いていって。私、その子の母さんを知っている」
リュミールはスイキュを抱きしめたままだったことに気付き、光る人に手渡した。
なぜ妹や自分の名を知っているのか気になったが、言葉には出さなかった。

「山の祠の行き方は知っている?」
リュミエールは黙って首を振った。
「水の神に会ったことは?」
口を真一文字に結び、黙って首を振る。
「そう・・・」
光る人はそれだけ言うと悲しげにリュミエールをじっと見つめた。
リュミエールはどうして良いかわからず、ただ、涙だけはこぼすまいと口をぎゅっと閉じてその場に立ち尽くしていた。
「これ、持って行って」
しばらくして、光る人は小石くらいの大きさの丸いものを取り出し、リュミエールに渡した。
「?」
「それは種。山の祠に埋めて。祠へはその種が行き方を教えてくれる」
「種が? あの、どうやって?」
「木や草が種に教える。種があなたに教える。あなたは種の声を聞いて」
「種がしゃべるの?」
「心の中に話しかける」
リュミエールは不思議そうに種を見つめた。
種はぼんやりと緑色に光り、リュミエールの顔を照らしていた。
「水の神は追い込まれている。人間を守ろうとして傷つけて、また傷つけることを恐れて傷つけようとしている」
「えっ・・・? ・・・よくわからない、です」
「会えばわかる。早く会った方がいい。種を埋めてくれれば、私も助けることができる」
「あ、あの、あなたは誰?」
「森を守りしもの」
「緑の神様?」
「そう言う者もいる。さ、早く行って。あっち。あとは種に聞いて」
リュミエールはこっくり肯くと山の祠目指して駆けだした。
「ありがとう! 緑の神様!」



○◎○◎○◎○



「あ、あの、種さん? ここを登るの?」
‘ソウ。ココヲノボレバ アトハマッスグ’
背丈の何倍もの崖が目の前に現れて困惑するリュミエールを励ますように、種が言葉を続ける。
‘ダイジョウブ ココノクサハ ヨクネヲハッテイルカラ ヒッパッテモ ヌケナイ’
こわごわと草に手をかけ、ぎゅっと握って体重をかけてみる。
種の言った通り、リュミエールの体重くらいではびくともしないようだ。
わずかな足かがりを見つけ、足をかけて次の草に手を伸ばす。
それを何度か繰り返すと、ようやく頂上が見えてきた。

「?!」
崖の向こうは色彩を失った沈黙の地だった。
「緑がない・・・・」
‘・・・ココハ ミドリノチカラガナイ。モウ ・コトバガ ツタワラナイ・・・。ホコラ ホコラニ・・・・・’
「えっ? 種さん? どうしたの?」
掌の種に何度も呼びかけてみるが返事がない。
やがて、リュミエールは種をポケットに仕舞い込み、前を向いて大きく息を吸った。
「ほこらは、まっすぐだね」
誰に言うでもなく、そう呟くと、真っ直ぐ、祠に向けて走り出した。
溶岩が冷えて固まった大地は凸凹していて、何度も転んで手や足に傷を負った。
それでも休むことはせず走り続ける内に、明らかに人が作ったらしい小屋のような物が見えてきた。
それと同時に水の流れる音が聞こえてきた。
どんどん水音が大きくなってくる。
祠のすぐ近くまでやってきて、水音は祠の横の井戸から聞こえてくることがわかった。
やがて、耳をつんざくような音が急に途切れ、井戸の中から淡い光が漏れてきた。
リュミエールは種のことも忘れ、ただその場に立ち尽くしていた。
井戸の中から現れた光に目をこらすと、中に人影が見えるような気がした。
「?・・・・・。アーシュ?」
リュミエールは弾かれたように光の方へ走り出した。

「誰だ? 邪魔をするのは」
光の前に淡い輪郭の人が立ちふさがる。
「アーシュ!」
リュミエールは構わず、光の方へ手を伸ばした。
「リュミエールか」
男とも女ともつかない淡い輪郭の人が少し淋しげにリュミエールの名を呼んだ。
「アーシュはどうなったの? 返して!」
「アーシュは眠っている。返すわけにはいかない」
「なぜ? あなたは誰?」
「アーシュは祠にいなければいけないから。私は水を守りしもの」
「水の神様? アーシュがほこらにいなければいけないって何? どうして水の神様がアーシュを連れて行っちゃうの?」
「人だから。炎の神が暴れ、私は炎の神を鎮めるために洪水を起こした。洪水は人を呑み込み、山の祠は取り残された。時が経ち、人は帰ってきたが、祠は取り残されたままだ。大地は炎の神が残した岩で隠れ、風の神はそよとも吹かず、緑の神も種を飛ばすことができない。祠は人のものだから人がいなくてはいけない」
「ダメ! アーシュはぼくの妹だ! ぼくは妹を守らなくてはいけないんだ!」
「それでは、リュミエールがアーシュの代わりに祠に残るか?」
「えっ?」
「人ならば誰でもいい。私にはもうわからない。必要とされているもの、必要とされていないもの、その違いがわからない。人は私を必要としているのか? 祠があれば、そこに人がいればわかるはずだ」
「・・・ぼく、あなたが何を言っているのかわかりません。でも、アーシュを家に帰してくれるのなら、ぼくが祠に残ります」
「よし」
水の神はアーシュが眠る光の珠をリュミエールの傍に動かしそっと地面に置いた。
光は徐々に薄れ、すぅすぅと寝息をたてるアーシュが現れた。
「アーシュ、良かった・・・」
「起こすか?」
「ううん。いいです」
「よし」
リュミエールの周りに光が集まりだした。
身体が軽くなり、眠気が襲ってきた。
『種を祠に埋めて』
緑の神の言葉がこだまする。
「ごめん、なさい・・・・。約束、守れな・・かった」
その時、リュミエールのポケットから種がこぼれ落ちた。
水を得た種は祠の周りに残った大地に根を張り、芽を吹き、瞬く間に大樹となった。

「水の神、人を祠に留めておいても昔のようにはならない」
「緑の神か」
「そう」
「なぜだ? 人が祠にいるから人が集まるのではないか」
「ちがう。人は人と一緒にいなくてはいけない」
大樹からぼんやりと緑色に光る人が現れ、淡い輪郭の水の神と対峙した。
「私はここから根を伸ばし、大地の神を起こそう。あなたは風の神を呼び、私の種を飛ばすようにお願いして欲しい」
「それでどうなる?」
「緑が戻れば人がやってくる」
「そんなに簡単に?」
「リュミエールとアーシュを返せば、やってくる」
「それならば返そう」
水の神が淡い輪郭を揺らしながら歌うように言った。
「昔、人は山の上に祠を建て、井戸を掘って、灯りを灯した」
「そう。人は仲介役」
「そうだった。人は、それぞれの場所から動かない我らを会わせてくれた。大地の神、緑の神の望がわかった。炎の神がいつ暴れ出すかの予想もついた」
「人は神に祈った。人の望もわかった」
「人が必要としているもの、必要としていないものがわかった」
水の神は、リュミエールの入った光の球にアーシュも入れて、イコン川に浮かべた。
光の球はイコン川の上を滑るように流れていく。
「リュミエールとアーシュは返した」
「ええ」
緑の神の発する光がほんの少し強くなる。
水の神の淡い輪郭がほんの少し濃くなる。
「大地の神を呼ぼう。風の神も。炎の神と話もしよう」
「ええ」
「こういう時、人は《笑う》だろうか」
「こういう時、人は《嬉しい》と言う」
ふたりの神は声をあげて笑った。



○◎○◎○◎○



「・・・?」
気が付くと見慣れた風景の中に倒れていた。
慌てて起きあがり、辺りを見回す。
横にアーシュの姿を見つけて、リュミエールはそっと手を伸ばし、アーシュの頬に触れた。
「あたたかい」
リュミエールはほっとしてもう一度仰向けに寝転んだ。
足元をサラサラと水が流れている。

「・・・・・スイキュ? よかった。にぃさまがたすけてくれたのね」
傍らで声がする。
「アーシュ! 起きたの? 大丈夫?」
「あ、にぃさま! スイキュをたすけてくれてありがとう」
スイキュを抱いて、アーシュが元気に立ち上がった。
スイキュは倒れていたアーシュを心配して顔を覗き込んだり、頭をつついたりしていたのだ。
「うふっ、かわいい〜」
頬ずりするアーシュの腕を解いてスイキュがイコン川に飛び込んだ。
「あ・・・」
見ると、すっかり穏やかになったイコン川に二匹のスイキュが顔を出している。
「あ、スイキュのかあさま?  そっか、よかったねー。バイバーイ」
無心に手を振るアーシュを見て、リュミエールはにっこりと笑った。
「アーシュ、母様や父様が心配しているよ。早く帰ろうね」
「うん。かぁさまやとぅさまに《ほこら》のことをいわなくっちゃね」
「アーシュ、どうしてそれを・・・?」
「うん・・・・。どうしてかなぁ。わかんない。でも、だいじなことなんだよね」
「大事な・・・。うん、そうだね。さ、早く帰ろう」


アーシュとリュミエールに言われるまで、村の人は祠のことなど誰も気に留めてもいなかった。
その存在さえ知らない人が大半だったのだ。
それでも、ふたりの真剣な言葉に促され祠を訪れた人々は、崖を登った先に緑豊かな大地が広がっていることに驚いた。
人々は山を登り、祠を見つけた。
祠は再び人の通う場所になり、祈りの場所となったのだ。



▽△▼▲▽△▼▲▽△▼▲▽△▼▲▽△



「リュミエール様・・・」
黙って耳を傾けていたアンジェリークは、話が終わって話者に小声で呼びかけた。
「はい?」
「あの、もし、私が誰かに連れて行かれそうになったら、リュミエール様は・・・・・?」
「そのようなことになったら、もちろん、全力であなたを取り戻します」
「ありがとうございます。・・でも、もしどうしても取り戻せなかったら、リュミエール様はどうなさいますか?」
青緑色のふたつの瞳がリュミエールを見つめる。
「それは・・・」
「身代わりになったりしますか?」
「いえ」
リュミエールは即座に答えた。
「子供の頃のように、あなたの気持ちも考えず安易に身代わりにはなれません。・・・私は、どれほどの時間がかかろうと、あらゆる手を尽くしてあなたを取り戻します。決して諦めたりはいたしません」
アンジェリークはにっこりと笑った。
「リュミエール様、私、自分に出来ることを精一杯やってみようと思います。・・・・・別の宇宙にいても、リュミエール様が諦めないと仰ってくださるなら、・・・私、女王になろうと思います」
「アンジェリーク・・・」
「新しい宇宙に着いたら、祠を建てますね。人々が集うように。神様だって来てくださるかもしれません。・・・それに、いずれはリュミエール様だって・・」
リュミエールは思わずアンジェリークを抱きしめた。
『行かないでください。私の傍にいてください』のどまで出かかった言葉を胸の奥底に閉じこめ、祠に人々が集い、自分がその場に居る図を思い描いてみた。
「約束ですよ。きっと立派に宇宙を導いて、私を呼んでくださいね」
「はい、リュミエール様」
夕暮れの森の湖で、ひとつになった長い影。
湖をの上を渡る風音に子供の頃のリュミエールとアーシュの笑い声が混じっているような気がした。



(終わり)


優しさの中に「男」を感じさせるリュミエール様に出会えるまゆ様のサイト「すぴーち・ばるーん」で
すばるが6000番をゲットして書いていただいた作品です。
お題は「リュミ様の少年時代のほのぼのしたお話、少年っぽさを前面に」。

童話めいていて骨太な世界観を持った少年リュミ様のエピソード。
そしてその外側で展開される、水様と温和ちゃんならたしかにこういう結論になるだろうと納得できるせつない二人の関係。
「集い」というタイトルにこめられた思い。

まゆ様、素敵な作品をどうもありがとうございました。
それにしても、まゆ様の書く水様って本当に男っぽいと、改めて実感するのでした。

宝物殿へ