マスタールヴァのカクテル・トーク(親愛なるくりず様へ)


「いらっしゃいませー。
 あー、ご注文は何になさいますかー。
 えっ? 私のおすすめですかー? そうですねー。

 月もうらやむほど仲睦まじい貴方がたには、ぜひ『キス・イン・ザ・ダーク』をお作りしたいのですが。
 ……ええ、チェリーブランデーの紅が口紅を思わせる、ジンベースのカクテルです。

 うー、『キス・イン・ザ・ダーク』にまつわるお話をしましょうかねー。
 実はこれは私の先代のバーテンダーのちょっとコワイ恋物語なんですが、 貴方がたには特別にお話しちゃいますかねー。
 先代のバーテンダーは、それはかっこいい方でしてねー、そうあのトム・クルーズにも引けをとりませんでしたよー。 
 その上バーテンダーとしての腕も超一流でしたから、この店も千客万来でねー。
 ……えっ、今、ですか?
 今はそう、あのー、静かな雰囲気で飲んでいただこうと、工夫をこらしてまして……。

 ある夜、というかもうほとんど朝方と言ってもいいくらいの時間だったでしょうか、
 店の片付けも終わり、帰ろうとした彼は、店先で雨宿りしている女性と出会いました。
 清楚な服装の彼女は、その場に似つかわしくなく映りました。
 ――店の傘をお貸ししましょう。返すのはいつだってかまいませんから。
 彼女は何度も頭を下げると、真黒な傘をさして朝もやの中に消えていきました。

 次に彼が彼女に出会ったのは、それから約1週間後のことでした。
 店が休みの日に何げなく入った喫茶店に彼女はいたのです。
 単行本に目を落としていた彼女は彼の視線に気づき、一瞬顔をこわばらせましたがーすぐに思い出したように会釈しました。
 ――先日はありがとうございました。すぐに傘をお返しにあがりたかったのですが、ごめんなさい、私、方向音痴でお店の場所がわからなくなってしまって……
 ――あんな傘でよければ差上げますよ。もっともあなたには不似合いな傘だが。
 ――いいえ、それはいけませんわ。もしよかったらお店の地図を描いて下さいません?

 その運命の日は朝からどしゃ降りの雨が降っていました。
 それでも店を開けないわけにはいきません。彼は開店準備に追われていました。
 突然ドアが乱暴にノックされました。
 ――申し訳ありません。まだ開店時間にはなっておりませんので……
 ノックの音はさらに狂気を帯びてくるようでした。
 たまらずドアを開けると、まるで野獣のように眼をギラつかせた男が入り込んで来ました。
 ――女はどこだ!? ここにいるのはわかってるんだ、女を出せ!!
 ――何のことですか!? 女って誰です!?
 ――とぼけるんじゃない!! お前が傘で釣った女だヨ!! 俺はいつでもアイツを見ているんだ。チクショウ、俺の女に手ェ出しやがって! 
 店の中で暴れ出した男を必死に止めようとしましたが、狂恋の男相手にはなす術がありません。
 
 ――止めてっ!
 開け放たれたドアの向こうに、果たして彼女は立っていたのです。
 冷たい雨に打たれて、右手には黒い傘を握りしめて。
 かみしめた口唇からは殺意を秘めた紅いモノが流れています。
 男が女に駆け寄ろうとした瞬間、バリーンと何かが割れる音がしました。
 その場にくずおれる狂恋男。
 酒びんで男を殴りつけた先代のバーテンダーは、彼女の濡れた身体を抱きしめ、激しいキスを奪ったのです。自らも狂恋に堕ちたと知りながら。

 さあ、お待たせしました。『キス・イン・ザ・ダーク』です。
 何だか見つめ合っちゃってますけど、私の話聞いてましたー?」


「はい。しっかりと胸に刻み込ませていただきました。
 ですがマスター、今の私は、この方となら狂恋に堕ちてもかまわない、いえむしろ恋に堕ちてあの月にさえ飛び立ちたいと本気で願っています」
「(くりず様、御自由なセリフをどうぞ♪)」


いつもお世話になっているくりず様のお誕生日のお祝いにお贈りしたものです。最後の行はそう言うわけなのでした。

カクテルトークTOPへ

フリスビー刑事扉へ   すばる劇場へ

諸願奉納所へ