聖地蛍の夜


その午後、私はルヴァ様のお部屋でお茶をご馳走になっていました。
同席していたゼフェルはいつになく饒舌で、こんな話をしてくれたのです。

「きのう、クラヴィスんところで昼寝してたらついうっかり寝過ごしちまって。
 気がついたら、もう夕方でよー。
 そしたら、あそこの小さい池から屋敷の外に流れ出す小川、っつーのか?
 とにかくそこんところでふわふわ、ぼーっと小さい光が群れてて。
 あれが蛍ってのか?キレーなもんだなあ。初めて見た」
「蛍、ですかー?聖地に蛍がいたとは、初耳です。
 あー、私も是非見に行きたいものですねえ」

クラヴィス様のお屋敷近くの蛍、というとあのことでしょうか。
私は少しためらったあと、口を開きました。

「あの、それでしたら、蛍とは少し違うものだと思います」
「光る虫って全部蛍かと思ってたぜ…」
「いいえ、そういうことではなくて」

「 私もゼフェルが見たものとたぶん同じものを見たことがあります。
 あれは虫、でしょうかとお尋ねしたら、違うとお答えになりました。
 ですから、蛍とは違うものなのは確かです」
 
「だったらなんだ?」
「さあ……私にはわかりかねます。今度見かけたときはもっときちんとお尋ねしてみることにいたしましょう。 ……あのときは、とにかく、それを見ながらハープを奏でた記憶があります」

その後話は思いがけなく弾み、なんとその夕方、クラヴィス様のところに3人で押し掛ける相談になってしまいました。そのようなことはクラヴィス様は好まれない、と思うのですが、実を言うと私自身もすこし好奇心の方が強かったのです。


風のない、少し蒸す夕方でした。
私たち3人は、クラヴィス様のお館には直接行かず、まず森からお庭の外側をぐるっと一周することにしました。森の木立の中、散策と言うよりはちょっとした冒険気分で。
すると、浮かんでいるのです。
ゼフェルが言ったとおり、お庭から流れ出た一筋の小川のあたり、小さい光の球がいくつも。

「確かに、蛍とは少し光り具合が違いますねー」
「どっちにしても、キレーならいいじゃん」
「もっと暗くなるともっと光るのでしょうか?」
「さあ?とにかく、聖地蛍、とでも名付けましょうかね?」

それは本当に幻想的な眺めでした。
茜色に色づいた夕陽も、木立の奥にはさしこみません。そんな断片的な闇に囲まれた、小さな流れのまわりの緑の茂みに、うすみどりがかった光が幾つもいくつもふわふわと漂っていました。聖地蛍、とルヴァ様が命名したちいさな光の球たちは寄っては離れ、ゆっくりと漂っては、くるくると動き回ります。まるで子犬がじゃれ合うようだと思いながら、私たちはしばらく言葉もなくそれを眺めていたのです。

夕暮れは短い間に空の色を何度も変え、気がつくとすっかり夜の気配があたりを包んでいました。聖地蛍の群れる流れの向こう、闇の守護聖の庭に人の気配がし、館の主が現れました。
「……珍しい顔合わせだな」
「こんばんは、クラヴィス」
「よお」
「クラヴィス様、こんばんは」
館の主は流れのあちら側に、立ち止まりました。じきに彼にも私たちがそこで何を眺めているのかわかったようです。
「……ほう……」
「いやー、本当に不思議な眺めですねー」
「クラヴィス様、いつかあれは蛍ではないと伺いましたが、それではいったい何なのでしょうか」私は思いきって尋ねました。
「…ルヴァが、知らなかったとはな」
その口調はなんだか面白そうでした。
私たちは黙って話の続きを待ちました。
「あれは、精霊のたまご、のようなものだ。
 ……どうしたわけか、ここにはああいう奇妙なものが集まりやすいのだ。
 ……まあ、別に蛍と呼んでも差し支えはないがな」
「ああ!」ルヴァ様が高い声で小さく叫びました。
「聖地に住まう精霊の生まれる場所というのはここだったのですか。
 話には聞いていたのですが。そうですかー、うんうん」
「たまご?えらく動き回るたまごもあったもんだよな」

「あー、その、普通に言うところのたまごとは違うのですよ。
 なんでも元々あれは、間違って聖地に来てしまった、小さきものの魂、だと聞いています。
 何かの拍子にそういうことがあるのだそうです。そうですね、クラヴィス?」
「……愛される仕事をなし終えた、者達……だな。
 なかには命すら持たなかった者までいる」
「魂…なのですか……
 ああ、ではその喪失を悲しむ周囲の想いがあれらをここまで連れてきたのですね……
 でも命を持たなかった魂とはどういうことなのでしょう?」
「……」
「道具や玩具などでひとの特別の思いをうけて魂を得るに至ったもの、ですね」
クラヴィス様は黙って頷きました。
「そっか、とにかく、ものすごく大事にかわいがられてたモンがあって、そういうのが天国ならぬ聖地に迷い込んで、闇のサクリアに惹かれてやって来たってわけか。でもよ、それがどうして精霊のたまごなんだ?」
「……それはそのうち、わかる。もしかしたら今夜にでもな。……こちらに入るがいい」
館の主に正式に招かれて、私たちは小さな木戸をくぐり、お庭に入りました。
あたりはすでにすっかり暗く、聖地蛍の小さい光は数を増し、夕刻よりさらに強く輝いていました。

「それにしても綺麗ですねー」
「オレ達だけで見てるのってもったいねー気がすんな」
「…一曲、いかがでしょうか?」
「それは素敵ですねー」
「いや、もう少し後だ」

静かに、と目くばせをするクラヴィス様に、私たちはわけも分からずしばらくじっとしていました。
すると、森の方から人が来る気配がしました。

「わー、やっぱり来ていたわ! それにしても、本当に綺麗!」
嬉しそうな声をあげて聖地蛍のところへ駆けてくるのは、女王陛下ではありませんか。
「待て。そのように走ると転ぶぞ」
その後ろから陛下に声を掛けたのは、なんとジュリアス様でした。
意外な展開に私たちは言葉もなく立ちつくしていました。

向こうからはこちらがまるで見えないようすです。いいえ、もしかしたら目に入っていないだけ、かも知れませんが。
「なんだかいつまでも眺めていたい感じね」
「そうだな」
ジュリアス様は、これまで聞いたことがないほど優しいお声をなさっています。その表情まで伺うことができないのが少し残念な気がいたします。

ふたりはしばらくそこで聖地蛍を眺めているようでしたが、やがて、
「ふふふ、こんなお仕事ばかりだったら大歓迎なんだけれど。
 じゃ、始めよっか」
そう言うと、ほどなく陛下の身体が白く輝く光に包まれて闇の中に浮かび上がってきました。瞳を閉じて、両腕を一杯に伸ばしています。と、陛下から放たれる白い光に触れた「精霊のたまご」から、本当に精霊が生まれたのです。まるでうすみどりの光の殻を脱ぎ捨てるようにして。

女王のサクリアがこんなところにも使われるとは。
まだまだ、聖地には私などの想像もつかないことが沢山あるようです。
私は初めて見る不思議な光景を、食い入るように眺めていたのでした。

「うーん、まだ沢山残っているけれど、今日のところはこんなものでいいかな?」
「生まれた精霊は10体か。充分であろう」
「精霊さんたち、迷わないで宮殿の方に先に行っててね。ふふふ。
 ねえジュリアス様、せっかくですから私たちはもう少しここにいて、ゆっくり帰りましょう」
「しかし…」
「だって、夜のデートなんて久しぶりだし」
「おや、私はこれはあくまで仕事だと認識していたが?」
「んもう」

くすくす笑いあう女王陛下とジュリアス様。私は今まで、2人の関係について全く知りませんでした。ルヴァ様も驚いているようです。ゼフェルは、どうやらうすうす知っていたようで、「あれがあのジュリアスだってんだから、たまんねーよな」とつぶやいていました。
「なんだか覗きみたいで居心地が悪いですねー」と小声のルヴァ様に大きく同感したものの、
「この場合、不可抗力だよな」との意見もまったくその通りなのでした。

やがてふたりがその場を離れかけたとき、クラヴィス様が私の方を見て、「弾け」と合図なさいました。
私はためらいながらも、静かな曲を奏で始めました。
向こうのふたりに緊張が走りました。

クラヴィス様は、少し数が減ってしまった聖地蛍の群に向かって、かるく手をさしのべ、
「小さき魂たちと、愛するものを見送った者達に、安らぎを送ろう……」と祈りの言葉を口になさいました。
光の球体たちは大きな弧を描きながら銀色に光り、そして次第に光を失って消えて行きました。
私も、光たちが消えたあたりに思いをはせ、どうかあの後ろで喪失の悲しみに耐える者達の心に優しさが届きますように、と祈りを込めてハープを弾いたのでした。

聖地蛍が消えた森の方は真っ暗で、もう誰もいません。
代わりに満天の星が私たちの頭上に輝いているのでした。

「ああ、みんな、還っていきましたねー。
 あなた方と違って、私はこういうとき、何もできません。なんだか残念です」
「いいえ、こんな時に『何か』できる者は、本来誰もいないのだと私は思います。…時の流れ、以外は」
「それでもあなた方の安らぎと優しさは、きっと届いていると思いますよー」

「いやーそれにしても今夜はいろいろ面白かったぜ。
 オレも何にもできなかったのがちょっとばかし悔しいけどよ」

「……そうだな……どうだ、慌てて帰ったあの者達に『知恵』と『器用さ』でも贈ってやるのは。
 ……まったく、明日あれがどんな顔で宮殿に出てくるか、楽しみだな」
「おや、あなたが宮殿に行くのを楽しみにするとは。
 これもあの小さき者達、の贈り物でしょうかねえ」
私たちは笑いあい、クラヴィス様のお庭から辞して、家路についたのでした。
翌朝のことを考えて少しの高揚感を胸に抱きながら。

(おしまい)


くりず様が配布されていたフリーイラストとの闇様と水様に触発されて書いたものです。
われながらキャスティングが大変趣味に走っていますね。ふふふ。
喪失の哀しみに立ち会うとは?と考えて書いたわりにはお笑い要素も捨て難く、中途半端だったかな。
でもこの女王と光様、けっこう気に入ってます。

諸願奉納所へ