序破急


その日、水の守護聖リュミエールは、ハープを抱えて聖地中をさまよっていた。
顔面は蒼白で、うつろな瞳で、時折立ち止まっては思い出したようにハープを爪弾く。
足取りには全く力が無く、回りに声をかけられても全然気がつかないらしい。
まるで幽霊のようだ、というのが目撃したものの共通した感想だった。


それは特別な日だった。
前日に、試験開始260日目にして新宇宙の女王が決まった。天才少女の誉れ高いレイチェルだ。
だからその日は、新しい女王の戴冠式の、前日にあたったのだ。


レイチェルはその日、女王陛下からもらった1日の猶予を正しく使おうとしていた。
彼女が、女王の座よりも選びたいと思うただ一人のひとに一目逢いに行こうと。

でも、執務室に彼はいなかった。
もしやと思い、足を伸ばした私邸にも、彼の姿はなかった。
庭園の噴水で彼を捜すと、その都度違う場所を示す。研究院、学芸館、森の湖。
そしてそのとおりに行ってみても、やっぱり彼はいないのだ。

「なによコレ。思いっっきり、すれ違ってるじゃない!!」

いっそ自分の部屋にいた方がいいような気がしたが、とにかく。
その日は一日中聖地をさまよって、疲れ果てただけで終わったのだった。

ついてない。

でも、もしかしたら、こういうすれ違いが自分とあの人には似つかわしいのかも知れない。妙に冷静にレイチェルは考える。試験の間、彼とすごす時間はとても幸せだった。優しい空気に包まれてほっとするひとときは、また、彼の一挙一動にドキドキするときでもあった。でも、また考える。その実、ふたりの会話はかみ合っていないことも多かった。別にその時はかみ合っていなくても少しも気にならなかったんだけれど。
ああいうのは、もしかしたら、いや、たぶん、レンアイなんて言えない、のかもしれない。
しばらく噴水の描く軌道をぼんやり眺めていたレイチェルは、夕月を背に、部屋に戻ったのだった。

部屋に帰ると、昨日までのライバルが心配そうな顔をして、チーズケーキを手みやげにやって来た。
「ちゃんと、リュミエール様にお話しできた?」
とちょっと言いにくそうに尋ねる。
「ダメだった。やっぱりワタシたち、縁がナイっていうか、なのよね」
「……」
おとなしい彼女は黙って紅茶を入れ、ケーキを切り分けてくれた。
「リュミエール様の事だから、もう女王に決まったものはくつがえせないってお考えなのかしら?」
「んー、そうじゃなくって、ゼンゼン会えなかったの。
 聖地中歩き回ったんだケド、どこにもいなかったんだヨ」
「……」
彼女は再び黙り込む。
「…せっかく最後のチャンスをいただけたのに……レイチェル、かわいそう……」
見ると涙を浮かべている。
「ちょっと!どーしてここでアナタが泣くのよ!!」
「だって、今日会えないって事はもう2度と会えないって事じゃないの…」
「う……だから、それでいいんだってば!ワタシたちって要するにそう言うカンケーだったのよ。ウン」
「やっぱりかわいそう……レイチェルも、リュミエール様も…」
ぽろぽろと涙を流す友をなだめながら、レイチェルが聖地で過ごす最後の夜は更けていったのだった。




その夜もリュミエールは眠れなかった。
もう幾夜眠っていないのだろう。正確に数えてはいなかったのだが。
彼女が、女王になる。
それは当然すぎることに思えたし、リュミエールにははじめから予想できた結末だった。だが。
新宇宙の女王になった彼女には、もう、会えない。
そんな簡単な事実に気がつくのが、あまりにも遅かった。
いつまでも、今の状態が続くなんて、どうして思いこんでいたのだろう。
別に好きだと言われたわけではない。懐いてくれてはいたのだが。
好きだと言ったことも、たぶん、ない。かわいがってはいたのだが。
でもここ100日あまりの間彼女に会わない日は数えるほどしかなかった。
毎日何気ない言葉を交わし、他愛ない話に笑いあい。
一緒にお茶を飲み、静かにひとときをすごす。
レイチェルはどう思っていたのか、今となっては自信がないけれど、リュミエールは彼女といることがとても楽しかった。いつだって彼女の存在は、心の温度を少し上げた。
その思いに恋などと言う陳腐な名前を与える気はなかったとは言え。

そんなこんなが全部、突然、取り上げられてしまう。
……そう気がついてからリュミエールに安らかな眠りが訪れることは無くなったのだ。

「このようなとき、他の方ならどうするのでしょうか?」
それが何の参考にもならないことは、良く知っているのに、あれこれ考えてしまう。
でも睡眠不足の頭には実際考えをまとめる力なぞもう残っていない。
結局アタマの中では、ただ、レイチェルのいろいろな表情ばかりが次々に浮かんで来るのだ。


試験が始まってしばらくした頃。
女王候補たちのプレゼントのことが、守護聖たちの間でちょっとした話題になっていた。
とくに、レイチェルが皆に渡すプレゼントは奇想天外な物であることが少なくなかった。
リュミエールも、クラヴィスの執務室でフリスビーを見かけたときは驚いたものだ。
「陽に当たって運動しないと体に良くないのだそうだ。」と部屋の主は苦笑した。
また、ジュリアスの部屋にミルクキャンディがあったり(これで少しはカルシウムを補給できるという話だった)、ルヴァの部屋に工具セットがあったり(こちらの理由は不明である)。
「天才少女、という人種はわたくしの理解を越えているような気がします…」これがその時点での、リュミエールから見たレイチェルだった。
そしてその評価はしばらく固定されていた。

3度目の定期審査の次の日、レイチェルはピエロの人形を持ってリュミエールの執務室に現れた。
「あの、コレなんですけれど…」
「私への贈り物ですか?ありがとうございます」というとちょっと困った顔をした。
「うーんと……実はちょっと違うんです」
「?」
「あの、リュミエール様、申し訳ないんですケド、このお人形、ギューッと抱っこしてあげてもらえますか?」
「え??こう、ですか?」
言われるままにピエロの人形を抱きしめる。
しばらく不安そうな目でそれを見ていたレイチェルは、やがてぱっと顔を輝かせて、
「よかった!」と言い、嬉しそうに続けた。
「リュミエール様、変なこと頼んじゃってスミマセン。
 あの、このお人形、いつもお店の隅っこでスッゴク悲しそうな顔してたから、ずうっと気になってて。でも今日、突然、リュミエール様に優しくしてもらったらお人形も喜ぶんじゃないカナって思いついたんです。
 そういうワケで、今日はリュミエール様にお人形をプレゼントするんじゃなくて、お人形にリュミエール様をプレゼント、なんです。ホント言うと。
…でも、こんなのってとっても失礼ですよね、考えてみたら。ゴメンナサイ」
肩をすくめて舌をちょっと出したその様子の愛らしさに、リュミエールは射抜かれたのだ。

それ以来、レイチェルはリュミエールの部屋によく通ってくるようになった。「お人形に会いに来てあげた」と言って。
そんなときに、天才少女と呼ばれる人の、年相応の、いや、実年齢以上の幼さを行動の端々に見つけるとリュミエールはなぜか嬉しくなるのだった。
無邪気に駆け寄ってくるレイチェルと過ごす時間は楽しかった。
時々突拍子もないことを言うレイチェルがまたいとおしかった。
妹のように、と思ったこともある。でも違った。どう違うのかは、つきつめては危険だと、心の底で知っていた。




当日。

研究院の制服ではなくドレスを着たレイチェルは輝くばかりの美しさだった。でも、緊張に表情は硬く、全体にいつもより元気がなかった。あの過剰とも言える自信はすっかり影を潜めていたのだった。

その様子をぼんやりと見やるリュミエールの方は、前日以上に抜け殻になっていた。
元々彼は、線の細い印象に反して、けっこう図太いところがある。だが、今日の彼は、誰がどう見ても、その場に立っているのがやっと、といった風情だった。
彼の憔悴ぶりに心当たりのある者は少なくなかったが、皆何も言えなかったし、もし何らかの言葉をかけたとしても、それが彼の心まで届くとはとうてい思われなかった。

それでも戴冠の儀は厳かに始まり、つつがなく進行していった。

守護聖や教官・協力者たちの見守る間を静かに歩みを進めるレイチェル。その表情はこわばっている。
リュミエールのそばを通るとき、一瞬ふたりの視線が交差した。
しかし、もはや何も起こらず、リュミエールの表情が前にもましてうつろになっただけだった。

レイチェルが女王の前に進み出る。
女王が彼女に言葉をかける。

女王になる意志を確認された時、レイチェルは一瞬ためらったようだった。
この一瞬に試験中の想い出が胸の中に堰を切ってあふれ、彼女のコトバを塞いでしまったかのように。
そのようすを、自らの手を強く握りしめて見守るリュミエール。かみしめた唇は色を失っている。
やがて彼女は、普段に似合わないか細い声で「はい」と答えた。
リュミエールは全身を小刻みにふるわせている。

女王が再び言葉をかける。
ゆっくりとひざまずくレイチェル。
リュミエールはうつむいて、小さく頭をふり、瞳を閉じた。

そして。
いままさに、新宇宙の女王がその冠を戴こうとしたとき。

びっくりするような早さでリュミエールはレイチェルのころまで駆け寄ると、そのままひょいと彼女を抱き上げ、衆人環視の中また猛スピードでいずこへかと走り去ってしまったのだった。


固まっていた皆が動き始める一瞬前。
女王は、手にした冠を静かに傍らの台に置いて、言った。
「ふふっ、追いかけてはダメよ。ゆっくり好きなだけ逃がしてあげましょうね。
 だいたい新宇宙は女王無しでもやっていけるんだから。
 それにしても。今日は思いがけずいい物見ちゃったわね。うふふ」
その笑みの中の有無を言わさない調子に、さしもの光の守護聖も抗議の声をあげることはできなかった。
もちろん戴冠式はその場で中止になった。


「リュミエール様、なんか様子がおかしかったから、式典中に倒れちゃうんじゃないかってずっと心配してたけど、まさか…」
「あいつがあんなに素早く行動するところなぞ、初めて見たぞ、俺は」
「んー、意味は全然違いますけどー、窮鼠猫を噛むっていうのはあんな感じですかねー」
「いやー、俺、正直言ってリュミエール様を見直しました」
ランディの無邪気な発言に、ジュリアスは顔をしかめたが、オリヴィエが、
「あーんなコトしちゃっても許されるどころか感心してもらえるってあたりが、リュミちゃんよね☆」と評したのが皆の気持ちを代表していたと思う。



そのころふたりは。
なんと、リュミエールはまだレイチェルを抱きかかえて走り続けていた。
「あの」レイチェルが声をかけた。
「誰も追いかけて来ないカンジですけど・・・ドコまで行くんですか?」
そこでようやく我に返ったリュミエールは、やっと足を止めた。が、自分がしっかりレイチェルを抱きかかえているという事実に動揺するあまり、何も答えることができなかった。
レイチェルはここで振り落とされては大変とばかりにリュミエールにしっかりと腕を回して、
「どこでも、嬉しいケド」と小さな声で言った。
それを聞いたリュミエールは腕の中のレイチェルの顔をまっすぐに見て言った。
「そう言えば大事なことを聞いていませんでしたね。来て、下さいますか?」
レイチェルはリュミエールに回した腕に少し力を入れて、小さくキスをしてこれに答えたのだった。

(おしまい)


一応水様お誕生月記念。一度書いてみたかった組み合わせです。
ふたりとも微妙にずれてる感じが好きなのです。
書いているうちにどんどん長くなるので慌ててこのへんで切り上げました。だからまとまり悪いと思います。
タイトルは、ただの苦し紛れです。きっぱり。

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