ごほうび
いつものように二人きりで過ごす午後のお茶の席、ロザリアが
「…ちょっと面倒な頼み事があるんだけれど…」と切り出したとき、私はといえば全然事の重大さも考えず、能天気に
「いいわよ。私にできることならなんでもするから」なんて答えた。
実際、思いがけず補佐官職に就くことを乞われてから、私はいつもそう思っていたのだ。ロザリアは史上まれにみる強大な力の女王で、私が補佐することなどほとんどないように思われる。にも関わらず、「あんたが必要なの」といつも言ってくれる親友への、せめてもの誠意、というところだろうか。
ところが、ロザリアの方はどうも私がこう答えることをあらかじめ予想した上でこの話を振ってきたらしい。でもそれはいわゆる後知恵で、この時点では私は自分の応対の危険性に全く気がついていなかったのだ。
彼女はにっこり笑ってロイヤルミルクティーを一口飲むと、言った。
「よかったわ、そう言ってもらえて。
実はジュリアスのことなの。
ほら、試験の時、彼だけ私との親密度がゼロだったでしょ?
私は今となってはそんなことどうでもいいと思っているのだけれど、どうもオスカーが言うには彼の方は少なからずそのことを気にしているらしいのよ」
なるほど、あり得ることだわ、と私は思って大きく頷いた。
「それでね、私考えたのだけれど。
ほら、彼って先代の女王からもらったっていう指輪、ものすごく大切にしているでしょう?だからああいう感じで、何か渡すって言うのはどうかと思って。ちょうど彼の誕生日も近いことだし」
「うんうん。それじゃ、私は彼に贈る品物を選べばいいのね?」
「違うのよ。まだ話はここからなの。
それでね。どうせなら、彼も喜ぶけれど、そのことでみんなに利益があればそれに越したことないじゃない」
「そりゃそうだけれど……難しすぎるなあ。それじゃあ簡単には見つからないわねえ」
「あるのよ、それが」
ロザリアはカップに残ったお茶をもう一口飲んで、艶然と微笑み、おもむろに私の鼻先に指を突きつけて言った。
「アンジェリーク、あなたジュリアスと結婚なさい」
アタマの中でそのセリフを数回反芻したあと、私は完全にフリーズした。
ロザリアはそんな私の反応はすでに予測済みだったのか、平然と話を続ける。
「ジュリアスも結婚すれば、もう少しなんというか、融通利く性格になると思うの。
そうすれば本人もまわりも万々歳よね。
幸いあんたたち試験中すごく仲良かったじゃない。
違う、なんて言わさないわよ。現にエリューシオンは光の家だらけだったわ。
あんたも何かというといつもジュリアスのことばっかり話してたし。
どっちにしてもこの話、ジュリアスは断らないわよ。
それどころか、女王陛下自らがめあわせてくれた花嫁、なんだから絶対すごーく大事にしてくれるはずよ。
あんたもできることはなんでもしてくれるって事だし、っていうわけでこれで決まりね」
違う。絶対、違う。
正直、ロザリアと考え方にずれがあることは薄々気がついていた。
彼女が就任一ヶ月経ったとき、「宇宙と私との蜜月は終わったことだし」なんて言って、オスカーを公然と愛人(!)にしてしまった事とか。
その時に「迂闊に結婚できない貴婦人が愛人を持つのは当然」と平然としていたこととか。
そんなロザリアだからこういう発想になってしまったのだろう。
私は何か言わなくちゃと口をぱくぱくしていたが、
何も声にならず、そのことによって一層追いつめられ……
どうやらその場に倒れてしまった、らしい。
滝のそばで白い花が揺れている。私はその可憐なさまをながめつつ、ぼんやりと思っている。今ここにジュリアス様がいたら、と。
突然人の気配がして私は森の入口を振り返る。
ジュリアス様が驚きの表情で立っている。じきにその驚きは消え、優しい声で私に話しかけて下さる。「偶然だな」と。
その瞳の輝きにつられて私は「お会いしたかった」と口走る。
言ってしまってから、こんな女王候補を彼は軽蔑するだろうか、と心配するが、優しい瞳はそのままで、「お前に呼ばれたような気がしたのだ」と答えてくれた。
ふたり、そのまま黙って。時折視線が交差して。
滝の音よりももしかしたら胸の鼓動の方が大きいかも知れない。
私は魔法にかかったように、けっして口にすまいと思っていたはずの言葉を口走っていた。「私、あなたのことが・・・!」
『ダメよ、それを言っちゃダメなの!』
いつの間にか私は2人にわかれている。髪を結い上げた私が、赤いリボンの私を止めようとする。でも、遅かった。
ジュリアス様はしばらくうつむいていたが、やがて厳かに、宣言したのだ。
「私は守護聖で、お前は女王候補だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そこで2人の私はそれぞれに涙を流しながら、これは夢だと気がつく。
どうして、一日も早く忘れたいこの場面を繰り返し見せつけられるのだろう。
でも。
繰り返してみるうちに気がついたこと。
それはきっと私の願望によって脚色が加わったせい、と知っているけれど。
私に語りかけるジュリアス様の指先は、よく見ると少し震えていた。
・・そんな小さな事が、夢から覚めてもまだ残る涙をゆるやかに止める。
どうやら気を失った私はどこかの小部屋に運び込まれたようだ。
窓から宮殿の中庭が見える。と言うことはここは宮殿の一室、らしい。
簡素だが頑丈な作りの大ぶりなベッド。肌触りのよいシーツは真っ白で、よく糊がきいている。シーツの片端には神鳥の模様が織り出され、控え目に金糸でステッチが入っている。枕カバーも同じ布で作られたもののようだ。
もうろうとした意識でそこまで考えたとき、背後から声が降ってきた。
「気がついたか」
あわてて反対側に寝返りを打つと、とりあえず今顔をあわせたくない人物ナンバー1のジュリアス様が、ベッドサイドにおかれたスツールに腰掛けていたのだった。
私はまだ何も考えられず、「ここは…」と口走っていたようだ。
ジュリアス様は心配そうに私を見つめている。
「この部屋は私の仮眠室だ。陛下よりそなたの看病を仰せつかったのだ」
私は半分だけ覚醒した状態でぼんやり考えていた。
こうやって二人きりでお話しするのは、あの森の湖以来ではないかしら。
ジュリアス様のお顔をじっくり見るのも久しぶりかも知れない。ああ、相変わらずこの人はなんて光に満ちていることだろう。
ジュリアス様はなぜか居ずまいを正して、少しうつむいたあと、話し始めた。
「その…今回のことではそなたもさぞや驚いたことと思う。
この私でさえ、陛下から告げられたときは声も出ぬほど驚いたのだから。
しかし、落ち着いて考えるに、これほど名誉なこともあるまい」
そこで一旦言葉が途切れる。
「多少順序が前後したが、私からも改めてそなたに求婚しよう。
その、」
「だめーっっ!!!」
私は声を限りに叫んで遮った。
「その先、言っちゃダメ!だめ!」
自分が大声でわめいている、という事実がいっそう私の理性を混乱させていく。
「だめ!だめ!行って!出てって!」
私は声をからしてヒステリックに叫び続けた。「出てって!行って!」
ジュリアス様がどんな表情で部屋から出ていったのか、確かめるほどの冷静さはもう私には残っていなかった。
扉が閉まったあとも、しばらく私は肩で息をしていた。
ひどい。こんなのやだ。ひどすぎる。
まるで悪夢だ。……悪夢?
もしかして、これが本当に悪夢で、オリヴィエ様の悪戯だった、とかならいいのだけれど。
先週末に彼と交わした会話が唐突によみがえる。
「ねえねえ、アンジェリーク、あんたいったいどうすんの?
もう補佐官になって半年近いよ?」
「え、なんのことですか?」
「あーもう、とぼけちゃって。
だ・か・ら。もう女王候補と守護聖、なんてのじゃないから、なんの気兼ねも要らないはずなのに、あんたたちって全然進展しないじゃないのよ。まあ、ジュリアスもジュリアスだけどね」
「???あの、お、お話が見えないんですけど…」
「やだ、まだそんなこと言う?……あら、目がマジじゃない。…ってことは……ええ、ちょっと、嘘、違ったの?
あんたジュリアスと結婚するつもりで補佐官に残ったんでしょ?」
「違います!!!私はロザリアの手助けがしたかっただけです!!
ジュリアス様なんて、小指の先ほども関係ありません!」
「ちょっと、まあ、落ち着いてよ。そんなに怒らないで、ね。
誤解していたことは謝るわ。ゴメンね。
でも、言い訳するけど、私と同じように考えてる奴って、守護聖の中に8人はいるよ?」
「!!!!」
そこから先はきっとあまりに逆上していたせいだろう、記憶は曖昧だ。
でも、皆がそう思っていた、と言うことは。
私が試験の終わる半月ほど前にジュリアス様にしっかりすっぱり振られてしまったことは、誰も知らなかった、と。
そういえば。
どういうわけかジュリアス様はあんな事があってからも試験が終わるまでずっとエリューシオンに力を送り続けて下さった。もう見ることができないと思っていた優しい笑顔も失われることはなかった。
でも、そのことが私を一層落ち込ませていた。
そう、私は全然ダメだった。
ジュリアス様とお話する事はもちろん、同じ部屋にいることもつらかった。
補佐官になってからも、よほどのことがない限り、彼には近寄らないようにしていた。相手は首座なのだからそれでも顔をあわす機会は少なからずあったのだが、込み入った話はロザリアか、オスカーに任せ、わたしはいつも単なる事務上のメッセンジャーに専念していた。
でも。
でも、でも。
ああ、素直に負けを認めよう。私はやっぱり今もジュリアス様のことが好きなのだ。
補佐官に指名されて嬉しかったのも、堂々とジュリアス様と同じ聖地にいられるから。
なのに未練がましい女と思われるのが怖くて近寄れないのも、好きだから。
だからこそ、今回の話は間違っているのだ。
結論は私が密かに夢見ていたとおりであったとしても、その状況が、決定的に。
……よく考えると。
さっきは半年ぶりの普通の会話、のなかで、求婚されそうになってしまったのだ。
いや、普通の会話、ではない。
あれは、お仕事の話。
ジュリアス様にとって、そして私にとって、これは、お仕事。
お仕事で求婚され、そしてお仕事で結婚する。……バカな。
窓の外は夕焼けの空。
陽は間もなく完全に沈む。
私はじっと横たわったまま、刻々と色を変える空と光る場所を変えながら流れる雲を眺めていた。
なぜか涙が出てきて、どうやって止めていいのかわからなかった。
部屋の中がすっかり暗くなったころ、控え目なノックの音が聞こえた。
私は無視した。誰が来たとしても、今、話なんてできない。だから私は目を閉じて眠ったふりをしていた。身体は窓の方に向けたままで。
そっと扉を開く音がして、誰かが入ってきた。
一瞬、間をおいて、ベッドから一番離れた場所にあるフロアランプに灯がともった。
眠っている私を起こさないようにという配慮なのだろう。部屋がほんの少しだけ明るくなった。
そして、ベッドサイドのスツールに腰掛けた人は、長いため息をついた。
ジュリアス様だ。私はドキドキしながら、目をさらにかたくぎゅっと閉じた。
ジュリアス様はしばらく何も言わずじっとそこに座っていた。
後ろ頭に視線を感じるのは、わたしの自意識過剰だろうか?
やがて、ためらいがちに伸ばされた指が、私の髪に触れた。
部屋がこんなに暗くなかったら、ジュリアス様は私が自分でもはっきりわかるほど赤くなったことに気がついただろう。
ゆっくりと髪を撫でながら、ジュリアス様は眠っているふりを続ける私に話しかけた。
「私は、本当に嬉しかったのだがな……
まだ許してはもらえてなかった、ということか」
自嘲するような語り口。そして、ため息。
「ぬか喜びなのは補佐官に残るときいたときと同様だが……
そして悪いのも私だが……」
「…それでは私はあのとき、幸運の前髪をつかみ損ねた、というわけだな」
また、長いため息。
「もう2度とそなたを泣かせまいと誓っていたのに、泣き疲れて眠るような真似をさせるとは」
長い長い沈黙。
私のアタマの中は「どうしよう」「どうしよう」という言葉ではち切れそうだった。
突然、髪を撫でていた手の動きが、止まった。
一瞬、唇に感じた、指先の感触。
ほどなくジュリアス様が立ち上がる気配がした。
もういいの。
お仕事でもいいの。
わかったから。
よく、わかったから。
少なくとも、私の、気持ちは。
私は大急ぎで寝返りを打つと、ジュリアス様の衣装の端をしっかりと掴んだ。
見上げた視線が、彼の瞳で止まる。
驚いてはいるけれど、優しい瞳。あの透明で深い蒼がこんなにもあたたかいなんて。
そのまましばらく見つめ合っていた私たちだが、すぐに私はかつてないぬくもりに包まれていた。
それからあとのことは、話すまでもない。
8月16日という日付には、ジュリアス様の誕生日に加えて、私たちの結婚記念日という新しい肩書きが付け加えられた。
そしてロザリアが予言したとおり、私は彼が敬愛する女王陛下より賜った最高のご褒美として、日夜大切にされているのだ。たぶん、いや、きっと、絶対、いつまでも。
(おしまい)
8月16日にはゼンゼン間に合いませんでしたが、光様お誕生月記念と言うことで。
でもこのお話の真の主役はロザリア女王様、ですな。
お話の大筋はすぐ決まったのですが、甘くなるはずのシーンがどうしても書けなくて〜〜。
結局甘さ半分ぐらいでいいことにしときました(自分に厳しくナイ奴)。でもやっぱり恥ずかしいです。ぴゅー(逃走)。